小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

飯島愛2

2009-02-04 00:23:30 | Weblog
飯島愛

ホームページにかなり前に、「プラトニック・セックス」と題して、エッセイを書いた。ホームページに、はじめの少しの部分だけ書いてある。しかし途中で書く気がなくなってしまった。それは、Wikipediaで調べたら、あれを書いたのはゴースト・ライターだと知ったからである。私はてっきり飯島愛が書いたんだと思っていた。私の感覚では、「プラトニック・セックス」を書いたのはゴースト・ライターであって、飯島愛ではない、と思っているからである。やはりゴースト・ライターの手柄だと思う。よくぞ化けおおしたな、と書いたライターに感心した。家出するまでの最初の文章は特にうまく、あれは文章のお手本として教科書にのせてもいいと思う。俳優は忙しいから、ライターが代わりに書く事は仕方がない場合もあると思う。しかし、事情は知らないが、飯島愛なら、そんな超多忙でもなく、書く時間くらいあっただろう。また、彼女は頭もいいから、しっかりした文章も書けたと思う。ミリオンセラーになるほどの本を自分で書かなかったのは、非常に勿体ない事である。だが、「プラトニック・セックス」がミリオンセラーになったのは、十分ありうる事だと思っていた。
私がはじめて飯島愛を知ったのは、「ギルガメッシュ・ナイト」である。
私は彼女を初めて見た時から、何か、もどかしいものを感じていた。
「ギルガメッシュ・ナイト」はわりとエロティックで面白かった。見えそうで見られないもどかしさがエロティックなのである。ちょうどキリストの最後の晩餐のように、横長の机の真ん中に飯島愛がいて、その両側に女の子が何人かいた。彼女が司会をやっていた。番組の内容に似合わず、何か、利発そうな、しかし垢抜けている子だな、と思った。スレッカラシと言いたいが、単純に一言でそう言えない、もどかしさ、とでも言おうか。それにしてはテレビカメラにTバックの尻を突き出す品の無さに、何とも言えない子だな、と思った。一言でいうと、正体がつかめない、もどかしさ、である。私は女を見ると、その人は私を、「ネクラ」の一言でかたづけるか、どうかと想像するクセがある。「ネクラ」の一言でかたずけるように思える女には魅力を感じない。彼女の場合、どうかと言うと、彼女は、垢抜けていて、スレッカラシと言えるような感じもするのだが、何か利発で、考え方に柔軟性があるように見え、私をどう言うだろうか、わからない所に、彼女の正体がわからない、もどかしさ、を感じていた。一体、彼女は何物なのだ、と疑問に思った。
「プラトニック・セックス」を読んで、なるほどと彼女の正体がつかめた。
しかし彼女の感性は面白い。
彼女のブログ、「ポルノ・ホスピタル」にあったが、人形を見て、「もっとエッチなパンツ履かせたい」などと書いてある。何とも可笑しい。そういう見方で人形を見る人も極めて少ないのではないだろうか。もっと女の子らしく、「まあ。かわいい人形」と言えないものかと思う反面、そういう変わった感じ方をする人というのも、何とも、変わってて、驚かされる、というか、普通の人が思いつかないような感じ方をする人だなと感心もさせられる気もする。

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