ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

究極のズルネバ丼

2015年03月31日 21時21分03秒 | 生活

ミセスが福祉関係のボランティアで出かけた日、
久しぶりに料理当番をつとめた。
この日の料理のテーマは、
究極のズルネバ料理である。

最近ミセスは福祉の関係でストレスも多く、
また動き回っているため
身体的にも疲労がたまっているように
見受けられるので、
滋養たっぷりそうなこの料理にしてみたのだ。

それと最近ジムで読んでいる椎名誠の本の中でも、
彼が朝食に納豆を食べるくだりがあったので、
それを発展させてみることにも興味がわいた。

目指すは究極のズルネバ納豆丼である。

先ず「ネバ」部門は納豆に任せることにして、
「ズル」部門の食材をできるだけ用意することにした。

思いついたのが、
山芋、オクラ、ナメコ、メカブ、
そしてイカ
(どっちかといえば“ヌル”だけど、
好物だから許してやろう)
の面々だ。

これらをすべてスーパーで買いそろえてきた。

あ、山芋は先日doironの
お絵かき用のモデルとして、
レンコンと共に買ってあったものだ。

ちなみにその時描いたレンコンはこれ。



山芋はまだ描けていない。

おっと、今日は料理の話だった。

先ずはオクラをゆで、
そのゆで汁でナメコもゆでた。



うん、うん、いい具合にズルってるぞ。



次は山芋のすりおろしである。



7、8cmの長さに切って
かつらむきにして、おろしでズリズリ。



おお~、これは「ズル」だけでなく
「ネバ」の要素も兼ね備えているではあ~りませんか。

そして、イカとメカブはおあつらえ向きに
こんな商品があったので買ってきた。



よーしこれで役者はすべてそろった。

主役の納豆はdoiron家の冷蔵庫には
常にスタンバイをしているので、
まずこれらをひとつの器に入れたものを
doironとミセスの分の2セットを作った。



さて、いよいよ撹拌である。

まず最初は慎重に混ぜながらなじませていき、
ある程度すべての食材がなじんで
絡み合ってひとかたまりになった頃から
飛び散る心配も少なくなったので、
徐々にスピードを上げていった。
この時は、何か腹の立つことを考えよう。

腹の立つこと・・・

う~ん、最近ないなあ
あ、そうだ先日散歩をしているときに
知り合いと会い、
話に気をとられて犬のウンチを踏んでしまった。

クソー

とまあ、そんな調子でかきまぜよう。

椎名さんは最初は時計回りで、
途中で納豆の意表をついて
突然反時計周りに反転させ、
さらにもう一度反転させて
時計回りの高速回転にする
と書いてあったので、ウンチへの怒りを込めつつ
同様にしてみた。



すると、もう究極にネバるかと思っていたのに
あの納豆独特の糸を引く粘りが
弱くなってきたではないか。

山芋が納豆の糸さえ包み込んできたような感じだ。

そうか
いろんな食材が入っているので、
もしかしたら「ズル」と「ネバ」の成分が
化学反応を起こしているのかもしれない。

あるいは「ズル」の分子と
「ネバ」の分子が微妙に絡み合い、
レイノルズ数や摩擦係数など
物理的特性の変化もおこしているとも考えられる。

いや、もっと言えば、
あまりの高速怒り回転で各食材の遺伝子が絡み合い、
生物学的進化をとげているのかもしれないのである。

一体なにが生まれてくるんだろう
とか思いながらさらに撹拌すること5分。

オハイオ州に竜巻が通過したごとく、
嵐の撹拌が終わったテーブルの上には、
得体のしれないズルネバの物体が
器の中で産声を上げていたのだった。

これ。



これはもうもはや、誰もハシではつかめないだろう。

全日本箸使いコンクールてのがあるとすると、
そこで塗りのハシでこの中のイカを
すべてつまみ出せという課題を与えたら、
さぞや長期戦となるだろうて。

この新生物に、
納豆に入っていた「タレ」と「カラシ」をかけて、
「回れ回れ~」と赤ん坊をあやすように
今度は優しくかき混ぜたものを、
ご飯に乗っけて

「究極のズルネバ丼」

の完成である。



多分こんなバカなことをする人はいないので、
もしかしたら世界一ズルネバな料理
ということでギネスに申請できまへんやろかね。

で、肝心の味の方はどうだったかと言うと、
そう皆さんの予想通りだろう。

ズルいほど「めちゃうま!でした。


花山温泉 時間ですよ~

2015年03月30日 21時11分26秒 | 最近の出来事

毎週木曜日に居酒屋で開催されるエイ会議で
首Dさんと、昨年秋に出かけた花山温泉に
再び湯ったりしに行こうということになりました。



早速、かつてのエイメンバーである
和歌山市在住のT本さんに連絡をとっていただいたところ、
即刻賛同を得られたので
日程を調整し、3月16日に春間近の和歌山へと
出かけていったのでありました。

