今日から、本格トレーニング再開だ。
屋外を10キロばかし走ったが。
軽~い
休養は十分のようじゃ。
皆生であまりにひどい
状態だったので、
辛さに麻痺してるのかな?って
思ったくらい。
いずれにしても
体が軽くて快調なので
よしとしよう。
さあ、秋に向けて
走りこむよ。
車を洗うと雨が降る。
これ、何とかの法則というんやねえ。
でも、僕の場合、
本当にこの法則があてはまる。
晴れてるから車でも洗うかと、
洗い始めると一天にわかにかき曇り、
ポツポツ雨が降り始めたこともある。
それを見ていた奥さんが
驚いたくらいだ。
下手な雨乞い
(上手な雨乞いというのがあるのかどうかしらないが)
よりずっと
見事に雨を呼ぶ。
先週の週末もそうだ。
自分の車と奥さんの車の2台分を洗ったら、
昨日は嵐
「あんたが車を洗うから神戸にあんな雨がふったんやん」
だって。
その時、神戸方面は不気味な色をしておったぞ。
こんな感じ。
職場のわしの席の後ろの窓から撮ったよ。
そんな神戸の大雨、
決してわっしのせいではありませんからね~。
そして、雨の後きれいな虹が出ていた。
虹に願い事したらかなうのかなあ?
その日、一つの願い事が
かないました。
中身はナ・イ・ショ
しっかし、僕の洗車が
これほど見事に自然現象を巻き起こすとは、
もうこれは神通力というほかはないね。
ひと雨ほしいときに
車でも洗おうかな。
そうそう、今思い出した
たしか
マーフィーの法則
っていったっけ。
思い出したので調べてみたら、
まさにこんなことが書いてあった。
マーフィーの法則にあてはまる
典型的な例として
「洗車しはじめると雨が降る。」
ただし
「雨が降って欲しくて洗車する場合を除いて。」
だと。
都合よく解釈してたら、
きっちりしっかり釘をさされてた。
これもマーフィーの法則のひとつなんだろうかねえ。
近々、友達に
カレーをふるまう約束なので
休養を兼ねて
カレー作りの予行演習をした。
なぜカレーなのかというと
一人暮らしをしていた学生の頃に
いっとき凝ったことがあってね。
それを思い出して作ってみたくなったのだ。
今回のテーマは
「皆生疲れ癒しのための夏野菜すぺしゃるカレー」
なんでも「すぺしゃる」やし
で、具材はこれ
おっと、たまねぎを撮影し忘れてる。
目を引くのが二つありますね。
一つは袋に入った
「セロリ」
ビタミンAと各種ミネラルで
滋養強壮ね。
以外に脂っこいカレーの中で
サッパリ系の食感がいいのだねえ。
香りも強くて、カレーの中で
ひときわ存在感を主張する野菜だ。
そしてもう一つは
「ゴーヤ」
ご存知、ビタミンCの王様。
日焼けの肌にキクよ~
これらを、どれくらいの大きさに
切るかが問題なのだが、
久しぶりのカレーなので
煮込み加減がもう一つつかめていないから
無難に、小さめに切ってみた。
一緒に肉にも塩コショウをして
さらに粗引きペッパーで下ごしらえ。
それがこれ。
これらを、まず炒めるのだが
油代わりに、今貴重なバターね。
まず肉を炒めて肉汁を調達。
それから、かたい野菜の順に
フライパンに入れていく。
いいね、いいねえ
料理をしてるって感じ。
頭にコック帽を乗せたいところぢゃ。
ひととおり炒め終わったところで
鍋に移し、水を注ぐ。
そして、隠し味は
これ。
トマトペースト(6倍濃縮)
これも、このすぺしゃるカレーの特徴のひとつぢゃ
沸騰してきたらアクをとり
弱火でコトコト煮る。
ただし、野菜が小さめなので
時間は短め。
こうなったところで
にんじん、ジャガイモの
かたさを調査。
うん、いけるいける。
さあ、これで後はルウを入れるだけ。
「ジャワカレー(辛口)」
これで完成じゃ。
見た目は、あの
萩、川尻岬や虎ヶ崎のカレーにも
徳之島、K見荘のカレーにも
負けずとも劣らぬ出来栄え。
ご飯を盛って、そこに
カレーを乗せる。
米はもちろん
魚沼産コシヒカリ
なわけないか、はい
