人間の精神的な臨床場面(日常生活での色々の人の精神現象)から現代の心理学が誕生してくるのですが、大河ドラマに登場する歴史上の人物の運命とギリシャ神話に出てくる色々の神様の運命が似ている事に気づきます。ギリシャ神話に登場する愛の神、嫉妬の神、裏切りの神、海や月や星、薔薇の精等が登場してきます。そしてそれぞれの神様の末路、栄華盛衰が物語として展開します。嫉妬深い神様はそれなりの往生を遂げていきますがその成り行きは大河ドラマで見る歴史上の人物の成り行きと重なる部分もあります。私自身の生育史での成り行きも、人を恨んでいた或時代はいくら自分で正義感を唱えていても暗く陰惨な感情生活をしていますし、理屈を超えた大きな受容的な人間関係を保ち愛を大事にしている時は平安感が日々を支えています。一度、ギリシャ神話を中高生向きの気楽な内容の本を選定して読んでみて下さい。ギリシャ神話は説教調ではなく楽しい物語風に書かれた本で愛読していくと人間の幸福を得る為にはどうしたらいいかを古代人の知恵として示唆してくれています。変な哲学書よりもギリシャ神話を読んだほうが遥かに大きな知恵に恵まれるのは何故でしょう?数千年の試練を経て生き残ったギリシャ神話は現代人に大きな示唆を与えてくれます。
由良弥生さんという方が書いた「新島八重と幕末:副題 会津に咲いた八重の桜」を読んでいますが、なかなか面白く、かつ、胸の裂けるような切ない歴史を感じます。会津若松城(鶴ヶ城)の悲劇や白虎隊の話は途中で読書を止めたくなりますが、それでも読み進む内に八重の兄が明治政府にとりたてられていく経過も知り、大変驚いています。「生き甲斐の心理学」はやはり生き延びていく人々に焦点を当てながら、それでも厳しい現実を明るく元気に生き抜いていく知恵を大事にしたい、としみじみ思いました。殉教や殉ずる思想も大事にしたいとは思いますが、明るく元気に爽やかに生き抜く知恵を探りたいと思いました。
宗教心理学に限らず人間が生きていく上で知っておくと生きやすくなる哲学があります。生身の人間の世界には赤ちゃんから高齢者まで意識しようがしまいが、信じて見えてくる世界があること、信じた為に見えなくなる世界がある、という心の世界があることを意識しておくと、とても便利なのです。難しい書物を読む前に、自分は何かを信じた為に見えてきたもの、知ったこと、分かった事、理解したことがあるかどうか、一度、ゆっくりと楽しみながら思索しておくと、はた、と大発見したような気付きが生まれます。この基本訓練をしておかないと、どんな本を読んでも気づきません。例えば親や親友、恋人の愛を信じると、嫌な言葉の裏側に深い愛に気付きます。親の愛を信じないと、親の言葉は不愉快で嫌味なものです。人を疑いだしたらきりなく不安感だらけの日々となります。宇宙の基本原理、光りの速度、音の速度を信じますと、その到着日時が見えてきます。この世の中に「信じてみえてくるもの」がある、と信じただけで愛である神様が見えてくると厳しい現実・試練の後ろに意味がある事が見えるかもしれません。
大河ドラマを見ながら東日本大震災をいつも考えています。自分だけが何故、生き残ったのかという自問自答を拝聴すると、本当に切なくなります。災害地の方に限らず、甘える時は大いに甘えるのが必要なのですが、この心理療法は非常に難しく、病的な甘えと健全な甘えの違いを学習するには相当の時間が必要です。更には日本人の精神構造の中に「甘えの構造」と「汚れと禊」の思想がありますが、この二つが病的に結びつくと自死を選んだりします。それは間違いです。自分一人が何故、生きたのか、そこに罪悪感を感じる事例はこの汚れと禊の思想が悪い方向に展開した場合です。一人生き残った人は死んでいった人の分まで幸福になる役割を感じて欲しいものです。戊辰戦争で生き残った逞しい会津の人々の生き方を是非、再考して欲しいものです。
明治政府の重鎮・大山巌夫人の捨松は8歳の頃に会津城に籠城しています。12歳の頃女子留学生に選ばれアメリカに留学、帰国後、薩摩藩士、かつ、会津城突入の大山巌にプロポーズされて24歳の時、家族の大反対を押し切り結婚します。鹿鳴館の貴婦人といわれ、当時の外交に一役買ったそうです。看護学校を設立したり、この籠城の苦しい体験を平和に役立たせた女性です。会津魂をそれぞれの人生の中で開花させた会津の女性に改めて敬意を表します。厳しい環境を乗り切り自己実現への道を模索しつつ美しく生命を開花させていく会津の女性達、先の東日本大震災でも是非、逞しく生き抜いておられました。それぞれの風土の伝統は実に素晴らしです。
