ジダンのアドバイスもあって、
地形図を見ながら
危険そうな岩場を避け、
丸山湿原の上流を横切って
安全側から登ることにした。
途中、水が山道を削っていて、
特徴的な木の根の生えたところを
軽くジャンプするようなところもあったが、
大岩ヶ岳の名前に似合わず
難なく標高384.2mの頂上に着いた。
三角点を見ると
どうやら二等三角点のようだ。
山頂からは「千刈ダム」、
近くには特徴のある形の羽束山も見える。
ま、勇壮な名前の山だから
これくらいの眺望はないとね。
さあ、くだりは千刈ダムに向かって下山だ。
案内に沿って進もう。
ん?また丸山湿原を通るようだ。
面積が兵庫県下一という湿原だから
そうなるんだろう。
途中、水が山道を削っていて、
軽くジャンプするようなところがあった。
あれ~?ここは登るときに通った道やん。
特徴のある木の根に見覚えがあるぞ。
もしかしてポンデリング?
じゃなかったリングワンデリング?
慌てて地図を取り出して、
フムフム・・・検討中・・・検討中・・・
ああそうか。
登るときに岩場を避けて
迂回したからかあ。
ということはこの先で分岐があるはず。
あったあ。
ここが分岐です。
それにしても、ちゃっちい標識やなあ。
と思っていたらちゃんとありました。
これです。
丸山湿原の下流部を通って
千刈ダムにおりる道です。
でも(倒木多し)となっているけど・・・
まあ何とかなるでしょう。
こんな倒木や
こんな倒木を
わっせわっせと超えてかなり下ったところで、・・・
踏み跡が消えた。
むむむ、これはイカナゴはくぎ煮でおいしい。
ではなくて・・・イカナルことが起こったのだろうか。
倒木に気を取られて
間違った谷に入った?
それともかなり大規模な倒木のせいで
人が通らず道がなくなった?
下りてきた谷の方角や、
周りの地形からして前者はない。
きっとこの谷であってるはずだ。
ここまで下りてきたのに、
引き返してまたあの倒木を越えて
登って行くわけにはいかないし、
山頂で降り始めた雨が
徐々に強くなってきている。
逡巡している場合ではない。
自分を信じて下りてゆこう。
やがて、谷間は深い水と
倒木に阻まれ、
横の斜面を木につかまりながら、
トラバーユしていく。
「他にいい仕事ないかなあ」・・・
ではなくてトラバースしていく。
しかし、これがまたかなりの急斜面で
谷に滑り落ちないようにと、
少しずつしか進めない。
ならいっそもう一度尾根に出て、
地形を見てみるかと
再び四足で斜面をごそごそ登って行った。
このへん余裕がなくなり写真がない。
で、尾根に出て周りの地形と方角から
この谷にやはり間違いないことを確信し、
再び谷へと降りて行った。
尾根伝いに行くと、
ダム湖の上の絶壁に出る可能性もあるので、
地図に書かれてあるように
谷を行かねばならない。
でももう迷いもなくなったし、
倒木も少なくなったので、
何とか左右に渡渉しながら下って行くと、
おお~こんなところにビールの空き缶が・・・
たかがゴミだけどここに人は来ているという、
ちょっとした安心感を抱いたぞ。
やがて、なんと次に現れたのが
瓶ビールの空きケースが2つ。
ここで宴会をしたんだろうか。
それくらい人里に近いという事か。
そんなものを見て
少し余裕ができたからか、
谷筋にこんな石が立っているのを見つけた。
「神水」と書かれてある。
どれ、神様の水をいただいてみるか
と思って流れを見たけど、
濁っていて飲めそうにない。
「ああ、雨のせいか」
とその時は思ったけど、
それから先いくつもそんな石が現れてきた。
で、はたと気がついた。
「神水」は「神戸市水道局」なんだ。
このあたりは神戸市の水源地となっている。
やがて、見通しの悪かった
谷の先が明るくなってきた。
で、降り立ったのが千刈ダムの真下だった。
ダムから流れ落ちる水の動きが美しい。
近づいていくと、
おお~右の斜面に開いたトンネルから、
たくさんの水が滝のように轟々と流れ出てきているではないか。
暗い山の中から一気に開けた
doironの気持ちを代弁しているようだ。
一時間のコースタイムのところを
二時間半かけて下りてきた。
一歩間違うと、こんな壁の上に
出てくるところだった。
さすがに地形が読めるハイカー向き
というコースだけのことはある。
(単に道を間違えただけ、という声もあるが・・・)
そこからは、車道をてくてくと歩いて
午後四時半に再び「道場駅」についた。
電車の時間まであと20分。
こんなコースを歩いて
何度も立ち止まって
地形図をガサゴソ広げて
考えながら歩いた大岩ヶ岳。
取りあえずは無事生還を祝って、
駅前の駄菓子屋兼食品店
兼日用雑貨店に飛び込んだ。
おばさ~ん、ぬるめのカンと
あぶったイカありますかあ。
え?ない
品ぞろえの悪い店やなあ
ほなこれにしとくわ。
そうしてビールをいただいたのであった。
グビグビと終わり。
ダム湖沿いの道は広々として気持ちよく、
この季節にはタニウツギが満開だ。
人工構造物としてダムを見るときは、
広々としてきれいなあなんですが、
この谷にあった様々な自然を
無理やり水底に沈めた
人間のわがままな行為の結果として眺めると、
また違った見方になるねえ。
きっと百万輪のタニウツギが消え、
百万匹のシャクトリムシが滅びたのだろう。
そんな犠牲の上に
我々の快適な暮らしがあるんだ
ということは忘れないようにしたい。
そしてそれはまた、
天空を切り裂き、
斜面にグサリと突きたてた
道路の橋脚だってそうだ。
と、そんなことを考えている時に、
ふと思い出したのが、
昔の仕事での出来事だ。
ある日1本の電話がかかってきて、
「川に草がいっぱい生えて見苦しい」という。
見に行ってみると、
