かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 363(中欧)

2020-03-06 19:29:46 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
   【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁~
   参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:崎尾廣子      司会とまとめ:鹿取未放


363 英雄はなべて髭濃し髭といふ男のちから女らは見る

          (レポート)
 どんな英雄でも心の弱さはあったであろう。その弱さを隠すために男は髭をのばすのであろう。だがこの髭に女らは男性の強がりを見るのだと思う。(崎尾)


          (当日発言)
★力が強くて精力的なのが英雄。髭で立派に見える。(曽我)
★レポーターは髭は弱さを隠す為と捉えているが違う。髭は装飾であった。(藤本)
★濃い髭に作者は男の虚勢を感じている。(T・H)
★「女らは見る」と言っているので、自分は違うと作者は思っている。(N・I)
★いや、「女らは見る」の中には作者も含まれているというか、「ら」はむしろ虚辞で自分が主体。 
 自分が入らなければ「女ら」に聞いて回ったのか、ということになる。(鹿取)


        (まとめ)(2016年12月改訂)
 「ちから」と「見る」は、馬場のキーワードである。当日発言にもあるように、ある国において髭は全ての男性に科せられた制度のようなものかもしれないし、単なる装飾であるかもしれないし、時代の流行や要請であるかもしれない。しかし、権力の象徴である面は見逃せないし、弱さを隠す仮面でもあり、自分を鼓舞してより強い自分になるための装置という一面もあろう。作者は髭を蓄えて力強そうな英雄達の像を、虚飾も虚勢も全て了解の上で、英雄の持つ弱い部分をほほえましく容認しているのであろう。女達は案外すべてを見抜いているのだ。その上ですまして英雄達の髭を見ているのではないだろうか。(鹿取)

  

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