最寄りの和歌山ICまでdoiron号でビューンとひとっ飛び。

一般道が少し混んでいたけど
所要時間約40分で温泉に到着しました。

前も書きましたが、
この温泉は「関西最強の炭酸泉」といわれています。

炭酸濃度は実に1000ppm以上。
効能は血行改善、自律神経調整、
創傷治療促進、美容美肌など
およそ温泉の効能といわれる
ほとんどの項目が盛大に並んでいます。

首Dさんは現在も闘病中。
そしてdoironも両親との死別
という出来事を癒しに来たというわけです。
聞けばT本さんも麻雀でコテンパンにされた
という心の傷を塞ぎに来たと言っておられました。

まあそこまでここの最強の温泉が
面倒見てくれるかどうかわかりませんが・・・。

とにかく闘病、死別、コテンパンの
三者三様のたくらみを持って
湯治にやってきたのでありました。

中に入ると、
皆さん入湯券売り場でたむろしています。



聞くと、4時半から料金が一気に
半額近くになるというので時間待ちをしているそうです。

その時点で4時半まであと約30分。
土産物でも見ながら待とうということになりました。



doironは早速取材です。

外に出て写真を撮ったり、



来られているお客さんにインタビューしたところ、
「ここは毎日来てるんや」
というお客さんはお得な回数券を見せてくれはりました。

回数券割引に加えて
シルバー割引もあるとのこと。

近所にあったらさぞやうれしいことですな。

そうこうしているうちに、時間が来ました。

入湯券販売機のところにいたおばさんが
「皆さん切り替わりましたよ~」と告げています。

あ~あ、ここはやっぱり「おかみさ~ん、時間ですよ」
と言ってほしかったかな。


ふる~

券を買って、湯の華の造形物の展示
などがある長い廊下を進んでいきます。



男湯の暖簾をくぐりさあ入りましょう。

ここの温泉にはおススメ入浴方法があります。
湯温が41.3℃の大浴場と
冷たく感じる26℃の源泉に
三回交互に浸かったあと、
最後に露天風呂に入るというものです。

しかし、闘病、死別、コテンパンの3人は
余計なお世話とばかりに
露天風呂に直行です。

すると、前回年間3万キロを車で走って
温泉巡りをしていると話してたオジサンが、
今回もまるで主のように鎮座しておりました。

全身よく焼けているのは、
きっと露天風呂焼けでしょう。

多分身体のほとんどが
温泉でできているものと思われます。

普段は5分も湯船に浸かれば長い方のdoironも
この時はゆっくりと湯に浸りました。

1時間余りを湯船で過ごし、

「最近体が冷えて困る」

と言ってた首Dさんも
「ぬくもったなあ」と満足そうでしたし、
T本さんも次回の麻雀大会に向けて
闘志を新たにしていたようです。

浴後はまた前回同様、
和歌山のおいしい地魚を食べさせてくれる寿司屋で夕食。


おいしかった海鮮汁

半日の楽しい温泉旅行でした。

このメンバーに加えて恒例の仲間達と、
次は来月4日の助松公園での花見が待ってるのだあ。


飯盛山で盛沢山 3

2015年03月29日 21時20分37秒 | ウォーキング

山頂からは六甲、淡路、関空、多奈川や



左の方には多分友ヶ島も見えていました。

絶景ですね~。

ここから葛城二十八宿の第一番修行場の
友ヶ島や東に連なる山々を眺めて、
役行者は志を新たにしたでしょうね。

「おれは仏になるんだあ」ってね。

さて少し遅くなりましたが、
ここでお昼です。

今日の昼食はこれ・・・

ガビーン!

皆さんのお昼の用意で湯を沸かしたりしてたら
写真を撮り忘れていました。
う~ん、まだまだ修行が足りません。
志を新たにしましょう。

山頂にいた京都の一団が下山していけば
こちらのグループだけになり、
静かになりました。

ゆっくりと休憩をして、



三角点も撮影して、



さあ下山です。

ここから北に向かう道の入り口には、
通行止めの予告看板があります。



第二阪和国道の工事により
岬公園方面へは通行止めです。

でも地図ではその前に右へ折れて
淡輪方面へと下りて行く道があることになっています。

そこを目指して下っていきましょう。



この北側のルートは道に露岩が出ていて
滑りやすく注意して下りねばなりません。



尻もち注意報発令です。

いつもしょうもないことを言って
滑っていますから、ここはひとつ
滑らない修行と心得ましょう。

あ、滑ってますか?

結構な下りが続いていて、
「この道を登りたくはないなあ」
とか言いながら
ヤシャブシの花が咲く道を下っていきます。



やがて飯盛山を見渡せる展望地に出て、



さあ谷へ降りましょうと道を探りましたが
下りる道が見当たりません。

それどころかメインの道も
その先で踏み跡が消え、
道がなくなりました。

これはまずいと焦り始め
ようやく探し当てた道を下りて行くと・・・
これも道が消えていました。

これはかなりのアタフタ事件です。

さ、さては役行者の陰謀か!