産地偽装でした。
いっただきま~す
モグモグ
モグモグ
ん~、この味はまるで
まるで
カレーのトライアスロンやあ~
もしくは
夏野菜の感動のゴールやあ
ってなんのこっちゃ。
しかし、ほんまにうまかったよ。
でも忘れちゃいけない。
反省点も書いておこう
1.野菜をもう少し大きく切らないと
特に、じゃがいもやなすびは原形がなくなる。
2.セロリは、もう少しシャキシャキ感を出すために
ぶつ切りより、繊維質長めの斜め切りやな。
3.肉は、塩コショウだけでなく、少し叩くか
切り目を入れておいたほうが柔らかくなるかな。
4.隠し味に赤ワイン、肉を柔らかくする
パイナップルの使い方についても勉強やな
以上、シェフドイロンのカレー教室でした。
今回の皆生の宿は
「皆生つるや」
11回の大会参加中
8回お世話になっている
格調高いお宿です。
ここに泊まり始めた頃は
1人だったり
多くても3人くらいでの参加でしたが
今年は、応援を含めて
最高の15人での参加となり、
つるやでの最大派閥を形成していましたな。
くろうとクンは当日、
ひげ夫婦、ひげマネージャーは
翌朝別れましたが
レース翌日は
そんな仲間たちと
去年からランの折り返しとなっている
境港を見学してきました。
例年なら、観光客もまばらな
山陰のいわば辺境の地に
今年は、驚くほどの大勢の観光客が
押し寄せていました。
実写版映画にもなって
浜ちゃんいわく、
これぞまさしく
鬼太郎特需
数ある妖怪オブジェの中から
「お父さん、こんなところにいたんですね~」
ご存知、こなきじじいです。
鬼太郎の武器は
下駄とちゃんちゃんこ
それと、これは
とてももったいないと、
薄毛の反感を買う
「髪の毛飛ばし」
早晩、鬼太郎はハゲルね。
そうそう、寝癖で
髪の毛がピコンと立っている人いるよね。
そんな人を見かけたら
「妖怪アンテナだあ」
と、さりげなく指摘してあげましょう~。
それと、臭い息で
周りを惑わす
あの憎めない妖怪は
「ねずみ男」
ですから、
doironはすぐに
「ねずみ小僧」と言ってしまいます。
「鼠先輩」とは間違えませんが・・
これは、かの地のパン屋の
店先で。
妖怪オンパレードのパンです。
ガラスに写るピンクと黄色のおみ足は
さて、何て妖怪の足でしょ~
さらに、自販機までこんな感じ。
魚を加えた猫娘の風情でスイムを上がってみたいもんじゃ
何もかも妖怪づくし
境港の人たちにとって、
水木先生は神様じゃね~
その後、お菓子の壽城にも
登城。
ここでは、おいしい
大山の白バラ牛乳に相談しておきました。
そんな風に
レースの後も楽しいひと時を
過ごしましたぁ。
さて、今回のレース
様々な勲章を選手たちに
授けてくれました。
なんといっても、初皆生を
灼熱の中見事に完走した
T蟹クンには何物にも変えがたい
勲章でしたね。
スイムの恐怖
レース前の緊張を乗り越えて
本当に頑張りましたねえ。
レース前日と翌日とでは
顔つきが変わってましたよ。→
そして、てるみちゃんには
本物の勲章
年代別2位が授けられました。
僕の知る限りでは
皆生2回目のお立ち台。
たいしたもんです。
年代別表彰の証。いわゆる、「盾」ですかね
さらに、doironにも
いっぱい勲章が授けられました
これが、スイムの勲章
ウェットずれですね。
そしてこれが、バイクの勲章
日焼け痕ね。
最後に、これがランの勲章
脇ずれ、靴ずれね。
見苦しい画像が続きました
スンマソ
最後に
きれいな画像で
お口直しを
灼熱皆生を髣髴させる夏空と
逆さ大山が写ってます~。
レース、観光、余韻を楽しんだところで
皆生劇場
やっとこさの幕切れです。
お後がよろしいようで~
レベルの高低は別にして
自分なりによくがんばったと、
大山は微笑んでくれたが、
果たして境港の大地は
doironを歓迎してくれたのか?
灼熱の中で、
doironの心は溶けなかったのか?
