廣島パイレーツ・チャンネル

広島の名も無き”田舎侍”が地元プロスポーツを中心に色々と書いて行く過激なスポーツコラムや、広島の市政や街づくりについても

1月29日の巡回備忘録

2024-01-29 22:22:22 | Weblog
 徒歩で自宅を出発⇒セブンイレブン五日市駅前店でカフェオレとおにぎりを購入⇒五日市駅から広電の路面電車で広島市内中心部へ⇒原爆ドーム前電停で下車⇒完成したエディオンピースウイングを眺める(2月1日から一般開放され中にも入れるそうです)⇒市民球場跡地(シミント広島?広島ゲートパーク)⇒おりづるタワー⇒原爆ドーム⇒平和記念公園(資料館とレストハウスも)⇒本通商店街⇒大手町通り⇒そごう⇒基町クレド・パセーラ⇒AQ’A広島センター街⇒広島バスセンターとバスマチフードホール⇒リーガロイヤルホテル⇒シャレオ地下街⇒中の棚商店街⇒金座街商店街⇒福屋八丁堀本店⇒三越⇒ヤマダ電機LABI⇒ファミリーマート中央通り店で職場で食べるパン等を購入⇒やよい軒の三川町店で晩御飯⇒新天地公園で休憩⇒流川歓楽街⇒ローソンポプラ胡店でも職場で食べるパンを購入⇒京橋川沿いの店をチェックしながら広島駅へ⇒広島駅からJRで五日市へ⇒五日市駅から徒歩で帰宅


カープBOM2004年8月(1)

こんな人材at 2004 08/01 23:59 編集 この一・二年ゲームセンターの対戦ゲームから遠ざかっていた私だが、最近はゲームの『機動戦士Zガンダム』にはまっている。 ......
































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新スタジアムへの道(10)

2024-01-28 23:23:23 | Weblog
 『十七分の一の民意』

 2015年、広島のサッカー場建設問題は交通の便の良い立地だけは譲れないサンフレッチェに試合の日の渋滞は絶対に困る宇品の港湾事業者のみなと公園案への反対も加わり膠着状態のまま年が明け。 ここで私も全くの予想外の展開、当時のサンフレッチェ社長で以前のスタジアム建設協議会で熱弁を奮ってられた小谷野さんが同年の広島市長選挙に出馬する驚きの展開、私も人生で初めて選挙運動と言うものに関わりました。 選挙事務所は広島市内中心部・立町の商業地にあり私も通っていました。 サンフレッチェの歴代社長で私が直接会った事があるのは小谷野さんと、就任してからサンフレッチェとレジーナのホームゲームにいつも来られて入場ゲート付近で試合後に挨拶をされている今の仙田さんくらいでしょうか。 私がやった選挙運動は地元の佐伯区内でビラの配布くらいでしたが他の皆様は街中にポスターを貼ったり、街中でビラ配りなど大変で選挙運動は膨大なマンパワーが必要だと初めて知りました。 これは政治家になれるのは能力云々では無く、物凄い動員力がある人と言う事になりますね。 選挙と金の問題を言うのなら、ネット等を駆使して純粋に政策のみで勝負出来る仕組みを作るべきで、それをやったら困る人が多いからでしょうね。 



 選挙結果は現職の松井氏の27万票に対し小谷野氏は7万票で3倍の大差を付けられて完敗、自民党の組織票もあるでしょうが当時の分析にもあった通りで余程のスキャンダルや政治的失策でも無い限り1期しかやっていない現職の落選は稀だと言うのは確かにそうですね。 一方で中国新聞とかに”サッカー場の建設の為だけに選挙に出たサンフレッチェ社長”扱いされた小谷野さんに7万票も集まった事に対して勝った側も現状への”批判票”がこれだけあった事に対しての危機感はあったかも知れません...いや、無かったのかな。 だからこそ後の”観光惨敗”や現在の全国平均を超える急激な人口の減少とかに繋がっているのでしょうし。 サッカー場の建設など近年になってやっと動き出してはいますが




再開発の行方
 熊本でシーズンに備えたキャンプ中のサンフレッチェは今日、今シーズンからJ2に復帰のロアッソ熊本と練習試合を行ったそうです。 勝ちましたけど5-4で相手を考えれば失点が多いの......



