ロボット造りは日本の伝統なのかも
at 2004 01/13 23:02 編集
今日、出先から帰ってパソコンを立ち上げてみると、このホームページへのアクセスが回復していた。 私にもよく分からないが、何らかの障害があったらしい。 今はシーズンオフでネタが少ないとは言え、一週間もホームページの更新が出来なかったのだな。 せっかくの連休だったのに残念だが仕方が無い。 ともあれ復旧したみたいだし、今日からまた普通に日記の更新を再開するつもりです。
ホームページの更新が出来なかった間の出来事として、プロ野球のコミッショナー交代人事がありました。 もっとも、ほとんど話題にすらなっていなかったのだが... 新しくコミッショナーに就任予定の人物だが、相も変わらず法曹界出身者だな。 法律の知識程度はあるに越した事は無いが、法曹界出身者じゃないとコミッショナーは務まらないのか? 法律的な問題ならプロ野球機構の顧問弁護士に任せれば良いのではないのか?
新コミッショナーとか言うその人物についての情報は他にタイガースの後援会に入っていたと言う事くらいか。 個人的にどこのチームが好きであっても公私混同して変な肩入れさえしなければ問題は無い。 それより、多少なりとも野球に興味があるのなら、重大な岐路に立つプロ野球に対して何らかの構想を持っていなければ困るのだが。 もっとも、オーナー連中の”ロボット”だと言うのならそんなもの必要無いけど... それにしても、コミッショナーに”本当の野球人”をと言うファンの声は今回も届かなかった訳か...残念だ。
at 2004 01/13 23:02 編集
今日、出先から帰ってパソコンを立ち上げてみると、このホームページへのアクセスが回復していた。 私にもよく分からないが、何らかの障害があったらしい。 今はシーズンオフでネタが少ないとは言え、一週間もホームページの更新が出来なかったのだな。 せっかくの連休だったのに残念だが仕方が無い。 ともあれ復旧したみたいだし、今日からまた普通に日記の更新を再開するつもりです。
ホームページの更新が出来なかった間の出来事として、プロ野球のコミッショナー交代人事がありました。 もっとも、ほとんど話題にすらなっていなかったのだが... 新しくコミッショナーに就任予定の人物だが、相も変わらず法曹界出身者だな。 法律の知識程度はあるに越した事は無いが、法曹界出身者じゃないとコミッショナーは務まらないのか? 法律的な問題ならプロ野球機構の顧問弁護士に任せれば良いのではないのか?
新コミッショナーとか言うその人物についての情報は他にタイガースの後援会に入っていたと言う事くらいか。 個人的にどこのチームが好きであっても公私混同して変な肩入れさえしなければ問題は無い。 それより、多少なりとも野球に興味があるのなら、重大な岐路に立つプロ野球に対して何らかの構想を持っていなければ困るのだが。 もっとも、オーナー連中の”ロボット”だと言うのならそんなもの必要無いけど... それにしても、コミッショナーに”本当の野球人”をと言うファンの声は今回も届かなかった訳か...残念だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
新星登場
at 2004 01/14 23:59 編集
毎日新聞の企画記事として正月から現代の社会における結婚難に関する特集が数回に分けて掲載された。 その中で、現在では25~40歳代の男女半数近くが独身で子供もいないそうだ。 一昔前なら子供が2~3人いてもおかしくない世代だ。 前にも書きましたが、これから十数年後には高校生の数が現在の半分近くまで減る事になる。 これにより、高校の数が半減するか、学校ごとの生徒の数が半減するか、どうなるかは分からないが、高校野球への影響は相当なものだろう...
現役プロ野球選手と高校生の交流イベントが先月の大阪に続き、今度は東京でも行われたらしい。 これ自体は素晴らしい事だし、今後も続けて行ってプロとアマの信頼関係を再構築して欲しいとは思うが、一年に一度のイベントだけでは参加できる人数にも限りがあるし、もっとスピードが上げられないものだろうか... 現状では高野連の目が光っている場所でしか高校生とプロ選手の交流は出来ないし。
本当はもっとプロ野球側が積極的にアマチュアとの交流を進めるべきなのだ。 高野連の支部なら全国にあるのでは? カープを始め、各地方で今回みたいなイベントをやって行くべきではないでしょうか。 子供の数は減り続けている。 運動能力の高い子が野球を選ばなくなる事も考えると、松坂投手みたいな優れた選手の登場も無くなって行くのではないかと危惧しています。
at 2004 01/14 23:59 編集
毎日新聞の企画記事として正月から現代の社会における結婚難に関する特集が数回に分けて掲載された。 その中で、現在では25~40歳代の男女半数近くが独身で子供もいないそうだ。 一昔前なら子供が2~3人いてもおかしくない世代だ。 前にも書きましたが、これから十数年後には高校生の数が現在の半分近くまで減る事になる。 これにより、高校の数が半減するか、学校ごとの生徒の数が半減するか、どうなるかは分からないが、高校野球への影響は相当なものだろう...