坂本竜馬が暗殺された場所が寺田屋で、池田屋は新撰組が急襲した旅館で、そこには坂本竜馬はいませんが、日本の歴史上、とても大切な場所ではあります。池田屋さんは今は居酒屋ですが、2005年頃はパチンコ屋さんでした。三条大橋の偽宝珠(橋の欄干にある飾り)には池田屋事件の折の刀傷跡と言われるものを、しみじみと眺め、歴史を味わいました。さて、現在でも残る京都のあちこちの名所は時間をかけてみれば見るほど京都に行きたくなります。寺田屋で坂本竜馬を救った「おりょうさん」は明治39年に横須賀で死亡していますが、その人生は必ずしも幸福だったとは言えないようです。厳しい人生を歴史に翻弄されても、心は神仏への信仰に向けられて平安感に死ぬ人も沢山ありますが、出来れば神仏からの愛を日常生活で感じ取れる人生を送りたいものです。
24回のテレビ録画の為に2012年は京都に月に一度新幹線で通いましたが定宿は心のともしび本部のあるすぐ近くの某ホテルでした。そのまた近くに池田屋という食のお店が、かの有名な池田屋の跡地だと知り、非常に驚き感動したものです。高瀬川が直ぐそばを流れ、京都市役所前のホテルオークラ敷地には長州藩邸跡地という表札もあり佐久間象山寓居跡と歴史好きにはたまらない三条河原町界隈です。この池田屋さんでは何回も録画の後に夕食に通い色々と空想しつつ日本の歴史を思索しました。さて自分が誕生した年の歴史を気をいれて勉強していただきたいのですが、私が生まれた年に2・26事件がありました。この自分の誕生の年の歴史とその前後を勉強しますと自分の性格形成に大きな影響を与えているのが分かります。この思索は自分を非常に楽にさせてくれますが、その手法について暫く考えていきます。
有名人の生育史と自分の生育史と比較しつつ、自分のものを軽く見る人に触れると、とても哀しくなります。歴史上の人物の歴史は確かに重みがありますが、自分を平凡と軽く見ると、どんでもない大きな過ちに陥ります。一番大きな過ちが神の存在と自分との関係を軽く見てしまう無意識の傾向が誕生してくるからです。息を引き取ると世界が終るように自分が世界の中心であることを何よりも意識しておきましょう。世界の中心は自分なのです。カールロジャースという学者のパースナリティ理論・命題1は世界の中心が自分である、という意識からスタートしていますが、この命題を学ぶ結果、自分の言動に責任を感じ、苦しむ人々に想いがおよび、どんな立場の人々(精神病患者を含み)に対しても、その内部の心の奥深くに目を向け、その苦しむ人の主観を心から傾聴し、その上で何とか共に明るく元気に生き抜こう、と思わせるその原点が自分が世界の中心である、という哲学に開眼していきます。有名人の生育史は面白いけれども、自分の生育史を低く見ると、自分の人生を大きく捻じ曲げていく事を意識化しておきたいものです。
以前、人気がありました大河ドラマの八重さんは明治維新の後、明治9年に洗礼を受けますが人生の流れは本当に不思議です。洗礼を受けるまでの心を知りたいと思います。あの会津城で銃をもって戦い、日清日露では篤志看護婦として活躍し昭和7年までの88才の人生は何とも刺激的な人生で、この女性の日記を読みたいものです。歴史に翻弄されても、その流れの中に天命を見出し、その命を十分に自分と人々の幸せに貢献していく姿は見事なまでに美しい。自己実現への道を自分の生育史の中からあぶり出す知恵を学びたいと思いました。
人が誰かと最初に出会う、その時の最初の一言で全てが決まる時がありますので、この言葉は恐ろしいような気がします。親友の紹介で初めて会った人が何か刺のあるような言葉をつぶやき、それが挨拶の最初の一言であれば、多分その新しい関係は上手く行きません。最初の一言はその人の日々の想い、特に人間に対する優しさ、愛情、自分や他者を粗末にして生きているかどうか、を的確に表現しているものです。このような人の言葉は自虐的、皮肉風、希望の無いような、つまり他者否定のような言葉が出てきます。大脳は相性を数秒で判断すると言われていますのでインスピレーションを私は尊重しています。暫くこの最初の一言が歴史を変えたり人間関係を支配したりするので色々と思索してみようと思います。