広島 95-74 茨城

【ハイライト】茨城ロボッツvs広島ドラゴンフライズ|B1 第19節GAME2|1.28.2024 プロバスケ (Bリーグ)

 
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新スタジアムへの道(9)

2024-01-27 23:23:23 | Weblog
 『宇品からの声』

 2012年から始まった広島市のサッカー場建設協議会ですがサンフレッチェは旧市民球場跡地を推しました。 交通の便の良い街中で纏まった広さの空き地はあそこしか無かったので。 もう少し早く、こう言う議論が出来ていたら広島大学跡地も候補に入ったのだろうか。 そして現在、スタジアムが建っている中央公園北側広場だが何故か早々と候補から外されている。 サンフレッチェも住宅地と近接の騒音問題などを嫌がったか異論は無かった様だった。 広島市側は最初、広域公園第一球技場の改修をしつこく候補に残そうとしていたが、さすがにそれはサンフレッチェが断固拒否で外された。 すると急に宇品みなと公園への建設案を広島市と県それと一部の委員(宇品辺りに在る企業の社長だったか?)が強く推す様になった。 何故かその宇品案が優勢扱いにされているのを見て地元から反対の声が上がった。

 ビッグアーチ(エディオンスタジアム)では半数近い客が自家用車やバイクで来るのでサンフレッチェの試合の度に周囲で渋滞が発生していました。 広域公園は近くに中国自動車道と山陽自動車道を繋ぐ道のインターチェンジが在り、広島市や県もアジア大会を利用して大規模な流通団地・西風新都を造った筈がサンフレッチェの試合によって発生する渋滞によってインターチェンジに出入りもままならず流通団地に進出した企業からも評判が悪かったと聞いていますが、宇品の港湾関係者の方もそんな情報は例え中国新聞や地元テレビ局がスルーしてもネットなどを通じて入って来ているので隠し様が無く、その渋滞が今度は宇品に来るのかと猛反対が発生するのは当然で、宇品では今は無くなった夏の花火大会の日の大渋滞も経験していますし。

 宇品の港湾関係者の方はフェイスブックをやってられて、私もそれを見掛けて友達申請し中国新聞やテレビの報道では得られない情報を得る事が出来ました、それが今のネット社会ですね。 その方のフェイスブック上の書き込みによると広島県、広島市、商工会議所や今回のスタジアム建設評議会で宇品案を強行に推していた委員さんら関係者から事前の根回しも何も無く、いきなり新聞報道で宇品みなと公園への建設案が有力に、と書かれていて不信感を持ったと。 そして当時の広域公園の周辺でサンフレッチェの試合の際に発生する様な大渋滞を持ち込まれると宇品の港湾機能に悪影響が出る。 かつて世界屈指の港だった神戸は大震災から復旧するまでの間にシンガポールや釜山、上海などアジア各国の港に荷物と仕事を奪われシェアが急低下し今では東京港にも抜かれたと。 これは外の世界を意識せず内輪の狭い世界での事を優先させる広島の悪い癖、みたいな事も。 市民球場跡地なら無い、車で来る観戦者が殺到する問題、広域公園の方も有効な手を打たずにいたからこその宇品港からの反発、それを報道しなければバレないと思う頭の中が昭和時代な皆様も...


世界を意識して備える

 昨日、3月に行われる野球のワールド・ベースボール・クラシック(以下、WBC)に臨む日本代表チームのメンバー発表があったそうでスポーツ新聞にも一般紙にも大きく扱われ。 投手を......


