お堀を見ると、
左回り方向には見える範囲に
橋が架かっていません。
なので城跡に入るには
そこから右回りで城の周りを
まわっていく方がいいだろう
ということで
進んでいくことにしました。
しばらく歩いていきますと、
右側に「大本(おおもと)」の
施設が見えてきます。
全く勉強不足のdoironは、
ああ、ここがお城の管理を
しているところなのかと思い、
この辺りは管理のための
建物とかがあるのかな?
と思ってみていました。
するとこの辺りも城の名前を
「亀山城」と書いてあるではないですか。
ん?そうかあ、亀岡城は別名で
「亀山城」というのか。
ちょっと変やなあと思いつつも、
まあ何か歴史もあるのだろうから、
かえってまた調べようと
納得した次第です。
ではどこから入るのかなあ
と思っていると、
こんな案内看板がありました。
「大本・天恩郷(丹波亀山城址)」
と書かれて、この城の変遷が
ザーッと書かれてありました。
そして最後に受付申込みで
昔の城跡の一部が見学できます。
と書かれてあります。
ん?なんかここに書かれて
あることがよくわからんぞ。
この土地を大本が買って
整備した後、弾圧で没収され
また返還されて今に至っている
旨のことが書かれてあります。
しっかり読まなかったdoironは、
ああ、ここは「大本」が
管理しているんやなあ
程度に考えていたのです。
大本の駐車場と書かれた周りに、
受付らしきものは見えません。
ていうか、ここは宗教法人です
みたいに書かれてあります。
そうかあ宗教法人が借りていて、
受付じゃないのかなあ
とおもいつつ、
さらに城跡周りを
歩き続けていくことにしました。
それにしても市内の城跡に
宗教法人が絡んでいるって
変な話やなあとか思いながら
歩いていきますと、
お、この先に商店街があるようですね。
その名前も「H商店街」。
え?なにやら怪しげな本や、
変な映画館、商店街も
「ジダン商店」とか
へんなお店もあるのかな?
なんて笑ってしまいましたねえ。
あとで分かったのですが、
このHという商店街名は、
お店の並んでいる形が
「H」の字に似ているから
なんだそうです。
う~ん「亀岡城」を亀山城と呼ぶ
城跡といい、エッチな商店街名といい、
なんかこの町はあちこち歩いてきた
doironの感覚にはちょっと
合わないぞとか思ってしまいましたね。
城跡の周りは狭い道が
くねくねついていて、
歩くのもなんか感覚が
変になってきます。
でも、ほぼ一周歩いてきたところで、
周りに城跡見学の受付の
ようなものが見つかりません。
そのあたりで城跡の方を見てみると、
でっかい木と開いている
門のようなところが見えます。
「あ、そうかあ。中に入って
回っていくと受付があるのかあ」
と思い入っていくことにしました。
見えていたでかい木は、
「亀岡の名木 エノキ」
と書かれています。
ふむふむ、これがエノキなら、
三月のドジ旅で横を通る予定の
古川の名木ももしかしたら
エノキかもしれんなあ、
などと思いつつ眺めました。
さらに城跡をじゃりじゃりと
石を踏みつけながら
歩き続けていると、
う~ん、あちこちの掲示板に
関係者以外は入場禁止とあります。
あれ~、じゃここを歩いている
doironは進入禁止人物?
なんか周りに人も全くいないし、
もしかしたら頭に△の布を巻き
ろうそくを刺した人間が
どわーと走ってきて
「ぶしつけ者めー」とかいって
捕まえに来たりしてね
という雰囲気が漂い始めました。
敷地内に生えている松の木に、
こっそり防犯カメラがついていて、
集中管理室からdoironを
見回っているかもしれません。
立ちしょんもできないぞと
警戒しながら歩き始めた
doironなのでした。
続く
人口規模が、京都市、
宇治市に続いて京都府内で
3番目がこの亀岡市。
といっても人口は88000人と
泉O津市より1万人多いくらい。
面積なんて20倍くらいあるのにね。
まあ大体多くの家が
駅の近くにある。
昔の住宅街がその辺やね。
今日はそのあたりを中心に
回ってみて街の雰囲気を
まず味わってみよう
という歩きをしようと思っている。
車で市内に入ってきて
まず探すのが駐車場だ。
金額的に安く、目的地を
歩くのに都合良さそうな
ところを物色して
決めていかないといけない。
このときもあっちこっちと
市内をごちゃごちゃ走って
駐車場を探したのだが、
なんかこれというところがない。
大体地図も道が曲がりくねって
ややこしく、ここがどの辺
というのもよくわからないまま
ウロウロしたのだがね。
結局仕方ないのでまず
大型商業施設イオンの
駐車場に入れてみた。
料金はというと、え~っとここだ
と2時間はただで、
その後1時間ごと100円
という料金だ。
うん、まあ安いし、ここだと
城跡のすぐ近くだ。
それに時間がうまく合えば
ここで飯でも食ったり
買い物すれば、さらに
1時間は無料のようだし、
駐車はここでいいかって感じやね。
そこは店舗に併設した
駐車場だけの建物で、
5階に車を止めて外を見てみると、
なかなか景色も良いではないか。
街中から少し出たくらいのところから、
田舎の景色が広がっているようだ。
グルグル回って移動して
店内に入っていくと、
あれ?方向感覚が
おかしくなってしまったな。
さっき動き回った市内の
方角もよくわからなくなったので、
その辺の店舗のおばさんに
「城跡の方に行きたいのですが、
こっちから出たらいいですか」
と聞くと
「え?城跡にいくんですか」
とちょっと不思議そうな
顔をしはります。
芸能人に見えたのでしょうか、
それとも変な写真マニア?