川幅15mほどの川の中洲に
「葦」や「すすき」が生い茂っていた。
これのどこが見苦しいのだろう。
コンクリートで固められ、
草1本も生えない川は
もはや川とは言えず、水路でしかない。
土があり、植物があるからこそ、
鳥が舞い、生きものが繁殖するのだよ。
それのどこが一体見苦しいんだろう
と不思議だったなあ。
そんなことを考えながら歩いているうちに、
ダム湖の最上流にきた。
そこが「丸山分岐」といわれるところだ。
ここに、小さな道しるべがある。
これと
これ。
案内には「電柱の手前から山に入って行き・・」
とあるので間違いなくこの道でしょう。
さあ、いよいよ山道です。
踏み跡に従って歩いていこう。
案外この道は人が歩いていないという印象だった。
ところどころで道が消え、
小さな谷川を右に左に渡り歩いていくことになった。
ここで靴に水を入れてしまっては、
この先厄介なので慎重に渡渉する。
この日はいつものトレランシューズではなく、
トレッキングシューズを履いてきたのは正解だったな。
結構奥深い印象だ。
と、その時、前方から一人の登山者が歩いてきた。
どこへ行くのかと聞いてきたので
「とりあえず丸山湿原に行くつもりです」
と答えると、丁寧に道を教えてくれたよ。
おかげでその先のややこしい分岐を
間違えずに済んだのはラッキーだったといえるだろう。
本当に間違った道を行ってしまうところだった。
元々このコースは
地形が読めるハイカー向き
と書かれてあったのを思い出し、
このへんからしっかりと地形を意識しつつ
歩くことになったというのも、
その出会った登山者のおかげであるともいえる。
確かに地形図ではこのあたりから、
谷筋ではなく尾根に上がっていくように
登山道の破線が描かれてある。
急斜面を登り、
その道は岩のやせ尾根へとつながっていく。
よしよし地形図を見ても間違っていない。
岩をよじ登るようにして歩き、
この先湿原に入って、
じめじめしたところに入る前に
見晴らしの良いところで昼食を摂ることにした。
今回はシーフードヌードルと
おにぎりが一つ。
景色を眺めながら、胸もお腹もいっぱいになったところで、
さあ先を急ごう。
なにせ「大岩ヶ岳」なのである。
どんな大岩が待っているかわからない。
岩稜のピークを越え、
少し下って行くとこんな橋があった。
ここからいよいよ湿原に突入する感じ。
ダム湖よりもずっと上のこんな場所に、
水たまりのようなところがいくつかある。
これぞ天然のダムである。
季節が花の端境期のようで、
湿原らしい植物はほとんど見られなかった。
もっとも、モウセンゴケのような
小さな植物は、周回の木道を歩いているだけでは
見つからないだろうけど・・・。
加えてハッチョウトンボも見ることは
かなわなかったなあ。
まあそっとしといてあげましょう。
さて、今回目指すは「大岩ヶ岳」。
ここでやっと正式な大岩ヶ岳
と書かれた道しるべに出会った。
よしよしと続く。
泉州富士に登った後は、
またどこかの「富士」にいったのかと思いきや、
今度は六甲山系の北。
武庫川の上流にあたる山系にある
「大岩ヶ岳」に登ってきたお話だ。
以前、武庫川廃線跡を歩きに行ったときに
地図を見ていて気になってた山のひとつだ。
まず第一に名前がいい。
低いくせに精いっぱいたいそうな名前のこの山の
からえばり感に親しみがわくね。
そしてもうひとつ、
その山の山麓にある「丸山湿原」というのも気になっていた。
サギソウが咲き乱れ、
日本一小さいトンボである
ハッチョウトンボが飛びかう
兵庫県下最大の湿原で、
生態系として兵庫県版レッドリストの
Aランクに指定され、
湿原そのものが
宝塚市の天然記念物にも指定されている。
サギソウにはちょっと季節が早いけれど、
ひょっとしたらハッチョウトンボに
出会えるかもしれないという
淡い期待もあったのだ。
登山の案内書を読むと、
あまり人が入っていないうえ、
道がいろいろあるので、
地形を読むのが好きな人に向いている
と書かれてある。
読むのが好きな人・・はあまりいないだろうけど
何となく地形の見本的なところが
あるのかもしれない。
その意味は、
後ほどいやというほどわかるのだが、
ひとまず話を進めて行こう。
宝塚から
三田に向かって
JRに揺られていくと
「道場」という小さな駅に到着する。
てっきり「みちば」と読むものと思っていたら
「どうじょう」と読むらしい。
なんか奥深い山の修験道を
ほうふつさせる名前じゃないか。
駅から武庫川に沿って、
しばらく舗装路を歩いていくのだが、
これが実に大変だったぞ。
というのもこの地では
現在「新名神高速道路」を急ピッチで建設中。
だから、ダンプがひっきりなしに
横をかすめて走っていくのだ。
こんなに多くのダンプを見たのは久しぶり、
いや生まれてはじめてかもしれない。
そんな人がいるのかどうか知らないが、
ダンプおたくがいたら垂涎のコースだろう。
それくらい交通量が多く、
この区間だけでいっぱい土埃をかぶったような気がする。
ダンプが多かったのは他にも、
この道沿いの武庫川で、
河川災害復旧工事もしていたということもある。
これはその工事現場に掲げられていたポスター。
どうもこのへんには「わるタン」が出没するようだ。
「わるタン」とは何者かと調べてみたら、
兵庫県の非公認キャラなんだそうだ。
災害復興のシンボル「はばタン」
のライバルなのだが、
悪いことばかりをするのではなく
こちらも災害復興の役目もはたしているそうで、
ちょっとよくわからないキャラです。
そしてそのポスターの横には、
工事に伴って、すっぽんを救出したり、
ナマズも救出した旨の
ポスターが貼られていました。
ホントに救出したのか?
