小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

嫌な看護教育

2009-11-20 08:41:14 | 医学・病気
研修病院の時、付属看護学校の生徒達が、しばしば実習で病院に見学に来た。この時、看護婦の偉いのが、色々、指導するのだが、それが何とも見ていて嫌だった。統合失調症の患者の妄想を単純に否定してはいけない、だとか、妄想の事を話してはいけないだとか、細かく注意するのである。これは大学の臨床実習の時も、そういう事を注意された。私は人を教育するなどという事が嫌いである。相手が分からない事を質問してくれば、教えるのは好きだが。私は人の自由を制限する事が嫌いである。看護学校の生徒は、患者と自由に話していいと思う。そもそも統合失調症の患者は、家族や、今までの人生で、自分の妄想を何百回も、間違っていると厳しく注意されつづけてきている。看護学生が、仮に一度、患者の妄想を否定したからといって、別に何も変わるわけでもない。そもそも、看護学生は、おとなしく、患者の妄想を治してやろうなどと思っている人は、ほとんどと言っていいほど、いない。それより患者は、妄想のため、家族からも見放され、孤独でさびしがっており、人との会話、触れ合いを求めているのだ。堅苦しくない自由な話が患者にとって、どれだけ嬉しいことか。その方がずっと、治療になる。また、妄想が強い患者では、ずーと個室で誰とも話さず、過ごしている患者もいる。そういう患者に、新聞とか週刊誌とかを見せると、妄想が体系化された患者では、新聞の記事から妄想が助長される事がある、と言って、新聞も禁止している看護士長もいるのである。これも私は、行き過ぎ、というか、おかしいと思う。まず、新聞の記事から妄想が助長される、という事が全く無いとは言えない。しかし、あってもそれは、非常に軽度なものである。翌日になれば忘れてしまうだろう。しかし、誰とも話さず、何も見ず、一日、何もしない生活しない生活というものが、どんなものだと思っているのだろう。そんなの人間の生活ではない。てめえが、そういう生活にはたして耐えられるのかと言いたくなる。しかしナースに物申す事は出来ないので黙っているしか、仕方がない。精神科の治療のゴールは、患者の妄想をなくす事ではない。妄想を持ちつつも、わからないまま、薬を飲まなければ、ならない事を納得させ、妄想を持ちつつも、家族とケンカせず暮らせるようにする事が、統合失調症の患者の治療のゴールなのである。
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