ちなみにこの時のdoironの格好は、
ショルダーを下げ、むねにカメラ、
頭にニット帽を載せた
いかにもおっさん風でしたので、
ああ観光かとわかる筈なんですがねえ。
するとおばさんはていねいに
店舗の中から出てきて、
「こちらの出口から出て
まっすぐ行くと広い道に出て、
そこの信号を渡ると
堀がありますからすぐにわかるでしょう。」
と説明してくれた。
「え?じゃあ入り口はどこに?」
と聞こうと思ったのですが、
おばさんの顔がなんかあまりにも真剣です。
逆になんかちょっと
こちらを警戒した風でした。
ん?と思いつつ、はあ、
そうやねえ堀があったらわかるよねえ
と思いながら、
「ありがとう」とお礼を言い出ていきます。
なんか道案内にしたら
不愛想やけど、ていねいは
ていねいだったですね。
ではここから歩くぞと
doironは出発です。
お店でナビを入れて、
歩きはじめます。
まず最初は城跡に向かいましょう。
この日のお天気は、
おおむね晴れで風もあまりなく
いい感じでしたね。
しばらく南向いて進んでいきます。
城跡の周りに出ていくと、
確かにここには商店のおばちゃんが
言ってたみたいに堀があります。
え~っと、入り口はどこかな?
と思って地図を見てみたのですが、
道路地図も歩きの地図も
ここが入り口みたいなことは
書いていません。
あれ~、どう回ればいいかなあ。
まあ一周しても知れてるから
回っていきましょう。
堀の水は、表面が半分凍っています。
周りが山なので、
この辺りは冷えるんでしょうねえ。
あ、ここになにか案内が
立っていますよ。
ここが「丹波亀山城保津門跡」だって。
どれどれ、え~この城の周りには
5つの出入り口があるんですか。
ふ~ん。でもちょっと待てよ。
ここは亀岡ですよねえ。
でも掲示板に書かれた城の名前は
「亀岡城」ではなく
「亀山城」ですよ。
印刷ミス?
続く
正月の歩きに
どこに行こうかなあと考えていた。
資料は色々あるのだが、
最近ちょっと気になるのが
亀岡市だ。
ここがセーフコミュニティの
認証をとっている市ということで、
耳によくする市名だったので
気になっていた。
日本国内の自治体で
どこよりも早く認証を
とっておられるこの市に、
昨年は一度視察に行ってみよう
ということで、
市役所からバスも出してくれたのだが、
それはちょっとかたくるしいなあと、
doironは遠慮したことがある。
そんなバスで視察に行くというよりは、
まったく歩き人として
この町はどんなところなんだろう
とそんな目で一度見てみたいなあ
という思いを強く抱いていたのだ。
で、すこしネットや資料で、
この町のことをのぞいてみたのだが、
なんかもう一つ町のことが
よくわからない。
旧商店街なんかもあるようだが、
それをばんばん売り出して
いるわけではないし、
駅の近くに城跡があるというのに、
観光案内なんかでも
そこのことがあまり
書かれていないのだ。
また歩きの資料では、
そんな市内地を歩き回るのではなく、
なんか町はずれのお寺や
神社なんかをよく取り入れられて
コースづくりをしている。
これはなんかおかしい。
きっとこの町のことに
うっすらベールをかけているような
情報には、何か原因が
あるに違いないと
歩きdoironの心が騒いでいたのだ。
なので近々そんな郊外の
歩きコースを訪ねて
歩きに行くつもりをしているのだが、
その前に一度市内を歩いて、
どんな町なのか、
ちょっと見ておこうと思い立ち、
予行演習的に車で出かけて
みることにしたのだ。
この町に行くには、
名神高速を昔は通っていったのだが、
大阪市内の渋滞とかが
やっぱり気になるので、
今は近畿自動車道から
第二阪和、京滋バイパスを経て
京都縦貫自動車道という
コースが距離的にも近くよさそうだ。
その方向で車を走らせていった。
この道路はねえ、
あまり休憩場所もないので
途中必ず京田辺パーキングによって
トイレを済ませていくのだが、
近頃は車のナビも
そういう学習をして
必ず立ち寄らせようと
案内してくるな。
あっ、このナビにも少し
AIが入っているのだろうか。
中国道を移動するときも、
このナビは必ず西宮名塩の
サービスエリアに入れようとするしね。
そこからしばらく走って、
ちょっと思いつくこともあり
高速ではない一般道を走ることにした。
大体この辺りは、
都が奈良から京都へ移るまでの
数年間都だったところである。
最初はこの高速を通っていくのが
早くていいだろうと
思っていたのですがね、
運転しながら信長のいる
本能寺を責めた明智光秀が
京都と行き来したところだ
何て考えてると、
その道はどんなところなのかな
あとか思い始めてしまったのだ。
そこで国道9号線で
老いの坂峠を越えていくことにした。
峠近くはでっかいトラックも
結構走っていて山の中の
谷筋を進んでいくのだが、