皆生劇場 ラン編です。
バイクパートで体力を、
最後の一滴まで使い果たした感の中でランスタート。
余力はすでにない。
日焼けと汗にまみれた体の中で、
エネルギーを
作り出していかなければならない。
いくらなんでも、
体内のTCAサイクルまでは破壊されていまい。
脂肪をどんどん送り込んでエネルギーにしてやる。
こんな時のために
腹回りに脂肪を溜め込んであるのだから
これを今使わないといつ使うねんてなもんだ。
分解された脂肪は
脂肪酸とグリセリンになり、
脂肪酸はほぼダイレクトに
TCAサイクルに、
グリセリンは乳酸とならないように
制御しながら
これもエネルギーにしてやる。
(自分で制御できるものではないが、
強い気持ちが作用するのはたしかだと思う)
スタートして5分。
宿の前では歩道に大の字にひっくり返るほど
見た目はフラフラであったが、
このときすでに
doironの
エナジー再生工場は動き始めていたのである。
温泉街の交差点で
応援の一行に遭遇したときも、
ゆーとが何かを
差し出してくれているのはわかったが、
意識は朦朧で
口にものをいれる力はなかったし、
あの時は
胃袋さえ休めてあげたかったんよ。
ゆーと、ありがとう。
あの時気持ちは十分貰ったよ。
よたよたと5キロくらいを歩いたころからだ。
doironのpowerインジケーターが
徐々に上がり始めたのは。
最初のエイドステーションでコーラを注ぐ。
意識はかなりはっきりしてきたし、
過去10回の経験で
コースは体が覚えている。
もうすぐ大きな交差点、
そして歩道橋。
見慣れた道を一歩ずつ進んでいく。
昨年の応援ポイントを通過しながら、
苦闘はしているものの
足の故障で参加できなかった
去年のことを思えば、
幸せなもんやと思ったね。
あれから一年。
いろいろあったが、
体調が戻り始めた春頃から、
すべてをふっきって
この皆生をめざして
自分なりにがむしゃらにやってきた。
特に6月は
この数年で
もっとも充実した日々をすごしたよ。
その甲斐あって、
ここでこうして走れているんだと思えば、
苦しさも薄らぐってなもんやね。
そのあたりより
前から次々に知り合い達が帰ってくる。
はまちゃん、
てるみちゃん、
やぶちゃん、
ふくちゃん、
いまちゃん、
某さん、
S村クン、
ひげママ、・・・
あれっ?
かいさんは?
T蟹は?
エイドですれ違ってわからんかったんやろなあ、
と思いながら、
昨年から変更となった境港のエイドで
ひげパパに会うと、
T蟹が元気に走っていたこと
(そういえばすれ違いざまに
肩をたたいていった選手がいたが
あれがT蟹だったことをあとで知った)
と、
かいさんのリタイアを教えてくれた。
かいさん
さぞかし無念だったろうな。
でもかいさんの場合は
いつでも完走できる中でのリタイアだ。
自分のように、
これを落としたら
二度と拾えないような後ろ向きではなく、
次につながる
前向きのリタイアに
かいさんならきっとできるだろう。
次に期待やな。
リタイア宣言し、
座り込んでるひげパパに、
まだまだいけるから
一緒に行きましょうと誘ったが
一度切れた気持ちは
元に戻らなかったようだ。
手をとって引っ張ってやればよかったかな。
そんな状態だから
ここで自分がやめたら、
ルネ全滅だ。
これはなんとしても
完走せねばと気合を入れなおして、
出発した。
折り返しまで要した時間は
ちょうど
3時間。
残るは3時間半だ。
信号待ちをしていると、
回りの選手が話しかけてくる。
「間に合いますかねえ」
と女性が聞いてきた。
ひょっとしたら、
スイムの折り返しで
同じ質問をした人かもしれないなと、
今になって思っているのだが・・。
「あと、半分走れば完璧間に合いますよ」
とここでも自分に言い聞かすように答えた。
うまくできているもので、
終盤の選手の疲れがピークを迎える頃には、
日が落ちて、
少し涼しくなり始める。
来た道を、
テクテク走り、歩き、
弓ヶ浜に差し掛かった頃に
ようやく完走を確信したね。
それにしても
スイム終盤で
完走を確信していた数年前の頃とは
隔世の感がありますな。
ラストのエイド近くで
応援のくろうとクンと遭遇。
エイドで「何か要りますかあ」と聞かれて
「トンカツ定食」
と叫んでいるところを写真に撮ってもらった。
ホントに出てこなくてよかった。ホッ
そしていよいよラスト1キロ。
競技場から名物アナの
聞きなれたあの声、あのセリフの
「お帰りなさーい」
が聞こえてきた。
まばゆい競技場に入ると、
仲間たちの
doiro~n
を呼ぶ声も聞こえてくる。
お約束のスキップで
喜びを表現。
精一杯でした。
花束までいただいて、
横断幕まで掲げていただいて、
全員で一緒にゴールもしていただいて、
本当に感激しました。
辛い辛いレース、
途中から一瞬たりとも気を抜けない
厳しいレースだっただけに、
喜びもひとしおです。
今回のゴールを
doironは一生忘れないでしょう。
体調を崩してから2年間、
ずっと夢見ていたゴールですからね。
この日一日
戦っただけじゃないんです。
ずーっと、戦ってきた日々の
延長上にやっとたどりついたゴールでした。
あきらめないでやってきたことに、
神様がくれたごほうびのように思います。
おかげさまで
doironは
ここから、また次のゴールを目指していける
勇気をもつことができました。
応援の仲間がいなければ
絶対にゴールできなかったと断言できます。
皆生にはこれなかったけど
応援してくれている人たちも含め、
本当にみなさんありがとうございました。
えっ?ゴール写真?
