携帯を機種変更しました。
今度導入したのは
アイフォン12のミニです。
こういうやつ。
この携帯の特徴はというと、
第5世代移動通信システムを
使用しているという事です。
いわゆる5Gと言われるやつですね。
これまで使っていた4Gよりも、
通信速度で20倍違う
ということになります。
理論上は1分かかっていた
映像のダウンロードが
3秒という感じですね。
こんなすごい機械が手に入るなんて、
これは携帯を変えなくては
と思い立ったのです。
なあんていうのは嘘で、
実は今持っている携帯は
アイフォンのSEというやつで、
かれこれ4年間愛用をしていた奴です。
これがねえ、バッテリーの減りが
とても速いのです。
朝100%まで充電していても、
昼頃にふと気づいたら
残り1%なんていう、
もう笑わずにはおられない
というような状況でした。
通信速度が速くなったという
進化ではなくて、
バッテリーの減少量が遅くなった
という退化でこうなったわけですね。
でも、それだったらバッテリーを
変えたらええやんという事なんですが、
実はこのバッテリーの充電コードの
さしこみ口も下手ってきているのです。
充電コードをくねくねと
こじくりまわしながらさして、
充電状態になったら
そーっと置くというような
デリケートな扱いを
してやらないといけないのです。
それでも変な振動が与えられたら、
充電状態が切れるという
ありさまですから、
たいへん気を使います。
これはもう機種変更やなと、
急激に思い始めたのです。
じゃ最近の機種はと調べてみたら、
今はアイフォン12が
売られているとのことです。
先日ジム友が携帯の機種変をする
というので、実際にショップに
ついて行ってみてみると、
これがとても巨大なのです。
今使っているSEでも
大きくて困っているのに、
もうこの12の大きさは
小さなパソコンサイズだ。
これじゃちょっとなあ、
と思っていたら、そのアイフォン12に
ミニが出るというのです。
サイズを調べたら今使っている
SEに対して幅、高さで
各5㎜ずつくらい
大きいだけのようだ。
厚さも薄いようだ。
この携帯が間もなく売り出される
とその時に聞いたので、
その頃に実際にもう一度
見に行くことにしたのです。
ふらっと携帯ショップに入り、
機械を見ていると、
おっさん何しに来たん?
というような顔でショップ店員が
近づいてきます。
「新しい機種が出たそうなんで
見に来たんやけど」というと
「え~っとどの機種でしょうか」
「アイフォン12のミニやねん」
というと案内してくれました。
「あ~これこれ。
これに機種変をしたいんやけど」
というと「予約は?」と言われました。
まあそんな予約までは
まだしていないですね。
その機種のところにあった
看板をみると、この携帯には
色が結構あるようです。
見た感じはなんかフレンドリーな
ブルーかエコなグリーンがよさそうです。
それから携帯のメモリーも3機種あり、
まあ今回はその真ん中の
128GBがあれば十分でしょう。
そんな希望を抱きつつ、
機種の在庫状況を
その横にあった看板で見てみると、
ブルーの128GBだと
在庫があるようです。
前に友達の機種変について行って、
予約したら年内には
というような感じだったのですが、
これだったらすぐにでも
手に入りそうです。
「そしたらこのブルーの
128GBに機種変更するから、
今予約できる日にちは
いつくらいでしょうか。」
と聞いて調べてもらいました。
出てきた日にちと時間を見て、
予定のあいている直近の
日を選び予約することができました。
たのしみです。
たかが機種変更ですが
なおもブログは続きます。
海の方へと向かう途中、
何か曰くのありそうな石碑があります。
「養鱗殖介」と書かれてあり、
そこに犬養毅書とあります。
第29代総理大臣ですね。
裏の年代を見たらこの碑は
