大学時代バンド編という事で、大学は東京の私立大学に進学いたしました。高校であれほど勉強しなかったのに、よくも入れた大学があったものだと。当然のように大学に行ってもバンドをと決意も堅く、しかも身の程知らずもいいことに本格的に(恥ずかしい話プロを目指すという事です)という気持ちもあり、(バンドをやってる人間が誰しも描く妄想だと)ツテもなかったのでとりあえずサークルに入りました。サークルではハードロック系とパンク系の2バンドを掛け持ちました。学内での音楽サークルでは名門で、かなり留年はしている先輩で浜田麻里バンド(ZEUS)のギタリストがまだ在籍していたり、インディーズからレコードを出している先輩、当時の部長は途中退学してスタジオミュージシャンになったりしていました。浜田麻里といえば、ZEUSのバックコーラスをしていた妹の浜田エリも同じ大学で、よく同じ授業を受けていました。身の程知らずの私は、そんな名門サークルでも『サークルは所詮サークル』と退部し、同郷の友達と音楽の専門学校の方を中心としたバンドを結成しました。当然バンドのレベルも高く、私もリードギターとしても曲作りの方も認められてはいたのです。ところが当時、私は学校の長期休暇で実家に帰ると家業の家具屋の配達の手伝いをしていました。その頃、身長177cmに体重50kg(50を切る事もありました)という体で重い家具を持つ場合は手、特に指先に力をかけなければならなく(コツがわからなかったのです)腱鞘炎になりました。ギターを弾こうとピックを握ると激痛が走り、小刻みなピッキングが辛くなってしまったのです。休みを終えスタジオに入ってセッションを始めるが、思うようなプレイが出来ず、結局自ら脱退させていただきました。あの屈辱感と悲しさは今思い出しても辛い。今思えば、身の程知らずに下された当然の試練と納得しております。今も当時作ったオリジナル曲のスタジオ録音した物は残されていますが、できればもう少し、ちゃんとした何か形として残る物があればと、、、気持ちだけはバンドやロックが青春そのものだっただけに。何度も言いますが、身の程知らずとは言え、そう言い切れる物があったという事がかけがえのない物だと思います。画像はスタジオで一緒になった爆風スランプの2名様との記念写真です。
左上がサンプラザ中野様です。この頃の爆スラは既に大スターでした。新品未使用のバンドTシャツが入荷してきました。モトリークルー、クラッシュ、AC/DC、ピストルズ等ございます。税込み1600円です。
当社のHPです→http://www.daiwa.ws/
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