ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

今年のツールも終わった

2018年07月31日 21時14分49秒 | スポーツ全般

2018年第105回
ツール・ド・フランスが終わった。

この大会のテレビ放映が
楽しみだったなあ。
もう毎日、わくわくしながら見ていたよ。

夜中に放送されるため
全編ビデオに録ったもんね。
最初の頃は、夕食を食べた後、
さあ見るかとチャリパン履いて、
バイクジャージを来て見ていたよ。
というのはオーバーですが、
実際の乗車時にボトルケージに
スポーツドリンクを入れて臨むように、
チューハイをテーブルに置いて
観賞するよう用意をして見ていたよ。

そのため夕食時のビールを
かなり減らしたぐらいだ。

前半はスプリンター勝負が面白かったなあ。

新鋭が出始めていたが、落車して骨折。
それからはサガンの圧倒的スピードが
ポイントを重ねていき、
今年も最終的にマイヨ・ヴェールを
着ていたなあ。

彼にとっては、6枚目の
マイヨ・ヴェールとなるのだ。

それにしてもあのゴール手前の
フルスロットルはほんとにすごい。
実際に目の前であんな姿を見たら
卒倒するやろなあ。

秋のバイクの世界選手権も楽しみだ。

レースはそんなスプリンター達のレースから、
やがて山岳レースへと入っていく。
急激な山ののぼりを
そんなスプリンター達は
へなへなと登っていく。
山に入ったとたんに彼らの
オーラは消え去っていくのだ。

山岳レースでポイントとなるのは、
コース途中にある何カ所もの
ポイント獲得だ。
これを最も多く取った人間が
「山岳王」と呼ばれる赤い水玉の
「マイヨ・ブラン・ア・ポア・ルージュ」
を着るのだ。
そのために今年頑張ったのが
地元フランスの選手で、
これまでツールの敢闘賞を
一回しかもらってなかった
アラフィリップが獲得した。

彼らの山登りはまるで
ロケット弾のように急坂を駆けあがっていく。

のぼりはあまり得意じゃなかった
doironにしてみれば、
そこでスパートするか、
みたいな驚きの連続だった。

また、下りのスピードもめちゃ早い。
時速100キロで下っていく。
今は下りと言えばトップチューブの
上に腰かけるように風との
対面面積を減らして
グワーンと下っていく。

ちょっと滑稽な姿なのだが
そのスピードはえらいものがある。
皆生で一度下りの最高速度を
70キロくらいで下ったことがあるが、
ある意味命がかかっていたって
感じだったもんな。

それをカーブの道でグワーン、
だもんなあ。
テレビを見ていてもお尻がふわふわしたよ。

そんな山岳レースコースの
最終的なゴール部分で
前方に上がってくるのが、
個人総合をかけるエースの選手たちだ。

例年の状況から見て、
5勝目を狙うフルームが
総合優勝の黄色いジャージ
「マイヨ・ジョーヌ」を着る
有力候補だったのだが、
初日で転倒。

大したことはなかったのだが、
その辺の付きのなさも加わって、
同じチームのトーマスが
それを着ることになった。

最終の少し前までトーマスは
フルームにこのマイヨ・ジョーヌを
着せるために頑張るといっていたのだが、
最終3日前にチームスカイは
今年のエースをトーマスに変更して、
フルームがトーマスの前を
先行するなどということが
起こったのだった。

結果的にはトーマスが1位で
フルームが3位という結果になった。

来年はどんな陣立てで
出てくるのか興味のある所だ。

このレースのことはまだまだ
今年のいろんなところで語られるだろう。
メカの事、チームの事など
いろんな側面が話題になるに違いない。

また過去のツールのビデオもあるので、
そこで今年活躍した選手の
姿なんかも確認しておこう。

しばらくはもう少しツールの
余韻を楽しんでいきたいと思っている。


台風12号の時には

2018年07月30日 21時48分28秒 | 生活

この前、台風12号が
東から西へと駆けめぐった日。
doironの生活にも
いろんな風が吹きあれました。

本来ならその日は地元の
盆踊りの日だったのですが、
直前までその盆踊りの開催を見守り、
ジム友とのイタリヤ料理店の
宴会に少し遅れてでも
参加する予定がくわわったのでした。