まだ総理大臣になる前に書いたようです。
対象は「松井水産翁」について作られています。
それは20歳で尾崎村の総代で
30歳で初代村長となられた方です。
地域の先駆者で、若い頭脳で
こんな田舎の漁村を
明るく元気にした人のようで、
社会的に大きな存在だったようですね。
若い首長は大きく地域を変えて
行ったりするんですね。
10年くらい前にdoironも
そんな経験があります。
そしてその先にあるのが
「尾崎神社」です。
京都の八坂神社から疫病の流行時に
分霊を受けて祀られたそうです。
明治49年からこの名前に
なったのですが、疫病の流行
なんて聞くと、今のコロナの
時代にピッタシの神社なんですねえ。
しっかりお参りもしてゆきましょう。
その先にあったのが、
本願寺尾崎別院です。
本願寺の争いの頃に
焼失したのですが、
尾崎の海に大木を積んだ船が難破し、
そこから木を取り出して
再建したそうで、何か聞いたことの
無いようないわれで地元では
「不思議の御坊」と言われているそうです。
さてコースは尾崎港のあたりに出てきます。
昔ランニングで岬ランをしたときは、
ここの漁港のところから
海のわきへと入っていくのでしたね。
今回はそんな漁港の対岸を
海の方に向かって進んでいきます。
こんな狭い道です。
海のところに出ると、
自然の海岸が広がっています。
そしてこのあたりで撮れる貝には
解読が含まれるので
注意の看板も張られていますよ。
でもいいですねえ。
ここはなんかとっても自然な
海岸線があります。
ああ以前はここの浜は
見逃してましたねえ。
ハマゴウの花が咲き、
それを保存していましたねえ。
水の流れは思いもよらぬ地形を作りますし、
海の水もきれいです。
あれ?あんな沖の独立したテトラポットで
釣りをしている人がいますよ。
船で送ってもらったりしたのかなあ。
海をそんな風に眺めつつ、
やがてコースは男里川の
河口に差しかかります。
川の対岸には泉南の
清掃工場が見えています。
そこから川をさかのぼっていくと
菟砥橋のところに出てきます。
これが昔のランニングコースの橋です。
ああここを曲がれば
あんなきれいな海沿いに
出ていたんですね。
当時は知らなかったです。
今日はその河川敷をさらに
まっすぐ進んでいきます。
南海電車の下をくぐったら
右折して尾崎の駅の方に向かいます。
昭和橋の先から尾崎の街中に
入っていくと、最後に寄ろう
と思っていた浪花酒造の前に出ます。
ここは大きな工場ですが、
一般道や駐車場なんかも
一緒になっていて、工場の中に
入っているのか道を歩いているのか
わかりにくかったです。
あれここまで入っていいのかなあ
と思っているうちに、
販売コーナーを見つけたので
入っていくと、ああいっぱいお酒が
並んでいますねえ。
ここで買うお酒は何がいいのか、
ジダンにリサーチしておくべきでしたねえ。
あまり日本酒と深い関係に
なったことがないので、
何がおいしいのかよくわかりません。
なので720mlの大吟醸を
二本買うことにしました。
こんな感じですね。
ああ、これで寒い夜に、
鍋をつつきながら飲む
お酒ができましたね。
日本酒とはもう少し深い関係に
なりましょう。
さあではこれで、今回の歩き旅は
終了です。
尾崎の駅から電車に乗り、
箱作の車のところまで戻ります。
最後に駐車場横の王将で
ラーメンをいただいて、
今回の旅を終えたdoironだったのでした。
浜街道を少し離れて、
海の横を通る道に出てゆきます。
途中に神社がありました。
「楫取神社」と書かれてあります。
看板には祭神とかは
書かれてありますが、
こんな名前の神社が
海の近くにと後で調べてみましたが、
詳細は不祥です。
でもねえこの神社の緑とかで、
船のかじを取ったりしたのかなあ。
そしてこのあたりの地名は
「波有手」といわれています。
なんて読むかわかりますか?