スッポンは高級食材だし
ナマズは「河ふぐ」といって
これも珍食材だ。
救出してどうしたかは書かれていない。
さすがに
「ウナギ、ゲットォ」
なんてポスターはなかったなあ。
その河川工事現場から
川下川ダムへ続く林道に入って、
やっとダンプ軍団から逃れることができ、
武庫川の清流のせせらぎとたくさんの鳥の鳴き声の他は
何も聞こえない静かな道となった。
木からプランとぶら下がる
毛虫、シャクトリムシも愛嬌程度しかいなかったしね。
キツネアザミや
キリンソウの咲く道を、
テクテクと進んでいく。
ずっと横を流れている武庫川の
渓谷美もなかなかのもんだ。
おっと、ここから左の道に入り、
いよいよ道が登って行く。
しばらく行くと、
新名神の工事中の橋脚が見えた。
かなり高いところに道をつけているようだ。
それにしてもこの橋脚を
最初にどうやって立てたのか想像もできない。
日本の土木工事はすごいもんだ。
やがて、目の前におおきな
石積みのダムも見えてきた。
これもすごい!
こんなダムを築くなんて橋脚どころではない。
まったくすごいぞ黒部の太陽、って感じだ。
それが宝塚市の取水、導水施設を持つ
1977年完成の川下川ダム。
そこまで登って行って眺めたダム湖がこれ。
道はしばらくこの湖沿いを歩くことになる。
広々と続く。
前回のぶらチャリハテナのひとつ
大津井堰の跡が
かつて大津川から農業用水を
取水していた名残だということがわかったのだが、
その時に調べた江戸時代の地図に
もうひとつ興味深いものが描かれてあった。
それが、この「中池」。
あおい矢印
泉大津市内にわずかに残る
2つのため池のうちのひとつだ。
それがここ。
江戸時代の古地図と
現状の池は、そっくりそのままの同じ形であった。
周りの景色は変わっても
池はまだ当時の形を保っているようだ。
さらにその北側にある水路の分岐には
「辻の鼻」との名前が
付けられていたそうなので、見に行った。
ここだと思うのだが・・・
こうしてひとつの石から
ほっつきの対象が
芋づる式に増えていくのを実感したわい。
そしてほっつきの「ハテナ」がまた、
先日汐見公園に三角点を
見に行ったときに見た景色の中にあった。
これ。
市内ではなく隣の忠岡町なのだが、
海辺に突き出た大津川の対岸に
たくさんの緑が見える。
はて?あの緑は一体何なのだろう
というのが今回の「ハテナ」だ。
書き物を終えて、ホッとした日の昼過ぎに、
ぶらチャリで行ってみた。
大津川大橋を渡るときは
ちょうど潮が引いていて、
川の中洲にたくさんの鳥が見えた。
これは、「ウミウ」かまたは
「カワウ」だろう。
この厄介者扱いされがちなウの仲間の鳥が
こうして集まっていると、
なんだか悪巧みの相談をしているように見えてしまう。
大津大橋を渡ったところで
交差点を右折し、
突き当たりに向かう。
突き当たりに、緑が見えてきたものの、
ゲートもあるようだ。
「北部水みらいセンター」
と書かれてある。
どうやら流域下水道の施設のようだ。
ゲートがあるので
中には入れないかなあと思ったら、
ゲートの横にもうひとつ開口部があり、
そこにもゲートはあるが
そんなにモノモノシイシャットアウト的な雰囲気はない。
そこがどうやらあの「緑」の入り口のようだ。
「新浜緑地」。
とそこに書かれてあった。
中に入ると、こんな看板があり、
この緑地の地図と概要が書かれてある。
海の見える公園で下水処理場を
ぐるっと囲むように作られ、
全長約2キロの道が、
海に沿って整備されている。
あの汐見埠頭から見えていた緑だけではなく、
