かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 251(中国)

2019-06-11 19:29:27 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の旅の歌33(2010年11月実施)
  【砂の大地】『飛天の道』(2000年刊)192頁~
   参加者: N・I、Y・I、佐々木実之、T・S、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター: 藤本満須子 司会とまとめ:鹿取 未放

          

251 羊皮もて囲へるパオにカザフたりき老い老いて世間一切は虚仮(こけ)

      (レポート)
 羊の皮で覆われているパオにカザフの老人が住んでいる。(フェルトを使うパオもある。)世間一切は、世間の出来事は愚かなことだ。愚かな人間が民族の攻防の歴史を繰り返してきたのだと。あたかもそう言っているような老い人の姿を見たのであろう。
 カザフもキルギスも1991年のソ連の崩壊により独立した。そのわずか7年後の旅であることに注目がいく。「世間一切は虚仮」と老い人の強い生きざまをそう表現した結句は切実にひびいてくる。(藤本)


     (当日意見)
★「世間一切は虚仮」は確か聖徳太子の言葉。空(くう)に近い仏教用語ではないか。(実之)
★この歌では政争なども超越した生そのものが虚仮である、とパオに老いたカザフの老人の思いを
 代弁しているのではないか。前の赤ん坊の歌と対比して、パオで生まれて一生を送る人生のこと
 を深く思っているのだ。3句めの過去の「き」に、本来詠嘆の意味はないが、この馬場の口調に
 はしみじみとした嘆息がきこえてくるような気がする。(鹿取)


      (まとめ)
 実之発言から探してみると「世間虚仮、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」という聖徳太子の言葉がある。聖徳太子の言は「世間虚仮」(世間の一切のことは虚妄で仮の姿である)は意味的には従で「唯仏是真」(仏だけが真実である)の方に大切な意味があるのだろう。しかし馬場は「唯仏是真」の宗教的部分を捨てて「世間虚仮」の部分だけを歌で提示した。だから、信仰を問題にしているのではないが、かといって政治を告発しているのでもないだろう。宗教ではないが、もっと人間存在の本質のようなものを捉えているように思う。
 カザフとして老いた老人の心中に去来する「世間一切は虚仮」という思いは諦念だろうか、超越だろうか。両方がないまざった思いだろうか。人間は生を受ける地を選べない。たまたまこの老人はカザフ人としてパオに生を受け、厳しい自然の中で闘いながら生きてきた。われわれの生活から比べたら格段に不便で、かつ経済的にも豊かではない。もちろんそれ故の自然の恵みの享受や都市生活の利便さの中では育たない精神の豊かさもあるだろう。カザフの老人の皺深い顔や手を見て「世間一切は虚仮」と断定した作者、おそらく大都会に老いた者にも「世間一切は虚仮」と言わしめるのだろう。(鹿取)

コメント
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