これは「ぼうで」と読みます。
ここでは西鳥取というよりも
地域のことを「ぼうで」と
呼んでいる人が多いようです。
かつては波有手(ハウテ)と言われ、
波太宮の波太から転じたものか
あるいは海岸の意味を含んでいるのか
とも言われています。
最近ではここに
「ぼうでの牡蠣小屋」が
週末に出されて、
ここで養殖されている牡蠣の
焼き牡蠣、カキフライ、
牡蠣飯が提供されて人気だそうで、
この漁業組合の建物の周りで
開催されるようです。
ぼうでにはやぐらもあります。
先代の櫓は指出森神社にあった
やぐらを買ったものでしたが、
平成2年に新調されたやぐらが
ここに納められています。
で、そのやぐら小屋の
そばにあったのが「善六の碑」です。
昔、秀吉は小田原の
北条氏政・氏直父子を攻め、
降伏させました。
その攻撃では、波有手村の
水主である善六が従軍して
戦死しており、恩賞として
これ以降、浦役銭1貫と
水主1人を減免したということで、
この功をたたえ、
元文4(1739)年、波有手村に
この碑が建てられました。
それがこれです。
すぐ近くを走っていたのになあ、
こんなに近くまで行って
確認したことはなかったですね。
そんなぼうでをまた
牡蠣小屋なんかに来たいなあ
と思いつつ、コースは再び
浜街道へと戻ってゆきます。
迷路のような道を抜け、
街道に再び出ます。
阪南市のマンふたは
市の木「松」と市の花「さつき」を
波の下にあしらい、
真ん中には「阪南市」の
「は」を使った市章が刻まれています。
小学校の横を通り、
新町に入ったらまた気になる
神社仏閣に向けて、海側に
曲がってゆきます。
古い壁とかを眺めながら
昔からの地域なんやなあ
とあらためて思います。
そしてその先には
北野神社がありました。
波太神社が連絡先のようですので
神主はそちらにいるんでしょう。
そういえば定年前に退職になった人で、
坊主頭の誠実そうな
知り合いがいるんですが、
その人がアルバイトをしているときに
「四国で神主のいない神社が
あるんやけど、神主にならんか」
と誘われたそうです。
祝詞もお経も知らないので
断ったそうですが、
そんな仕事というか
役割だってあるんですねえ。
奈良の方で、神社の横に住んでる
神主にちょっと昔のことを聞くと
「いやいや私は最近ここに来た神主で、
よくわかりません」と
答えていた人がいたなあ。
地域の氏神さんの中には
そんな神主も結構いるんでしょうねえ。
その横の法林寺なんかも眺めながら、
浜街道へと戻ります。
もうこのあたりは、
南海本線の尾崎の駅の近くなってきました。
じつはこの先に酒造があります。
名前は「浪花酒造」と言います。
この酒造のオーナーが
ジダンの同級生のようです。
まあ、この季節になったら
お酒も熱燗でおいしい季節ですねえ。
では帰りにはそこによって
お酒を買って帰りましょう、
というのが今日の目的のひとつなんです。
でもまあ荷物になるので
歩くところをぐるりんと
回ってからです。
ここからは酒造の手前で左折し、
尾崎の街中を抜けて、
またまた海の方へと
入っていくことにします。
続く
田舎の静かな道ですが、
「浜街道」と呼ばれている道ですから
雰囲気はありますねえ。
くねくねっと曲がった道は
地図上の区画整理ではなくて、
水の流れや坂道の程度などから
ついて行った道ですねえ。
変わった形の交差点もあったりします。
あ、畑にはかかしもいますよ。
それにところどころに
石垣もあったりして、
古さを感じます。
あ、でももう一度調べてみたら
浜街道も孝子越街道も
同じ道のことを言い、
現在の地図の中で別々に
名付けられているみたいです。
この街道は、泉佐野市を起点とし、
浜づたいに田尻町、泉南市、
阪南市の尾崎・箱作を過ぎ、
岬町から孝子峠を越えて
和歌山市内に通じる街道です。
紀州街道の延長のような感じですね。
この浜街道筋には往時を
偲ばせる古い町並も見られますし、
尾崎団地の横には
明治37(1904)年に
大阪府が建てた「孝子越街道」の
道標が現在も残っているそうです。
そうして歩いているうちに、
前方に大きな石碑が見えてきました。
ここが貝掛松の碑です。
むかしここには樹齢500年の
大きな松がありました。
それはここで雨乞いをやったり、
航海時の目印として地域で
大切に育てられていました。
ある時に盗人が岸和田の神於寺から
宝の貝を盗んできて、
このあたりまで来るとその貝が
突然なりだしたんだそうです。
それを気持ち悪がった盗人が
その貝をここの松にかけて
