ほとんどのスポーツ指導書は演繹的である。それはそれでオーソドックスであるという点で仕方がない。つまり基本から徐々に高度な技術への写真と説明が書かれているのが、ほとんどの世のスポーツ指導書である。また指導も簡単な動作から難しい運動へと進めていく。しかし。ここが大切なのだが。生徒は教科書どおりに上達するロボットではない、という事である。コーチが正しく教えても、生徒には自分のクセが出来てしまうのである。そこで教える、生徒を上達させる、という事は、白紙にきれいな文字を書く事ではなく、クセの出来ている運動を、どうやって直すか、という修理の感覚でなければいけないのである。コーチの注意というものは、往々、生徒の手枷、足枷になりかねない。教えるべき事は外見の形ではなく、生徒が感覚として実感できる運動の本質的な認識である。「あっ。わかった」と生徒が感動したら、それこそが教えている事になる。そうでない注意は、手枷、足枷にしかならない。自分のアドバイスが生徒の手枷、足枷になっていると、気づいていないコーチも非常に多い。そういう人には自分が何か全く出来ない何か別のスポーツをやらせてみればいい。いかにコーチのアドバイスが手枷、足枷になっているか実感できるだろう。病気と同じで、病気のつらさを知るには自分が病気になってみれば一瞬でわかる。またアドバイスとは、今の時点で、そのアドバイスをする事が有効か、無効かどうかを判断できなくてはならない。間違っている点は全て即、指摘するという指導は誤りである。
絶対、外してはならない原則というものは、いつの時点でも注意すべきではある。しかし運動の上達というものは基本的に量質転化なのである。反復練習こそが大切なのである。極端にいえばコーチなどいらない、あるいは、ある程度できる人なら十分、コーチになれるのである。生徒に考える能力、独創性を身につけさせる事も大切なのであるが、これは容易ではない。単にレパートリーに富んだ練習メニューをつくれば上達するだろうと思っているコーチのいかに多いことか。
テニスを例にあげれば。プロや上級者の現在の試合の主流が平行陣だからといって生徒に平行陣のボレーばかり教えるコーチのいかに多いことか。テニスの基本はラケットを振り切る、そしてワンバウンドする球を打つリズム感が必要なグランドストロークである。そしてラリーがつづくという事がテニスでは一番、大切な事なのである。ボレーなどグランドストロークが出来れば、練習しなくても出来るだろう。しかし逆は言えない。ボレーがちゃんと出来ても、グランドストロークの技術は身につかない。テニスの練習の基本はグランドストロークに始まり、グランドストロークに終わる。のである。そしてこれが一番、大切な事なのだが、自分に考えというものがあっても、それは決して言ってはならないのである。心の中でコーチの指導能力を莫迦にしつつ、表面ではコーチのアドバイスを素直に一生懸命、聞いている、自分でものを考えられない阿呆を演じなくてはならない、という事である。こういう事が生徒がしっかり認識しておくべき大切な事である。
空手家の南郷継正氏は、プロ野球のコーチはほとんどがオンボロコーチと「武道の理論」の中で痛罵している。
優れた指導者とは技術の上達という価値のみにとらわれず、生徒個人のスポーツをやる目的を知り、その人にとっての価値観でその人を見て、その人にとっての価値観という観点から、その人の技術を最大限に引き上げることの出来る人と言えるだろう。
絶対、外してはならない原則というものは、いつの時点でも注意すべきではある。しかし運動の上達というものは基本的に量質転化なのである。反復練習こそが大切なのである。極端にいえばコーチなどいらない、あるいは、ある程度できる人なら十分、コーチになれるのである。生徒に考える能力、独創性を身につけさせる事も大切なのであるが、これは容易ではない。単にレパートリーに富んだ練習メニューをつくれば上達するだろうと思っているコーチのいかに多いことか。
テニスを例にあげれば。プロや上級者の現在の試合の主流が平行陣だからといって生徒に平行陣のボレーばかり教えるコーチのいかに多いことか。テニスの基本はラケットを振り切る、そしてワンバウンドする球を打つリズム感が必要なグランドストロークである。そしてラリーがつづくという事がテニスでは一番、大切な事なのである。ボレーなどグランドストロークが出来れば、練習しなくても出来るだろう。しかし逆は言えない。ボレーがちゃんと出来ても、グランドストロークの技術は身につかない。テニスの練習の基本はグランドストロークに始まり、グランドストロークに終わる。のである。そしてこれが一番、大切な事なのだが、自分に考えというものがあっても、それは決して言ってはならないのである。心の中でコーチの指導能力を莫迦にしつつ、表面ではコーチのアドバイスを素直に一生懸命、聞いている、自分でものを考えられない阿呆を演じなくてはならない、という事である。こういう事が生徒がしっかり認識しておくべき大切な事である。
空手家の南郷継正氏は、プロ野球のコーチはほとんどがオンボロコーチと「武道の理論」の中で痛罵している。
優れた指導者とは技術の上達という価値のみにとらわれず、生徒個人のスポーツをやる目的を知り、その人にとっての価値観でその人を見て、その人にとっての価値観という観点から、その人の技術を最大限に引き上げることの出来る人と言えるだろう。