その道がちょっと
暗い感じがしたなあ。
あまり通りたくない道だな
と思っていたら後でネットを見てみると、
この辺りは京都の心霊スポット
としても有名なところがあるそうです。
首塚とかモーテルの廃屋跡とかね。
そう、何となくそんな雰囲気が
しましたねえ。
実はこの辺は山陰道といわれる
昔の街道が通っているそうです。
だから、あれれこの辺は
面白そうやなあとか言って
山道を入って行ったりしたら、
そんな心霊スポットに
ついたりしたみたいですね。
ああ、ウロウロするのが
好きな人間じゃなくて
よかったです(だ、だれがやあ~)。
そうして走り続けていくと
やがて道はちょっとした
町の中に入ってきます。
そうここが、人口規模など
京都で3番目の都市
「亀岡市」
です。やっと到着。
続く
先日、朝からミセスが、
久しぶりに御坊の実家に
行ってみようかといい始めました。
今はその実家を新たな人が
借りて住んでくれているので
その様子見に行くというのです。
「え~寒いよ」とか言いつつ
若干抵抗しましたが、幸いその日は
doironも自治会の集金が
夕方に一件あるだけなので、
「すぐに帰ってくるからいけるよ」
という声におされてしまいました。
まあ、大家として全く知らん顔もできないから
定期的には行こうと思っているので、
まあ今日の予定は急だけど
それでいいかと納得し、
朝の用事を終えて、午前8時半頃に
車で家を出ました。
まずは岸和田の阪和道を目指していきます。
朝なので混んでるかもしれないと、
和泉の裏道を走らせていきますと
信号待ちのときに、
道の横の溝をみると、
どうも凍っているようです。
え~もし山ごえの時なんか
凍っていたりしたらいやだなあ、
とか思いつつ念のために
ミセスに携帯で天気予報を
見てみてよと指示です。
すると、うわー通過する場所でも
これから雪が降るかもしれないよ
と予報を見て驚いてます。
この日はdoironの四駆ではなく
ミセスの軽自動車です。
もし雪でも降られたら
山越えは行けるのでしょうか。
高速に乗るまでの間に、
ミセスと「う~ん、何もこの
寒そうなときに行かなくていいか」
と話し合い、結局御坊行きは
急遽中止となったのです。
とはいえ、もうかなり山の方に
上がってきているので、
こちら方面の用事があれば
済ませようとして考え付いたのが、
ずっとお世話になっていた
若樫の不動さん参りです。
まあ、平均したら月一くらいで
行ってるかなあ。
昔からバイク練習の時に
いつも手を合わせており、
いろんなことで助けていただいた
神様です。
命も二回ほど助けてもらったしね
そういえば新年になって
まだ行ってなかったので、
そこへお参りに行きましょう
ということになりました。
いっそう山の中へ入っていきますと
途中、通りかかった池なんかは
みんな凍っていて、
その上に雪が積って真っ白です。
ああ、平地ではやっぱり気の付かない
低温情報は山手ではくっきり
見られますねえ。
御坊に行かなかったのは
正解だったかもしれません。
いくつもこえる峠道もあるし
なんかひやひやしながら
運転しないといけないからね。
「いやあ、携帯の天気予報が役に立ったねえ」と
お参りを終えて帰りの車で話をしていたら、
ちょうどこの機会に気になっていた
携帯電話のことを思い出しました。
携帯のバッテリーの件、
契約の件、カードの件など
確認したいことがいくつかあるので、
せっかく時間もできたので、
不動さんからの帰り道に
電話屋さんに寄ろうということになりました。
詳しい話は置いといて、
結局その訪問のおかげで
電話代が月500円安くなり、
カードにたまっていたポイントで
お米の配送を無料でゲットし、
バッテリー交換の件も
ちゃんと確認できましたよ。
ひとつ御坊に行けなかったおかげで、
携帯の用事が3つも一気に済んだんで
よかったよかったですな。
それにまだおまけもあって、
家にたどり着いたとたんに
セーフコミュニティの
関係で大事な連絡が
家の電話にあり、それが無事に
すんだと思ったら今度は宅急便が届き、
そのあと金融機関の人がやってきて
年金手続きの関係で
いい話を聞かせていただきと
もしいてなかったらできなかった
用事があっという間に片付きましたね。
低温のせいで御坊に
いけなかったおかげで、
別の用事がパパーと片付くという感じ。
これは今日の星占いが
とてもよかったのかもしれませんね。
そうそうこれらの用事のほかに
前から買いたいと思っていたものも
お店で見つけて買えた
というラッキーもありましたよ。
その話もちょっとした優れものなので、
これは勿体つけて、また別の機会に
このブログで紹介することにしましょう。
寒さのおかげでいろんな用事が
いっきに片付いたという
ラッキーなお話でした。
今日はこれでおしまい
まあ、実際には豆なんかを
