かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 291(トルコ)

2019-07-05 22:59:35 | 短歌の鑑賞
    馬場あき子旅の歌39(11年5月) 【遊光】『飛種』(1996年刊)P128~
     参加者:K・I、崎尾廣子、佐々木実之、曽我亮子、H・T、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会とまとめ:鹿取 未放
     

291 驢馬のあざみ驢馬の胡瓜みな棘ある草驢馬はかなしき棘食む馬か

      (まとめ)
 人間の食べる胡瓜にも棘はあるし、蔓には更に鋭い棘がある。あざみにだって花にも茎にも鋭い棘がある。驢馬のと形容されたこれらの植物はもっと棘が鋭いのだろうか。どのくらいの大きさなのか、ネットで調べてみるが出てこない。「驢馬」は「馬」の字を名前に持ち、馬のようにこき使われるが、馬ほどは大事にされず、棘ある草くらいしかあてがわれない。しみじみと驢馬をあわれんでいる。(鹿取)

 
        (レポート)
 驢馬があざみを食べる。あの棘の多い草を。初めて知った。この1首は初句から3句までが字余りである。が「驢馬」を3回、「棘」を2回用いることによってたたみこむような不思議な調べを作っている。辞書によると驢馬はウサギウマとも呼ばれ粗食に耐え、労役に耐えられるとある。情景ははっきりとは浮かんでこないが、この調べで驢馬の悲しさを表現しているのであろう。このあざみは野にあるあざみなのであろうか。胡瓜は黄熟したものなのか。驢馬だけが棘ある草のおいしさを知っている、と詠っているのかもしれない。結句の余韻を受け止めたい。(崎尾)


      (当日意見)
★「驢馬の胡瓜」「驢馬のあざみ」と呼ばれている野生の草があるのでしょう。「烏のエンドウ」
 とか「雀のエンドウ」とおなじような言い方でしょう。きっと棘があって食べにくいしおいしく
 ないのでしょう。それを、驢馬はあてがわれて、お腹が空いているから仕方なく食べるのです。
 作者はそのことに哀れさを感じているのでしょう。(鹿取)

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