年賀状に使いたいので
未公開とします~
以上、2008皆生ランパートの
真実です~
次回、皆生劇場 大団円編に続く~
さあ、昨日に引き続き
今日は皆生トライアスロンの
バイクパート。
今回のレースは、
このパートがいわば
メインイベントだった。
6月に700kmのバイクに乗り
何とかぎりぎり皆生に間に合ったかなあと
ブログに書けたのが7月9日。
レースの11日前。
案の定
ぎりぎりでのゴールとなった。
そんな、皆生劇場バイク編、始まるよ~
スタート時は余裕に見えただろうが・・・
それは突然やってきた。
まだ5kmくらい。
日野川の河川敷でバイクを降りて、
草むらに吐いたのだ。
エアロポジションをとって
乗り始めた頃から、
胃のあたりが絞るように痛い。
波酔いと飲んだ海水の影響だろう。
大きな道路の下の
日陰にしゃがみこんでしばらく休憩。
まだ5kmしか行ってないのに
この先どうなるんだろうと
不安に襲われるものの、
まあ我慢して走り続けていれば
どうにかなるだろうと
気を取り直して再出発。
しかし、身体、脚には力が入らないままだ。
いやいや走り続けて
最初のエイドステーションに到着。
着くなりバイクを降りてまた吐いた。
灼熱の気温、
容赦なく降り注ぐ夏の陽光の中で
このままでは脱水は目に見えている。
胃薬はないかと聞いたが、
ないとのこと。
ぬるい水を飲み。
コーラとスポドリを積み込んで
出発したが、またもや
日陰でバイクを降りて吐いたので、
ここではかなりの時間休憩をしてみた。
セミの鳴き声をききながら
しゃがんでいると
大会の関係者の車が
ゆっくりこちらを見ながら通り過ぎてゆく。
10キロ過ぎで
バイクを降りている選手がいるぞと
連絡をされたかなあ。
さっきのエイドで冷たい水を
貰い忘れたことを悔やみながら
頭から構わず冷たいスポドリを被った。
「ここでやめたら楽になるんやろなあ」
と考えていたら後から来る選手たちが
みんなしんどそうなのに声をかけてくれる。
「やっぱり乗れるうちは乗ろう!」
と思い直してお尻の砂を払って
再々出発。
すると、不思議なもので
急な上り坂を汗をかきかき登っているうちに、
お腹の調子が戻ってきた。
ただしかし、依然として肝心の
脚には力が入らない。
まるで粗悪な燃料で走るトラックのようなもんだ。
エコ宣言の大会に
全くふさわしくない選手じゃのう。
CO2を目いっぱいはきながらも、
登りは一桁、
すなわち時速10km以下で
エッチラオッチラ登っていく。
ほんまに、このまま天国まで
登っていくんじゃないかと思ったね。
と帰ったらブログに書こう、
なんて考えていたから若干余裕もあったのかな。
やがて少しずつ体力も回復してきた。
流し込んだコーラが
ようやく効いてきたのかも。
いい傾向だ。
そして大山道路を終えて、
コース中最長の下りを軽快に下っている頃からは、
やっと脚も動き始めた。
本レースの最大スピード64.6キロを
記録したのもその坂道だ。
そして60キロ地点で
応援の皆さんに会った頃には、
なんとか人並みにバイクを踏めるようになっていた。
応援のウサギさん達とも
ここで遭遇し、写真撮影もしたよ。
その後、
上り坂をふうふう言いながら、
下りや平地はびゅんびゅんと走りながらも
冷静に考えてみると、
どうやら
制限時間がやばい
ということに気づいた。
たしか、
折り返し地点で13時だったのではないか。
(後で説明資料を見たら13時30分だったのだが、
結果的にその勘違いが功を奏した)
折り返しまではまだかなりあるぞ。
ここから続くジェットコースターのような
アップダウンを考えれば、
制限ギリギリではないか。
そしてそこから
時間との戦いが始まったのだ。
これは精神的に辛かった。
脚がとまりそうになる度に、
急げ急げと自分に気合をいれる。
「これで間に合わんかったら、
俺の皆生は終わりだぞ」とさらに
精神的に追い詰めて、
折り返し手前10キロくらいからは、必死だった。
こんなにゆっくり走っていたら間に合わんやん。
彼らはリタイア覚悟なのか?