つぶす機械もあるし、
豆つぶし専用の「豆ミンサー」
なんていうのもあるのですが、
ここはやはり味噌手作りの
醍醐味のシーンとなりますので、
自分の感覚を頼りに
しっかりと砕いていくことが必要ですね。
うどんを打つ時よりも足元に寄せる
神経は細かいです。
とはいえねえ、いくつか豆が
つぶれずに残るようなことが
あっても大丈夫ですよ。
それなりに、ちゃんとみそ味に
なっていきますし、
この先の麹との混ぜ込みシーンで
また少しずつ指でつぶしていく
という補助作業もできますしね。
まあいつもより頑張って
砕いていったみそ豆ペーストがこれです。
う~ん大豆のいい匂いがしますねえ。
さて、今度はこれに、
塩・麹を混ぜていきます。
味噌ペーストに塩をまぶして
麹も入れていくという
わけではありませんよ。
あらかじめ、塩と麹を混ぜておくのです。
作業をする容器の中に麹を開けます。
なかには麹もくっついたり
しているのでさばきつつ
広げていきます。
そこに塩を少しずつ混ぜていき、
刷り込んでいきます。
まあ、そんなに大した作業では
ないので味噌ペーストが
できてからの作業でいいでしょう。
あ、塩はこの時点で少し
残しておいてくださいね。
そうしてできた麹の上に、
ペーストを挙げていきます。
ちょっと大きな容器で
作業をするのがいいでしょう。
doiron家ではもちを入れる
「こうじぶた」を使います。
あれ?この箱にも「麹」の
名前がついてますねえ。
何か関係あるのかなと思ったら、
これは日本酒製造時の麹関係の
作業に使うようでした。
麹の上にまかれたペーストと
麹の混ぜ合わせ作業をしていきます。
これがねえ、結構繊細で
手間がかかるのです。
まぜこぜしながらミセスに、
「この作業のことをなんていうか知ってるか」
と聞いてみたら
「特別な名前があるの?」
と聞いてきはりました。
「これはねえ味噌づくりの人たちが
専門的に
『麹中(こうじちゅう)』
ていうんやで」と教えてやると、
「ふん」と知らん顔されました。
へへへと言いながら混ぜていくと、
ちょっと全体が固くなってきましたねえ。
こうなると混ざりにくいのですが、
ここで出てくるのが、
豆を煮たときに残ってきた湯です。
これをおたまですくいながら、
少しずつかけていきます。
この時は2杯半ほどかけたかな。
そうするといい感じの
硬さになってきました。
何度も何度もこねこねして
ようやく混ざったかなあ
と思ってきたら、
豆団子を作っていきます。
パウダーの中の空気なんかを
抜くためです。
ギュギュっと握って、
この時は15個ほどの団子になりました。
さあではこれを、熟成用の容器に
ひとつづつ詰め込んでいきます。
そのときにはできるだけ
空気が入らないように、
そこからぎゅぎゅぎゅと詰めていくのです。
周りから状態を見ながら
どんどん作業を進めていって、
全部が入ったらさっき残してあった
塩を表面にかけて完成です。
いわゆるカビよけですね。
こうしてできたのと、
昨年作った味噌の残りを比べてみると、
こんな感じですねえ。
ラップをかけてその上に
重しを置いたら、
ようやく仕込みは終わりです。
6月くらいに上下入れ替える
「天地返し」をして、
10月くらいに完成かなあ。
とつきとうか。
まるで子どもの妊娠みたいな
感じですなあ。
台所の床下収納で
すくすく育ってくださいよ。
こういう成長過程をたまに見るのも
この味噌づくりの楽しみの
ひとつですもんね。
そうしておいしそうに出来上がったら、
また今年もこんな味噌ラベルを
作ってはってあげることにしましょう。
ということで今年の味噌づくりは
おしまいで~す。
さあてどんな味噌にそだつかなあ
自分で作ったみそは本当にうまい。
作るときには豆の煮方や
その豆のつぶし方なんかには
力を注ぐが、熟成はもう
酵母の自然力任せで
放置しておくだけである。
そんな作り方の豆なので
doironは自分の豆に麹にすべて任せた
「マルナゲ味噌」という名前を付けたのだが、
今年もそんなマルナゲの
味噌づくり第3弾を決行したのだ。
豆は年末に青空市場で
昨年と同じものを1キロ買っておいた。
なにせ、昨年のお味噌が
あまりにうまかったので、
その時の材料や作り方に
できるだけ合わせることにしたのでね。
そして麹も、製粉もしている
米屋さんで購入だ。
昨年、ここで麹を買った時に
店員さんが「自分で作ったみそは
信じられないくらいうまいねえ」
とかいろいろと話をしてくれた。
今年はというと
「手作りドレッシングのつくり方」
なんかを説明してくれたね。
どうもゴマ油がどうのこうの、
酢がどうのこうのとかいってたが、
う~んあまりちゃんと覚えていない。
なにせ味噌汁を主に作る
ためだったのでね。
とにかく麹一キロを買って帰った。
ところがねえ、帰りに近所の
スーパーに行ってビックリ!