ずっと奥まで海沿いに遊歩道が作られてあったんやね。
早速入ってみよう。
まずは駐車場と多目的グランドがある。
これを横目にチャリでどんどん入って行くと、
下水処理した水がふんだんに流れている水路に沿って
ずっと道が続いている。
右側には大阪湾が大きく広がっている。
これはなかなかいいところである。
途中でトイレもあれば、水道もあるし、
ずっと続く道の横には
湾に面して展望台も作られてある。
西の海の方に開けているので、
和歌山だったらきっと「夕日百選」になってることだろうて。
たしか今の泉州マラソンの前身である
「千亀利マラソン」で、
この埋め立て地を走った記憶がある。
軽く風邪をひいていたけど、
身体の仕上がり具合は絶好調だったので
無理して出場したら、
このあたりで地面がぐらぐら動き出して
リタイアをしたことがある。
マラソン人生初のリタイアだった。
あの時はフラフラになって帰って熱を測ったら
38℃以上あった。
よくぞやめたものだった。
あの頃にこの緑地公園があったかどうか知らないが、
もし知っていたら、
ここにもせっせと走りに来ていたにちがいない。
ハマヒルガオもいっぱい咲いてる
ほんとにいい公園だった。
さてこれで、汐見公園から見た
今回の「ハテナ」は一応解決した。
さて次はどんな「ハテナ」が待っているだろうか?。
とりあえずやれやれと終わり。
参道には、石像が点在している。
中にはこんな寝姿の石像もあったりしたぞ。
かなり上まで来たなあと思ったところに、
こんな立派なお堂がある。
建設資材を持ち上げるのは大変だったでしょうねえ。
そしてその先からいよいよ山道が始まった。
なおも傾斜はかなり急である。
その上あまり人が登っていないようで、
枯葉がたんまり敷き詰められた道が、
かなり滑って歩きにくい。
道というより林の中を進んで行ってるような感じだ。
たくさん生えている樹は
多分「ウバメガシ」だろう。
その木に巻かれたテープを目印に、
ガシガシと登って行く。
ていうか、歩けそうな道を選んで進んでいくと
自然とテープを辿ることになる。
そして登り始めて20分。
山頂手前の見晴らしのいいところに出た。
おお~、ここにもこんなプレートがあった。
「ありたみちくさクラブ」
あちこちで見かけるプレートだ。
けっこういろんな山に登ってはるんやねえ。
目の前には粉河街道を挟んで
「雨山」と「土丸城跡」の山が
双耳峰になってそびえている。
また眼下には阪和自動車道が走り、
日根野や熊取の住宅地も見下ろせる
なかなかの眺めである。
あとでわかったけども、
ここは夜景スポットとして有名らしく
一部のマニアの人達が結構夜に登っているそうだ。
持参したコーヒーと
仏壇から拝借してきた
お供えのどら焼きで休憩し、
ここではいろいろ工夫して写真を撮った。
さらに携帯でパノラマ写真も撮ってみた。
さあ、山頂はもうすぐそこに見えている。
あと一息頑張ろう
と歩きはじめたら・・・
ここからわずかの区間が
蜘蛛の巣だらけで大変でした。
持ってきていたステッキではらいながら、
なんとか到着したのが
歩き始めて35分後でした。
やったー、富士登頂だあ。
これが、標高259mにある三等三角点。
山頂の葉陰に静かにたたずんでおりました。
山頂からは、先ほど歩いていた
稲倉ダムも見えています。
もし、樹がなければ、
きっと360度の展望でしょう。
いや、もしかしたら365度くらいまで
見えるかもしれません。
山頂にいた1頭の蝶がこれ。
スミレ類を食草にする
「ウラギンヒョウモン」かな?