と思いながら前を走る選手をごぼう抜き。
12時59分に、
ぎりぎり折り返しに到着した。
ほっとするのもつかの間。
まだこの後バイクの最終関門に向けて
残り二時間必死にならなければいけない。
思考力も脚に注ごうと、
もう何も考えなかった。
ピクピク痙攣しそうになる脚を
カリカリ梅でごまかすこと6回。
ようやく終盤の平地に入ったところで、
メーターをみたら
110km。
残りは35キロ。
そして残り時間は1時間。
一瞬無理かと思ったが、
ここで、これまでの皆生の経験が生きた。
皆生の距離設定がおかしいのか、
それとも自分のスピードメーターの
距離設定がおかしいのかわからないが、
たしかこれまでの皆生でゴールしたときの
バイクの総合距離は137kmと出ていたはずだ。
とすると、
残りは27km。
まだあきらめる距離と時間ではない。
引き続き、必死の戦いを続けよう。
そしてだめなら、
それは自分の力不足とあきらめよう。
そう思いながら、
そこからまたがむしゃらに漕いだ。
ギアは常にトップだ。
後のランを考える必要などない。
足の一本くらい折れてもいいぞと思いながら、
米子大橋に到着。
遠くに米子の製紙会社のプラントが見えてきた。
ここからあと5キロ。
残り時間は10分。
時速30kmでぎりぎりだ。
もう声が出るのも止められなかった。
時折「ウリャー」と叫びながら、
さらにエンジン全開。
川沿いに吹く海からの強い向かい風を
トップギアで切り裂いて走った。
あと5分。
あと4分。
あと3分。
もうそこからは時計を見る余裕もなかった。
見えていたのは、
皆生温泉街のビル群だけだ。
必死の形相(多分)で
最後のカーブを右折して、
バイクゴール。
制限時間まであと一分を切っていた。
終わった。
とりあえずバイクは。
それにしても、常に
自分にムチ打ち続けたレースだった。
一瞬でも気を抜いていたら
バイクゴールはできなかっただろう。
バイクゴールをした後のトランジッションでは、
目の前が暗くなるほど疲労していた。
バイクを置いてしばらく
その場にしゃがみこんだよ。
あまりに辛かった6時間強が
やっと終わったと思うと
泣きそうにもなったなあ。
しかしそんなことも言ってられない。
これからフルマラソンだ。
泣いても笑っても
あと6時間半で
この状態から解放されるのだ。
フラフラと夢遊病者のように立ち上がり
なかば無意識に着替え
ランコースに飛び出した時には、
ラスト5人目の
ランスタート選手になっていたことが
あとでわかった。
しかし、こんなに精神的に辛かったバイクは
doironの歴史にはない。
レベルの低いところではあるが
自分なりに壮絶な戦いをしたと思う。
その果てに
勝ち得た自己満足ではあった。
ランコースに出て
後ろを振り返ったときに、
今しがた駆け巡ってきた大山が
「よくがんばったね」と言いながら
ニコッと笑ったように見えましたあ。
朦朧ランパートに続く~
「スイムで何があったのか?!」
くろうとクンがコメントに書いていたが
結論から言えば
何もなかったのだ。
ただ、自分の力不足です、
と答えるしかないなあ。
これから書くスイムの物語は
苦手ゆえにオーバーな表現も
ままあるかもしれないが、
そこはそれ、
そんな水泳下手な
選手が書いているんだということを
ゆめゆめ
忘れないで読んでちょーだい。
では、皆生劇場、スイム編の
はじまりはじまり~。
それは2008年7月20日の朝のこと・・・
スタート地点の日野川河口に集まった850人。
その選手たちの最後尾に立ち、
台風余波のうねりだろうか、
白波となって次々と押し寄せてくる波のように、
僕の胸には
ここに来るまでの日々の記憶が
次々と押し寄せてきていた。
決して万全ではない体調で、
二年ぶりに皆生に挑む勇気を