逃げて行ったんだそうで、
そういう話があったから、
ここの松を貝掛の松と
呼ぶようになったとのこと。
明治時代の台風時にその松も
折れたんだそうです。
でもこのあたりの地名は
「貝掛」として今も残っています。
その松を過ぎると浜街道と
旧国道は交差しますが、
そのまままっすぐ浜街道を
進んでいきます。
あ、こんな看板が。
このあたりに貝掛団地というのも
あるんですねえ。
住んでいる人は貝掛にあるから、
と思っているんでしょうが、
岸和田から盗んできた宝貝が
ここで鳴ったからこんな地名だ
なんて知らないんでしょうねえ。
でもそういえば、doironも
自分の住んでいる地域の名前の
由来はよくわかっていません。
たぶんまあ神社の名前から
来てるんでしょうが、
その神社の由来もわからないのです。
地名ってそう考えたら、
けっこう重大な遺跡で
あったりするんですねえ。
そもそも歩き始めた「箱作」にも
由来がありますね。
諸説有りますが京都・賀茂神社改修の際に
流した御霊箱がこの地の海岸に
たどり着いたという「箱着里」が
語源という説や、
このあたりは泉南砂岩で
いろんなものを作りますが、
棺桶を作っていたというところから
という説などあります。
しばらく歩くと、
赤い鳥居がありますねえ。
ここは「小女郎稲荷」と言います。
ここにはいつも
小さな女郎さんがいて・・・
という話じゃないですよ。
病気の母狐のために、美女に化け、
身を売った娘狐が母に会いに行く途中、
病気で野垂れ死んだ。
哀れに思った土地の人が
娘狐のために小女郎稲荷を
立てたとの事です。
う~ん、なんか意味ありげですねえ。
女郎を好きだった人が
亡くなったことをかわいそうに思い
人に内緒でそんな狐の
話しを作ったとか
不幸な親子の話を狐に置き換えて、
それとなく祀っているとか
なんか隠された深い意味が
ありそうな気がしますねえ。
浜街道はこの後、踏切を越えて
鳥取ノ荘の駅に到着します。
昔、このあたりにあった荘園
鳥取ノ荘を駅名にしていますね。
駅の横で、お茶を一服。
このあたりまで来ると、
昔岬ランと称してロングの
ランの練習に近くを走ったことを
思い出しますね。
そのランニングコースのところにあった、
善六の碑を見に海辺まで行ってみましょう。
続く
最近はよく野山を歩いている。
街歩きももちろん楽しんでいるけど、
野山の比率が今は少し多い。
とはいえこんな体であるので
一人で歩くときはなるべく
人のいるところを意識しているし、
複数で歩くときは山のいろんな
楽しみのある所をコース選びし、
出かけて行ったりしてるのだ。
最近行ったところでは、
大福山も一等三角点のある
俎石山から少し奥の眺めのいい山で、
おおぜいの人を案内していったな。
まあdoiron自身もこの辺の山は
さほど頻繁に行ったこともない
ので地の利が薄い。
なので地図をわざわざ地元の
阪南市役所まで行って
手に入れてきたのだ。
それがねえ、大福山や雲山峰なんかの山も
詳しく書かれていてとても優れものでした。
活用させていただきました。
そしてそこには春夏秋冬の
阪南市の観光地なんかも
印刷されています。
あ~こんな地図を昔広報の仕事を
しているときに更新したりしたなあ。
そんなことを思い出しながら
フムフムと見ていると、
海辺の方や街の中に青い破線が
印刷されていますよ。
これは何かなと見てみると、
どうもウォーキングの
コースのようです。
ああ、そうかあ。
昔更新した地図にはそんなコースを
書き込んだりすることなんか
考えもしなかったなあ。
そのコースは南海本線の
尾崎~箱作~淡輪の周辺や
JRの和泉鳥取を通過して
歩くコースなんかが何種類か
書かれています。
まあこの辺は以前、淡輪あたりを
堪能して歩いたという事が
ありましたねえ。
ブログにも掲載しています。
でもまあ当時の歩きと比べてみますと、
まだ歩いたことの無いコースも
選ばれています。
いいんじゃないですかあ。
これはぜひ歩いてみなくてはと思い、
一人で出かけて行くことにしたのです。
まずは車で箱作まで行き、
そこに車をとめて海辺も
クルリンと回って尾崎へと
向かうコースを選びました。
地図には「浜街道」という名も
ついています。
歩いたときのコースの写真は
すべてハードディスクと
フロッピーに保管しているのですが、
フォルダー分けをしており、
こん回のコースは
「街道フォルダー」に収録ですね。
俎石山に初めて行った時に
駐車したPに停めておきます。
さあ、では歩いてゆきましょう。