現役プロ野球選手と高校生の交流イベントが先月の大阪に続き、今度は東京でも行われたらしい。 これ自体は素晴らしい事だし、今後も続けて行ってプロとアマの信頼関係を再構築して欲しいとは思うが、一年に一度のイベントだけでは参加できる人数にも限りがあるし、もっとスピードが上げられないものだろうか... 現状では高野連の目が光っている場所でしか高校生とプロ選手の交流は出来ないし。
本当はもっとプロ野球側が積極的にアマチュアとの交流を進めるべきなのだ。 高野連の支部なら全国にあるのでは? カープを始め、各地方で今回みたいなイベントをやって行くべきではないでしょうか。 子供の数は減り続けている。 運動能力の高い子が野球を選ばなくなる事も考えると、松坂投手みたいな優れた選手の登場も無くなって行くのではないかと危惧しています。
自粛明けの町内
今日の夜、納豆や酒の肴などを買いに隣町のゆめタウン廿日市へ行って来ましたが途中の五日市コイン通りでは一昨日の緊急事態宣言の解除を受けて居酒屋が営業を再開していました。 何時までも......
天下分け目の戦い
at 2004 01/17 00:59 編集
正月休み...私は今年も岐阜・愛知・静岡方面への旅行に行って来た。 初日、名古屋に向かう途中に私は関が原の駅で途中下車した。 ここは徳川家康が天下取りの野望を賭け、豊臣家の天下を守ろうとする石田三成と”天下分け目の決戦”を行った所だ。 以前から旅の途中に通り掛る度に行ってみたいと思っていたのだが、いい機会だから寄ってみよう。 既に夕刻になっていて資料館とかは閉まっているが、戦場の雰囲気を味わう事くらいは出来るだろう... 私は一人、関ヶ原駅のプラットホームに降り立つ。 小さい駅ではあるけど、なかなか良い雰囲気だ...
駅を出る。 ちょっと狭い駅前広場を散策して案内板を探す。 案内板によると、記念碑などの遺跡は町中に散在している。 もう日が暮れかけているので、近くにある遺跡だけにしておくか。 元々予定に無かった訪問だし、時間が無くてほとんど見られないのは残念だが、またいつか時間を掛けて来るとするか... 私はとりあえず駅を出て、近くにある井伊直政の陣跡に来た。 ここは小さな公園になっていて、戦死者を祀るほこらもあった。 先日、彦根を訪ね、井伊直政の展示を見て来ただけに興味深いな...
続いて近くの徳川家康本陣跡にやって来た。 見渡すと、暗くて見えにくいが敵側の大将・石田三成の本陣があった笹尾山がある事が大体分かる。 徳川家康は最初、もっと向こうにある桃配山に本陣を置いていたが、戦いが一進一退の激戦になると、この位置まで前進して全軍を鼓舞したそうだ。 そして戦いの後、倒した敵の首をここで実検したらしい。 だからここには戦死者を弔う大きな慰霊碑がある。 ますます暗くなって来たので私も引き上げる事にした。 あまり夜に一人でいるべき所では無さそうだし...
戦国時代の覇者・豊臣秀吉がこの世を去り、後継者の豊臣秀頼はまだ7歳。 かつて天下の覇権を巡って秀吉と戦い、戦場では優勢ながら秀吉の圧倒的な知力(政治力)の前に破れ、秀吉の臣下となっていた徳川家康は、今こそ自分が天下人となるべく動き出した。 しかし、家康がいくら強いとは言え、豊臣家に一方的に反乱を起こせば全国の大名から袋叩きにされて潰される。 家康は何とか豊臣家の天下を引っ繰り返す方法は無いかと機会を窺った...
そこで家康は豊臣家内部での派閥争いに目を付けた。 豊臣家を守る為、家康の野望を警戒する石田三成だが彼を憎んでいる大名も多く、そこで家康は東北の上杉家を征伐すると言う名目で畿内を離れ、関東へと向かって行った。 そして家康の思惑通り石田三成は全国の大名に家康打倒を呼びかけて兵を挙げた。 それに対して家康は豊臣家ではなく三成打倒を呼びかけた。 その為、豊臣家に忠誠を誓う大名までが家康側についてしまい、かくして日本中を二分しての決戦・関が原の戦いが始まった...
