論、というほど、大げさなものじゃないが。菊池寛の文学は、非常に素晴らしい。しかし、菊池寛は、自分が小説家になれるか、どうか非常に悩んだ文学志望者だった。自分の作品が売れるか、というか、文学者として生活していけるか、に、学生時代、非常に悩んだ。
菊池寛にしてみれば、売れなくてもいいから小説を書きたい、という思いはなく、文学部に入ってしまった手前、小説家になろうと思ったが、小説家というものを職業選択の一つとして考えていた。食べていけないのなら、別に小説家にならなくてもいい、と思っていたのである。非常に現実的な人間である。
そう思うのも無理はない。なぜなら、菊池寛は、(読書は非常に好きで、膨大な日本の歴史知識を持っていたが)性格が、非常に善良であったからである。善良な性格というのは、言い換えれば、「人がいい」「お人よし」などとも言える。いわゆる、「人がいい」人には、小説は書けない傾向があるのである。心の中に「善」と「悪」の両方が激しく、あって、葛藤しているような人でないと、小説は書けない傾向があるのである。さらに、何が何でも表現したいもの、も菊池寛には無かった。だから、菊池寛が、自分が小説家として、生活していけるか、どうかに、悩んだ、のは、至極、当然のことである。
しかし、結果としては、菊池寛は文学者として大成した。この理由は、一言でいって、菊池寛は、善良な性格であるとともに、「悪」を憎む気持ちも非常に強かったからからである。
菊池寛が、最初に文壇に認められたのは、「無名作家の日記」である。これは、誰が、どう見たって、芥川龍之介がモデルである。大学で同期だった、芥川龍之介のことを、徹底的に悪人として書いている。小説としても面白いし、おそらく、フィクションは、少なく、事実にかなり忠実に書いているように思われる。あまりにも、芥川らしさ、や、当時の文壇の様子が正確に書かれている。
菊池寛は、芥川龍之介が昭和二年に、自殺して死んだ時、友人代表として弔辞を泣きじゃくりなから読んだ。はじめは嫌っていた芥川を、菊池寛が、いつから、どういう理由で、無二の親友に変わったのか、それは、知らない。
菊池寛は誠実な作家で、その作品は、どれも、読者を満足させる。手を抜いていない。
それと、菊池寛は、小説も面白いが、評論的な文章も、とても面白い。
「芥川の事ども」も読んで面白いし。
「小説家たらんとする青年に与う」も読んで面白い。これには私は内容的に多少、異論もあるが、菊池寛の理論が理路整然としていて、それが面白いのである。もちろん菊池寛の主張していることも、80%は、その通りだな、と私も思う。
これらの評論文は、心地いいので、疲れた時、再読までしてしまう。これは、菊池寛の人間性の優しさを感じてしまい、気持ちいいからである。
それと、「二千六百年史抄」や「日本合戦譚」などは、小説ではないが、面白い。
氏にあっては、小説だの、評論だの、のジャンルに関係なく、氏の書くものは、ほとんど全て面白い。
結局、人間性というか、性格の面白い人の書くものはジャンルを問わず、面白いのである。
逆を言うなら、人間性というか、性格のつまらない人の書くものは、つまらないのである。
ここで一つの、粗削りな文学論を思いついた。
要するに、読んで面白ければ、それでいいのである。
菊池寛にしてみれば、売れなくてもいいから小説を書きたい、という思いはなく、文学部に入ってしまった手前、小説家になろうと思ったが、小説家というものを職業選択の一つとして考えていた。食べていけないのなら、別に小説家にならなくてもいい、と思っていたのである。非常に現実的な人間である。
そう思うのも無理はない。なぜなら、菊池寛は、(読書は非常に好きで、膨大な日本の歴史知識を持っていたが)性格が、非常に善良であったからである。善良な性格というのは、言い換えれば、「人がいい」「お人よし」などとも言える。いわゆる、「人がいい」人には、小説は書けない傾向があるのである。心の中に「善」と「悪」の両方が激しく、あって、葛藤しているような人でないと、小説は書けない傾向があるのである。さらに、何が何でも表現したいもの、も菊池寛には無かった。だから、菊池寛が、自分が小説家として、生活していけるか、どうかに、悩んだ、のは、至極、当然のことである。
しかし、結果としては、菊池寛は文学者として大成した。この理由は、一言でいって、菊池寛は、善良な性格であるとともに、「悪」を憎む気持ちも非常に強かったからからである。
菊池寛が、最初に文壇に認められたのは、「無名作家の日記」である。これは、誰が、どう見たって、芥川龍之介がモデルである。大学で同期だった、芥川龍之介のことを、徹底的に悪人として書いている。小説としても面白いし、おそらく、フィクションは、少なく、事実にかなり忠実に書いているように思われる。あまりにも、芥川らしさ、や、当時の文壇の様子が正確に書かれている。
菊池寛は、芥川龍之介が昭和二年に、自殺して死んだ時、友人代表として弔辞を泣きじゃくりなから読んだ。はじめは嫌っていた芥川を、菊池寛が、いつから、どういう理由で、無二の親友に変わったのか、それは、知らない。
菊池寛は誠実な作家で、その作品は、どれも、読者を満足させる。手を抜いていない。
それと、菊池寛は、小説も面白いが、評論的な文章も、とても面白い。
「芥川の事ども」も読んで面白いし。
「小説家たらんとする青年に与う」も読んで面白い。これには私は内容的に多少、異論もあるが、菊池寛の理論が理路整然としていて、それが面白いのである。もちろん菊池寛の主張していることも、80%は、その通りだな、と私も思う。
これらの評論文は、心地いいので、疲れた時、再読までしてしまう。これは、菊池寛の人間性の優しさを感じてしまい、気持ちいいからである。
それと、「二千六百年史抄」や「日本合戦譚」などは、小説ではないが、面白い。
氏にあっては、小説だの、評論だの、のジャンルに関係なく、氏の書くものは、ほとんど全て面白い。
結局、人間性というか、性格の面白い人の書くものはジャンルを問わず、面白いのである。
逆を言うなら、人間性というか、性格のつまらない人の書くものは、つまらないのである。
ここで一つの、粗削りな文学論を思いついた。
要するに、読んで面白ければ、それでいいのである。