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かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 246(中国)

2019-06-06 22:48:55 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の旅の歌32(2010年10月実施)
       【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)189頁~
        参加者: N・I、Y・I、T・S、曽我亮子、鹿取未放
        レポーター: N・I 司会とまとめ:鹿取 未放

246 秋晴れは何にでもなれる思ひありされど昭君の見しゴビ沙漠

         (まとめ)
 王昭君(おうしょうくん・紀元前1世紀ごろ)は、前漢の元帝の時代の女性で楊貴妃・西施・貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人に数えられる。親和策のためかつて敵国であった匈奴の呼韓邪単于に嫁がされ一男を儲けた。その後、呼韓邪単于が死亡したため当時の匈奴の習慣に習い、嫌々ながら義理の息子の妻になって更に二女を儲けた。しかし故郷の漢族はそれを近親相姦同様の不道徳と見なす文化を持っていたため、王昭君は服毒自殺を遂げたとの説が横行し悲劇のヒロインに祭り上げられたそうだ。
 能に「昭君」があるが、この歌には直接の関係はないようだ。「何にでもなれる思ひ」と言っているがゴビ砂漠を前にして王昭君のことがしきりに思われたのだろう。幸不幸は本人にしか分からないものながら、たとえ幸せであったとしても、故郷漢を遠く離れて毎日毎晩眼前に広がるゴビ砂漠を眺めるはいかばかりだったであろう。荒涼として何もない沙漠の見えない遙かかなたの故郷をどれほど恋い慕ったことであろう。秋晴れの透明さが2000年以上も昔の王昭君を作者に偲ばせたにちがいない。(鹿取)

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