 サッカーの皇后杯、決勝戦が行われて神戸が浦和に勝って優勝しました、おめでとうございます。 浦和も怪我人が出て満身創痍の中、試合巧者ぶりを見せて先週の準決勝でレジーナも負けてしまいましたが健闘しましたね、レジーナも歴史ある強豪に追い付いて行きたいものです。 男子サンフレッチェの方はエディオンピースウイングで迎える新シーズンに向けて宮崎でキャンプ中、一次キャンプをJ2の熊本との練習試合に勝って締め括り。 一次キャンプは終わりましたが二次キャンプも宮崎らしいです。 今年はプレシーズンマッチもあって時間が無いので移動とかも避けているのかも知れませんね。

 

 今日はドラゴンフライズの試合もありました。 茨城とのアウェーゲームで89ー53で勝ったそうです。

 
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新スタジアムへの道(8)

2024-01-26 22:22:22 | Weblog
 『サッカー場建設協議会』

 今回は2012年ですね、その前の2011年に広島市長に当選した松井氏は選挙での公約通り就任後すぐ市民球場跡地利用の再検討委員会を始めたが何度も話し合いを重ね、公園とイベント広場案を優勢としながら確定せず、街中の商店主さん達の推すサッカー場案を否定し切れないまま終わりました。 商店主さん達から見れば商売の行方に直結する問題なので譲れないのも当然ですが。

 市民球場跡地再利用問題に答えが出ないまま、今度はサッカー場建設協議会が行われる事になりました。 少なくともサッカー場を建設する前提で話が出来ると私も期待したのですが... 今回も傍聴に行って詳細を記録しネットで発信された方々の記事を拝見すると驚いたのは候補の中に広域公園第一球技場を改修して使う、が入っており今回は当事者なので委員として出席出来たサンフレッチェ側も必死の反論する事になったと。



 広域公園第一球技場はよくある陸上競技場とセットで造られるラグビー用の小さな球技場で、C大阪は長居陸上競技場(ヤンマースタジアム長居)の近くに在った小さなラグビー場を大改修して後のキンチョウスタジアム(更に改修して今はヨドコウ桜スタジアム)になったのですが、あれは長居がJRと地下鉄の駅も近い便利な場所だったから。 広域公園第一球技場ではアクセス難の問題に何の解決にもならないとサンフレッチェ側が怒るのは当然かと。 やはり広島市の本音は広域公園に...



 去年の末、初めてレジーナの試合で広域公園第一球技場を訪れたのですが、まともな客席は収容2000人程のメインスタンドしか無く、両ゴール裏とバックスタンドは幅2メートル程の斜面の芝生席しか無く、しかもバックスタンドの裏側には通路一本くらいの間隔ですぐ第二球技場が迫っており。 上の写真の左側が第二球技場で、右側が第一球技場ですが、これをJ1会場基準(1万5千人以上、客席屋根付きなど)に改修しようとすれば普通に新規でスタジアム建てた方が早いでしょう。 実際にマツダスタジアムも初期費用90億円でしたし。

 今回は市民球場跡地利用再検討委員会と違ってサンフレッチェ側も委員として参加出来たので当時のクラブ社長だった小谷野さんと県サッカー協会の人も委員会では決まったばかりのJリーグクラブライセンス制度の事や、アクセス難からシャトルバス運行に臨時駐車場を用意する費用が経営を圧迫する上にシャトルバスやアストラムラインの運賃が高いので、その分はチケット代を安く抑える事によってサポーター離れを防ごうとしているが、そのしわ寄せは給料を抑えられる選手側に行ってユース出身の生え抜き選手でさえも契約切れの移籍金無しで次々と移籍してしまう要因にもなったのでは。 委員会でのサンフレッチェ側の訴えも新聞はまともに取り上げず、傍聴された方のSNSで知る事に...



 スタジアムが完成した今となっては、中央公園北側広場を住宅地が近いと早々と候補から外した事にも疑問ですね。 市民球場跡地がそこまで都合が悪いのなら、そっちこそ候補から外して中央公園と他の候補で議論していれば完成は何年も早かった筈で。 アストラム延伸の為にサンフレッチェを広域公園から動かしたく無い向きもあったのでしょう、協議会がビッグアーチ(現エディオンスタジアム)内で行われた時は地元住民らしき?人が横断幕を掲げ移転反対運動みたいな事や、安佐南区役所の職員さん達にサンフレッチェのユニフォームを着せて仕事させ、それが中国新聞に紹介される印象操作的な事も。 広域公園への残留に対してはサンフレッチ側も絶対無理、の姿勢を変えるのは無理と判断したのか、今度は候補の中から宇品みなと公園への建設案を異様なまでにごり押しして来る流れに...