家康は事前に敵側に対して徹底的な根回しを行い、その結果として西軍(三成側)では本気で戦ったのは全軍の半分程度しかなかった。 しかし西軍側も死力を尽くして戦い、戦いは予想に反して一進一退の激戦となった。 それでもやがて西軍側には東軍(家康側)に寝返る大名が続出して最後は東軍の圧勝に終わった。 戦いに勝利し、その実力を天下に証明した家康は”名目上は”主家である豊臣家を差し置いて征夷大将軍に任命され、本拠地の江戸に幕府を開くなど徐々に豊臣家を圧倒し、最後にはその豊臣家を滅ぼして300年近くにわたる平和な時代を確立して行った...
今年はアテネでオリンピックが開かれ、野球もプロ選手によって代表チームを編成して世界の頂点を狙っている。 ここ数年における国際試合での低迷ぶりから”寄せ集め”である代表チームの実力を不安視していた私だが、去年の秋にあったアジア地区予選での戦いぶりを見て、私の不安は払拭された。 今回は事前に合宿をするなど十分に準備した事も大きいが、何よりも日本代表の選手一人一人が使命感を持って結束してプレーした事が勝利に繋がったと思います。 現在、シーズン途中でのオリンピック派遣人数を巡ってもめているが、日本代表のオリンピック本選での戦いにも大いに期待出来そうだ。
そして来年の春には野球、いやベースボールのワールドカップが初めて開催される予定だ。 今回のオリンピック出場を逃したアメリカや韓国も出場し、ベースボール真の世界一を決める大会になると期待している。 もし、日本がアテネオリンピックに続き、この第一回ワールドカップも征する事があれば... 国際化への対応が遅れたアメリカを抑えて日本が”世界最強の野球王国”となる事が出来るのではないだろうか? 今度のオリンピックで日本が”本当のプロの技”を見せ付けて世界の野球人口を拡大し、さらに翌年のワールドカップで世界一の実力も証明すれば、日本が世界の頂点に立つ事が出来ると思っています。 これからの数年間に日本野球界の命運は掛かっているのではないでしょうか...
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
更新休止中です
at 2004 01/20 17:31 編集
先週末から私のパソコンのネット接続ができなくなったままだ。 私の家はケーブルテレビ会社の回線を使ったLAN接続になっているのだが、母のパソコンは問題なく繋がるそうだから私のパソコンに問題があるのかも知れない。 それで街に出て古くなっていたネット接続用のパーツ(LANカード)を買い換えてみたのだが、それでもダメなところを見ると別の所に問題があるみたいだが... 完全に復旧するまでもうしばらく掛かりそうです。 更新の再開はネット接続復旧後になりますが、それまでに日記のネタを考える事にします。 その一つとして一球団二人枠による野球日本代表チームの編成なんかも考え中です。
at 2004 01/17 00:59 編集
正月休み...私は今年も岐阜・愛知・静岡方面への旅行に行って来た。 初日、名古屋に向かう途中に私は関が原の駅で途中下車した。 ここは徳川家康が天下取りの野望を賭け、豊臣家の天下を守ろうとする石田三成と”天下分け目の決戦”を行った所だ。 以前から旅の途中に通り掛る度に行ってみたいと思っていたのだが、いい機会だから寄ってみよう。 既に夕刻になっていて資料館とかは閉まっているが、戦場の雰囲気を味わう事くらいは出来るだろう... 私は一人、関ヶ原駅のプラットホームに降り立つ。 小さい駅ではあるけど、なかなか良い雰囲気だ...
駅を出る。 ちょっと狭い駅前広場を散策して案内板を探す。 案内板によると、記念碑などの遺跡は町中に散在している。 もう日が暮れかけているので、近くにある遺跡だけにしておくか。 元々予定に無かった訪問だし、時間が無くてほとんど見られないのは残念だが、またいつか時間を掛けて来るとするか... 私はとりあえず駅を出て、近くにある井伊直政の陣跡に来た。 ここは小さな公園になっていて、戦死者を祀るほこらもあった。 先日、彦根を訪ね、井伊直政の展示を見て来ただけに興味深いな...
