さあて、天王寺ZOOを
歩き回って遊んだ翌日は、
西国三十三か所に出かけました。
動物園の後はお寺ですか。
ちょっと病気かなあ。
異常の一歩手前ということなんでしょうか。
でもまあ仕方ないので
ブログで報告していきましょう。
気温的にはちょっと熱い一日でしたので、
歩き回る負担の少なそうな
寺を選んだのです。
行ったのは壺阪山南法華寺。
俗にいう「壷阪寺」です。
負担が少ないといっても、
ここは歩き回りたければ
山も歩き回れるというコースがあります。
それが「高取城址」をめぐるコースです。
でもねえ、まだ朱印を集めてない頃に
行きましたねえ。
ブログをたどってみると、
二年前の初夏でした。
壷阪寺から高取山を回って
降りてくるコースで、
メジャーなコースだと思っていたら、
山では一人の登山者にも会いませんでしたねえ。
ま、今回はそんな山登りは置いといて、
お寺と高取の土佐道を歩くつもりで、
車で出かけましたあ。
以前はここへ行ってから
奈良で飲み会があったから
電車でしたねえ。
今回は車で頑張って出かけましょう。
今は南阪奈道があるから便利ですねえ。
一時間あまりで到着します。
前は電車で行った後、
壷阪寺までは駅からバスで
行ったのでまあかなりの
時間は節約できているということですね。
車だとすぐ下の駐車場まで
すぐに乗り入れることができるもんね。
さあ、ではバスを降りて
山門の方へと入っていきましょう。
入山料を払って入っていきます。
まずは山門ですね。
ここにはおおきな仁王さんの
下駄が置かれています。
二年前に来た時もここに置かれて
ありましたが、その時はなぜか
この下駄を履いて写真を
撮るのを遠慮していました。
「へんなおっさんにみえるやん」
と下駄だけ写真に撮っていましたが、
もう今となっては
変なおっさんでも構わないのです。
こうして下駄に乗って
写真撮影しておきましたぜ。
その時、空を見上げるとこんな雲が・・・
うんうん、雲も変なおっさんで
けっこう毛だらけといってはるようです。
そこから中に入っていきますと、
おおきな千手観音が
奉納されていたりします。
またこんな大きなのも
置かれてあったりしますが、
なんといってもこの大きな木が
迫力ありましたねえ。
巨大な仁王さんならぬ
鉄腕アトムの頭部のようですねえ。
そしてこれが国の重要文化財
といわれている三重塔です。
こんなのを見ながら、
さあでは記帳してもらう前に
本堂に入っていきましょう。
このお寺には、
こんな壺阪霊験記があります。
むかし疱瘡で目の見えなくなった
沢市の奥さんのお里が
夫の目が治りますようにと
早朝にいつもこの寺に
お参りしていたそうです。
それを知った沢市がこの寺に
こもるのですが、
やはりこんな私の妻なら
お里に迷惑がかかるだろうと、
山から飛び降りたそうです。
それを知ったお里もまた、
あとをおったが観音様の利生で
二人とも助かった上に
沢市の目も見えるようになったとのこと。
それが文楽として
いまも残っている話です。
名セリフがあります。
「妻は夫をいたわりつつ、
夫は妻をしたいつつ~」
あるいは
「三つ違いの兄さんと・・」
「バイトするならタウンワーク」
そういうことがあったからか、
この寺は「眼病封じ」の寺としての
信仰を集めているとのことであります。
doironもこのブログを打ったり、
絵を描き続けたときには
大変目が痛みますから、
ここではしっかりと目の
お参りもしておきましょう。
本堂に入りますと、
こちらの方角から
二上山が見えますよ
という場所があるので
行ってみました。
おお~二上山です。
あの山のふもとを
通ってきたのですねえ。
あそこに山の下には
義父母の墓もありますねえ。
あの三輪山からも
二上山は特別な経緯をもって
眺められていましたねえ。
奈良のこちらの方からは
神聖な山とみられているようです。
さあではまた本尊の中に
戻っていきましょう。
正面にあるのが、
この寺の本尊である
「十一面千手観世音菩薩」です。
しっかりした目ですねえ。
この本尊の前で、
納札もしてお参りしておきます。
続く
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