まずは旧国道26号を北上します。
この道もまた街道で
「孝子越街道」と呼ばれていたりします。
海辺に山が迫っており、
平地が少ないので昔から
ついている道は街道の役割を
果たしていたんでしょうねえ。
車に注意しながら歩道を歩いていると、
右手に神社が見えてきました。
「指出森神社」です。
昔は貝掛神社といわれていたのですが、
今はこういう名前です。
貝掛は後で由来が出てきますが、
指出森はよくわかりません。
例えば海の船から
あの森の所と指差されたり
したんでしょうかねえ。
神社の境内は広くなっています。
だんじり小屋があるので、
ここで祭りとかもするんでしょうねえ。
境内には百度石ならぬ「百度廻」と
書かれた石があります。
この百度石も各地の石の写真が
かなりたまりましたよ。
巨大な物から変わった形のものなど様々です。
神社仏閣の撮影の時にあれば
一緒に撮影しているのですが、
まだ全然整理できていません。
まあ時間があればそんなことも
やってみたいですね。
ここの神社のものは、
石に書かれてある文字としては
変わり者の百度石として
紹介できるでしょうねえ。
そしてこの神社には大きな
クスノキがあります。
ここのは高さが35m。
クスノキは寿命も長く、
丸木船の材料として
よく使われたらしいです。
浜街道はここから旧国道
つまり孝子越街道を離れて
続いていきます。
10月末からカレンダー作成に
いろいろと取り込んでいます。
10月26日のブログに書きました。
そのときは基本的なところからで、
カレンダーの日付部分の
作成から始めたと書いています。
すでに売られているカレンダーも
参考にしながら、自分の書式に
合わせてカレンダーを作り、
読み合わせして作成していく
というところまで書きましたね。
そこから作業はかなり内部的な
部分に入っていきます。
まずはカレンダーの
あまり部分のところに
何を書き込むかというところです。
昨年はマラソン大会などを
書き込んでいきましたが、
これがねえもう大外れ。
コロナのおかげでどんどん中止になり、
無駄な記載になってしまいました。
じゃあ今年はどうしようかと、
机でお酒を飲みながら、
あーじゃない、こーじゃないと
色々悩んだわけです。
で、やっと思いついたのが、
睦月、如月などといった
月の和名の説明です。
まあ書くスペースは月によって
異なるので、間欠に描かないと
いけませんが、ある程度気持ちを
入れて描いていきたいです。
そしてそれも書くなら、
24節気も描き加えておきましょう。
春分や大寒などです。
でもそれだけなら味気ないので、
自然に関する何かをと
いろいろと考えていたところ、
添える予定の絵に茄子やアスパラなどの
野菜があるのでそれに何か
関連して書こうと考えました。
そうして決めたのが「旬の野菜」の記載です。
夕餉の支度の参考にしてもらったり、
飲み屋で注文する肴の参考に
してもらえたらという、
doironのありがたいおこころです。
それからもう一つが、満月、新月の
お知らせです。
これでまあ、カレンダーの
日付部分は完成となります。
あ、そうそうオリンピックに合わせた
祝日の変更も、閣議で決められた範囲内で
盛り込んでいます。
そうすればこれで、日付部分は完成ですね。
とりあえずデータを入れて、
最終フォントや文字の大きさの
調整くらいにまでもっていっています。
次の作業は、絵の選定ですね。
各月1枚で合計12枚の絵を
今年描いたものの中から
選びださないといけません。
今年はたくさん書きましたからねえ。
季節に応じた話題や、旬の野菜の
言葉なんかとも合わせて
選んでいきます。
大勢でこんな作業をやったら
面白いでしょうねえ。
まあいろいろと絵を見せたり
送ったりしたときの
皆さんの反応を考えて配置
していくのもまた楽しいです。
それに今年は産経新聞なんかに
掲載していただいた絵なんかも
紹介していけますね。
そうして絵を選んだら、
今度はその絵についている
言葉の作成です。
もうできているのもあるのですが、
まだ言葉のついていない絵もあるので、
頑張って作成してゆきます。
これはいつも悩み多き部分です。
今回は特に言葉の選定には
できるだけユーモアを
交えようと考えました。
こういうコロナなんかの時代ですから、
気持ちを明るくという気持ちで
作成していきます。
そしてこの絵にはもう一つ、
一行だけ絵に込めた気持ちも
書き込んでいますから、
それも作成してゆきます。
絵の完成はこのカレンダーの
作成の中で最もクリエイティブな
部分ですねえ。