この時点で時刻は15時。

少し陽が長くなったとはいえ、
日没までの時間を考えると
悠長に道を探ったり考えているヒマはありません。

即決で元来た道をひきかえすことにしました。
あんなに遠くに見えていた山頂まで
また引き返しです

いよいよ本当に修行の様相を呈してきました。

「登りたくはないなあ」
といってた道を結局登る羽目になりました。

とほほです。

時間はアタフタと過ぎてゆきます。

でもここで焦って、
滑って転んで怪我しては元も子もありません。

努めて冷静に皆さんを誘導します。

再び飯盛山山頂に戻りました。

本日二度目の登頂です。

「今日はダブルで飯盛山に登ったなあ。
日記に付けとこ」とか
「まだまだ明るいから大丈夫やで」
とか何とか冷静を装いながら、
皆さんの気持ちをほぐします。

しかし頭の中では最悪を想定して、
グルグルと思考が巡っているのです。

少し遅れがちになってきた皆さんを待ちながら
地図を見ていると、
当初登ってきた道を完全に引き返そうか
と思っていたのですが、
札の辻への分岐あたりから
淡輪へ降りる道があることに気づきました。

孝子まで戻ると確実に陽が暮れます。
どっちみち暮れるのなら一か八かで、
その淡輪への下山路を下りてみることにしました。

これが大正解でした。

不調を訴えてきた人の荷物も引き受け、
リュックを2個持って先導しました。

最初は体の前にもうひとつのリュックをつけていたのですが、
それだと足元が見えないので
下りはちょっと不安です。
途中でリュックの肩紐をうんと伸ばし、
背中に二個背負ってみたらええ感じでした。

ざあざあ流れる
渓流に沿って下っていくと、
こんな祠があったり、



こんな橋を渡ったりします。



山頂にいたグループも
ここを登って来たようやな
と思いながら、だんだん気が楽になってきました。

何とかいけそうだ、と。

そしてついに5時30分。
畑の集落に到着しました。

あと15分もすれば暗くなってくるでしょう。
アタフタしたけど
思わぬ修行の登山となりました。

早速通じるようになった携帯で
タクシーを呼び
淡輪の駅までたどり着いた時には



薄暗くなっているという有様。

いやあギリギリでした。

途中で道がなくなっていて
引き返した部分が往復4キロ、2時間余り。



余裕で下ってくるはずだったのが、
こんなアタフタなことになってしまうとは、
さすがに葛城二十八宿の修行場だけのことはあります。

4人中ライトを持っていたのが2人。
水は全部で1.5リッター、
食料は一晩過ごせるくらいは十分持っていたので、
それほど深刻ではなかったのですが、
携帯も圏外で通じなかったし、
急な体調不良など
山では何があるかわかりませんから、
里山登山でもしっかり準備をしとかなくてはなと、
後日の打ち上げで大いに反省しつつ
盛り上がったのでありました。

遠く京都からも団体でやってくるという

泉南の名峰、飯盛山。

役行者、豊かな自然、絶景眺望、2回登頂など
今回は盛沢山な山行でした。

終わり。


飯盛山で盛沢山 2

2015年03月28日 21時39分01秒 | ウォーキング

上孝子の集落の瓦の波を眺めつつ登山開始です。



結構な山間部なのにびっしりと家が密集しています。
なんか地域のしがらみが
濃そうなところですねえ。

登山道の両脇を覆うのはウバメガシ。



「備長炭」の原料として知られています。

都道府県によっては絶滅が危惧される
「レッドリスト」に載っていますが、
ここでは盛大に生えています。

見る人が見れば
パリのマロニエ並木より
立派な並木道かもしれません。
(行ったことないけど)

修行場という割に普通の登山道で、
ゆっくり歩いて20分ほどで
「高野山」の山頂に到着します。



修行の人にはちと物足りないでしょう。
(なんて言ってますがこの後アタフタと
十分修行の山になっていくのです)

地図ではここに「▲」が描かれていますので
三角点があるのか?と思って探してみても、
境界石しかありませんのであしからず。



取り付けられた標識によりますと、
標高は285mとあまり高くありません。

でも、眺めはなかなかいいところです。



アケビなどのツル性の植物が多く、



あちこちに巻きついています。
中には、ツルに締め付けられてこんな木も・・・。



おお~、何となく執念めいたものを感じます。

自然の造形ってすごいものです。

やがてマイクロウェーブの反射板のところに出ます。



二枚の巨大な反射板が
微妙に角度を変えておかれてあります。
テレビや無線などの電波が
まず1枚に当たり、
そしてすぐ横のもう一枚にあたって
マイクエロウェーブをいわば屈折し、
山の反対側に飛んでいくという仕組みですね。