打ち砕くかのような、
波とうねりと、灼熱の予感の中で
かろうじて自分を支えていたのは、
家族に支えられながら18年間
この競技と向かい合ってきた
トライアスリートとしての矜持と、
はるばるこの地まで
応援に駆けつけてくれた友人たちへの
感謝以外の何物でもなかった。
スタート1分前。
横に立つ、皆生初挑戦のT蟹クンと
「ゴールで会おう」
と固く握手を交わし、
ホイッスルの音で一斉に泳ぎ始めた。
まるで、
大海に挑む小船のような気分で。
最初の左ターンまで350m。
まっすぐ泳いでいるつもりでも
左に曲がる癖があるので、
右外から出発したけど
すぐに左サイドのコースロープに
張り付くように泳ぎ始める。
大きなブイを超えて
左に曲がった頃から、
うねりはあるが、
このままあとは我慢の時間を
過ごせばいいのだと、巡航状態になる。ホッ
後尾を泳いでいると、
周りは泳ぎに自信がない者ばかりだから、
前を横切るように蛇行する選手、
後ろからぶつかってくる選手等がいて、
このあたりもある意味バトルがある。
3回に一回くらい(3の倍数回ごと)に
ヘッドアップ(アホみたいに顔を上げ)しながら
コースを確認すると、
コースロープにつけられた
オレンジのブイが前方はるかかなたまで続いている。
見るたびにげんなりするが、
コース確認のため見ないわけにはいかない。
そのうち、
ヘッドアップのたびに擦れる首筋が
ウェットずれをおこして痛みだしたので、
ヘッドアップの回数を
4回に一度くらいに減らした。
そうしているうちに、
ようやく折り返しのアドバルーンが
見えてきたが、
そのあたりがもっとも恐怖の時間だった。
掻いても掻いても前に進まない。
ヘッドアップ時の景色が
全然変わらないのだ。
そこで、
後のことを考えて温存している脚力を
この時ばかりは動員して、
バタ足もフル稼動。
ようやく中間の上陸地点に上がったときは、
平衡感覚も変で
立つのもままならない。
この時点ですでに、
49分が経過していた。
後でわかったけど、
この時すでに10人くらいはゴールしていたんやね。
横にいた年配の女性が
「間に合いますかねえ」
と話しかけてくる。
「大丈夫、帰りはきっと追い波ですよ」
と自分に言い聞かすように
励ましてあげたよ~。
確かに流れはあったが、
後半うねりが大きくなってきて、
そちらの影響が強く、
木の葉のように翻弄されながら泳いだ。
ようやく最後の大ブイを右折して、
陸を目指して泳ぐようになる。
いつもならこの時点で
皆生ゴールを確信するほど
バイク、ランには自信があったのだが、
今回ばかりはそうはいかなかった。
バイクも、ランも
ぎりぎりのところにいることは
わかっていたし、それは
あとでいやというほど
痛感することになるのだ。
フラフラした足取りでスイムゴール。
うれしそうやけど、いっぱいいっぱいね
上陸したのは、
スタートして1時間33分過ぎ。
さあいあくう
手はすっかりふやけていたが、
実はうねりの中で
酔うとともに海水をいっぱい飲んだので
内蔵も含め、身体、心までふやけきっていることに、
このときはまだ気づかないでいた。
トランジッションで
残っているバイクを数えると
約25台。
もうほとんど終わりやん。
毎度のことながら
修学旅行のクラスバスに
置いていかれたみたいな
そんな寂しさを
今回も味わったなあ。
ひと気のすっかりなくなった
更衣テントで着替えて
それでも負けじと
意気揚々とバイクに出発した、
ところまではよかったのだが・・・。
地獄のバイクパートに続く。
台風が来ようが、
豚が降ろうが、
もう
”まな板の上のdoi”
準備も完了。
明日は朝5時に
浜ちゃんが迎えに来てくれます。
なので、早く寝ます。
では、
明日頑張って行ってまいる。
結果は、近日上映だあ~