そしてもう1頭はこれ。
これは「キアゲハ」じゃね。
山頂の広場には
ツツジの花が咲いていたので、
クマンバチなんかもいっぱい飛んでいて
賑やかだった。
さて名残惜しいが下るとしよう。
稲倉ダムへのくだり道を探したが
わずかに下るけもの道のような道は、
結構なブッシュです。
う~ん、どうしようとしばらく悩んだが、
やはり来た道をひきかえすことにした。
あの枯葉に埋もれた急斜面を下るのにも抵抗があったが、
そこはまあこれまで培った
タヌキ歩きでぼちぼち下って行くことにしよう。
結局、しりもちをつくこともなく
無事に山道を終え、
途中から石段になったところで
ふと気づいたのが、
石段に居並ぶ数々の石仏が
西国三十三ヶ所の巡礼になっているのじゃないか
ということだった。
そう、案の定登り口に
この看板が置かれてありました。
「此ノ上二西國アリ」だって
そうかあ、じゃあちょっとした公園に、
築山をいくつか作って、
「全国ご当地富士巡り」なんかあったらいいかもね~。
結局半日で帰ってくることができたので、
超お手軽な山でした。
ところが、最近の山の毛虫・蜘蛛の巣情報を
メールで交換しているジダンに
今回の登山を報告したところ、
何と彼は以前この近くで
猟犬におもいっきり襲われたそうです。
恐ろしいですねえ
それを思うとあまりお手軽ではないかもしれないなあ。
ま、襲われなくてよかったあ。
と、ホッとして泉州富士終わり。
え~、アルプスの次は富士です。
初めて富士山に登ったのは、
昭和59年7月26日。
doiron28歳の夏である。
大阪から職場の3人で運転を交代しながら
夜中じゅう車を走らせて、
朝に五合目に着き、一気に登頂してその日に下山した。
まだマラソンやトライアスロンはしていなかったので、
暑さの中ヒーヒー言って登った記憶がある。
そして2回目は、その6年後。
当時通っていたジムの友達4人で登った。
この時は、早朝に大阪を出発して
その日に8合目まで登り、小屋で仮眠。
翌朝、暗いうちに出発して
御来光を背にして登頂をした。
一般的な登り方は後者だろう。
いずれの時も、山頂までお鉢を歩いて行った。
山頂に立った時は、
「ああ今自分は日本中の誰よりも高い地面に立っているんだ」
と思っただけで、
お山の大将的な気分で興奮したのを憶えている。
富士山に登ったのはその2回である。
それ以後は、諏訪富士(蓼科山)、
加賀富士(白山)、伯耆富士(大山)など、
ご当地富士の山にもいくつか登った。
紀州富士(龍門山)に登ったのは、
つい最近のことだ。
元来ミーハーであることに加えて、
凝り性のdoiron。
レースから引退し、次なる人生を歩き始めてから、
いろんなこだわりの登山を始め、
さらに凝り性は重症化している。
そこで、ようしこうなったら
近隣のご当地富士に
いろいろ登ってみようと考えるに至ったのは
ごく自然な成り行きなわけである。
今、思い描いているのは
大和富士といわれる「額井岳」と
近江富士といわれる「三上山」登山なのだが、
先日飯盛山に行ったときに
山友から地元に泉州富士といわれる山があることを聞いて、
まずはそこに登ってみることにした。
その泉州富士とは、
泉佐野市にある
「小富士山」を指すそうだ。
昨秋登った雨山と
粉河街道が通る谷を挟んで東側にそびえる山である。
そこでふと思いついて、
雨山から撮影した写真を見かえしてみたら・・・
写ってたよ。
これが「小富士山」。
なかなか形のいい山である。
標高は259.36m。
細かい数値があるのは、
ここに三角点があるからなのだ。
ここんとこ三角点に凝っていたことだし、
これはもう行ってみなくてはなりませんな。
その泉州富士、
登頂だけなら一時間もあれば往復できそうなので、
行き帰りも含めて半日あれば十分だろう。
天気のいい日に思い立って
ぶらっと出かけてみることにした。
コースは稲倉ダムから登って、
粉河街道におりて、
またぐるっと車道を歩いて
ダムに戻るコース。
まずは車で稲倉ダムに向かった。
粉河街道から泉佐野カントリーに入る道をゆく。
生まれて初めてのゴルフラウンドに向かった道である。
あの時はドキドキしたなあ。
その誘導路を途中で右折れし、
うっそうとした暗い道をダムに向かう。
ダムのところには広いグラウンドがあって
少年野球の真っ最中であった。
空いたところに車を停め、
まずはダム湖周辺を散策してみた。
ボートで釣りに来ている人もいる。
こんなところで湖を渡る風を受けながら、
釣りをするのもさぞかし気持ちいいだろうな。
で、何が釣れるのだろう。
ブラックバス?
あれは意外にとても美味しいんだと、
本に書いてあったけどなあ。
ちょっと食べてみたい気もするぞ。
ウグイスの声が谷間に響き渡っていた。
これから登る小富士山の山頂を見あげながら、
少し散策したところで、
登山口を探してみたがどうも見つからない。
仕方ないので当初の予定を変えて、
反対コースで回ることにして、
再び粉河街道に車で戻り
水呑地蔵から登山することにした。
登り口がこれ。
そこから登山道が、
参道を兼ねて山の中腹まで
石段となって続いている。
「富士」と名がついているだけあって
尖峰だから傾斜はかなり急だ。
ふうふうと続く。
よく山に行ってるので
日付順に書いてると
日常の動きを書けなくなり
山の話ばかり続いてしまいそうなので
ここらで、日付をちょっと前後させながら
出来るだけ山話の合間に
山以外の話を挿入したりしようと思っている。
今回のテーマは
「テリトリー」だ。
ほっつきdoironのテリトリー内を