田舎の方に行けばたまに見かけます。

そこに、こんなものがありました。



何も書かれてないのでよくわかりませんが、
何かの道案内でしょうか。

ん?見覚えのあるこんな文字で
「飯盛山」への道案内が小さく書かれてあります。へへ。



では下っていきましょう。

途中にこんな「火の用心」の標識がたくさんあります。



先ほどのマイクロウェーブのところにあった標識は
このためのものだったんですね。

でもどうせならすべてに道案内も
書いておいてほしいところです。

道はその先で林道と絡みながら進んでいきます。



そして分岐のところで林道から
尾根道へと上がっていきますと、

おお~ようやく雑木越しに
飯盛山の姿がちらほら見えてきました。



これが初公開、「飯盛山」です。

ご飯を持ったような形をしているところから
つけられた名前だとのことです。

そんな「飯盛山」は全国各地にあるように思います。

どれくらいあるのかはジダンの報告を待ちましょう。

案内はところどころにありますが、



あまり気合が入ったものではありません。

おお~、火の用心の下に比較的新しい標識があります。



これくらいが素晴らしいですね。
いろんな人がこの山を愛でていることがわかります。

なおもしずしずと進んでいくと、
このあたり山の中には
人工的な古い石組があったりします。



そうです。
このあたりはかつて根来寺の僧兵が
多く詰めていたそうです。

合戦の拠点でもあったんですね。

やがて、札立山との分岐点に出てきました。



おや?このあたりは「近畿自然歩道」
となっています。



先日歩いた葛城古道もそうでしたねえ。

この標識のある道に出てからは、
一段とよく整備されているようで、
昔からよく見かけていたころは
「ヘンッ」と鼻で笑っていたこの取り組みも、
今頃になってようやくありがたさが
わかってきたオクテのdoironなのでした。

札立山へはここから南東へ行きますが、
飯盛山は北へ向かっていきます。

その先にあったのが「千間寺(せんげんじ)」の跡。



井戸の跡なんかも残っています。



そこから山頂はすぐです。
近畿自然歩道ですから
木の階段が整備してあったりします。

明るい尾根道に出ると



前方に鉄塔が見えてきてほぼ到着です。



約2時間半歩いて
山頂に着くと、これまで一人の登山者にも
会わなかったのに、
20名弱の登山者が集まっておられました。



聞けばひとつのグループで、
京都の山の会の人達だとのことです。

京都といえば、北摂や北山、
琵琶湖方面などいろんな山があるだろうに、
何を好き好んでこの山に来たのでしょうかねえ。

そんな失礼なことは聞けませんがね。

多分山頂にしつらえられた
展望台から見えるこの絶景に魅かれてきた



と言うことにしておきましょう。

役行者も修行の合間に
ここでほっこりしたに違いありません。

しかしこの後
doiron一行は今世紀最大の
アタフタ事件に巻き込まれることに

続く。


飯盛山で盛沢山 1

2015年03月27日 21時20分15秒 | ウォーキング

ジム友達と泉南にある飯盛山に登ってきた。

案内本によると山頂付近には、
役行者が開いたというお寺の跡があって、
かつて根来寺の僧兵も住んでいた
といわれている歴史のある山だそうだ。

また、幕末には大阪湾を行き交う
異国船を見張る番所にもなったというから
見晴らしのいい山であることもわかる。

昨年から、その山に行くのを何度か計画をしたのだが、
その度に雨で流れ、
延期が続いており、
この度ようやく念願かなって
登ることができたのである。

スタートは南海本線の泉大津駅。



阪和線族の友人たちにとっては、
久しぶりの南海電車である。

な~ん、な~ん、南海電車

に揺られること約30分。
北側の山が大きく削られ、
道路工事現場の一角に佇む風情の
孝子駅に降り立ったのが、
午前10時過ぎだった。





駅前には案内看板が建てられている。





それらを見ながらナビをセットし
身支度を整えて、さあ歩きはじめましょう。

先ずは孝子の山里にある
孝子観音といわれる

「高仙寺」に向かった。

ここには役行者の母上の墓があるそうだ。
この地で暮らす母に
役行者は随分と孝行をしたそうだ。

村の人達がそれを讃えて
この地を「孝子」と名付けたくらいである。

ちなみに「孝子」の由来にはもう一説あって、
日本三筆の一人といわれる
橘逸勢が無実の罪で流刑になり、
病没後、尼になっていた娘が
その遺骨をここに埋葬したことから、
それを讃えてつけられた名前だともいわれている。