今はこの作業を頑張ってやっています。
頭の中にはいつもその絵が
散らばっていて、
折に触れて言葉を探しているところです。
ことしは、カレンダーに
家族の誕生日を入れ込んでほしい
という依頼を多くいただいています。
ありがたいことですねえ。
家族でしっかりこのカレンダーを
共有していこうという
気持ちはとてもありがたいです。
さて、どんなカレンダーが
出来上がるのか、
完成はもう少し先になります。
地図通りに歩いて行っても
道がふさがれているとは、
いったいどうしたことか。
これは何か巻き道でもあるのかと
一本手前の道をわきにそれて
入ってゆくと、ちょっと暗い道で、
その奥に何やら怪しげな家がある。
まあたぶん誰も住んでいないのだろうが、
もし誰かが住んでいたら、
家の奥の方で包丁を研いでいる
おばあさんが「いらっしゃい」と
迎えてくれそうな家だ。
どうもこれではないなあと引き返し、
何となくくらい不気味な感じを
抱きながら、もうこうなっては
元に戻って反対側から
歩いて行くかと考え戻り始めた。
すると前から軽の貨物が
やってくるではないですか。
すれ違ったので、どこに行くのかなあ
とこっそり見てたら、
さっきの暗い道との交差点で
引き返してくるじゃないですか。
なんか動きが変ですねえ。
行き止まりが突然だったのかなあ。
よくわかりません。
でもこりゃやっぱり引き返しやな
と思っていたら、今度は前の方から
高齢女性が一人で歩いてくる
じゃないですか。
どうも近所を歩いている
近場の高齢者って感じです。
これは一度聞いてみるかと思い、
「おはようさんです。すみません。
この先で釣り橋のところに
出る道ってありますかあ」
と聞いてみると、ああ今からわしも
そっちへ行くから案内するよ
と言ってくれるじゃないですか。
ありがとうございます。
と言いつつも、懐に包丁とか
入ってないやろなと確認します。
なあんてのはうそです。
ありがたいことです。
このご近所の方のようです。
「さっき向こうでロープはられててねえ、
道がわからなくなってしまいました」
というと、
「ああ、あそこの木で自殺事件が
あったからなあ」と説明してくれます。
「そ、その木は見えていますか」
と聞いてみると、先程この辺りは
暗いなあと思ったまさにその場に
生えている木でした。
なんかその余韻があったのかなあ。
そしてしばらく歩いて行くと
右手に谷の中に入っていく道があり、
これをいくといいよと
案内してくれます。
暗い道を歩きながらその人に
いろいろ話を聞きました。
「ここをずっと歩いているけど、
クマが出たという話は聞いたことがない」
といわれてましたね。
湖面が見えてきてしばらく行くと、
つり橋が見えてきました。
案内を見ると「山口釣り橋」と
書いてあるから予定通りですねえ。
この橋のところで、
その高齢者とお別れしました。
どうもありがとうございました。
つり橋を渡っていると
見える景色がこんな感じ。
静かな湖で船を浮かべて
魚釣りとかしていますねえ。
とってものんきな景色です。
下の岸辺の所でも釣り場を広げて
魚を釣っている人が結構いました。
おおきなウラジロがこのダム沿いの道に
大量に生えていますねえ。
冬イチゴは少なかったなあ。
ダム沿いの道を歩いていると、
車も結構走ってきますねえ。
みんな釣りかなあ。
湿気が高いので、道には苔が
たっぷり生えていましたよ。
やがて前方に次に渡るつり橋
「見返り橋」が見えてきました。
見るとあずまやもあるので、
ここで昼食にしましょう。
ダムの湖面を見て、紅葉に囲まれて、
静かな自然の中で食べる
「どん兵衛」も最高にうまかったなあ。
気持ちいい静かな湖面で
紅葉見物は最高でした。
天気も朝の車の中からみた空に比べて
こんないい感じになっていますよ。
このあと、目の前の見返り橋を渡り、
車をとめてある
吉野運動公園へと向かいます。
このあたりは、公園と民地との境が
またまたややこしいです。
公園施設かなあと思ったら、
玄関があったり、作業場があったりします。
ああ、このあたりの人は
自然にいっぱい囲まれた生活を
してるんやろなあって感じです。
まだもう少し紅葉シーズンは
続きますねえ。
さあて次はどこに行きますかあ
と考えつつ帰宅していった
doironだったのでした。
富山から帰ってから、
街歩きが続きましたが、
ちょっと順番を入れ替えて
紅葉を眺めに出かけた
湖歩きを先に書きます。
紅葉の季節ですしね。
行ったのは「津風呂湖」です。
どこにあるかというと