ところがねえ、そこへタイミングばっちりで
やってきたのが、左回りの
変速台風12号。

土曜日にばっちり大阪にやって来るという、
超変則台風だ。

これはもういろんなことが
変則となる予定をはらんでいる。

まずは盆踊りを主宰している
青年団から金曜日夜に相談があった。

「台風のおかげで盆踊りの開催は、
多分無理そうなんでどうしよう」
というものだった。

ああ、そうなるかあ。
これは後のことを考えても
青年団としては大変なことだ。
なにせお祭りの寄付や夜店の売り上げは、
本当のだんじり祭りには欠かせないので、
中止して寄付返還というのは
かなり青年団にとって無理があるからだ。

自治会と青年団の役員が集まって
公民館で様々なことを相談した結果、
別の日に延期して夏祭りみたいな形で
開催しようということになった。

まあ問題は色々あるが、
その辺は仕方のないところだろう。
結局、その延期日は18日と
なったところで話は一段落し、
doironの美声で町内放送で
祭り中止と18日変更の
ニュースを流したのだった。

しかしねえ、び、美声だったのに、
そのあと町会の人5人に
「今のは何て言ってたん?」
と問い合わせが相次いだのだ。
どうもうちの有線放送の
スピーカーの調子が悪いようだ。
え、声が悪い?
脳梗塞の影響で活舌が悪い?
う~ん、まあ世間にはいろんな意見はあるものだ。

町内のいたるところに張り紙しとけよ
と青年団に言いおいて、
それはまあ一段落したのでした。

そうなると、土曜日晩の
イタリア料理店の宴会には
とても参加しやすくなるのだが、
今度は行きかえりの足はどうするか
という問題が発生するのです。

店までの距離は家からだと3キロくらいなので、
元トライアスリートのdoironは
自転車で、雨でも台風でも行くよ
と返事したものの、他の人たちの足が
どうするかが問題だ。

しかしまあ話はよくできていてねえ。
いま、超強烈ダイエットで
お酒は飲まないと決めている人がいたので、
その人が車で送り迎えしてくれることになったのだ。
また、doironも近所の人が飲まないので、
送り迎えをしてくれるということだ。