ぶらチャリ等でチェックしてみた。
まずは、「テリトリー」という言葉を
虫眼鏡片手に広辞苑で調べてみると、
載っていない。
カタカナ語だからかと思い、
じゃあ「縄張り」で調べてみるかと思い
ページを繰ってみると、
あった、あった。
こんな意味が書かれてあった。
1.「縄を張って境界を定めること」
う~ん、これは違うな。
2.「博徒の親分の勢力範囲」。
ええ~、広辞苑のコンプライアンスは
どうなってんねんって感じだ。
3.「動物の個体や集団が
競争者を侵入させぬよう占有する一定の地域」
うん、うん。
これは近いな。
でもdoironの場合
競争する者はいないし、
いくらでも侵入してもらってもいいしなあ。
どちらかといえばdoiron自体が
侵入者っぽいぞ。
どうも日本語とカタカナ語との間に
微妙な違いがあるようだ。
なので、ここでいう「テリトリー」とは、
単純に「行動範囲」ということにしておこう。
以前だったら、ランでは泉州地方、
バイクでは大阪府内とその周辺地域くらいが
「テリトリー」であったが、
今となってはほっつきのテリトリーは、
自分が住んでいる市と
そこに隣接する市町村くらいかな。
あ、飲み屋のテリトリーは
エイ周辺と泉大津駅並びに
和泉府中駅周辺ということになるかな。
酔っても歩いて帰れる範囲ね。
そんなほっつきテリトリー内で
前から見られていたハテナについて
探ってみたのでいくつか紹介しよう。
ひとつ目は、臨海道路の
汐見町交差点の北側にある中央分離帯。
ここには、そこそこ幅のある分離帯があって、
その周りに赤い鳥居が建てられてある。
これ。
ここに道路が通るときに、
何か祠でもあって撤去した際に、
鳥居だけを残したんだろうか。
市内の三角点を訪ね回った時に、
ついでに調査をしてみた。
汐見町の交差点から
中央分離帯に侵入していく。
周りの車からは、「こいつ何してんねん」と
きっと変な目で見られてるんやろなあ
とか思いながらもめげずに調査した。
結果は、祠もその痕跡もなく、
ただ雑草と引っ付き虫の草が生えているだけだった。
これだと鳥居の意味が何もわからない。
そこで管轄は違うが、
懇意にしている市の道路担当者に
聞き込みをしてみた。
管轄外の道路のことはわからなくても、
かつてそこに何か遺跡でもあった
というのなら知っているだろう。
「昔々の出来事じゃ。
そこには、どんベエとコン子という
キツネの夫婦が住んでいて・・・」
という回答を期待していたのだが
どうやらそうではなく、
よく飲み屋の路地裏の塀に
立小便防止のために
赤い鳥居を描くように、
ここに車からのごみのポイ捨て防止のために
鳥居を建ててあるのだろうとのことであった。
そうか、無宗教ともいえる日本人の
神社仏閣へのほのかな崇拝を利用した
行為といえるものだったのだ。
なるほどねえ。
確かにこの分離帯には
ごみが少ない。
これでテリトリー内の「ハテナ」は
ひとつ「!」に変わった。
そこから、大津川を上流に向かって
ほっついたところに、
もう一つの「ハテナ」があった。
昨年ほっつき百選の一つに認定した、
「ベニバナツメクサ」が咲き乱れる
河川敷の中にぽつんと立ってた小さな石だ。
それがこれ。
板原橋から下流約200mの地点である。
道路側から見ても文字も何も見えないので、
下におりて行ってみると・・・、
川の方に向いてこんな文字が刻まれてあった。
「大津井堰跡」。
井堰とは、辞書によると
「水をよそに引いたり,水量を調節するために,
川水をせき止めた所。」なんだそうだ。
doironが住むあたりの
農業用水は光明池から流れてくるのだが、
このあたりは大津川から
かつて取水していて、
その井堰の名残が
この石のあったところなんだそうだ。
江戸時代の絵図にも
この堰が「田財井(たからい)」
という名で描かれており、
つい20数年前までは
使用されていたと、
泉大津市の昔の広報紙に書かれてあった。
フムフムと終わり。
松虫塚の由来は、
過去の熊野街道シリーズを参照してほしい。
そうここ松虫は、世界遺産につながる
「熊野街道」が通るところでもあるのだ。
熊野街道はここからさらに南へと続くが、
今回の縦走路はここから松虫通りを西に進むことになる。
現地の人々が西に沈む夕日を眺めながら、
毎日明日への希望を託した道である
(ああ~かなり大層になってきた)。
軽いアップダウンで岡をいくつか越えたところに、
三つ目の山である聖天山が聳えていた。
標高は14mである。
神社のジャングルに分け入り、
のぼりつめたところに祠がある。
そこが聖天山山頂だ。
間違いない。
こんな標識が立っていたもんね。
ここは「聖天山正圓寺」
聖天とは歓喜天を祀ったところであることは、
生駒と天王山でつい最近学んだから
もうすっかりおなじみである。
この山にはかつてあの兼好法師の
隠棲庵もあったそうだ。
そんな石碑も立っている。
さあ、次は4つ目の帝塚山を目指そう。
つれづれなるままに聖天山を後にした。
おっと、ここらでそろそろお昼時だ。
獣に襲われる心配のないような
広場があったら昼食としよう。
北畠というところまで頑張って南下し、
ちょっとした、いやかなり大きな集落の中にある
晴明丘西公園という山の中で荷物を下ろした。
この日の昼食はこれ。
長旅でおにぎりばかりで
マンネリ化しているランチを打開すべく、
今回はサンドイッチなどを用意してみた。
と、ここには取材カメラが来ていた。
doironの縦走光景を
2時間くらいのドキュメントにでもするつもりだろうか。
レンズがずっとこちらを向いているから、