ただ逸勢は浜松に葬られたという説もあるので、
真相はよくわからない。

いずれにしても、「親孝行」に由来する地名
であることは確かなようだ。

孝子には大阪と和歌山の境界である
孝子峠がある。

このあたりでは最も低い峠であるため、
doironもバイクで和歌山に行くときはよく越えたものだ。

そんな孝子峠につながる国道26号を
駅から200mほど和歌山に向かって歩き、
最初の踏切を渡るのが登山道になっている。

渡ってすぐのところに大きな石碑が立っていた。



刻まれている文字は「くハんおむみち」と読める。

はい、もうわかりましたね。

「観音道」です。

大きな砂利トラが轟々と音と砂煙をあげて
走り回る工事現場を直角に横切ると、



道はのどかな里の道を行くことになる。

おお~、梅の花が見事だ。



分岐が現れると、
案内に沿って左に曲がり橋を渡って





登りの山道を進んでいく。



しばらく登ると、左手にこんな石が立っている。



「信解品霊場」と刻まれてあるのは、
法華経の教えですね

「信」は仏を信じる事、
「解」は仏を理解すること、
そして「品」は品格のようなもので、
「品のある人」みたいな使い方をしたりする「品」。

親子の情愛で仏の教えを伝えた
というそういう、信解品(しんげほん)の霊場
ということで、まさにここは「孝子」である。

道は山道から石段になっていた。



登るにつれ、石燈籠が見え始め、



やがて山門の下に出る。



山門には仁王さんと共に、



自然の木を利用したこんなワニが置かれてある。



製作者は住職さんかな
それとも村の人かな?
せっかくだから書いててほしいなあ。

そして登りきったところが

「高仙寺」だ。

これが本堂で、



その脇に行者堂が立つ。



役行者の諡(おくりな)である
「神変大菩薩」の表札が上がっている。

そしてこれが、役行者の母の墓。



どの石なのか不明。

ここ飯盛山一帯は
役行者の金剛葛城にいたる
28の修行場である「葛城28宿」の
第三の霊場となっている。

ちなみに第一はこの春、
ジダンと共に出かける予定の友ヶ島だ。

と、さり気なく予告しておきましょう。

本堂で、登山の安全をお祈りし、
さあ飯盛山へと向かいましょう。



決して修行僧歩きのガシガシ登りではなく、
仏と共にしずしず歩くようにね。

本堂の右奥から続く山道を登り、
最初に目指すのが

「高野山」です。

三国ヶ丘で高野線に乗り換えて・・・
とちゃうちゃう。

「こうやさん」ではありません。

「たかのやま」です。

ん?この石の文字は何となく
徳本さんの名号碑の字体に似てるぞ。
いろんなところに影響を与えておられるんですねえ。

登山道はウバメガシの林をくねくねと登って行きます。



と、ここまでは何もアタフタすることなく
「とても楽しそうで飯盛山」だったのですが・・・

続く


2015春の御坊

2015年03月26日 21時48分17秒 | 最近の出来事

東北大震災以降、災害対策関係の事案が色々と見直されている。

津波関連のハザードマップもそうだ。

先日テレビで、かつて義父母が住んでいた
実家のある御坊市のそれも見直されたと報じられていた。

津波の想定高さを高く想定し直すと、
浸水エリアが一気に広がったそうだ。

実家の周辺も、海からはかなり距離はあるものの、
平坦であることと、
遠くに煙樹海岸の松並木が見通せるほど
障害物も少ないことからエリアの中に入った模様である。

ただでさえ、42号線沿いのこのあたりは
イメージ的に海のそばなので、
住宅地としての人気が少ないのに、
その不人気に輪をかけてしまった。

御坊市全体としても、
さらなる防災対策を迫られるとともに、
地価の下落を招いたりして
さぞかし大きな痛手であろう。

しかし人命の尊さを思えば仕方のない所である。

実家は現在売りには出しているものの、
これでますます買い手がつきにくくなるだろう。

そろそろ、新たな活用方法を考えねばならない
かもしれないと思い始めた先日、
春先の点検と春の収穫物を兼ねて
実家に行ってきた。

御坊は熊野古道歩きで
最近は頻繁に行っているので
慣れたものである。

1時間半で到着し、早速点検を始めた。

まず空き地の草刈りは先日依頼してあったので、
まだあまり伸びていないのはありがたい。
ではどんな収穫ができるか
先ずはチェックである。

この時期はいつも南の隅に
フキノトウがたくさん顔を出しているはずだ。

しかし、

ガビーン

草刈りがきつかったのか
今年のフキノトウはなんとひと株だけしか出ていなかった。

まあ、こんな年もあるだろうと
あきらめるほかはない。

しかし代わりと言ってはなんだが、
今年はツクシが豊作だった。

空き地の北側に、
採っても採ってもきりがないほど
びっしりと顔を出している。

この収穫物は、佃煮や炒め物に混ぜていただく予定。

(実際、後日こんな佃煮や炒め物をした。)



ただし、事前のはかま取りが面倒なので、
採る量も限りなくというわけにもいかない。

手間を見越して、
今年の収穫はこれだけにした。



実家に来ると、役割分担としては、
ミセスは家の中の掃除や点検、
doironは外回りの樹木の剪定のほか、
除草剤を撒くことになっている。

今回も除草剤を撒いた。

いつもは液体の薬を噴霧器で撒いたりしていたのだが、
さほど効果を感じていなかったので、
今年は固形(顆粒状)の除草剤を
撒いてみることにした。

これ。



さて夏の前にまた点検に来たときには
どうなっているか楽しみである。

お昼のチャイムが、
あちこちの有線放送スピーカーから聞こえてくる。
それぞれがこだましたり、
音の到着時間がずれたりして
ぐちゃぐちゃに聴こえてくるのでわかりづらいのだが、
まあとにかくお昼ということだ。

