波除稲荷神社の創建は万治年間(1658~1661)と伝えられております
この万治年間築地一帯の埋め立てが進められ暦の大火(江戸時代の大火災)の後
4代将軍家綱公が手がけた最後の埋め立ての際、堤防を築いても築いても
激しい波にさらわれ、工事が困難を極めてい際。
ある日、海面に光を放って漂うものがあり、不思議に思って船を出すと、
それは立派な稲荷大神の御神体…。人々はすぐに社殿を造ってお祀りし、
盛大な祭を行ったところ、波風がぴたりとおさまり、無事に埋め立ても終了したという。
波除という総称は、この故事に由来するもので、それ以来、今に至るまで
災難を除き、波を乗り切る波除稲荷様として、災難除・厄除・商売繁盛
工事安全などの神社として人々の信仰を培ってきております
築地が埋め立て地であり、本願寺が寺であれば、こちらは稲荷神社です
カモメが上空を舞、鳥居にとまり築地市場の雰囲気と歴史を感じさせます
築地ならではの塚が此処にはございます 見出し写真は玉子塚
玉子という字は、加工されて命を宿す卵から食品に姿を変えた
玉子・卵を供養する両方の意味を持つ塚でもあります
総じての すし塚 鮟鱇塚 海老塚 活魚塚 はまぐり石などもありまして
市場近くで商売繁盛を願い 命を頂く食材としての供養も兼ねている様です
玉子塚の粋なデザインに感嘆し 干支の塚で自分の干支を見つけ
波除稲荷神社の祭り「獅子祭り」に練り歩く 巨大な獅子頭一対
こちらも 1848年製作で フォークリフトでないと 出せない位 大きい!
男獅子の方は、何年に一度しか、神社から出ないそうですが
さて、これをどうやって出すのか、DIYアドバイザー仲間ならではの
推理が始まります 前に出そうとすると上が当たる
分解出来るのではないか? 昔はどうやって此処から出していたのか
エトセトラ エトセトラ 勝手な推理ですが これも又楽し!
アングルの上に台が乗っているので、前に出すのは確かですね
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