少し緊張して食べた。
ただしカメラクルーはいない。
レンズの下に
「防犯カメラ作動中」
と書かれているだけである。
サンドイッチをほおばりながら
地図を見ていてふと気づいた場所がある。
「住Y高校」。
ミセスの母校である。
こんな山の中まで来て、
水泳をやっていたというから
川や湖で泳いでいたんだろう。
どおりで時折、野生児の素顔が
見え隠れすると思っていた。
クワバラクワバラ
ちょっと遠回りになるが寄って行こう。
門のところで写真をパチリ。
衛星電波を使って電送したら、
全然たたずまいが変わってしまっているそうだ。
そりゃそうだ、
通っていたのはほぼ約半世紀前の
歴史のかなただからね。
こんな地層も見つつ、
複雑に入り組んだ道を
的確に地形を読みながら、
ようやくたどり着いた帝塚山がここ。
標高19.9mの三角点もあるのだが、
残念、ここも立ち入り禁止になっている。
火山性ガスが噴出でもしているのだろうか。
仕方ないので、現地に掲示してあった
山頂写真でも掲載しておこう。
マグマの活動で10cm位山体が膨張すれば
20mの大台に乗るかもしれないな。
そんなわけで、ここも下から山を見上げて
撮影するだけで引き上げることにした。
さて、残るは天保山なのだが、
これが遠い。
これまでの四山を縦走した距離と
同じかそれ以上の距離を行かねばならない。
途中、千本松というところでは
太平洋を船で渡ったりしないといけないのだ。
時間の都合上、
ここからはできるだけ大阪地下列車を使っていくことにした。
距離はシベリア鉄道より少し短い。
ひと眠りできそうだ・・・
すぐについた。
巨大な丸いリフトを眺めながら
駅から最後のアタック開始だ。
そしてついについに、
最後の山である、天保山に到着。
登山案内に沿って歩いていくと
ここが日本一低い三角点のある山だ。
これが三角点。
そこに日本の旗ではなく、
こんな看板も立っていたので一緒にパチリ。
これで、大阪五低山の縦走完了である。
は~、満足した。
え~大阪アルプス縦走の旅ブログは
これで終わりです。
とちゅう、見苦しい言葉や
オーバーな表現があったことをお許しください。
下らんことやってるので
せめてブログぐらいは
オーバーに書いてみました。
おつきあいありがとうございました。
謝々と終わり。
御勝山の山頂付近に立っているのは、
もしや山によくある
「山名柱」だろうか。
しかし、三角点はないはずだ。
双眼鏡でも持ってくればよかったのだが、
仕方なくレンズを可能な限り望遠にして、
写真撮影をし、帰ってから鑑識に回したら、
どうも「大阪市立農学校址」
と書かれてあるようだった。
そうか、友達が密造酒を製造していた学校が
ここまでつながっていたのか。
あるいは石だけ強力(ごうりき)に頼んで
ここに移したのかもしれない。
まあ、いずれにしても
これで御勝山は登頂ということに
しておいてちゃぶだい。
この御勝山の前には
御勝山南公園という
ナショナルパークが広がる。
ここにあるのが、
「大阪管区気象台跡」
先ほどの学校といい
この施設といい
厳しい自然に耐えかねて
移って行ったようだ。
さあ、次に目指すは茶臼山だ。
勝山通りを西に向いて引き返す。
あ、「勝山通り」は御勝山に由来していたんだな。
「生野区役所」という名の山小屋を
スルーしてなおも西進すると、
JR大阪環状山岳鉄道のガードをくぐる。
出発地の桃が咲き乱れる谷を通る鉄道だ。
玉造筋という名のけもの道を越えて
街の中に入って行くと、
ルートの先に大きな門が見えてきた。
四天王寺という山寺の東大門だ。
滑落しないように注意して
石段を上り、中に入って行った。
おお~向こうに岩頭あるいは
近代塔頭としては
日本最高峰である
阿倍野ハルカス岩が見えているぞ。
doironはあそこもまだ未踏だ。
その内にミセスとパーティーを組んで
アタックしてみよう。
山寺のある湖には
たくさんの爬虫類が生息している。
足を滑らせたら、襲われて
喰われてしまうので気をつけよう。
キョロキョロしながら亀(!)のように歩き、
やがて山寺も抜けて行く。
目指す茶臼山はまもなくだ。
この山の北側の山寺には
doironの両親が眠っている。
なので少し前に歩いた道だから
迷うことはない。
地形を読みながら
正確にルートを辿り、
無事に登山口に到着した。
さあ、アタック開始だ・・・
一歩ずつ足を踏みしめていく。
そして・・・着いた。
山頂はちょっとした広場になっている。
草もあまり生えておらず、
茶臼山というより、
「毛薄山」という感じ。
ここも三角点はなく、
地形図上に26mの表記があるだけだ。
御勝山からすれば、
なんと12mも標高を稼いだことになる。
標高3180mの槍ヶ岳と
日本第二の高峰である3192mの北岳と
同じ標高差だ。
どうだ、すごいだろう。
てっぺんで登頂の余韻にしばし浸って
名残惜しく下山を開始した。
山から下りると、
そこには広大な湖が広がっていた。
アサザの花が咲き乱れ、
秘境という名にふさわしいたたずまいであった。
その名も「河底池」という。
そこに架かる和気橋と名付けられた木橋を渡ると、
今登ってきた茶臼山と湖が
広大に見渡せる展望台に出た。
荷を下ろして、テルモスに入れてきたコーヒーを飲む。
この時期深山にしか咲かないという
ヒラドツツジも残念ながら
時期は終わっていた。
ただ展望台近くの水場で
幻の鳥が水垢離をしているのを
見かけたのはラッキーだった。
「テンノウジウロツキスズメ」というらしい。
休憩が済んだら息もつかせず
次は聖天山へアタックチャンス!
