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組織が大きくなることの弊害(統一教会)

2022-10-06 12:46:09 | 考察文
組織が大きくなることの弊害(統一教会)

それと。時間が経つことによる経年劣化。

そして。組織が大きくなることによる創始者の権力欲への堕落。

統一教会は宗教か?

統一教会をWikipediaなど、ネットでちょっと調べてみたが、よくわからない。

し(その教義もあまり興味ない)

しかし、大体、組織というものは、その原点は純粋でも、組織が大きくなることによって、権力欲、金銭欲の、不純なものに変わっていくものである。

これは、あらゆる組織で言える。

統一教会は、1954年に、文鮮明によって創始された。

文鮮明は最初から、巧妙に信者を洗脳し、高額献金を巻き上げる詐欺の目的で、統一教会を設立したとは僕には思えない。

そこには、文鮮明なりの純粋な信念があり、思想があったのだと思う。

そうでなければ信者がついてくるわけがない。

しかし、組織は大きくなっていくと、腐敗していくものである。

各支部によって、設立者の思想の統制がとれなくなっていくからである。

また、設立者自身も堕落していくこともある。

これは統一教会だけではない。

キリスト教においても、イエス・キリストは崇高な人間だったが、組織が大きくなって、中世ヨーロッパでは、教皇が絶対的な権力をもつようになり、免罪符まで売りつけるようになった。

(それを、マルチンルターが宗教改革で反旗を翻したが)

オウム真理教もそう。

麻原彰晃も最初は、原始仏教を読み、自身、修行し、悩める人々を救おうとした。

しかし、オウム真理教の場合は組織が大きくなることによって、創始者の麻原彰晃の権力欲が大きくなっていって、堕落していった。

日本の仏教にせよ、各仏教の創始者は純粋な思いで、釈迦の教えを日本に伝えようとした。

しかし、組織が大きくなり、創始者が死ぬことによって、仏教組織は、百姓の年貢のがれのための、荘園として、巨大な権力を持ち、財力に目がくらんで、財力をもつようになった。

(織田信長が比叡山の延暦寺をムジナの集まりと言ったのは、あながち間違いではない)

日蓮宗を教義とする創価学会もそうだろう。

今の創価学会は公明党との政教分離の憲法違反もクソもない。

自民党にせよ、政党の始まりは、戦後の日本を立て直そうという純粋な気概に燃えていたものだっただろう。

しかし、組織が大きくなることによって、腐敗、堕落していった。

これは、武道、スポーツ組織でもいえることであって。

フルコンタクト空手に限らず、最初、少人数でやっていた時は、純粋に技術の研究、強くなることを研究していた。

しかし、組織が大きくなると、もっともっと組織を拡大し、勢力を世界中に広めたい、という欲求が起こって、その欲望追求になってしまう。

他流派との競合もあり、他流派を潰して、自派の勢力拡大だけを考えるようになる。

また、金に目がくらんで、「カラテ通信教育?」なるバカげたものまでやるようになる。

「カラテ通信教育」なんてバカげたもので、空手が上手くなるはずがない。

生徒が落ちこぼれても、金だけ巻き上げて、「はい。それまーでーよ」である。

暴力団の勢力拡大の争いにしてもそうだし。

医学界においても、どの大学医学部も自分の医学部の勢力圏拡大のために、しのぎを削っている。



イエス・キリストは、

「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るのより難しい」(マタイ伝19・23)

と言っているが、キリストは、

「下着を二枚もつものは、その一枚を、それを持たない者に与えよ」

という貧しき者への思いやり、の思想である。



統一教会が信者に高額献金を求めているのは、韓国に自分の組織の御大層な大聖堂を建てるためであって、貧しき者への思いやり、なんかではない。

そもそも、統一教会には、洗脳マニュアルなるようなものがあるような気がする。

そうなったら、それは、もはや、宗教ではなく、完全な、「宗教に名を借りた詐欺組織」である。

統一教会のことは、よく知らないが(興味がないので)

こんな記事もある。

統一教会は韓国政府が創った日本侵略のための組織だった?

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