かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

写真入り 馬場あき子の外国詠 152(ネパール)

2020-01-16 20:03:57 | 短歌の鑑賞

18人乗りの小型機。お隣は日本に留学経験のあるネパール人の医師で、隣席に座って次々現れる山の説明をしてくださった

         
          ブッダエアーって、怖いような怖くないような。険しい山岳地帯を飛ぶので、ここのパイロットは世界一腕がよいとか。     


   写真入り馬場の外国詠 19(2009年7月)
    【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)91頁~
    参加者:泉可奈、T・S、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:渡部 慧子 司会とまとめ:鹿取 未放

                 
152 八千メートルの山の背碧空のほかはなしあなさびし虚空なす時間のありぬ

(レポート)
 ヒマラヤの八千メートル級の山々が厳しい線をみせてつらなり、そこに碧空があるのみで広大な景を前にしている。もう自分の思念もちっぽけで物に寄せて何かを思うことも不可能なほどなのだろう。「八千メートルの山の背碧空のほかはなし」「あなさびし」「虚空なす時間のありぬ」と「 」三つをそれぞれ独立させ、無いと言って有るという。上の句、下の句を逆接に頼らず「あなさびし」という独立句を挟み、繋がりのほどは読者に任せているのであろう。
 この構成の妙は一首の不思議な力の所以となっている。大きな内容を鑑賞しがたく構成の面から近づいてみたが「あなさびし」に注目してみると、存在の寂しさとは異質の「さびし」としてよく据わっており、はかりしれない宇宙を「虚空なす時間のありぬ」と透徹した眼と力を感じる一首である。(慧子)    


(まとめ)
 小型機に乗ってジョムソンからポカラに移動している一連の中にある歌。ダウラギリ、マチャプチャレ、アンナプルナなどの山名が一連に出てくる。それら八千メートルを超えて聳える山の背には真っ青な空が見えている。そして空しか見えない。しかもその空には「虚空なす時間」があるという。「虚空」を改めて「広辞苑」で引いてみると仏教語で「何もない空間」を指すとある。何もない空間に、作者は長い長い宇宙的な時間をみているのである。
 156番歌「生を継ぎはじめて長き人間の時間を思ふヒマラヤに居て」にも関連するが崇高な山の姿にふれて、それらヒマラヤの山脈が形成された気の遠くなるような宇宙的時間を思ったのであろう。また、その後に生まれた人類の歩んできた長い長い時間をも思うのであろう。「あなさびし」はそんな宇宙的時間にふれた詠嘆のように思われる。(鹿取)


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