じゃなかった、アタック開始だ。
天王寺国立公園を抜けると、
深い谷が待っている。
深くて入り組んだ迷宮のような谷だ。
別名「地下街」ともいう。
阿倍野ハルカス塔頭の横のその谷を抜けると、
すぐ横に路面ケーブルの走る道に出る。
おお~ここらで脚の筋を伸ばしておきたいところだ。
しかし、悲鳴をあげる筋肉に
カツを入れながら、なおもアタックは続く。
こ、これは。
いつの間にかアムール川流域に出てきたようだ。
「アムールあべの」
という名の山道をしばらく歩く。
すると、まるで大草原に佇む
オアシスのような名前の地
「松虫」に到着だ。
地形図ではここを右に曲がることになっている。
しばらく歩くと、
バーミヤンも真っ青の石仏群
「松虫塚」に到着だ。
チンチロリンと続く。
いやはや、本はいいねえ。
読んでると全く自分には出来ないような
体験に浸ることができるもんなあ。
冒険ものだったりしたら
もうハラハラドキドキで、
気がついたらじっとり汗をかきながら
読んだりしている。
怖い話は、恐怖のあまり
クライマックスを片目で読んだり、
面白い話を「わははは」と
笑って読んだりしている。
するとやおらミセスが冷ややかな目で
掃除機担いでアトリエに入ってきたりする。
一応、フリーライターあんどクリエイターなんで
創作中あるいは執筆中は
入室を遠慮してくれているのだろう。
そんなdoironの部屋には、
片隅にリュックやステッキ、
ガスコンロなどが置かれ、
冒険ごころのかすかな雰囲気を
醸したりはしているものの
ほとんどが本とパソコン関連機器、
絵の道具、壁に貼り付けた下手な書
などであり、冒険ものに書かれてあるような世界とは、
地球とM78星雲くらいの隔たりがある。
そして描いてる絵や書きためている原稿も、
そんな本の世界とは程遠いもので、
このブログにいたっては
日常にまみれてコテコテの内容にしか過ぎない。
ハラハラドキドキもないし、
ゾ~もない。
たまに「クスリ」と笑うときがあるくらいだろうが、
何かのクスリになるかというとそんな効能もない。
なので、まあ安心して気を抜いて読んでくださいね。
今回は大阪の山を縦走した話。
といっても、ガシガシ登ったり、
ゴリゴリよじ登って手に汗握る場面はもちろんない。
登った山は、生野にある御勝山、
天王寺にある茶臼山、松虫にある聖天山、
住吉にある帝塚山、
そして大阪港にある天保山の5山だ。
蘇鉄山から始まり、
泉大津の三角点を訪ね歩いたりして
近頃地図の標高に凝っている。
今回登ったのは、
いわゆる「大阪五低山」といわれる山々なのだ。
でもね「山」と勝手に言ってるのではなくて、
ちゃんと国土地理院の地形図に
「山」として記載され、
標高表示のあるところなんですよ。
三角点は帝塚山と天保山にしかないけど、
地図上に「・」がうたれて
標高表示がされている「山」なんです。
書を捨てよ、山を歩こうと行ってみよう。
この五山を縦走する登山のアプローチは、
JR環状線「桃谷」駅から始まる。
さあ、アタック開始だ。
登山道は商店街の中に続いていた。
桃谷本通商店街。
しきりに「自転車は押して通ってください」
と山びこが鳴り響いているにもかかわらず、
怖いもの知らずのママチャリサイクリストが
我が物顔でツーリングしていく。
挙句に「チリン、チリン」と
自然のささやきを切り裂くように
ベルまで鳴らす始末である。
こんな登山道は早く抜けなくてはなるまい。
ようやく広い道に出た。
地面には歴史のみちであることを示す
こんな地層が・・・。
そんなアプローチの途中に、
こんな名勝がある。
「大阪府立農学校跡」。
この学校は
今の大阪府立大学農学部の前身だそうだ。
学生の頃、友達がそこで学んでいたので
一度訪ねたことがある。
ビーカーや三角フラスコが
いっぱい並んでいたことを覚えているが、
今思うとあの友達は
それから先の彼の行状から推察するに、
きっとアルコールを醸造していたに違いあるまいて。
生野警察署という山岳警備隊の
詰め所を過ぎるとすぐに最初のピーク
「御勝山」
が姿を見せた。
標高14mの幻の高峰だ。
なぜ幻かというと、ほらこの通り。
頑丈な柵に囲まれていて、
どうしても登山ルートがとれません。
未踏というわけではないが、
一般登山者には厳しすぎる自然ゆえ
近寄ることができません。
残念ながら、登頂は断念しましょう。
代わりにすぐ横にあった大渓谷に架かる
「歩道橋」と名付けられた巨大吊り橋に登り、
そこから写真をパチリ。
ん?何か石が写っているぞ。
ハテナと続く。