You-Tubeで、梶原一騎、のドキュメンタリーの動画が出た。
精神科医の香山リカ先生は、
「こういう、迫力のある漫画の原作を書ける本人は、ストーリーを書くことに全力を注いでしまうので、実生活は平凡な場合が多い。のに、どうして、でしょうね?」
と、言っていた。
私には、わかる。
梶原一騎は、本人そのものが、ド根性のある、すごい人間だったからだ。
根性ものの、作品を書く場合、作家は、(自分には無い)、理想を、求めて(無理して)書く、から、疲れてしまうのである。
しかし、梶原一騎は、自伝マンガ「男の星座」にもあるように、弟の、真樹日佐夫と、一緒に、ヤクザとケンカすることを、趣味にしていた、ほどの男なのである。
「ヤクザとケンカすることを趣味にする」・・・こんな、クソ度胸のある人間など、この世に、おらへんわ。
子供の頃から、柔道を身につけ、大山倍達の強さに、子供のように、あこがれ、極真カラテに入門し、空手を訓練し、大人になっても、誰にも負けない強い男になること、ケンカに勝つことが、価値観、という子供のような、感性をもっている人間なのだ。
だから、梶原一騎のマンガは、自分の思っている、ことを、素直に、サラサラッと、書いているだけなので、疲れないのである。
漫画の神様である、手塚治虫は、どうしても、梶原一騎のマンガの面白さがわからなかった。
これは、なぜか。
私の考察。
手塚治虫、自身は、スポーツをしなかった。しかし手塚治虫も、漫画の中で、スポーツのシーンを描いている。しかし、手塚治虫にとっての興味は、あくまで、SFや、科学、空想マンガ、ホラー、自然の尊さ、命、エロチック、女の子の、かわいさ、などだった。手塚治虫は、速読が出来て、頭が、物凄く良く、医学と、マンガ創作の両立など、いとも、簡単に出来る人間だった。だから、スポーツに限らず、何事かに、一心に打ち込むことの、価値観は認めていたが、手塚治虫にとっては、そんなことは、簡単に出来る、当たり前のことであり、それを、くどくどと、述べる、ストーリーである、スポーツ根性マンガの、面白さは、どうしても、理解できなかったのだろう。