ネット限定記事の謎

 先日、ネット上に「目立つ全国ツアーの”広島飛ばし” ライブが来ない」なる中国新聞デジタルによる記事が出て色々な意見が飛び交っていました。 珍しく全文が読める様になっているの......

 エディオンピースウイングで迎える新シーズンに備えてのサンフレッチェ宮崎キャンプも終わりが近付き...では無く二次キャンプも宮崎だそうです。 去年はトルコから宮崎でしたが今年はプレシーズンマッチもあって時間が無いと言う事ですね。 それと同時に冬でも温暖で天然芝のグラウンドを使わせて貰える場所もあまり無いのでしょうし。

 
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新スタジアムへの道(7)

2024-01-25 22:22:22 | Weblog
 『市民球場跡地利用再検討委員会』

 今回も2011年です。 3期12年も続いた左派政権?秋葉市長の時代が終わり、自民党広島県連に担がれて当選した中央官僚出身の松井市長は公約の一つとして秋葉市長が公園化した上で平和関連施設を建てたがっていた市民球場跡地の再開発について一旦、白紙に戻した上で委員会で再検討するとしていましたが、そこはちゃんと実行に移して委員会の方は行われました。 委員の人選ですが直接は関係無いからかサンフレッチェやサッカー関係者は選ばれなかったものの街中のお店の関係者の方だったか明確にサッカー場案を出している委員さんが。 この辺までは報道で分かる範囲でしたが、具体的な会議の中身は平日の昼間など難しい時間に会議を傍聴に行かれ、詳細な記録を残しネット上にアップしてくいれた方々のお陰で私も知る事が出来ました。 それを見る限り会議ではサッカー場案を出した委員さんを他の委員達が「サッカーの試合は2週間に1度、イベント広場なら毎日、稼動出来る!」と袋叩きにするかの様なやり取りで、それでも負けずに工夫・改良を続けたサッカー場案を出されてた委員さんの頑張りに感謝です。 一方で中国新聞はまだ何も決まっていない段階で会議の閉会後、司会の委員長さんに「公園・イベント広場案で決まりですね!」と記者達が詰め寄って勝手に翌日の朝刊でデカデカと報道したらネット上で批判の嵐、それを見て?委員長さんが否定する一幕もありイベント利権に傾倒した中国新聞がネットで誰でも情報公開出来る時代を思い知らされる結果に。 結局、最後は明確な結論が出ないまま終わったと傍聴された方の記事では。 しかし中国新聞はイベント広場&公園案が有力と報じていましたが...


見せられない”武器”

 今日は散髪に行った後、ある調べ物で図書館へ行ったがスポーツ新聞は相変わらず自主トレーニング中のカープ選手に今シーズンの抱負を聞くと言う記事が1面に。 これはニュースと言う程......



【MIYAZAKI CAMP REPORT Vol.9】満田誠など、離脱していた選手が徐々に練習へ合流!サッカーができる喜びを嚙みしめるが、選手たちが、サンフレッチェに更なる闘志を注入する!



エディオンピースウイング広島 #50 開業1週間前! 広島市新サッカースタジアム 2024.1.25 サンフレッチェ広島 2024年2月1日開業 Sanfrecce Hiroshima FC

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新スタジアムへの道(6)

2024-01-24 22:22:22 | Weblog
 『政権交替、広島』

 中国新聞で正月明けの6日から連載していた『軌跡 まちなかスタジアム』は今日付けの第15回をもって終了しました。 昨日の第14回がエディオンピースウイングの完成で今日はそれが新たな広島のランドマークへ、で締めたが内容は相変わらずでサンフレッチェが市民球場跡地に拘ったので無駄に時間が掛かったとも言いたげ、もしも宇品に決まっていたら果たして...と糞みたいな事を書いてますが。 民間企業が採算が見込めない場所に出店するか...くらいは馬鹿でも分かると思いますが。 それなら中国新聞による”神話”は認めないと始めた私の方の連載も15回までやりますね。 

