生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年04月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
片思いの好きな女性の前に出ると純情な日本男児は案外、素直に物が言えないものです。また、感情的な緊張、憎悪、怒り、苦手な相手をする時も、平素の滑らかな自己表現は出来ないのが普通です。プツンした、と表現される大脳の停止も深い意味があり、また、逆に一度繋がると次から次へと良い知恵が湧き出してきます。このように一番必要とされる知恵は本人の一番リラックスした精神状態から生まれてきます。勉強と修行も必要ですが、明るく自然にのびのびとした精神状態から生まれる知恵や気づきを一番重視して生き抜きましょう。
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2019年04月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
今日の首題は私の第1回の著作の題名ですが、新潟県長岡市にある高校の時代にドイツの神父さんから教えていただいたパウロと言う人の言葉でもあります。この言葉は長い心理療法の仕事を大変助けてくれました。海外の研究室で深層心理の研究をするときも、大学病院で治療に当たるときも、私を助けてくれた思想です。厳しい人生を生き抜いていくときの知恵は他者の中にあるかもしれませんが、最終的にはその答えは必ず自分の身体の中に存在している、と言う哲学をこの言葉は示唆しています。患者さんの治療方法も、医者の中というようりも患者さんの身体の中に存在している、と言う考え方です。この言葉は生きる知恵と希望を私に与え続けています。<人の身体は神の神殿>、しばらくこの哲学について思索していきます。
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2019年04月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日々、色々の選択肢が迫ってきます。どれを食べようか、どの服を今日は着たらいいか、どの職業がいいか、どの彼女を嫁さんにしようか、色々の選択肢があります。その選択と言う現実吟味力で人生が決まってきます。自分を信じて生きるのが一番悔いがありません、自分が選んだ道だと思えば、悔いがありません。人の助言で選び悔いを残すのは馬鹿馬鹿しいことです。その為に平素から現実吟味力を養成する必要があり、その為には悔いの無い人生とは、どんな内容なのか、しっかりと内容を思索しておきましょう。<悔いの無い人生の内容>を決めてないと、現実吟味力は発揮出来ません。
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2019年04月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
失恋の為に何故、人は自殺するのでしょう?精神病理学ではいかなる理由でも自殺する事自体を相当重症なもの、と考えています。健康体ならば自殺は考えません。さて予防医学と言う概念がありますが、生き甲斐の心理学でも、自殺のシグナルとして一番重視するのが初期段階である不安感です。恋の喜びは天をつく壮大な愛の喜びを伴いますが光と影が大きいだけに、初期不安を経過せずいきなり末期不安に突入します。色々の喜びや生き甲斐を感じながら生き抜くコツは恋愛感情を含めた平素の喜怒哀楽を<のんびりと楽しむ習慣>が必要なようです。
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2019年04月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
ネアンデルタール人が埋葬の折、花を添えた話は有名ですが、古代から人類は魂の存在を信じて生きてきました。現代の比較宗教学でも魂についての定義がそれぞれ解説されています。その代表的な一つが<魂は病む事も無く老いる事もなく、永遠普遍のもので、しかも愛そのもの、臨終の時、身体から離脱する知的生命体>があります。満員電車では不快なことが多発すますが、心と身体はそれぞれ嫌な気分で反発しあつていますが、静かに満員電車の人々を見渡し、この人々にはそれぞれ愛そのものである魂があるんだなあ、と思うと、心と身体レベルでの嫌な気分も、スーッと何となく暖かい気分に変容していくのを感じます.
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2019年04月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
生き甲斐支援活動をしていると、時々不思議な現象に立ち合います。特に高齢者福祉施設での、元気ではあるけれども、死後の世界に関心を持ち始めた方々との会話に於いて、です。<私はどんな死に方をするかなあ、死んだらどうなるのか>と言う相談です。死んだら自分の魂は地獄か、天国か、はたまた無になるのか、疑問は次から次へと投げかけられてきます。<わかりません、魂は無いと思います>と断言すると殆どの事例では急速に生き抜く意欲が無くなっていきます。軽率に魂は無いなどと断言してはいけません。魂の存在と身体反応は正比例していますから愛情をもって対応していきましょう。