同じ麹がなんと半分以下の
値段で売られてるではないですか。
しかも国産の麹だ。
ショックだあ。
まあこの辺は味噌の味や
出来具合(カビの状況)などに
大きな影響のある部分だから
慎重にならざるを得ないけど、
値段がこれだけ安いというのは
めちゃ魅力で、それで
おいしかったら最高じゃんねえ。
来年からはここの麹も忘れないでおこう。
で、ホントは何でも手作りで
というのなら、麹もお米と種麹菌から
作るというのも考えられるのですが、
まあそこまでは勘弁してやってください。
さあ、では味噌づくり開始です。
用意するのは、大豆1キロ、
乾燥麹1キロ、塩550gです。
そしてミセスがdoironの
予定を聞いてきます。
というのもその味噌づくりの
前日から豆をかなりの量の
水につけておく必要があるからです。
そう大体豆の量の3倍くらいの
水につけておきます。
そうしないと豆はミズをすって
大きくなるからです。
なのでこれを18時間くらい
つけておくのが望ましいそうです。
予定に合わせて前日から
一晩寝かしておいて、さあ当日です。
大きく膨れた豆を今度は
水を変えて煮始めます。
この時の水の量はひたひた位でいいそうです。
三時間ほどあくをとりながら
弱火で煮ていきます。
そうして出来上がった豆を、
まあ手で砕くので
やけどしない程度まで冷やし、
それを厚みのあるビニール袋に
入れていきます。
あ、この時にねえ豆を煮た汁は
捨ててはいけませんよ。
あとで若干使いますので
おいておきましょう。
味噌を作り始めたころはねえ、
少しずつすり鉢に入れて
つぶしていったんやけど、
それはあまりにも効率が悪い。
そこで今回はこうして厚手の
ビニールに入れた豆を、
そばうち用の棒でこんな風に
抑えて砕き始めます。
何度か袋を動かして豆を移動させながら、
全体が棒でだいたい
押しつぶされたところで、
今度は足でさらに押しつぶしていきます。
こんな感じでね。
ただしふみ加減はよく考えてね。
袋に変な圧力がかかると、
厚手のビニール袋も
ぱちんと敗れてしまうからね。
そうして足で踏んでるとねえ、
中にはつぶれていない豆も
あったりして、あの梱包用の
ビニールパッチをプチプチ
つぶしていくときに似た快感に襲われます。
この感触は面白いですねえ。
前回はかなりの手間をかけて
つぶしたつもりだったのですが、
実際に味噌になったころには、
全く丸まま残っているような
豆も入っていたもんね。
つぶれたつもりでも、
くちゃくちゃの豆にくるまれて
かくれいているような場合も
多いようですから、
この足ふみで神経をとがらしながら
踏んでいきましょう。
続く
地元の村には「老人会」があり、
満60歳からそのメンバーに
入ることができる。
これがねえ、メンバーが足りなくて
なかなか役員になるものが少ないので、
doironが59歳の時から
年齢を間違えて勧誘に
来たことがあるのだよ。
その時は
「いやあ、まだ60歳じゃないですよ」
と断ると、
「あ、そうなん?これは失礼こきました」
と誘いに来た方はバツの悪そうな
顔をして去っていったのです。
そしてそれから1年がたち、
doironはついに押し切られて
老人会のメンバーに入りました。
でもねえ、老人会の新年会や
催し物には参加してなかったんです。
まだみんなと麻雀とかして
あそぶくらいならいいけど
村の長老達の声や態度を気にしながら
へいこらと遊ぶ老人会的な
雰囲気は持ちたくないぞ~と思ってね。
ところが周りの同級生や
少し年上の幼馴染たちが
知らないうちに加入していて、
彼らが普段の飲み会のわくもこえて
老人会の飲み会なんかにも
参加しーやと常々いってきよるのです。
村の長老のおっさんたちと飲むんですよ。
これはどうなんやろって感じですね。
で、2018年の今年になってからも
新年の食事会というのがあるというので、
これへの参加も
はげしく言われていたのです。
特に同級生は俺も始めていくから
一緒に行こうぜと誘ってきよるんです。
ああ、もうこうなっては
年貢の納め時かと覚悟を決め
参加することにしました。
今回行くのは、
ホテルキララリゾート
という施設です。
地元の公民館前まで
バスが来てくれますので、
楽に参加できる仕組みです。
指定の時間に公民館前までいくと、
すでにバスが来ており、
その横で名簿と照合してはります。
そこには麻雀仲間や酒飲み仲間も
集合しているようです。
じゃあ、バスに乗ろかあ
となったのですが、
同級生がまだ来ていないよと
doironがいうと、な、なんと
その友達は風邪っぽいので休むとのこと。
ウヒャー、やられてしまいました。
doironももうここまで来て
やっぱりやめるわともいえないので、
しぶしぶ参加です。
