2月23日(土)のつぶやき その1
頭の痛い”○○候補”たち 今日のスポーツ新聞によると昨日は日南のキャンプ地でライオンズとの練習試合(前日のライオンズとの練習試合は大雨で中止になっている)が行われて2-5で完敗だっ...
2月23日(日)【営業日】本日より、2月のイベント3銘柄目「サントリーモルツ」になります。モルツは、どの注ぎ方でもそれぞれ素晴らしい味わいになります。お楽しみくださいね。 今日は何の日→ 畠の中で「漢委奴国王印」の金印発見(1784)
#PicsPlay 本日の日替わりランチは、揚げ出し豆腐とウィンナーとキャベツ、パプリカの炒め物です(^o^)?
お待ちしております(^_-)-☆ pic.twitter.com/OcG0UZBTLu
キム選手本人が判定を認めているので今更。採点競技なので地元ロシアに有利になるとも開幕前から言われていた事だし。あまりしつこいと4年前に遡り文句言う人も ⇒金ヨナ採点の確認求める韓国側要請、IOC拒否(読売新聞) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/yomiur…
紙屋町シャレオの3×3CAFE STYLEで和風ハンバーグプレートランチ900→パスで500円。ジューシーバーグ、全小鉢うまうま。ドリンクバー付き。 pic.twitter.com/8fkguuCjkz
昔は企業側も既存作品の”色”が付いてない駆け出しの女優を起用していたけど、それが無くなって今はNHK朝ドラマが ⇒「新・女優登竜門」は朝ドラ“脇役” 有村架純、橋本愛、満島ひかりら活躍(ORICON STYLE) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/oricon…
ロングセラーのオールドファッションもいちごミルク風味のチョコと合わさって甘酸っぱい「ストロベリーファッション」が完成☆お子さまとおやつに仲良く食べればみんな笑顔になれますよ(●´∀`●) pic.twitter.com/A4YFlVXukF
広島駅の北側は昔とかなり印象が変わっていましたけど南側もそこ等じゅう工事中で駅ビルの建て替えと合わせて駅周辺の姿が一変しそうです。このマンションの土地も紆余曲折の末 ⇒広島駅前にマンション「シティタワー広島」-中四国・九州エリア最高層 hiroshima.keizai.biz/headline/1801/
広島のRAKU BEER「本日2月23日の地ビール情報」~富士桜:ヴァイツェン、伊勢角:牡蠣スタウト本日… rakubeer.jugem.jp/?eid=942 #jugem_blog
甘くて美味しい「安納芋」のスイーツも見逃せませんぞー!こちらもエントランスで絶賛販売中じゃ♪( ´▽`) (オレンジ) pic.twitter.com/rqltzjuBQW
昨日、広島の歴史について書き、戦国時代までの常識で毛利元就は比治山に広島支配の拠点城を造るはずだったと。しかしそれでは説明になっていなかったのでもっと丁寧に書きます。元就の城はサンフレゆかりの吉田に在る郡山城nadi.aalip.jp/Osiro-hiroshim… で割と近くに川が在り
養子として小早川家に送り込まれた元就の三男・隆景が造ったのが新高山城nadi.aalip.jp/Osiro-hiroshim… 本郷駅の近くでJRの車窓から良く見えますが山のすぐ下に川が。昔はダムが無かったので水量も多く、山を降りたらすぐに川が pic.twitter.com/uh8v8YS6kO
そして安佐南区に在る武田山(経済大学が在る)には佐東銀山城nadi.aalip.jp/Osiro-hiroshim… が在りました。最近は地元有志の方々が熱心に整備されてタダの小山から城跡っぽくなって登り易くなっているそうなので。ここも太田川が近くを流れ、天然の堀と運河を兼ねていたみたいです
今でも道路事情が良いとは言えない広島ですが、昔はもっと山がちで陸路は使い難く川と海を使った交通が重視され、城も川が側を流れる小山に建てて山の上に戦闘用の砦、その麓に船着場(軍港)を併設した生活・政治拠点となる館、みたいなのが人気?そして比治山も近くに猿侯川が流れている共通点が
歴史の”if”は興味深いが広島城rijo-castle.jp/rijo/main.html も「もし広島城では無く”比治山城”だったら?」を仮想模型とか作って展示したら面白いかも。私の想像では比治山の城と麓の船着場付き館、城下町は太田川三角州の湿地帯は避けて北側、今の広島駅辺りに規模も小さく
毛利元就の後継者となった孫の輝元は信長に滅ぼされる危機を本能寺の変で救われ、後継者となった秀吉とは戦わない道を選択、そして大阪や京都へ行って新時代の城や街づくりを見聞きして帰国、地元で進んでいた”比治山城”計画を白紙に戻して太田川の中洲に平地の城と堤防で囲まれた街づくりを決断
秀吉政権の支配を受け入れた毛利輝元だが、中央政権の優れた部分を積極的に取り入れて”新しい広島”を創造。家臣達は無茶だ、金も掛かると反対したが輝元は”井の中の蛙”達を説得し黒田官兵衛を技術指導に招いて太田川の中洲に広島城と武家屋敷。それに続き周囲も堤防で干拓して新しい城下街が生まれ
既存の地形を利用しただけだった戦国時代までの広島地域の築城や街づくりに対し、大阪をモデルに川の中州を干拓”新しい土地”を造り出し、その”拡張可能システム”によって街は海側へと張り出し仁保島は”黄金山”になりました。その江戸時代の発展の延長線上に明治の宇品築港があり軍都としても発展
広島市の松井市長は生まれこそ広島ですが高校からは他県で暮らし、中央官僚として勤められて定年間際(天下り...?)に担がれて故郷の市長になった。”落下傘”そのものは否定しない。地元の人には見えない事が見えて広島に必要な事を客観的に判断...出来ていない。”井の中の蛙”達の言いなりで
石橋市議のブログ、過去の記事blog.koeya.com/20140130.shtml 現代広島の”井の中の蛙”達は地下鉄など大都市に在るものを真似さえすれば街が発展する、その為には財政難の中でも巨費を投じ。しかし時代や周囲の変化を無視して安易に何十年も前からの計画をゴリ押しする事が果たして
広島城と今の城下町、宇品の近代港湾。広島市は時代の節目で本当に必要なものは何かを見極め、無用なものは中止し、本当に必要なものには大変な無理をしてでも造り、実際にそれが街の発展に大きく寄与して来ました。今の広島で財政的無理をしてでも本当に必要なものは何か、次の選挙で争点にすべきかと
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