 今回は中国新聞の件の連載のスタートと同じ2011年です。 年明け早々、当時の広島市長だった秋葉氏は唐突に同年に行われる次の市長選挙に出馬しないと宣言、後継候補として副市長だった豊田氏を擁立、それに対し自民党広島県連は”政権奪回”を目指して中央官僚出身の松井氏を立て、松井氏が勝って現在は3期目の終盤です。 秋葉氏は3期目の終盤になり自身の業績を形にし残したい変な欲にでも駆られたのか海外を飛び回り平和運動に傾倒し市議会で地元に全然居ないではないかと追及されたり、何より最大の失策は広島市へのオリンピック誘致をぶち上げた事で、元々の秋葉市長はアジア大会への過大な開発投資でボロボロになった市財政の再建を公約に当選したのに、更に金の掛かるオリンピックとは... 今のままでは選挙で負けると気付いて”顔”を変えたみたいですが。

 アジア大会からの財政再建中だった事も旧市民球場の老化が言われる中、新スタジアム建設がなかなか進まなかった理由なのですが2004年のプロ野球再編騒動もあって機運が高まり、秋葉市長も渋々ながら?新スタジアム建設に乗り出し完成後は自分の手柄みたいに語っていたとも。 そして新スタジアムが出来た後、市役所側は昭和時代の計画通り平和記念公園から続く公園にするつもりだったみたいで秋葉氏はそれに折り鶴展示施設など平和関連の施設を入れたかった様ですが旧市民球場での”社会実験”は失敗、一般の観光客は平和記念資料館を見れば十分と市役所の中で果たして認識されたのか。


この冬2度目の大雪
 今日から明日に掛けて”最強寒波”とやらで全国的に大雪になるみたいですね。 最強も何も先月...去年12月末の大雪より凄いとは思えないのだが。 あの時は夜から降り出した雪が翌......


 熊本

【MIYAZAKI CAMP REPORT Vol.8】トレーニングマッチ3連勝!猛アピールでポジション争いに熱が帯びる!

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新スタジアムへの道(5)

2024-01-23 22:22:22 | Weblog
 『市民球場”跡地”の誕生』

 マツダスタジアムは予定より2年遅れて完成しカープは2009年のシーズンから広島駅前の新本拠地へ移転しました。 それにより使われなくなる旧市民球場(マツダスタジアムは一応、新しい”広島市民球場”の扱い)をどうするのかと言う問題が発生し、本拠地である広域公園とビッグアーチ(広域公園陸上競技場・命名権でエディオンスタジアムと呼ばれるのは2013年から)の立地の悪さに苦しめられて来たサンフレッチェにとっては街中に纏まった広さの土地が出来た移転の好機であり、事実上の”カープ門前町”として集客力に依存して来た隣接の繁華街・紙屋町と大手町地区に本通商店街の商店主達もカープは旧市民球場の現地建て替えか改修で今後も居ると信じていたので移転に衝撃を受け、代わりの集客力としてサンフレッチェに期待しサッカー場の建設、もしくは旧市民球場の建物を活かしてサッカー場に改修する事を求める動きもありました、お店から見れば切実な危機でもありますし。



 上の写真はカープの移転後に旧市民球場の建物内、球団事務所跡に暫定利用として行っていた平和記念公園の名所『原爆の子の像』に修学旅行生らが捧げた折り鶴を展示する施設です。 私も何度か訪れていますが観光客の姿はほとんど居なかったです、観光客にしてみれば平和記念資料館の展示で十分なのかと。 当時の秋葉市長はカープを広島駅前に移転させた後、旧市民球場の跡地には折り鶴を展示する施設を造って観光客に立ち寄らせる平和記念公園の拡張的なものを3期務めた自身の業績を形として残すモニュメント的に造りたい考えがあったのでは。 しかし”社会実験”は惨憺たる結果になり広島市は計画を変更して具体的な何かも示さない”文化芸術施設”なる曖昧なものを跡地の集客の目玉として昭和時代からあったらしい、平和記念公園から中央公園まで繋がる”広島版セントラルパーク構想”を推し進める為、全国菓子博覧会の会場に決まったからと理由を付け旧市民球場の破壊を強行し、使い物にならない老朽化した外野席の一部だけ”ガス抜き”として残し巨大な更地が街中に誕生しました。


1月23日の巡回備忘録
 徒歩で自宅を出発⇒セブンイレブン五日市駅前店でカフェオレとおにぎりを購入⇒五日市駅から広電の路面電車で広島市内中心部へ⇒原爆ドーム前電停で下車⇒市民球場跡地⇒おりづるタワー......