この日の参加は全部で35人。
2台のマイクロバスに分乗して出発です。
え~、わが町は道が狭いので、
マイクロバスでも
運転はむつかしいですねえ。
でもこの時のバスの運ちゃんは、
運転がうまいというかなんて言うか、
恐ろしいスピードで町内を
突っ切っていきます。
ウヒャー、酒を飲んで帰りも
こんな運転だったら酔いもさめるぞ
という感じですなあ。
現場の部屋の高さは20階です。
あれ?なんかこの部屋おぼえがあるぞ
と思ったら、昨年に中学校の同窓会で
来たところでした。
町の中もよく見えますねえ。
doironの豪邸も
みえているかもしれませんし、
海の方もこんな感じで
見ることができます。
正面の黄色い橋は緑道の橋ですねえ。
ああ、あそこを一体どれくらい
走ったのやろかあ。
会長さんの挨拶から始まり、
最年長の人の乾杯で
宴会が始まります。
自分を含めて
おっさん連中は日本酒、焼酎、
ビールとちゃんぽん模様です。
長老たちがよろしくね~とか
いいながらお酒を持って回りますが
わしらの年代から行くことはありません。
飲み放題ですから飲む方に遠慮がないのです。
ウヒャーとか言いながら飲んでますが
しかし実はdoironには
この新年会の跡に、
夜にもう一つ、友達との
飲み会が待っていましたので
お酒はそこそこにしておきました。
わいわいと身内年代で話をして
約2時間後くらいだったでしょうか。
「さあみなさん、お楽しみのところなんですが、
いまから抽選会を行います」と
案内がありました。
くじを持った人が、回ってきます。
そしてdoiron達のテーブルで
番号札を配ります。
「ええ~と、doironはこの番号ね。」
「おお~あたりです」といいつつ、
現金1000円入りの封筒が渡されました。
ウヒャーいいことですねえ。
当りは年金賞ですねえ。
でもねえ、残念ながら
一等の米ではありませんでしたがね。
まあ、そんな風に村の高齢者たちと
なんとかさし障りなく楽しんだ新年会でした。
帰りのバスはというと、
広い臨海道を通って帰ったので、
運転も気にならず
のんびりと帰りましたよ。
ビール、日本酒、チューハイと
ちゃんぽんしたので肝臓を休め、
さあではもっと楽しみの次の宴会だーと、
夜の宴会に備えるdoironなのでした。
でもねえ注意しないといけないのは
痛風とミセスの目ですな。
足に痛みは出ないだろうか
そして
こうして宴会が忙しい忙しいと
いってるそんなdoironに
むけられたミセスの目は冷ややかでは
ないだろうか。
ああ、このへんはやはり注意しないとにゃあ
さあ、緑道はまだ続きますよ。
緑道は大阪の重要幹線のJR、
阪神電車、阪神高速などの下を
トンネルでくぐっていきます。
途中こんな「自然浴さんぽ路」
なんて公園もあります。
複数人で歩いているから、
こんなところでは休憩です。
ヒャー、ここのイボイボは
痛いなあ。
それにしてもこの緑道は
きれいに整備されていますねえ。
管理をしている人たちが
熱心なんですかねえ。
施設はまあもう40年も
たっているから古いけど、
ごみなんかも少なく、
地域の人に愛されていますねえ。
この歌島橋の近くには
でっかい餃子の王将がありますよ。
ジダンは知ってるかな
とかおもいながら
写真を撮っていたら、
歩き始める前から気になっていた
「中島大水道跡碑」
の写真を撮り忘れてしまいました。
ネットで探ってみると、
こんな感じだそうです。
では中島大水道とは何なのか。
新大阪駅の近くの
北中島あたりは治水が悪く、
大排水路作成を幕府に
申し出ていたそうです。
その間いろんなことがあり
結局その許可が下りなかった
そうでしたが、
それをみかねた3庄屋が
大水路を作り、最後に
江戸向いて自決したそうです。
結果幕府も二年間補助金を
出し完成させたそうです。
全長9.2kmの大水路は
後に埋め立てられましたが、
今も石碑が建てられ、
その一つがこの緑道に
あるんだそうです。
ああ~撮影しなくて
あほなことをしましたが、
この大水道にそっての
コースもわかっているようなので、
今度はこの水道跡を
歩いてみようかなと思っています。
写真はその時に撮影しましょう。
ああ、そうかあこのメンバーで
来年の忘年会でもいいかなあ。
最後に「みの橋」をくぐって、
こんな地域住民の休憩所なんかに
微笑みながら、御幣島辺りに来たら、
この緑道の最終点である
ところにたどり着きました。
これで全長約4キロを
歩き終わりましたね。
お疲れさまでした。
さあ、ではここから忘年会の
会場である「十三」を目指しましょう。
歩道をこの辺は大阪市内でも
田舎な感じやなあ
とへらへら言いながら
歩いていきますと、
「もといまロード」という
商店街に入っていきます。