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2019年04月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
自分に正直に生きていないと、結局、周囲に迷惑をかけてしまいます。一番迷惑なのが嫌いな人に好きと言う言動です。あからさまに嫌いと言うのも、いかがと思いますが、大事な場面では正直に言わないと悲劇が起きてしまいます。身体も何故か、嫌いな食べ物を受け付けません。常識の範囲で栄養のバランスは保つ必要がありますが、ソバアレルギーのように、案外DNAはキチンと暗示してくれています。<心と身体と魂での身体反応>について暫く思索していきます。どこまで正直に生きるべきか、という微妙な領域の問題について考えてみます。
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2019年04月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
日本の大学生の頃、文化祭になると<ほら吹き大会>というおかしげな大会があり、平素理想を語り続ける若者が、自分の理想をほらを交えて出場していました。後年、心理療法の仕事をしながら人間が<理想か、妄想か>のハザマで苦しみながら生き抜いている姿を涙と共に考えさせられました。理想か、妄想かという自問自答は大切ですが、なんとしてでもやり遂げたい想いがあるならば、世間から笑われても、最後の最後まで一生懸命楽しみながら追求した方が、どうも悔いのない人生を歩けそうです。夢半ばで生涯を終わろうとも、最後の最後まで夢に生き抜くのもまた人生だからです。
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2019年04月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
逃げた魚は大きいといいますが、戻って欲しいと願う場合の自己点検の方法が今日のテーマです。子供から老人まで、人間は教養があろうが、無かろうが、本能的に五感と体感で真実を認識できるように設計されています。ただ子供のときから正直に生き抜く訓練をしていないとその本能は相当歪んでいます。今からでも遅くありませんので心の奥深いところで感じている感情を倫理道徳で裁くことなく、一旦正直に意識し知覚する訓練をしていきましょう。恋人は平素、嘘を言わない正直なあなたなら反省して、いつか必ず戻ってきます。真実の愛を人は命をかけて追求するからです。
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2019年04月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
今の職業は<食べる為の職業>なので、我慢、我慢の人生だ、と悩む人が沢山います。<逞しく生き抜いて>と祈るばかりです。さて<食べる為の嫌な職業>が原因で人生を悲観しノイローゼになったり自殺を考えしまうのは病的です。上手に居直って厳しい現実を受容する知恵は必ずあります。体験の解釈を変えると世界が変わります。理想の有り様を現実に合わせて変える知恵もあります。人間が生き抜く能力と実力はDNAの勉強をすると直ぐ分かります。DNAは物凄い生命力を保有しています。自分の信じる道を貧しくとも生き抜いていると沢山の同士が集まりだし幸せな日々を送ることが出来ます。

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2019年04月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
大人になっているのに、直ぐ怒り出す人、つまり怒りっぽい人は人格形成上、色々辛い問題を抱えています。不思議な事なのですが、宗教を信じている人にも多いのは何故でしょうか?特にお坊さん、それぞれの宗教家は、信徒に囲まれ、ちやほやされている傾向があるので、世間で鍛えられている人々と比較すると子供のような所があり、そこが純粋といえば純粋ですが、いつまでも成熟していない人格であることは間違いないようです。直ぐ、傷つけられた、と大騒ぎする人は、よく観察すると自分で自分を傷つけています。世界共通の問題点なのですが、子供の頃から自分に正直に生きていないと、どれが自分の本音なのか、理想なのが現実吟味力の欠落、と言う問題を抱えています。

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2019年04月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
精神病棟で生涯を送る人の姿を見ると胸が痛みます。あのような状態に何故、なるのだろう?そこでここ100年の間に、色々の学者が論文を書きました。明るく元気に正直に生きていくための最低の必要条件が<不一致:本音と意識と言葉が一致していない状態>という精神状態を避ける事だと気づいてきたのです。自分の<不一致>に気づかないと、人生がどんどん歪んできますし、不幸になりだします。この問題を5回にわたり思索していきます。
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2019年04月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
嫌な事でも努力して何とか切り抜けたものの気がつけば疲労困憊していて再起不能、よくある話です。実現できそうもない夢でも心底願う事柄ならば案外実現出来るものです。終末治療の患者さんにもあの世の夢をしっかりと信じて明るく死んでいく人を沢山知っています。死んでいく人でも楽しい夢が持てるのですから生きている私達は楽しい夢は達成の可能性を持っています。嫌な義務を楽しい事に変換する知恵は必ずあります。嫌な感情を楽しむ知恵は必ず見つかります。長命で元気な翁の特色は全員が楽しみの天才ばかりです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年04月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人生には色々の段階があります。頭では枯れた泉の回復方法は百も承知ですが、心と身体はどうしようもありせん。挫折体験を数回克服し豊かな泉をこんこんと湧き出させた経験者は慌てませんが初めての人は自殺する場合もあるくらい切ないものです。日本文化は和歌、俳句を愛し、その中でいつも、わびさび、哀しみ、寂しさを二千年ちかくも唄い続けています。枯れた自分を楽しんでいくと時間が解決してくれます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?:幸福な日々の為の自問自

2019年04月01日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
<心の自由さ>を五感と体感で享受してしまうと、自然と森羅万象から豊かな感情、明るい感情が泉のように湧き出してくるのを益々感じます。固執障害、美しくあるべき信念が意外と邪魔をしているのを知覚しだすと、信仰とか信念、思い込み、頑固さ等を再点検する必要を感じます。持つべき信念は自由な心、何物にも固執しない自由で明るく爽やかな心を持ちたい、それが全ての始まりだ、と気づきます。素晴らしい信仰、信念、一つの道、統合された思想、いづれも大切ですが、その前に自由な心をお持ちですか?これは私の自問自答です。
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