清見糺鑑賞20 鎌倉なぎさの会 鹿取未放
131 濃まやかにおんなの息を孕ませてしゃぼん玉来ぬ梅雨の晴れ間を
「かりん」98年9月号
梅雨の晴れ間に女が膨らませたしゃぼん玉がやってきた、というだけの内容だが少しコケティッシュな雰囲気のある歌である。それは濃まやかなという形容や「孕ませ」の字面などからエロスのにおいが漂うからであろう。子供のかわいらしい遊びであるしゃぼん玉が大人の歌になった。
鑑賞はここまででよいと思うが、実はこの歌、贈答歌である。「かりん」の先輩である女性が贈ってくれた歌をしゃぼん玉に例えているのだ。それを知って読むと、文学の香りがする濃やかなやりとりに満足し、少し昂ぶっている気分が伝わってくる。梅雨の晴れ間というのも久々の文学的興奮の喜びの反映があるようだ。
131 濃まやかにおんなの息を孕ませてしゃぼん玉来ぬ梅雨の晴れ間を
「かりん」98年9月号
梅雨の晴れ間に女が膨らませたしゃぼん玉がやってきた、というだけの内容だが少しコケティッシュな雰囲気のある歌である。それは濃まやかなという形容や「孕ませ」の字面などからエロスのにおいが漂うからであろう。子供のかわいらしい遊びであるしゃぼん玉が大人の歌になった。
鑑賞はここまででよいと思うが、実はこの歌、贈答歌である。「かりん」の先輩である女性が贈ってくれた歌をしゃぼん玉に例えているのだ。それを知って読むと、文学の香りがする濃やかなやりとりに満足し、少し昂ぶっている気分が伝わってくる。梅雨の晴れ間というのも久々の文学的興奮の喜びの反映があるようだ。
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