かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 2の211

2019-11-02 19:04:01 | 短歌の鑑賞
   ブログ用渡辺松男研究2の28(2019年10月実施)
     Ⅳ〈水〉『泡宇宙の蛙』(1999年)P138~
     参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、菅原あつ子(紙上参加)、鹿取未放
     レポーター:岡東和子    司会と記録:鹿取未放


211 単眼児無脳児くもりぞらにありくもりぞらそのなかは雨ふる

      (レポート)
 単眼児無脳児が曇り空にあつて、曇り空の中では雨がふつている。単眼児は眼球が顔面の中央に一個しか形成されない児で、無脳児は頭蓋及び脳が欠如する児(広辞苑)でいずれも先天性の奇形児である。ほとんどが死産もしくは出生直後に死亡することから「くもりぞらにあり」と表現されているのであろう。下句の句またがりは、くもりと雨のつながりを暗示するように思う。(岡東)


     (紙上参加意見)
 曇り空にある単眼児、無脳児。はじめ、作者は雲の形を見て連想したのかと考えたが、むしろそれよりも、ホルマリン漬けの標本をみたのかもしれないと思う。少し濁った感じのホルマリン漬けの胎児は酷く見るのが辛い。障害児の悲しみをうたったのか。そうであっても、残念ながら共感できない。なぜなら、このことを歌にする必然が作者にあるように、この歌から、私には感じられないからだ。(菅原)


          (当日発言)
★ウキペディアで調べたら写真が出ていましたが、写真は見ていられなくて、コピーした
 けど写真は切り捨てました。(岡東)
★松男さん、仕事上、こういう標本を見る機会があったんだろうと思います。私はこの歌
 読んで菅原さんが拒絶するようには受けとらないです。そういう子たちを見世物にする
 とか、蔑(なみ)しているとは思わないです。(鹿取)
★「そのなかは雨ふる」とあるから哀れみの心みたいなものだろうかと思いました。泣い
 てるんだという気持ちかなあ。(真帆)
★そういう人情ではなくて、もう少し厳粛な思いかなあと。それを平たく言えば哀れかも
 しれないけど。曇り空を涙とかに繋げてしまうと通俗になって詩から遠ざかると思いま
 す。(鹿取)
★初句で「単眼児無脳児」と続けるのはものすごく強烈です。写真なんか見られないです。
 仰天しますよ。この歌は全然共感しないです。なぜこの歌の必然が作者にあったのかな
 と。12首連作のうち、この一首除いたら駄目になるかといったらそうではない。読者
 はどう受け止めていいか分からない。差別しちゃいけないとかそんな問題じゃない。何
 か言いたいなら、なぜ二つ並べたのか、それが私には分からない。(A・K)
★この二つを並べたのは、私の想像ですけど作者は仕事柄、ホルマリン漬けの標本を見た
 ことがあるんだろうと思います。作者自身がショックで、見ちゃった以上表現しないで
 はいられなかったのかもしれない。「くもりぞらそのなかは雨ふる」で鎮魂とか、祈り
 の気分を出したかったんじゃないでしょうか。(鹿取)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 渡辺松男の一首鑑賞 2の210 | トップ | 渡辺松男の一首鑑賞 2の212 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事