 Jリーグの今シーズン日程がやっと発表されました。 サンフレッチェは祝日である2月23日の金曜、優勝候補の浦和と完成したばかりのエディオンピースウイングでホーム開幕戦となります。 金曜ですが祝日なので昼間の開催となり他の試合は夕方以降になるので全国に先駆けて新スタジアムを披露する事になります。 私は夜勤明けでほとんど見られませんがNHKの地上波でテレビ中継もありますので。 16時過ぎに試合が終わって観客が帰り出すので、まだ街中の店が普通に開いている時間ですし”街中スタジアム”による経済効果が早速、発揮される事を期待しています。 さすがに夜の試合の後では開いている店も少ないので、かなりの観客が最寄りの新白島駅へ向かう事になるでしょうから。

 
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1月22日の巡回備忘録

2024-01-22 10:22:22 | Weblog
 徒歩で自宅を出発⇒セブンイレブン五日市駅前店でカフェオレとおにぎりを購入⇒五日市駅から広電の路面電車で広島市内中心部へ⇒原爆ドーム前電停で下車⇒大手町上田ビル(乃が美はなれ、等)⇒既に閉店時間を過ぎてるが向かいの『ちきんはうすナース』も⇒アニメイトビル(Namco紙屋町・ガチャポンのデパート紙屋町・アニメイト・メロンブックス・カードラボ・らしんばん)⇒タイトーステーション紙屋町⇒エディオン紙屋町本店(西館+東館)⇒地下街・紙屋町シャレオ(東通り『ほっかいどうマーケット』で軽食、西通りのジュピターコーヒーで買い物、100円ショップのキャンドゥでも台所用品など消耗品を購入)⇒サンモール⇒洋服の青山・紙屋町店⇒うらぶくろ商店街⇒セガ本通改めGIGO本通⇒アンデルセン本店⇒本通商店街⇒タイトーステーション本通⇒国際通り⇒ラウンドワン⇒中の棚商店街⇒ハンズ⇒金座街商店街⇒H&M⇒パルコ(本館+新館)⇒パルコ3番館・広島ゼロゲート⇒パルコ別館・広島ゼロゲート2(WEGO)⇒並木通り⇒ファッションビル・アクセ⇒えびす通り⇒ドン・キホーテ八丁堀⇒ファミリーマート中央通り店で職場で食べるパン等を購入⇒丸亀製麺・新天地店で晩御飯⇒新天地公園で休憩⇒流川歓楽街⇒京橋川沿いの店をチェックしながら広島駅へ⇒広島駅からJRで五日市へ⇒五日市駅から徒歩で帰宅しました。


日曜、昼の熱戦

 今日は広島男子駅伝が行われましたが私は夜勤の生活習慣で休日も昼過ぎまで寝ているので起きたらレースはほとんど終わっていました。 広島の場合、小さな陸上競技場なら観音地区に在り......





























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新スタジアムへの道(4)

2024-01-21 23:23:23 | Weblog
 『広島 スタジアム冬の時代』

 2000年を過ぎて時代は21世紀に入り、Jリーグは始まった当初の異常なブームが去ってサンフレッチェもスタジアムの立地の悪さもあって集客的に厳しい状況になり。 私は専門学校を卒業して広島に戻っていたが警備員のアルバイトでサンフレッチェの試合での臨時駐車場への交通誘導とかもやりましたが結構、多くの人が来ていた様に見えて発表を見ると5000人ほど... 「J1なのにこんなに少ないの?!」と驚いた記憶が。 もっとも当時はカープも20年近く続く低迷で旧市民球場の観客はライトスタンドの一角にちょっと居るだけで実数発表なら3000人以下だったかも知れないですね。 ただしカープの場合は内野バックネット裏などの高い席を地元企業などに開幕前の段階でシーズンパスとして売ってるのが主な収入源だったと思われますが。 今だと存在が当たり前みたいに感じますがマツダスタジアムが建てられるまでも相当な紆余曲折があり、幻となったアメリカ企業と組んでの複合スタジアム計画だったら2000年頃には出来ていたかも。 2007年の予定からさらに遅れて2009年の完成でやっと実現に漕ぎ着けました。