或人に向かい「自分は何の為に生きているのか?」と質問すると怒り出す人がいます。余計なお世話だ、こんな状況の時にはそれどころではない、と怒りまくります。質問のタイミングに失敗した事例かもしれませんが、そのあとの反応が非常に重要なので経過観察に入ります。本人は当面の問題を解決した後、考えようとしますが、私の経験によれば、この質問をする前に十分洞察しているので、その混乱は予測していますから、怒りを抑えながら丸くその場を納めます。数週間するとほぼ全員が、この厳しい質問の御陰で、自分の抱えていた問題は、どうでもいい、と気づきましたと連絡が入ります。この厳しい問いかけは危険そのものなので、問いかけの前の状況は十分研究しておく必要があります。ストレスの大半は生きる目的が明確になればなるほど、半減するものです。
どんな人にも日々のストレスはありますが自分が生きていく目的を明確に意識している人には、このストレスは試練として解釈されているので辛いけれども、それ以上の意味を感じているので傍らに置いて生きていけるようです。何かを信じ、そこに希望を置いている人間の強みでしょう。太極拳を楽しく演武している時と同じです。演武していても自分が抱えている諸問題は依然として存在しているわけで、逃避しているわけでもなく、見て見ぬふりをしているわけでもありません。どうしても解決しなければならない問題は、その時がくるまで平然として放置しておきます。どこを目指して生きているのかを楽しみながら意識化するとそれ以外の問題は小さく見えてくるようです。自己実現の道を歩む人は何故か元気です。
公式の文書や手紙は建前が理路整然と書かれていますが、それは当然のことでしょう。しかしその公文書を書いた人々の手紙や私文書が後年、発見されると、その困難の最中に、どんな祈りをささげて生き抜いていったか、その心の軌跡がとても人間的で暖かく好意が持てます。西郷頼母も松平容保も、その手紙や内々の文書には困った時に神仏に手を合わせて祈ります。どんな人間でも厳しい人生の場面に遭遇すると自然と頭を垂れて何か偉大なものに救いを求めますが、この姿はとても美しく感動します。この二人は自分だけが生き残った事をとても悔いながら生きていきますが、その心を想うと切なくなります。自死を選ばなかったこの二人は何とも偉大な人物だと私はほれぼれします。厳しい現実に遭遇しても生き残った以上は天命を全うし自然死を迎えるまで努力したいと思いました。困った時の神頼みをするのが人間の美しい心。
ドラマでは綾野 剛さんが会津藩主・松平容保を演じていますが、この殿様も中々の人物で、生き甲斐の心理学が希望する逞しい人生を生き抜きます。戊辰戦争を生き抜き日光東照宮の神主さんをしたりして明治26年に目黒の自宅で生涯を終わります。この殿様の6男の恒雄の長女・松平勢津子は昭和3年に秩父宮と結婚します。歴史は非常に残酷ですし、現代の私達から見ると驚きの連続ですが、与えられた人生を最後の最後まで天命に生き抜く決意をだいじにしつつ歴史ドラマを楽しみたいと思います。
:<比較宗教学の視点からの心の旅>
:<比較宗教学の視点からの心の旅>
大部前の話ですが、直ぐ影響を受ける私でしが、私の大好きな大河ドラマを数回見て、会津藩と明治維新に熱を入れた頃がありました。会津藩家老・西郷頼母(西田敏行さんが演じている)の生き方を注目しています。頼母の家族(母、妻、その子供達:娘達は16歳、13,9,4ン2歳を含む)は戊辰戦争の際に頼母の自宅で21人が自害しています。しかし彼は明治36年まで生き延びています。卑怯者ではなく堂々たる人生ですが生き延びようとするその意思は、まさに私達「生き甲斐の心理学」が望む壮烈な生命力とそれを生き抜く人物なのです。この人の生き抜こうとする態度を古典や歴史の中で意識化すると、この現代社会の複雑な姿を、いかに解釈したら日々の憂鬱な感情が少しは減るか、自分なりの知恵が浮かんできます。日本がまた戦争に巻き込まれないように、それぞれの立場で努力しましょう。