持参したお弁当を、
荷物がほとんどなくなった実家の居間でいただきながら、
この家の将来についていろいろと考えてみた。

「ちょっと改造して、僕のアトリエにしようかな」
というつぶやきはミセスに全く無視されたわ~。

結局は今のまま売りに出しておいて、
売れたら売れたでそれでいいし、
売れなかったら息子の将来のありかたによっては、
僕らがこちらに住むことになってもまあいいか。

というあたりに落ち着いた。

まあ改造はしなくても、
現状のままで時々絵の道具を引っ提げてきて、
お絵描き一人合宿をしてもいいかなんて今は思っている。


北摂にて 公園編

2015年03月25日 21時02分17秒 | ウォーキング

昆陽池(こやいけ)というと、
水鳥と昆虫館が思い浮かびます。





先日首Dさんが貸してくれた
昆虫の本が面白かったのと、
望遠レンズでの野鳥の写真撮影の
練習もしてみたかったので、
両方に関連しているその公園に回ってみたのでした。

このあたりは土地鑑がないので、
ナビの言うまま車を走らせ、
どこをどう通っているのかわからないまま
15分ほどで到着しました。

まったくナビの威力ってすごいもんです。

立体駐車場に車を入れ、
さっそく歩行開始です。



まず最初は駐車場と反対側にある昆虫館を目指します。

ここは池の周りを囲むように公園があり、
そこに遊歩道が続いています。

おや?前方から何やらおかしな服装の人が近づいてきます。

ドヒャー、裸でした。

この寒空に、パンツ一丁で歩いているおっさんがいました。

昆陽池、恐るべしです。

そして次に現れたのが、
ジョギングをしている人でしたが、
良く見ると後ろに腕を組んで走っているではないですか。
そのままスキップしたら似合いそうなんですが、
間違いなく走っているのです。