 広島駅の東に在った旧JR貨物ヤード跡地にてマツダスタジアムの建設が始まった2008年、サンフレッチェは前年に2度目となるJ2降格となりましたが、混乱するチームの建て直しの為に招聘したペトロヴィッチ監督(広島⇒浦和⇒札幌)を異例の続投、彼の構築した攻撃サッカーが花開いてJ2に居る間も人気としては盛り上がりJ2リーグを圧勝で翌年からJ1復帰、J1でも躍進して初のACL出場も果たし。 ペトロヴィッチ監督のサッカーが面白いと思ったのか客足が増えている実感もありました。 広島でサンフレッチェの存在感が高まってくると同時にマツダスタジアムの完成で「次はサンフレッチェの」と新スタジアム建設の機運も。 カープも新スタジアムへの移転で長い低迷の時代から脱却へと... 新しい時代が近付いていました。


試合の無い日に

 広島ローカルテレビの夕方ニュース番組で中央公園北側広場サッカー場が取り上げられたらしいが、今回は試合が無い日にどうするのかと言う話だったらしく、ピッチ以外の客席やパーティー......

 エディオンピースウイングで迎える新たなシーズンへ向けて宮崎でキャンプ中のサンフレッチェは今シーズンからJ3で戦う金沢と練習試合を行ったそうです。 試合は先制されながらも攻撃陣が次々とゴールを決めて5ー1で快勝したそうです。 (失礼ですが)格下相手ながらも点が取れているのは収穫ですね。

 
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新スタジアムへの道(3)

2024-01-19 22:22:22 | Weblog
 『ターニングポイント』

 中国新聞の向こうを張って始めた連載、3回目はJリーグが始まった1993年から数年間です。 検索して見ると、この頃の日本サッカー協会やJリーグなどサッカー界は2002年のワールドカップ誘致を目指しており広島市は最初、完成直前のビッグアーチ(現エディオンスタジアム・広域公園陸上競技場)で開催地に立候補を表明したがワールドカップの会場としては客席の屋根が一部しかカバーしていないのは問題、バックスタンド側にも屋根が必要と言われて何と「韓国との共同開催になり広島で開催出来る試合数が減り、巨額の改修費は割に合わない。」と当時の平岡市長が言って招致活動から撤退、この時点では既にサンフレッチェが存在しており”Jリーグブーム”で万単位の観客を集めていたにも関わらず酷い言い様だが、それだけアジア大会(と言うより、それを利用しての郊外部開発)での巨額投資による市の財政難が積極的な動きが出来なくなる厳しい状況でもありましたが。 

 

 エディオンスタジアムのバックスタンド部分に屋根を掛けたとすれば雰囲気的には埼玉スタジアムみたいな感じだろうか。 同じ陸上競技場だと規模的にも新潟や、私も2021年にアウェー遠征で訪れた大分みたいな感じだろうか。 屋根掛けを拒否した当時の広島市の言う費用140億円が本当なら大分みたいに開閉式を考えていたのかも知れませんが。 もし、この時に広島市がビッグアーチに屋根を掛けていたらどうなったのか? 恐らくサンフレッチェは建物の耐用期限ギリギリまで使うしか無くなっていたと思いますし、市民球場跡地利用問題と繋がって今の街中へのサッカー場建設にも繋がらなかったのではと。 広島市がワールドカップ誘致を降りた事がサンフレッチェにとってビッグアーチを”仮住まい”にし、いずれ新しいサッカー場を建てて移転する事が決定的になったのではと思います。


そごうと市民球場跡地
 昨日の記事で書き忘れていましたが、そごう広島店は新館を閉めて売り場を今の本館に集約する訳で、今回のニュースになったのはセンター街の一階と二階に今の新館に在るアクセサリー売り......

 サンフレッチェはエディオンピースウイングで迎える新シーズンに向けて宮崎でキャンプを続けています。 新戦力や若手の台頭が期待される中、ベテラン勢も健在ぶりを見せ、レギュラー争いが激しくなりますね。 ACL2への出場も意識して選手層の底上げも期待しています。

 
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