奈良県の吉野という事になりますかね。
もともと奈良盆地は大きな河川がなく、
農業とかにおいても水不足
という事がよくありました。
そして隣接している和歌山県も
高台の畑など水不足になることも
多かったそうです。
なのでこれらの地域での
水の問題は深刻で、水争いなんかも
よくあったそうです。
これらの解決のために、
地域はため池を作ったりもしましたが、
それだけでも追い付かず
近年になっていろんなダムが
作られるようになりました。
津風呂湖は昭和の30年頃に着工され、
昭和37年に完成したというダムです。
この地域には72戸の家があったそうですが、
水問題を深刻に考えている地域なので
移転はスムーズに進み、
おおきな津風呂湖が出来ました。
こうして吉野川の水は分水となって
奈良盆地にそそがれるようになりました。
観光的にもこの湖は有名になりました。
奈良県内では初めての
湖上遊覧船が出たりしましたし、
ヘラブナ釣りからブラックバス釣りが
とても今は有名です。
まわりの景色も春には桜、秋には紅葉と
とてもきれいなんだそうです。
まわりには津風呂湖温泉もあり、
湖上に3本のつり橋が架けられる
などしてたくさん人々が
訪れるところになっています。
先日、奈良の山友に誘われて
竜門の方に行った時がありましたねえ。
あの時に建てられてあった看板を見て、
歩くコースが書かれてあったのを思い出し、
今回の歩きとなりました。
紅葉はどうかなあ。
そんな景色を求めつつ
歩いてみることにしたのです。
では、出かけてゆきましょう。
車は前回も車をとめた吉野の
運動公園に再び向かって行きます。
途中、石舞台や談山寺なんかも
通って行くコースで車を走らせます。
前回は途中でチャリンコに
乗っている人を多く見たのですが、
今回はさすがに寒くなってきたので
少なかったですね。
二人だけ山をゴリゴリと
駆け上がっているチャリラーを
見ただけでした。
一度通っているので走りなれた道です。
運動公園に予定通り到着し、
さっそく歩き始めることにしました。
こんな地図を参考にして進んでいきます。
ここには山上憶良の
秋の七草の碑がありますねえ。
この歌で注意しないといけないのは、
最後の「朝顔の花」ですね。
これは夏に毎朝咲く朝顔ではなくて
「キキョウ」のことですね。
念のため。
そこからコースは左に曲がって
前回入れなかった展望台を右に見ながら、
グランドの裏側を進んでいきます。
紅葉はというと、ところどころで
真っ赤に色づいている木も
ありますからいい感じですね。
地図を頭に描きながら進んでいきます。
この公園は山の中でいつの間にか
民地とつながっています。
公園内の道と思っていたら、
家の前をとおったり、
作業場所の横を通ったりして
進んでいきます。
天気はというと、すっきり晴れの快晴、
というわけではなく
雲の多い状態でした。
こんな壊れかけの小屋の横を通り、
こんな看板を時々見ながら
進んでいきます。
ああ、ここで山越えで釣り橋に
出るのかなあと思っていると、
あれ?道にロープが架けられています。
いくらでも横をとうろうとすると
通れるのですが、それはなんかいけませんね。
う~んどうしますか。
途中で横に分かれてた道に
入っていくかとも思いなおし、
もどって実際入っていくと、
これがかなり暗くて不気味な道でした。
続く
先日、山の案内をした人から
お礼にと言ってジャムの
詰め合わせをいただきました。
甘―いジャムとすっぱいジャムで、
その酸っぱい「ルバームジャム」が
ミセスに大うけでした。
それをほかのきっかけで息子に
メールをしたときに
その話をしたからか、
息子から他のいろんなものと
一緒にその長野県産のジャムを送ってきた。
最初は今頃何かなあ。
誕生日でもないし、
クリスマスでもない。
ああもしかしたら、
ハロウィンなのかというような
タイミングで届いたのだ。
ルバーブジャムが二個。
野沢菜やクッキー、
瓶チーズも入っていた。
いやあ、ありがたいねえ。
食べ物なので
食べ過ぎないようにいただきます。
でもまあうまい具合に
信州産のものをいくつか
送ってきてくれたのだ。
我が家のほっこり時の
食料にしていくことにしましょう。
この後にも友達から
曽爾高原のビール詰め合わせセットや
ふるさと納税の返品のハンバーグが
日常生活のお礼に届いたりしている。
それなりに人の役に立てばと
いろんな配慮をしているからか、
一方ではこちらもいろんな人に
よしよしと支えられて生きているわけだ。
そんな贈り物に加えて、