普通に歩いていたら、
こんなコロッケや
一銭焼きで昼食でもいいのですが、
きょうは忘年会です。
あの十三駅前の小便横丁あたりを
うろつきながら、
いいお店を探しましょう。
以前、そのあたりを歩いていた時に、
歓楽街関連の商店案内所に
目つきのするどい若い案内人がいて、
「まるでゴルゴ十三」やと
思った話なんかをみんなに
披露していると、
実際そんな案内所の前を通ったときに、
そんな若い人がいて、
横で笑うのは悪いので、
しばらく離れたところで
大笑いしましたなあ。
そして駅前のこんな
見返りトミー君は季節柄、
サンタクロースの服を
着てはりましたよ。
さて、ではどこの店にしようかと、
駅前商店街を歩き回りました。
「ヘルシーなのがいいな」
とか
「十三らしいのがいいなあ」
などといいながら店を物色ですが、
結局選んだのが
doironさんの忘年会ということで、
ここの名前がピタリでしょう
と決まったのが
「どたぬき」
というお店でした。
店の前の案内でも、
様々なメニューが載っています。
ああ、ここがいいぞと
入ることにしました。
doironにしてみれば、
ここが2017年の
忘年会の閉めですね。
7回目の忘年会でした。
ここのことは、
年末のブログにも書きましたが、
頼んだ料理の出てくるのが
ハヤイいこと。
トンペイ焼きなんか
あっという間に出てきましたしね。
まるで、運動してきた我々の姿を見て、
注文を予測していたか
と思うほどの速さでした。
ほかにも居酒屋メニュー
たっぷりで楽しい時間をすごしたら、
勘定がひとり2000円以内と
これもまた超驚きでした。
こんなコースを歩き、
「さあ、来年も歩こうぜ~」
と誓いながら、
2017年を締めくくった
我々なのでした。
おしまい
「災害は忘れたころにやってくる」
と書かれた碑は、
これまで十三大橋南詰めや
大阪市内の大川沿いでも
見ましたねえ。
大阪市はこういうのが
好きなんですねえ。
阪神電車の下をくぐり、
進んでいきますと
やはり道はこんな風に
きれいに整備されています。
ああ、やっぱりここにも
こんなコース設定がありますねえ。
この緑道に入った時から、
ここはランの練習にちょうど良いなあ
と思っていたのですが、やっぱりね。
距離は短いけど、
近所の人には手軽な練習コースですねえ。
この近くに、大野町ランニングロードの
説明版がありましたよ。
どれどれ。
ああ、距離は1400m、1500m、
1600m、1700mあるそうですねえ。
ん?中途半端な距離わけですねえ。
1400mの次は2900mでも
よかったんじゃないですか?
なんか距離の分け方が
固まりすぎてますねえ。
お?掲示板の下の方に
こんなことが書かれてあるよ。
一日3km歩き続けると、
京都まで13日、名古屋まで40日、
東京まで7か月だそうです。
おお~シャンシャンちゃんには
7か月で会いに行けますねえ。
大人になっているかも。
ハワイまでは6年。
サンフランシスコだと
10年かかりますよ。
トランプちゃんも認知症に
なってるかもしれません。
そして、ここにはこんな
看板も立っていますよ。
トイレなんかの案内が
ありがたいですねえ。
でもさあ、電話なんか
ほんとにあるのかなあ。
ちょっと疑問ですねえ。
え~っと、ここには
西淀川の清掃工場がありましたねえ。
だからそこに接している
エルモ西淀川には、
その工場の余熱を利用した
プールもあるそうですよ。
あ、それからこんな看板も
よく立っていますねえ。
こういう公園には
必ずありますよねえ。
たまには
「遊びまわってるおじさんを
捨てないでください」くらい
書いてあったら面白いんやけどなあ。
さて、この辺りがdoironが
大和田街道を歩いていた昨年夏に
はじめて緑道の存在を
知ったところです。
そう、前の橋が「大島橋」ですね。
この日は午後から活動を始めたので、
太陽の角度がいつもより
低くなっていますので、
写真は気を付けないと
こんな風に暗くなってしまいますねえ。
ちゃんとここは明るく
加工しておきましょう。
デジカメだからこんな加工は
簡単ですねえ。
こんな風にいくらでも
いじるのが可能ですから、
写真コンテストなんか
どうなるんでしょうねえ、
とクリエイターは叫ぶわけです。
で、この橋の上から写真を
昔取ったのがこれです。
この時もただ単に道路の下に
短い遊歩道があるだけなんやなあ
と思っていたのですがねえ、
調べてみたら長い緑道でしたねえ。
そこを歩くのをすでに経験した
仲間の案内でここを
今回は歩いていますよ。
え~、その歩き仲間なんですが
まだまだブログなんかに
乗せられるのは困るなあ
といわれるので、
写真は避けていますので
よろしくです。