新手のトレーニングなんでしょうか。

ますます恐るべしです。

結局そんな人たちに心を奪われながらも歩き続け
ほどなく昆虫館に到着しました。



入場料を払って中に入ると、
ギョエ~!巨大スズメバチに襲われています・・・



ここではdoironが恐るべしおっさんです。

温室の中に進んでいきますと、
華麗に舞う蝶々の姿があちこちに・・・



放し飼いをされています。



ちょうどお昼前でしたので
(関係ないか)
みつ皿にはオオゴマシオジダンや
リュウキュウアサギオジサン
(いずれも推定)
など多くの蝶が群がっています。



おお~これは食虫植物です。



ウツボカズラの仲間ですね。
毛の少ないつるっとしたズラ科(推定)の植物です。

下には二枚葉がぱたんと閉じる
ハエ取り草も展示されています。

さすがにウツボカズラに侵入したり、
ハエ取り草につかまっている
恐るべしおっさんはいませんでしたが
虫は捕まりますよね。

「昆虫館なのにいいのかなあ~」

蝶もさることながら、
先日行った花の文化園ほどではないにしろ
温室の中は熱帯系の植物も結構あって、
目を楽しませてくれます。





それにしても管理が大変でしょうねえ。

首Dさんにお借りした本には、
蝶よりも蟻や甲虫のことが
多く書かれていましたが、
残念ながらそんな展示は
標本でしか見つけることができませんでした。

昆虫館を出ると、おお~これは
マー君の木です。



あのヤンキーの、
じゃなかったヤンキースのマー君ですね。

このあたりの出身なんですね。
恐るべし子どもだったんでしょうねえ。

残る半分の道を通って、
駐車場に戻っていきましょう。

あ、また先ほどのパンツおじさんや
後ろ手のジョガーとすれ違いました。

でももう驚きませんよ。
普通のほほえましい日常光景に見えるのは、
もうdoironがハイソな北摂人に近づいた証拠です。

そこでもう一つの目的であった
カメラのレンズを望遠に替えて、
何枚か水鳥の撮影をしてみました。

あ、大阪城にもいたキンクロハジロです。



これを見て思い出したのが、ヌートリア。

するとこんな看板が。


あぶないあぶない、表題が「ヌードに注意」となるところでした

やっぱりいるんですね~。
この日は見かけませんでした。
どこかへ遊びに行ってるんでしょう。

ほらほら、白鳥君。



逃げたらアカンし~。

他にも歩きながらこんな鳥や



目つきの悪いこんな鳥も写してみました。



池の真ん中にある島には、
カワウでしょうか。
大きな鳥が何羽も群がっています。



あ、ちなみにこの昆陽池の中の島は、
日本列島の形をしているそうです。
ほら。



写っているのは北海道の部分でしょう。

ちなみにここにはこんな水鳥たちがやってくるそうです。



いろんな種類が来るんやな
こんな都会の中にねえ。
全くいろんな意味で恐るべし、昆陽池でした。

というわけで、
以上、北摂方面をプチっと旅した
半日の出来事でした。

終り。

追伸

もし生きていれば今日は親父の誕生日でした。
生前好きだったバナナを仏壇に供えておきましょう。


北摂にて 大学編

2015年03月24日 21時33分33秒 | ウォーキング

先日、仕事関係のとある用事で
北摂にある某大学に行く機会があった。



間違いなく大阪の最高学府でしょう。

用事は簡単で、
あとの時間を自分の散策にあてることができそうなので、
率先して出かけることにしたわけだ。

訪ねたのは医学部。

この時期の大学は、
入試や卒業式のため授業はなく、
学内に学生の姿はほとんどなかった。

長い春休みの最中なんだろうな。

その学内で行われた合格発表の模様が、
先日テレビで報じられていた。

合格発表の仕方として、
ここ最近行われていなかった昔ながらの
掲示板に合格者の受験番号を貼りだす形式に戻したとかで、
マスコミに取り上げられ、
掲示板の前で繰り広げられる
一喜一憂の光景が映し出されていた。


(写真と記事は関係ありません

まあテレビに映るのはたいていは
「一喜」の方だけなんだけどね。

その掲示板なるものを一度見てみようと、
この大学行きの話が出た時から考えていたんだよね。

この大学のキャンパスは
学部ごとに校舎が固まっており、
そのかたまりの間を路線バスが走っていたりするので、
比較的オープンな感じだ。

歩いて、車のゲートらしきところに行くと
警備員がいたのでそこで掲示板の場所を尋ねることにした。

さて問題はなんて聴き方をするかである。

ライターの名刺を出せば、
案内もしてくれるのだろうけど、
「広報に連絡してみます」、
なんてことになったらおおごとだ。

物見遊山の見学どころではなくなってしまう。

かといって「息子が来年からここに来ることになりまして」
などとかまして見ても「お名前は?」
なんて聞かれてもかなわんし、
ゲートに向かって歩きながら
いろいろと考えた挙句、