続いて近くの徳川家康本陣跡にやって来た。 見渡すと、暗くて見えにくいが敵側の大将・石田三成の本陣があった笹尾山がある事が大体分かる。 徳川家康は最初、もっと向こうにある桃配山に本陣を置いていたが、戦いが一進一退の激戦になると、この位置まで前進して全軍を鼓舞したそうだ。 そして戦いの後、倒した敵の首をここで実検したらしい。 だからここには戦死者を弔う大きな慰霊碑がある。 ますます暗くなって来たので私も引き上げる事にした。 あまり夜に一人でいるべき所では無さそうだし...
戦国時代の覇者・豊臣秀吉がこの世を去り、後継者の豊臣秀頼はまだ7歳。 かつて天下の覇権を巡って秀吉と戦い、戦場では優勢ながら秀吉の圧倒的な知力(政治力)の前に破れ、秀吉の臣下となっていた徳川家康は、今こそ自分が天下人となるべく動き出した。 しかし、家康がいくら強いとは言え、豊臣家に一方的に反乱を起こせば全国の大名から袋叩きにされて潰される。 家康は何とか豊臣家の天下を引っ繰り返す方法は無いかと機会を窺った...
そこで家康は豊臣家内部での派閥争いに目を付けた。 豊臣家を守る為、家康の野望を警戒する石田三成だが彼を憎んでいる大名も多く、そこで家康は東北の上杉家を征伐すると言う名目で畿内を離れ、関東へと向かって行った。 そして家康の思惑通り石田三成は全国の大名に家康打倒を呼びかけて兵を挙げた。 それに対して家康は豊臣家ではなく三成打倒を呼びかけた。 その為、豊臣家に忠誠を誓う大名までが家康側についてしまい、かくして日本中を二分しての決戦・関が原の戦いが始まった...
家康は事前に敵側に対して徹底的な根回しを行い、その結果として西軍(三成側)では本気で戦ったのは全軍の半分程度しかなかった。 しかし西軍側も死力を尽くして戦い、戦いは予想に反して一進一退の激戦となった。 それでもやがて西軍側には東軍(家康側)に寝返る大名が続出して最後は東軍の圧勝に終わった。 戦いに勝利し、その実力を天下に証明した家康は”名目上は”主家である豊臣家を差し置いて征夷大将軍に任命され、本拠地の江戸に幕府を開くなど徐々に豊臣家を圧倒し、最後にはその豊臣家を滅ぼして300年近くにわたる平和な時代を確立して行った...
今年はアテネでオリンピックが開かれ、野球もプロ選手によって代表チームを編成して世界の頂点を狙っている。 ここ数年における国際試合での低迷ぶりから”寄せ集め”である代表チームの実力を不安視していた私だが、去年の秋にあったアジア地区予選での戦いぶりを見て、私の不安は払拭された。 今回は事前に合宿をするなど十分に準備した事も大きいが、何よりも日本代表の選手一人一人が使命感を持って結束してプレーした事が勝利に繋がったと思います。 現在、シーズン途中でのオリンピック派遣人数を巡ってもめているが、日本代表のオリンピック本選での戦いにも大いに期待出来そうだ。
そして来年の春には野球、いやベースボールのワールドカップが初めて開催される予定だ。 今回のオリンピック出場を逃したアメリカや韓国も出場し、ベースボール真の世界一を決める大会になると期待している。 もし、日本がアテネオリンピックに続き、この第一回ワールドカップも征する事があれば... 国際化への対応が遅れたアメリカを抑えて日本が”世界最強の野球王国”となる事が出来るのではないだろうか? 今度のオリンピックで日本が”本当のプロの技”を見せ付けて世界の野球人口を拡大し、さらに翌年のワールドカップで世界一の実力も証明すれば、日本が世界の頂点に立つ事が出来ると思っています。 これからの数年間に日本野球界の命運は掛かっているのではないでしょうか...
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
更新休止中です
at 2004 01/20 17:31 編集
先週末から私のパソコンのネット接続ができなくなったままだ。 私の家はケーブルテレビ会社の回線を使ったLAN接続になっているのだが、母のパソコンは問題なく繋がるそうだから私のパソコンに問題があるのかも知れない。 それで街に出て古くなっていたネット接続用のパーツ(LANカード)を買い換えてみたのだが、それでもダメなところを見ると別の所に問題があるみたいだが... 完全に復旧するまでもうしばらく掛かりそうです。 更新の再開はネット接続復旧後になりますが、それまでに日記のネタを考える事にします。 その一つとして一球団二人枠による野球日本代表チームの編成なんかも考え中です。
...以上です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます