ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

目にまつわる話

2009年07月31日 22時20分57秒 | 最近の出来事

職場で健康診断があった。
胃カメラなどはないが、
身体測定や血液検査などを行ってくれる。
そんな検査項目のひとつに、
視力検査がある。
機械を覗き込むと
そこにランドルト環が描かれており、
環の一部が開いている方向を、
右、左、上、下とあてていく方法の検査だ。

この検査は気合の入れようで
かなりの誤差が出る。
今回は、一丁やってやろうやないかと
気合十分で臨んでみた。

どこが開いているのか、
よくわからないやつも雰囲気から、
なかばあてずっぽうでこたえてやったら、
これがけっこうあたっていたみたいで、
右目の視力が1.5、
左が1.2というすごい結果が出た。

担当の人は
「コンタクトしてませんよねえ」
と念を押してきたが、
きっぱりと「はい!」と答えたよ。

何年か前には、
「お歳の割にはよく見えますねえ」
といわれたこともある。
多分、そんな風に思われるくらい
目がいいのは、
普段とても目を大切にしているからなんだろう。

眼球が外気に触れている部分の面積は、
だいたい人の半分くらいになるように常に心がけている。
そう、心がけているんです。
その上、顔面からは
人よりかなり奥に配置してあるので、
その分目に加わる刺激は緩和されるというもんだ。
炎天下でのバイクやランは
サングラス(もっぱら、オークリーの製品)を必ず装着しているしね。

おかげでお歳の割にはよく見えているってなるわけだ。

視力をもどすための方法としては、
めがね、コンタクトレンズがあるが、
最近は角膜をレーザーで焼いて
屈折率を変えて視力を取り戻す手術がある。
これはレーシックと呼ばれ、
最近急激にその手術をする人が
増えているらしい。
目の悪い奥さんも
非常に興味を持っているようだ。

わしの知り合いでも
この手術を受けた人は多い。
その人たちは、皆一様に
この手術の素晴しさを語ってくれる。

「0.04だった視力が1.5になった」

という人も知り合いにいる。
近視で悩む人には
福音となったこの手術も
ひとつ間違うと、
失明の危機にさらされる場合もある。
最近、ある病院で
この手術を受けた人達が
感染性の角膜炎になったと
集団提訴をしたというニュースが
報じられていた。
こんなこともあるので、やはり
自らの責任できちんと医者を選ばないといけないよな。
だいたい、目がよく見えるというのと、
ものごとがよく見えるのは別物じゃからなあ。

まあそれはこの際横に置いておこう。

いずれにしても
視力1.5と1.2のわしの場合は無縁な話なんじゃとて。


目にまつわるもうひとつの話は、
まつげの育成だ。
職場の部下の女性がある日、
片目に眼帯をして出勤してきた
(両目に眼帯じゃ出勤できないわな)。

話を聞けば、
まつげのケアのために塗った薬が、
目にあわなかったみたいで、
新しい薬をつけて
朝起きたら目がメチャメチャ腫れてたらしいのだ。

気になったのは、
その薬の話。
まつげ一本一本をしっかりしたものにする薬らしい。
思わず、その女性に聞いたね。

「その薬、髪の毛に効かんかなあ」

ま、これはしょうも無いオチなのだが、
実はこんな目にまつわる話に
doironはとても弱い。
そんな話を聞いたりしたりするたびに、
自分の目がしょぼしょぼしてきて
涙が出てくるんだよね。
酒飲みがお酒の話をしただけで
酔うみたいなもんでしょうかね。

まだまだ日差しも強うございます。
特にアウトドアスポーツにいそしむ
私たちは老後のことも考えて、
目のケアはしっかりしましょうね。

ああ~涙が止まらん。


ツール終了

2009年07月30日 22時03分17秒 | スポーツ全般

今年のツール・ド・フランスも終わった。

今年は特に話題が豊富だった。
なんといっても、
久々の日本人選手の登場で、
セカンドステージで
いきなりの好成績を収め、
マイヨ・ジョーヌの期待さえ抱かせてくれた。
最終的には、
別府112位、
新城129位に終わったというものの、
実はこの二人は
ツールドフランス96回の歴史の中で
初めての日本人完走者となったのだ。

このことの栄誉は何よりも
二人の選手の頭上に輝き続けるだろう。
レース後、新城はこう語った。

「月に一歩降りたような感じ。
小さな一歩だけれど、
本当は大きな一歩だった。」と。

来年も彼らは出場できるのだろうか。
そして今年以上の結果をみせてくれるのだろうか。
そしてさらに強い日本人が現れるのか。
もう今から来年が楽しみで仕方ない。
商業職の濃いツールだから、
スポンサーの意に沿うことが
最も重要な条件だ。
鍛錬を積みながら、
そのあたりの課題もクリアしていかないといけない。
それが
一流のサイクリストであるための
条件だと飲み込んで、
彼らにはぜひとも
活躍し続けてほしいと思う。
話題のもうひとつは、
あのツール7連覇の
ランス・アームストロングが
復活出場していることだった。

結果は惜しくも総合3位に終わったが、
「ただマイヨのためだけでなく」
走り続けている彼の姿は
雄雄しくも痛々しくもあり、
様々な意味で心を動かされたものだ。

37歳という年齢が
ハンデになったといわれているが、
4年のブランクが
彼のツール魂を
十分に目覚めさせなかったんだと思いたい。

そして今大会の総合優勝、
すなわち今年のマイヨジョーヌは、
そのランスのチームメイトであり、
最大のライバルだった
コンタドールに授けられた。
二年ぶりの総合優勝である。

ランスとコンタドール、
来年この二人は
別のチームに所属することになるという。

エース、アシストという桎梏の中で争うのではなく、
別々のチームのエース同士として
火花を散らしあってこそのライバルであろう。

日本人の活躍、
王者の再チャレンジ、
これらが醸し出した
今回のツールのドラマは
昨今の自転車ブームに
さらに拍車をかけることにならないかな。

バイクに乗る人は、
山ですれ違うときに
必ずあいさつをすることになっている。
軽く首を縦に振るか、
ハンドルから手を離して
小さくあげるか、
様々だが、
とにかく何らかのあいさつはしてくる。

ランニングで走っている人でも
あいさつする人に
たまに出くわすこともあるが、
バイクに乗っている人は
全員がそうなんだ。

なので、練習しているときも、
バイクに乗っている人が多いと、
ちょっとした仲間意識が芽生えて
心強いものだ。

それに、バイクを趣味にする人が増えると、
ショップの品揃えもよくなるし、
需要と供給の関係で
値段も安くなるってもんだ。

だからバイク好きが増えるのは大歓迎。

ただし、マナー知らずの仲間はいただけないよ。
ツール気取りで街中を
横暴に走り回る愚は慎んでもらわなくてはなるまいて。

皆生は終わったが、
今年はもう少しバイクに乗ってよう
と思っているdoironなのだ。


緑道検定

2009年07月28日 22時49分37秒 | weblog
今日は久しぶりに
緑道を走った。
皆生以来、初ランといってもいい。
自分のブログをたどると
昨年の、皆生後の初ランは
10日後、そして今年は9日後
大体これくらい休むとムズムズしてくるんだよね。

これだけ休むと
結構脚が軽く動く。
皆生で思いっきり動かした後だから
いい休養になっていたのだろう。
昨年も、同じ状況で
脚が軽~いと書いている。

ルンルンと緑道を走り、
折り返したところで
最近メキメキと力をつけた
I原さんに遭遇。

緑道について
色々指南しながら
走っていて、ふと
緑道検定という言葉が
浮かんだ。

今日のブログのネタはこれだ!

ご当地検定ばやりの昨今だ。

なにわなんでも大阪検定
京都・文化観光検定
明石・タコ検定など
ご当地検定はたくさんある。

この検定が行われるという話は
よく聞くが
行われた結果がどうだったか
という話は
不思議と聞かない。

ま、それはいいとして
もし検定をするなら
こんな問題はどうだろうかという
のを考えた。

緑道検定



その1
緑道の正式名称は?

その2
緑道の誕生日は?

その3
緑道からドン突きまでの距離は?

その4
doironが緑道にペンキで書いてある
距離表示は何メートル刻み?

その5
緑道脇に咲くこの花の名前は?



その6
夏場の練習時の緊急事態に備えて
doironが電柱の根元に埋めてある
のは何?

その7
緑道練習コースの途中にある
泉大津大橋は
世界でも珍しい
単弦アーチ橋ですが
全長は何メートル?

その8
緑道の先にあるフェリー乗り場から
出港するフェリーの行き先の都市名は?

いかがですか?
もうちょっと知恵を絞ったら
なかなかの
ご当地検定になるんとちがいますやろか。

皆既日食ツアー

2009年07月27日 22時02分57秒 | 最近の出来事
奥さんが日食洋上観測ツアーから帰ってきた。
当日、船は小笠原近海に停泊しての観測だったとのこと。

結果は、見事快晴の空の下での
観測となったらしいです。


どこぞのページからいただいたものですが
まさにこんな風に見えていたらしいです。

デッキに、持参した断熱マットを敷き、
日食めがねで観測をしたらしい。
コロナやダイヤモンドリングはもちろん見えたが、
洋上ならではの不思議な現象もあったらしいよ。

通常、夕焼けや朝焼け
西の空や東の空が赤く染まるものなのだが、
日食時は周囲360度の水平線の空が
真っ赤に焼けたとのこと。

それに、
日食観測に夢中になっていたので気づかなかったけど、
洋上を円錐形の影が
スーッと迫ってくる現象も
同じ船に乗船していた人は見たという。

皆既時は空が青暗くなり、
一等星がまたたいていたのも見えたんだそうだ。

そして今回もうひとつ見たかった鯨は、
残念ながら観察できなかったが、
世紀の天体ショーを満喫してきたと
興奮気味に帰ってきたよ。

何でも、船上では結婚式も
とり行われて参列もしてきたとのこと。

「そしたら、日食時に
『新郎から新婦に送る世紀の結婚指輪、
ダイヤモンドリングです~』
て天に指を差しながらやってた?」
と聞いたら、
「そんな日食の最中の忙しいときに
挙式はしてなかったよ」だって。
そりゃそうだ。

「そしたら、そしたら、初めての共同作業・・・」

「『介の字貼り』もない!」

だと。
読まれている。

次に皆既日食が日本で見えるのは、
26年後らしい。

う~ん、微妙やな。

その頃生きてるかな?
て呟いてたら
「あんたは絶対生きてるわ」ときた。

船では毎日豪華ディナーが続いたらしく、
帰ってきてすぐに体重計に乗っていた。
なんでも、船の上では
縦に横に揺れるから体重計では計れないんだそうだ。

「大きなばねばかりにぶら下がってもあかんの?」
て聞いたら、
「そんな肉の塊の計測みたいなことはしないし、
たとえしても計れないのは同じや」と膨れていた。

1kgも太ったわあと嘆きながら、
「日食みたいにやせてくれないかな」
てつぶやいていたよ。
お腹の部分日食てか

毎日船上で揺れていたから、
帰ってきてしばらくは、
じっとしてても
家全体が船のように
揺れているような感じだったらしい。

そんなあれこれ話をしながら、
わざとこちらの体を
海草のようにゆ~ら、
ゆ~らとそれとなく揺らしてやったら、

「ああ~、別の意味でめまいがするわ」

と嘆いておられたdoironの奥さんなのだった。

夜の駐輪場

2009年07月26日 21時18分25秒 | 生活
先日、職場の飲み会があった。
部単位での飲み会なので、
人数も50人以上。
この飲み会は、
夏と春に開催されており、
春には課単位で出し物を
する掟になっている。
そこでdoironは
漫才や漫談をいつも披露しているのだが
夏の飲み会ではそれがないので
気楽に参加することができる。



をいただきながら
楽しい夏の夜を過ごし、
すっかり盛り上がった宴会も
やがてお開き。
さあ帰ろうと、電車に乗ったときに
大変なことに、気がついた。

奥さんが日食ツアーに
出かけたままなので
今朝は電車出勤だったのですが、
駅まで自転車で行って
一時預かりに預けたときに
利用券を発券していないことに気がついた。
電車の時間が迫っており
あわてていたので
定期利用者と同じように入って
ポンと自転車を置き、
なんとか電車に間に合った状態だったから
その時には全然考えが
券にまで及びませんでした。

利用券を発券していなかったら
ペナルティで
何日か分を払わないといけないのかなあ。
ま、なるようになるさ、と思えばいいのだが
そこは小市民のdoiron。
頭をちくちく刺激しながら
色々思いを巡らせた。

通用口から無理やり脱走してみるか
とか、
係りの人の前で
利用券を探すフリをして
同情をかってみるかとか
毎日少しずつばらして
搬出してみるかとかね。

いずれも、非現実的だし
たかが発券忘れで
そこまでしなくても、ね。

正直に係りの人に打ち明けようと
思って、駅について
置き場に向かった。

午後9時半くらいなので
利用者が多く、
置き場には結構利用者がいたが
係りの人が
どこを探してもいない。

う~ん、どうしようと思って
人の流れを見ていると、
一時預かりの人は
清算しないといけないが
駐輪場利用の定期券を持っている人は
その定期券を挿入するだけで
自転車が出入りできる扉が開くようだ。
開いている時間は
5秒くらいだ。

ニカッ

そうかこの手があったか。

定期を持ってそうな
会社員風の人の
後に続いて、
コバンザメのようにくっついて
出てみようではないか。

自転車の鍵をいじっているフリをしながら
親サメとなる人を物色。
ドンくさそうな人はアカンよ。
もたもたしてたら扉が閉まってしまうしね。
チャッと出て、そのまま勢いよく
走り去っていきそうな人が
よいだろう。

と、そこへやってきたのが
若いOLで、
なかなか運動神経のよさそうな人だった。
血液型はB型と見たね。
これだ、と
すばやく後に付き
彼女が定期券で開いた扉から
出て行くときに
すばやく後ろに張り付いた。
扉を出たら、とりあえずすぐに
その人の
逆方向に走ろうという体制でいた。
だって、視線、挙動、タイミングなど
行動形態が
まるでストーカーやもん。
変なおじさんだと思われたら
かなわんしね。

そして作戦は見事成功!
出て行くときにその女性に
胡散臭そうに、チラッと
一瞥されましたが
何食わぬ顔で
走り去ってやりました。

人間、生きていくのに必要なものは
やはり知恵と勇気やねえ。
日々知恵を絞り
勇気を奮い起こして
たくましく生きている
doironの生態を
垣間見せた夜の駐輪場の出来事でした。

宍道湖のシジミ

2009年07月25日 22時32分20秒 | weblog
シジミには大きく分けて、
日本全国の淡水に生息するマシジミと
汽水に生息するヤマトシジミがいる。

これらには
コハク酸といわれるうまみ成分が
大量に含まれており、
肝臓にとてもよいとされています。

なかでも、
宍道湖のヤマトシジミは
全国に種貝として出荷されるほど有名らしい。
しかも、
この貝の旬というのが
産卵期の7月前後で、
特に土用シジミといわれて重宝がられているとのことだ。
と、そんなテレビ番組を
皆生の前にふと見たテレビの番組でもやっていたので、
今年はレースの翌日観光の場所に宍道湖を選んだ。
松江から見る宍道湖の夕日が
本当にきれいなんだそうだが、
三連休の最終日
1000円高速も今日までなので
大渋滞が予想されるから
そんな夕日の時間まではいられない。
ホンの束の間の
宍道湖観光とシジミ購入を
兼ねての小旅行でした。

宍道湖沿いの、
「出雲往来」
と名づけられた国道を走り、
結局松江城横の物産館で、
各種お土産と
活けシジミを購入した。



黒々としたうまそうなシジミだっしょ。

保冷バッグに入れてもらい、
レースでエネルギーを生成するために
フル稼働だった肝臓を喜ばせてあげようと、
楽しみに持って帰ってきました。

このシジミは砂抜きをしていないと
注意書きに書かれてあったので、
家に帰ってウエットを干し、
バイクをざっと洗い、
洗濯物も済ませてから
砂抜きをすることにした。

普通、アサリなんかだと
塩をひとつまみいれた水につけておくのだが、
ヤマトシジミは汽水の貝だ。
どうしようか悩んだ挙句、
知恵袋を活用。

「貝を両手にとってガリゴリ洗った後、
水につけ、そこにスプーンを入れておく」
んだって。
金属に反応するんやね。

早速指示通りにした。

するとどうだろう、
一時間もしないうちに、
ボールの底に黒い砂などが溜まっているではないか。

こんな感じ。



これは宍道湖の砂ってわけやね。

「吐け~、もっと吐くんだジョー」。

呪文を唱えながら見守ること5時間。
(ずっと見てたわけじゃないけどね)
立派に吐き出してくれたようだ。

春から先、
ずっと溜め込んでいた皆生への想いを
一気に吐き出したdoironのようだにゃあ。

さあて、砂を吐いていただいたら
次はいよいよ調理なのだが、
その日は時間切れ。
冷凍庫に放りこんで、
二日後に味噌汁にすることにした。

具は、少しの巻き麩とわかめ。

ぐらぐら煮立ったお湯に、
ガラガラと凍ったシジミを入れて、
ダシのもとも少し加える。



シジミが開いた後で
八丁味噌を濾しながら溶かした。

そして、しばらくコトコト煮たのちに
最後に少しの具を加えてできあがり。

さすがに宍道湖のヤマトシジミだ。

身が実にプリップリでした。
奥さんが日食ツアーからまだ帰っていないので、
インスタントに少し手を加えて
中華丼も作成。

おなかに優しく、
肝臓にもよろしい夕食のできあがりだ。



日本海のうまみをたっぷり含んだシジミ汁。

レースを振り返りながらいただいたそれは、
これまで食べたどんなシジミ汁よりも美味じゃったよ。
まあ、あまりそういうことに
舌の肥えてないdoironだから
万人が食して
うまいかどうかは
「神のみそ汁」じゃがね

少なくとも肝臓はしっかり
癒されたでしょう~

皆生劇場’09 エピローグ

2009年07月24日 23時05分25秒 | トライアスロン
レース翌日、選手たちの顔は
自分の力を出し切ったという気持ちからか
皆一様に開放感に満ちていた。

スタート時には
ここまで来れた事を
お互いに祝福する連帯感があるが、
レースを終えた後も
それぞれが全力を出し切って
レースに挑んだ連帯感も強いもんだ。

閉会式では
完走Tシャツ、完走バスタオルも
いただきました。



当然やね。
あきらめずゴールを目指した私たちの
勇気に敬意をはらう大会側の
粋なはからいでした。
(完走証のみがないという微妙な扱いやけど・・・)

そしていただいた記録集を見て

ビックリ!

なんと表紙に
去年のshimizuクンの
スイムゴールが

どアップ



左端です。
う~ん、かっこいいなあ。
でも、大会の公式写真に使われたのは
それだけじゃないよ。
大会開催を告げる
日本海新聞に
なんとdoironのゴール写真も
みごとに載っていました。
応援してくれた二人のうさぎちゃん。
思いっきり飛んでるかいさん。
横断幕を掲げるゆうと。
セイゾー。
たま。
ショウ君を背負ったshimizu。
T蟹。
そして、くろうとクン。
応援に来てくれたみなさんと
はじけたゴールが
ばっちり写っていましたよ。



飛んでるかいさんが
きっと決め手になったんでしょうねえ。

28回大会はとっても
ルネが大変目立っていたってことやね。

来年はまたみんなでいけたらいいなあ。
って思っちゃいました。

そんな出来事のあった29回の閉会式でしたが
今年はT美ちゃんの表彰もなかったので
早々に引き上げ
帰りにはこれまで行ったことのなかった
宍道湖に行ってきました。

目的は
レースで疲れた肝臓を癒す

ヤマトシジミ

松江市街地をうろうろしながら
やっと見つけた水産店で
購入しました。
その話は、明日以降に送るとして
とにかく
今年も
メールや電話で
いっぱい応援してくれた皆さん
ありがとうございました。

おかげさまで、doironは
本当に頑張れました。
記録証に書いてあるように
すべてのエネルギーと
すべての魂を注入できた大会となりました。
本当に満足のいくレースをできました。
こんな身体でも
フルトラを完走できるんやと
少しはみなさんの勇気の後押しをできたでしょうか。

来年の大会は
30回記念大会です。
そこのあなた
今からでも十分間に合いますよ。
まずは一歩
踏み出してみましょう。

皆生劇場’09
これにてお開きで~す。

あとしばらくは、のんびりマイペースで
走りつつ、
2009の夏を満喫したいな
思っている今日この頃なので~す。

皆生劇場’09 ラン編

2009年07月23日 22時29分25秒 | トライアスロン

バイクの終盤から振り出した雨は、
ランに入っても
断続的に強く振るような気象状態になっていた。

着替えテントで
チャリパンをランパンに履き替えて出発。

ここでも昨年と比較してみると、
昨年のランスタートは
正直言ってあまり覚えていないのだ。

バイクラスト30キロを制限時間に追われ、
後のことは考えず
必死になって漕いだおかげで、
制限ラスト30秒でなんとかゴールできたものの、
バイクを置いたときは
気絶寸前の状態だったからだ。

それに比べて、
今年はなんと平然なんだろう。

今年の大会に臨むにあたって、
一番重視したのはバイクの練習だった。
昨年あんな状態で
最後のランをクリアできたのだから、
バイクさえ終われば
何とかなるはずだとそう考えたからだ。

毎週末にバイクを駆って、
とにかくロングに乗った。
長時間、脚を回し続けることにこだわって、
身体作りをしてきたのだ。
そのせいあってか、
余裕で145キロを終えることができ
ランスタート時の状態は
近年まれに見る余裕であった。

まるで、
42キロのマラニックに
出かけるような気持ちで
スタートすることができた。

それだけ余裕なら、
もっと頑張れ
という声が聞こえてきそうだが、
次につなげていくためにも、
そしてスーちゃんのためにも

「完走」

が最優先だった。
その完走を確信しながら、
走っていると、
突然あられのようなものが
バラバラ降り始めた。

ごろごろ雷も鳴っている。
これはやばい。
上空で寒気と暖気が喧嘩をしているぞ。
いきなりピンポン球のような
雹が降ってきたりしないやろなあ
などと思ったそのとき、
ドバア~、と大雨が降り始めた。

道にはみるみる水が溜まり、
その中をばしゃばしゃ走った。
まるで、まだスイムのような状態じゃないか。
そんな中を走り続け、
折り返しについた頃には
すっかり手までふやけていたよ。
スイムでさえふやけなかった手が
指紋も判別できないほど
ふやけていたのだから
雨の強さは推して知るべしだ。

でもここまで来ても
doironの気持ちはふやけていなかった。
ここまで昨年は3時間近くかかったが
今年は二時間半もかかっていない。
なので、あと二時間半くらいで
春からの苦労が報われるのだ。
そう思えば、
doironの気持ちは
燦燦と陽光の降り注ぐビーチを
きゃははと走り回っているほど
晴れ渡っていた。

折り返してからも
相変わらずの大雨の中
ルンルンと走っていると
一台の車が近づいてきた。
助手席の窓を開けてる
女性の姿が見える。

「え、道を聞かれるのか?
聞かれたら『私、この辺のもんじゃないんで』と
答えよう」と思っていたら、

「大会が中止になりましたよ」

だって。

ぬぁにぃ~

確かに大雨に打たれはしたし
遠くで雷もなっていたけど、
3年前の豪雨のバイクに比べれば
全然平気だったので、
不思議な感じがしたよ。

結局、あと13キロのエイドで
ストップ。
丸一時間吹きさらしのテントで
子犬のように震えながら
迎えの車を待ったよ。

結局ゴールをしたのは
821人中340人。
あとの選手はすべて
回収となったのだ。

doironの知る限り
この大会が
こんな形で
中止になったのはかつてなかった。

ボランティアや選手のことを
考えて、中止を決定したらしい。

doironの夏は
これで終わりだ。

ゴールは出来なかったけど
僕の中ではしっかり
ゴールラインを越えたレースでした。

いろんな人から
残念でしたねと
メールをくれましたが、
全然そんなことないんです。

僕はちゃんと自分のゴールを
迎えることが出来たと
そんな気持ちなんです。

もし今年が
昨年同様の苦戦を強いられたのなら
もう皆生はあきらめたかもしれない。
今の暮らしの中で、
今年のように
出来ることをやって
完走できなかったんなら
潔く、皆生を目指す他の人に
自分の枠を譲ろうと思っていたでしょう。

でも、まだまだやれば出来る。
自分との戦いにも、
皆生の自然との取っ組み合いにも
勝てる力が自分の中にあったんだ
という安心感を抱くに余りあるレース展開でした。

負け惜しみでも
強がりでもなく
全く素直に
あのままレースが続いていたら
100%完走できていたでしょう。
そういう意味で
十分な満足感を
いただいた今回のレースでした。

そしてまだしばらくは
トライアスリートでいようと
思ったdoironなのでした。

皆生劇場’09エピローグに続く


皆生劇場’09 バイク編

2009年07月22日 22時51分17秒 | weblog

バイクの乗り始めはいつも体が動きにくい。
練習で家を出るときもそうなのだが、
本番となると
3キロのスイムの後になるので
なおさら足が回らない。
いつもそんな状態なのに加えて、
今回は乗り始めの河川敷なんかが
ひどい向かい風だったので、
メーターを見ると
25キロが精一杯のスピードだった。

一度心拍数をグンとあげれば、
ある程度回る脚が戻ってくるのはわかっているのだが、
長丁場のレースでそれをやる勇気はない。
ただ、淡々と
ゴールを目指せば結果は
ついてくるだろう。

昨年、波酔いもあって
吐いた草むらや
他の選手に励まされた木陰を通過しながら、
今年の状態は
あの時よりずっとましだと思っていた。
ここは我慢のペダリングを続けるほかはないと
自分に言い聞かせながら漕ぎ続けた。
後で振り返ったら
この時間帯の蒸し暑さが、
本大会の気温のピークでした。

大山道路に出る手前の坂で、
早くもあごから汗が滴り落ちている。
ふと見たら、
エアロバーを握る両腕も汗まみれだ。
湿気で汗が蒸発しないから
冷却機能が働かない。
だからまた汗が出るという
魔の脱水スパイラルに陥っている。

これは、コーラの糖分だけではなく、
スポドリで電解質も補給しなくてはと、
エイドでの補給時に
意識してその2種類のボトルをもらった。

やがて大山道路に差し掛かる頃には、
脚の回転も心拍数もかなり上がってきた。

しかし、そんな心がけにもかかわらず、
昨年、うさぎさんの応援ポイントだった
美術館前に差し掛かる頃には
早くも太ももがピクピクしだしたので、
躊躇せずトップチューブに取り付けた
「BENTO BOX」
からカリカリ梅を1個取り出して齧った。

この梅は本当に脚の痙攣に対しては、
驚くほどの即効性があって、
坂道が少し長いと、
登り終えるまでに
早くも痙攣が治まってきたりする。
今回の大会では、
持っていった8個の梅のうち、
合計7個のカリカリ梅を食べた。
何年か後には皆生のバイクコース沿いに、
僕が吐き出した梅の種が芽を出して、
花を咲かす、
なんてことには・・・ならないか。

大山山麓のジェットコースターを終え、
残り50キロの折り返しに向かいながら、
昨年はここで制限タイムに追われながら
必死に走ったことが蘇ってきた。

昨年がぎりぎりの完走ペースだったので、
ついついそれと比較してしまうのだが、
どのシーンでも今年は
余裕に満ちていたという印象だ。

だって、
昨年この折り返しに着いたのは午後1時。
それに比べて今年は30分も早い。
おまけに制限は30分伸びている。
水泳終了時に50分あったアドバンテージは、
合計1時間にまで広がっていた。
なので折り返しではバイクを置いて、
ゆっくりとストレッチもできたんだよね。

あせりに焦っていた昨年に比べて、
実に穏やかな昼下がりのひとときでしたわい。

やはりレースを楽しむためには、
練習あるのみやねえ。
あの練習があったからこそ
こんなに大会を楽しめるんやね。

ひとしきり休憩してから再出発。

ここはいつも大変辛いところなのだが
今回はそれほどでもなく
「さあ、ゴールまであと
牛滝1本半」
なんて思う余裕もあった。
しかし、
2キロも行くと、
突然の大雨。

雨中でのカーボンリムは
ブレーキの利きが悪い。
フルブレーキでも“あたり”程度しかきかないのだ。
なので、先にカーブのある下りは
常にブレーキレバーを握っている状態だった。
ここでタイムを稼がないでどうするんだって時に、
これはないぜ、まったくぅ。
でも完走するためには
絶対コケちゃならない。
すべてがパアになるってもんだ。

雨で体が冷えたおかげで、
のぼりは快調に登れた。
昨年は折り返してから、
「うりゃー」
と言いながら爆走した筈のこの区間、
ゴールしてみたら
今年と昨年のこの区間のラップが
ほとんど変わっていなかったのは、
下りは遅くても
登りが快調だったせいだろうな。

最後の河川敷も
オーバー30km/hで走り、
バイクゴールは
昨年よりもマイナス約30分。

制限時間まで1時間を残していた。

そんな時間の状況と
体の疲労度を考えれば
「よし、完走間違いない」
とこのとき初めて確信することができた瞬間だ。

意気揚々と
ランスタートしたのだったが
このあと、皆生大会史上初の
とんでもないアクシデントが待っていた。

皆生劇場’09ラン編に続く