最近はこんなものもいただいたよ。
新聞を最近朝日新聞にかえたので、
お絵かきコーナーを
見ることができない。
そんなことを嘆いていたら、
以前絵を掲載とかしてもらっていた
産経新聞のお絵かきコーナーを
毎日切り抜いてまとめて
持ってきてくれたのだ。
ああ、こんなありがたい贈り物は
本当に頭が下がる思いだ。
またまた絵を描いて応募するか
という気持ちさえ
呼び起こしてくれるんだよね。
昔ほど思いっきり元気というわけではなく、
それとなくそこそこ元気に
楽しんでいる余生ですが、
こうしていろんな人に
囲まれて恵まれていますねえ。
人のさりげない善意で
人生を豊かにしてもらえて、
ホンマにとてもありがたい
日々を送らせてもらっています。
いつもいろいろありがとうと
しみじみ思っている今日この頃です。
さて、富山方面の旅行で買ってきた
お土産をいただきましょう。
まずは長いソーメンのぐるぐる巻きです。
ミセスに鍋の後でいれようなあ
と言ってたのですが、
言葉が足りませんでした。
ソーメンの袋に調理するときは
こうしてくださいと
書かれてあるのを見てその通りに
鍋に入れたようです。
「まずはソーメンを手でパリッとわり・・」
みたいなことが書かれていますので、
その通りにやったようです。
でもそれだったら普通の
ソーメンじゃないですか。
そんなこと知らずに
「さあどんなんかなあ」
と食べようとしたら、
短いソーメン。
「え~ソーメンてどうしても切れるのかなあ」
とぶつぶつ言ってたら
「そりゃ最初にわっているから」だって。
「え~わらずに長いまま
食べようといったやん」
「あ、そうなん。じゃ次回そうしよ」
とあきらめました。
で、二回目です。
今日は寒いから、鍋にしよう
という彼女にすかさず、
じゃソーメンあのまま入れてね
と念を押しておきました。
もつ&きりたんぽ鍋の途中から
こんな感じで投入されます。
おおいい感じです。
さてどんなになるでしょう
と出来上がった頃にすくいあげてみると、
おお~長いです。
立ち上がってすくいます。
でもねえ、やはり途中から
ソーメンの重みで切れたりしますので、
すくいあげ時に脚立がいるかと
思っていたのに、さほどでも
ありませんでした。
でもしっかり味もしみて
とてもおいしいソーメンでした。
お土産にもう一つ買ったのが
「マコモダケ」です。
これはどんな植物かというと、
水辺に生えるマコモという植物で、
それが菌に寄生されて
肥大化したものを「マコモダケ」
といいます。
石川県の津端なんかで熱心に
栽培されているそうです。
古くからある植物で、
万葉集なんかにも登場するとか。
へー、結構歴史あるんですねえ。
皆さんこの野菜を知ってましたでしょうか。
でもそんな歴史のある植物なのに、
最近初めて見たって変な感じです。
ではこれをどのようにして
食べるかというと、
新しいものはそのまま
食べられるそうですが、
さっとゆでたり、炒め物に
使うことが多いそうです。
ネット料理教室には
そんな風に書かれていました。
我が家もそれにならって、
調理してみました。
さっとゆがいたものを食べると、
なんかヤマウドのような感じです。
そして今度は油でいためて、
マヨネーズを付けて食べると、
これはちょうどいい感じでしたねえ。
おかずになりますねえ。
64年も生きて初めて口にしました。
さあ、まだお土産はありますよ。
それは富山の名物のひとつ、
黒とろろです。
昆布なんですが、これをそのまま
ご飯にかけて食べるとぴったしです。
ご飯がいきなりチョロッと
海鮮風になりますねえ。
でもこうやって書くと
お土産って食べ物ばかりですねえ。
まだまだありますよ。
次は氷見うどんです。
細麺でつるっとしていて
おいしいですよ。
これはこれまで何度も
お土産にいただいたりして
味わいました。
今回はこれをマージャン友達に
持って行ってあげると、
おいしくて感動してはりましたよ。
最後はホタルイカの一夜干しです。
クーポン券があるので
追加でこれを家でのおつまみに
と買いました。
パッと見た目は数枚くらいしか
入ってないのかなあと思って
買ったのですが、
ひとつ食べようとすると
何枚もくっついていて、
結局30枚くらいは入っていました。
時折コリコリッと固い部分もあって、
おつまみには最高でしたね。
コロナのこともあってこんな風に
クーポン券がもらえるなど
様々な取り組みがあって、
お土産も充実しました。
旅の楽しさ、お土産も充実していて
大変楽しませてもらったのでありました。
GOTOさん、ありがとう。