少しずつ理解してもらって行きましょう。
そこの階段を使って
上に上がっていくと、
確かにそこには
大和田街道の標識
がありました。
あれをあるいたのは
暑い時期だったなあ。
あ、ここにはこんな太い木が
ありました。
樹齢で100年くらいたってそうですねえ。
そしてそんなでかい木には、
こんな鳥小屋がつけられていたりします。
そうそう、確かにこの緑道は
鳥がたくさんいますねえ。
2~3m先に、上から鳥の糞が
落ちてきているのを
先ほど確認しましたねえ。
ウヒャー、それは大変です。
たくさんの鳥がたまっていそうなところは
頭上に注意しないとねえ。
歩いている最中に、
まだ頭から糞を落とされたことは
ありませんが、
そんな日も近いかも。
そうなったら、
ウンがついたということで
宝くじを買いましょう。
続く。
大野川緑陰道路
(以下「緑道」という)に
入っていくと、
おお~これが、いいのかわるいのか
知らないけれど、
こんなノルディックウォークの
看板やウォーキングの看板が
立っています。
この緑道を愛し、
この緑道でしっかり健康管理
なんて人も多いんでしょうねえ。
なにせ西淀川区民の宝なんやもんねえ。
地元の人々が気持ちよく
利用しているんでしょう。
で、木も多く立っていますねえ。
巨木はないかなと思いましたが、
まだオープンして40年の緑道ですから、
なかなかそんな木はありません。
途中で太いのを見かけたら
報告しましょう。
緑道の中はもちろん車は通れません。
道はどうなっているかというと、
歩行者専用道と自転車専用道に
きちんと分けられています。
一般には、歩行者が茶で、
自転車が青かアスファルト色に
塗り分けさせられているようで、
皆さんきちんとルールを守り
歩道を自転車が走って来たり、
自転車道を歩く人も
いませんでしたね。
そしてこれらの道を
むすぶ道は猫道と活用されている・・・
わけではありませんな。
ルールをきちんと守る人々に比べ、
ここの猫はちょっと
目つきがするどすぎるかもですな。
こういった道の使い方は、
交通標識でも表れています。
ほれ、ここに道路交通標識が
上がっています。
あれ~?
でも待てよ。
なんか人の絵がおかしいです。
よく見たら頭の形がいびつな
宇宙人が人間の女の子を
無理やり引っ張っているように
見えますよ。
こんな絵やったっけ、
と思って帰宅してから
調べてみたら、
こんな絵もありました。
これだとまあ普通のおじさんが
子供を引っ張てる感じですね。
日本ではおじさんが女の子を
連れているように
なっているのが
この標識なんですねえ。
でもなんかこの絵だと
ほんとに誘拐犯みたいな
絵ですよねえ。
だからこれをごまかすために、
ちょっと女の人風に見せたり、
挙句の果てにさっきの
宇宙人みたいな絵に
なるんでしょうかねえ。
何でもいいならこんな絵じゃなくて、
もっと火星人が子供を連れて
いるような絵でもいいのにねえ。
でもそうはいかないんですよね。
この看板は規制対象の標識ですから、
公安委員会の認可を
もらったものしか
掲示できないそうです。
なのでむりやり性別の
よくわからないような
こんな姿になったり
するんでしょうねえ。
ちなみにドイツでは
おじさんが女の子を
連れまわしているように
見えるのがいけないと、
こんな風に女性が
描かれたりしているそうです。
え~おじさんはいけない人で
女性はいいのかあというおっさんの声も
聞こえてきそうですが・・・
歩いていくと、神社の近くには
「住吉神社」があります。
この後の地図から見ても、
この緑道の近くには
3つの住吉神社があるようです。
海の神、航海の神をまつる神社が
こうして多いのはやはり
淀川から大阪湾にかかる
水運が盛んだったからでしょうねえ。
ちなみに「住吉」はもともと
「すみのえ」と読んでいたそうです。
「吉」の字を「え」と読んでね。
なので住吉は、
「すみのえ」であり、
水の澄んだ入り江を表すそうですねえ。
公害問題に対して高い関心を持つ
この都会の地域でも、
現場の神社やお寺の様子を見れば
人々の豊かな暮らしの底が
見えてきたりするもんですねえ。
道は間もなく、ここへ向かってきた
阪神電車のところにさしかかります。
どんなふうにあの広い道や
線路と交差してるのかなあ
と思ったら、どうも
地下トンネルで緑道は
つながっているようです。
あ、向こうの方の上空に
コンビニの看板が見えてますよ。
複数人で歩いているので、
こんなところでは
トイレ休憩は必要ですね。
順番に突入していきましょう。
この近くの植え込みの中に、
ちょっとした広場があるようなので
入っていくと、こんな石碑がありました。
忘れたころに・・・
あれ?こんな碑はほかでも何回か見たぞと続く