かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞

2020-06-17 16:09:32 | 短歌の鑑賞
     ブログ版清見糺鑑賞 4  
          かりん鎌倉支部  鹿取未放  

20 晩年のロダンのように苛めぬく粘土、つめたいおんなのからだ(94/12)
              「かりん」94年12月号

 単なるロダンではない「晩年の」ロダンにどんな意味をこめたのだろうか。
 貧しい家に生まれたロダンは苦労を重ね、認められたのは四十歳を過ぎてからであるという。苦労を共にした内縁の妻がいたが、その頃弟子のカミーユと恋に落ちた。しかし妻と恋人との間で揺れ動き長くどちらを選ぶか決断できなかった。結局捨てられたカミーユは精神に異常をきたし、精神病院で亡くなった。
 「青銅時代」「地獄の門」「カレーの市民」「バルザック像」などロダンの作品は様々な波紋を呼び、毀誉褒貶にさらされた。どこからが晩年か難しいが死の前にロダンは家屋敷や全ての作品を国に寄贈し、ロダン美術館を作り、その館長に収まった。そうして長年連れ添った内縁の妻と正式に結婚した。ロダン七十七歳、妻七十三歳であった。しかも妻は結婚後十六日めに死去、ロダンもその九ヶ月後に死んだ。彼の最期の言葉は「パリに残した若い方の妻に会いたい」だったそうである。
 ともあれ、この歌のロダンは精力的に彫刻を作っているように読める。そんなふうに粘土ならぬ女の体をいじめぬくのである。性愛の歌なのだが「つめたい」のはからだそのものか、女が自分に心を開かないことを言っているのか。あるいは、衰えていく男としての自分に「晩年の」ロダンを重ねたのかもしれない。
 清見は「かりん」九四年一〇月号に『禁忌と好色』についての評論を発表しているので、次のような岡井隆の歌の影響が考えられる。
  (ママ)
 苛(いじ)めぬくやはらかなその掌(て)のしたに背(せ)の山脈(やまなみ)のたかぶりやまず 
                           『禁忌と好色』


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