「先日、孫の合格発表がありまして、
その掲示板をぜひ見てみたいのじゃが」

と若干腰を曲げて聴いてみた。
名前は?と聞かれたら
フガフガ言ってやれと思いつつね

案の定、警備員の目には
孫煩悩なおじいさんに見えたらしく

「どうぞお入りください」

と笑顔で応じてくれた。
見事な演技力と言うほかはない。

「で、その掲示板はどこかのう」と聞くと
「中に入ってここをまっすぐ歩いていったら
案内が出てますよ」とのこと。

早速その通りに進んでみたものの、
一向に案内が現れない。

かなりウロウロした挙句、
大学生協があったので
入ってもう一度「孫がのう・・・」と再び聞いてみたのだけど、
ここの係の人もどうも知らないらしい。

まあ、仕事でもないし、
遊びで熊野古道を歩いていて
王子を探しまわるほどの執着もないので、
「ま、もういっか」とそこで気持ちは
一気に萎えてしまった。

仕方なく掲示板に行くことはあきらめたものの、
でもせっかくじゃないかと、
doironの取材魂はちっとだけ刺激された。

そこで立ち寄ったその生協で
近頃の学生の嗜好を調査してみることにした。

フロアーの片隅には、
最近のコンビニにもよくある
コーヒーメーカーが置かれ、
ちょっとしたテーブルといすもある。

この辺は今風ですね。

棚にはレポート用紙がずらっと並んでいる。
文字通り「大学ノート」も結構充実している。

昔、doironが学生だった頃は
自分の大学のロゴが入ったものが売られていたものじゃが、
ここにはなく市販品ばかりだったなあ。

大学の独自グッズとしてあるのは、
この大学のマークが刻印された手帳が
山積みされていた。



さすがに4月始まりの手帳ばかりであったが、
どうも最近はスマホやタブレットでの
スケジュール管理に押されて、
若干持て余し気味に置かれてある。

ああ、そうか新入生をにらんでの仕入れか。

あ、こんなクリアホルダーにも
大学の名前が・・・



わずかに並んでいる書籍コーナーでは、
旅雑誌が半分以上を占めていたなあ。
春休みの学生をあてこんでいるのだろうか。

お菓子、おにぎりなどの軽食品は
結構種類も充実していた。

なんてことを取材して、
お知らせしても何の役にも立たないでしょうが、
まあ、ちょっとした異世界を覗いて見た
というお話でした。

このあと、行ってみたかった
伊丹の昆陽池が近くにあるので
車で回ってみたのでありました。

続く


サイタ サイタ サクラ ガ サイタ

2015年03月23日 21時21分50秒 | 自然

「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」

1933年から1940年まで使われていた

「小学国語読本」

に掲載されていた言葉です。



それまで単語中心だった教科書が
文になった画期的な教科書だったそうです。
しかも初めてのカラー印刷だったとのこと。

4月入学だった日本の学校教育の
冒頭を飾るのにふさわしい文章だったんですねえ。

今はまだ三月ですが、
今日現在もう各地で桜の開花宣言が出始めています。

標本木に5~6輪の花が咲けば
「開花宣言」が出されるそうです。

doironもいつも散歩をする公園の1本を
標準木として観察してきました。

これが、昨日のつぼみです。



他のつぼみもまだ開いておらず、
開花宣言はおあずけでした。

そしてこれが今日のつぼみ。



うんもう一息と思いきや、
そのつぼみ以外に約10輪の花が
今朝一斉に開きました。



一番先に開くだろうと狙っていた蕾は
ハズレましたが
これでもう堂々と開花宣言です。

明日は寒いそうですが、
開く花の数は増えるでしょう。
やはり桜の季節は何となく
心が騒ぎますよねえ。

今年の花見は今のところ2つ予定が入っています。
これからまだ増えるでしょう。

なにせ先述の教科書には
「ココマデ オイデ ゾロゾロ オイデ」
というのもあったそうです。

そしてオジチャリ2号での桜ツーリングも、
どこに行くかいよいよ計画を固めなくてはいけません。

「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」
はいただけませんが、
天気の方は
「ソラガ ハレタ キレイニ ハレタ」
とこんな風であってほしいものです。


ぶらりオジチャリ2号

2015年03月22日 21時30分04秒 | 最近の出来事

オジチャリ2号に乗って、
河内長野にある花の文化園まで行ってみた。



なんか新規のバイクて、
どんな旅が待っているのか、
ちょっと楽しい。

ルンルンと家を出た。

前後輪にショックがついているので、
わーい、クッション最高~

と思ったのも束の間。

お、重い。

ロードと違ってかなりの重量なので、
上り坂が地獄です。

やっぱり下り坂人生が
doironにはお似合いかもぉ。

途中、写真を撮る余裕もなく、
和泉から河内長野へとつながる河泉街道を経て
ヘロヘロで到着。



修行が足りませんな。

距離的には20キロくらいでしょうか。
ここでは姉が働いているので、
一応

「花の文化園に来てるねん」

と電話をすると、
何と今日は休みだとのこと。

チッ、どさくさに紛れて
横から入れてもらおうと思ったのになあ。
(後日話をしたらそんなことは絶対無理!と言ってました)

「まあ、こたつにでも入ってゆっくりしていき」
とナゾの言葉を残して姉の電話は切られた。

しかたなく入場券を払って入り、
花のまだ少ない時期だけど、
「ユキワリイチゲ」が咲いている
という情報のあるエリアをまず目指してみた。

それにしても「こたつに入って」とは
どういう意味じゃろかいな。

色とりどりのクリスマスローズが



咲き乱れるガーデンを抜けて・・・



あれ~?見当たらない~。
時期がずれたのかなあ。

かなりウロウロ探したけど
見つからなかったあ。

残念!それではdoironが描いた

「アズマイチゲ」の絵でも見といてチョーダイ。



入場する時に入り口周辺で
でかいカメラや三脚を持っている
集団をみたのだが、
その集団が集まっていたのが
ここ「梅園」だった。



ああ、ちょうど梅が見ごろなんや。

と、その時に発見しました。

これ。



姉が電話で言ってたナゾの言葉は
これやったんだ。

梅園のあちこちに置かれたこたつに、
ドラムで電気が引かれているではありませんか。



まあ、こちらはチャリンコの汚い姿だったので、
汗臭いままで入るのは
遠慮しといた方がいいだろう。
第一おっさんひとりでこたつに入っている姿は、
ちょっと絵にならんしね。

しかしこのこたつに座って梅を見ながら
弁当広げて食べたらさぞやうまいことだろうて。

高齢者グループが楽しそうに談笑していたよ。

そんな梅園を出て、
次は温室だ。

まずはサボテンがお出迎え。



う~ん、誰かの頭が並んでいるようです。

しかしサボテンにもいろんな種類があるねえ。





見ていてとても楽しかったっすよ。

帰ったら、コーナンにでも行って
サボテンを買ってこようか
と思ったくらいだ。

温室内にはランのコーナーもあります。

といっても走るわけではないよ。

「蘭」です。





それにしても、温室の維持管理といい、
花の取り揃えといい
お金はかかっているようだ。

さすがは「大阪府立」。懐が深い。

市町村じゃなかなかこうはいかんだろうて。

松井さん、ここはなくさんとってや~。

温室を出てからもなおもウロウロし、
ネコヤナギやワスレナグサを撮影して、
2時間あまりを過ごしてここを退散した。

相変わらず登りは辛い。

外環に出て、滝畑のトンネルを命がけで走り、
和泉から帰宅。

やはり遠乗りはロードやねえ。

オジチャリ2号はやはり街乗りがいいようです。