ウヒャー、玄関先まで車で迎えに来てくれて、
帰りも送ってくれるという
こういう幸せな飲み会なんて最高じゃないか。

こうして時間通りに飲み会に
参加することができたdoironだったのだ。



まあ、台風などなんやかんやあったが、
それはそれで落ち着き先も
決まって話はすべてうまくいったわけである。

で、そのイタリア料理なのだが、
これがねえその名前がややこしい。

これがアヒージョで、



これがチョリソー、



あとはまあゼッポリーニだそうだ。



まあわけのわからん料理が多く、
あとはスピニングトーホールドとか
ヘッドロックや四の字固め
とかを食べて終わり。

名前はわすれたけど、人生62年、
生まれて初めて食べるような
スパゲッティの揚げたやつなんかも食べましたよ。



いやあ、いい経験をさせていただきました。

幸いにも雨風が全然ない中、
車で優雅に帰宅し、
ふわふわとゆっくり寝てたら
夜中に暴風雨で目が覚めましたねえ。

これはかなりやばそうな雨やなあ
とか思いながらも、
それでものんきなdoironは
酔いに任せてうつらうつら眠っていました。

翌朝起きて庭を見たら、
なんと大事に育てていた
皇帝ダリアが縦に咲けて
倒れているではないですか。



可愛そうな姿でした。
こんな感じに修復しましたけど
どうなりますことやら



ゴーヤは大丈夫だったなあ





キンモクセイのこんな空蝉の
奴らは無事だったのになあ。



まあとにかくわけのわからん方角に
進んでいった台風12号。

doironの人生もぐちゃぐちゃとかき交ぜたのか
幸せに見守ってくれたのか
よくわからんままに
今は九州周辺で停滞気味のようです。


淡輪あたりを堪能した3

2018年07月29日 20時49分15秒 | ウォーキング

南海本線の淡輪駅のすぐ横にあるのが、
宇度墓古墳です。



え~ここもニサンザイ古墳ですか。
先ほどの西陵古墳は
ここの西側にあるから
「西のニサンザイ古墳」だったんですね。

僕はまた堺のニサンザイ古墳の
西側だと思っていたのですが、
そうではなかったんやあ。



まあなのでこの古墳の別名も同様の
「ニサンザイ」の意味だったんですね。

駅前のその大きな古墳には
大きな堀があり、
湖面には花が咲いている。



ヒツジグサかなあ。

ここもまた大きな古墳ですし、
宮内庁の管理となっているようです。



垂仁天皇皇子五十瓊敷入彦命の
墓のようです。

ああこの淡輪にこんな大きな
墓があったなんてねえ。

絵画展に来てくれた人で
箱作に住んでいる人にも
聞いたけど、ここのこんな
大きな古墳があるなんて
知らなかったようだ。



しかもこの墓には周りに
いくつか陪塚もある。



近親者の墓かなあ。

古墳本体と陪塚をぐるりんと
一周回ってまあ満足です。

ではもう一駅分くらいを歩いて
北上していきましょう。

古墳の先からマリンロッジの方に
向かって歩いていきます。



ああ、海が近づいてきましたねえ。



このへんは岬ランで昔から
よく走ったところです。



加太まで行く合宿で
昼飯を食べに入ったお店
なんかもありますね。



そしていよいよ海岸線の
ところに出ました。

この辺りはときめきビーチといいます。

海岸線沿いにずっと昔は
走った散歩道がついています。

夏場のにぎやかな頃は
売店でビールなんかも売ってて
飲みながら走ったなあ。

ウルトラで必要な胃袋の
トレーニングも良くしたところだにゃあ。

あ、ビーチバレーなんかも
見に来たことがあるなあ。

そんなことを思い出しながら、
そのさきはぴちぴちビーチに入っていく。

さあ、ここで昼飯にしよう。
今日は手持ちのおにぎりと、
低カロリーヌードルだ。



ウヒャー、豪華定食。

ビールも飲みたかったけどなあ、
ちょっとお店は空いてなかったなあ。

飯を食いながら海の音を聞いていた。

広い海でも、各地に散乱している
船のエンジン音は結構ウワーンと
響くのだけど、この日はとても
静かな海だったなあ。

天候なんかで音の響きが変わるんやろなあ。

静かでのんきないい海でしたなあ。

さあ、ではまた歩き始めましょう。

そうそうここは息子を初めて
海に入れに来たところやったなあ。

思いっきり泣かれたっけ。

でもそんな彼ももう男の子の
父親になったんやなあ。

月日はどんどん過ぎていくな。

ぴちぴちビーチのところから
陸に上がっていくことにした。

この辺りは結構新しい家なんかが
多く立っている。



遊び場も持つ家が多く、
結構楽しそうに暮らしている家が
目に付くなあ。

線路沿いの田舎道を進んでいくと
「加茂神社」に到着します。



名前から見て「鴨族」が
絡んでいたことは間違いありません。

伝説では、京都の加茂神社が
建て替え時に古い神様を
箱に入れて流したところ、
大阪湾にたどりつき
そこからここの港まで
流れてきたと伝えられています。

なのでこの辺りを「
箱着里」と名付けたところから、
今の地名「箱作(はこつくり)」が
決まったそうです。



実際そうだったのか、
それはそのころの鴨族に
聞いてみないとわかりませんね。

境内をウロウロしてから又歩き始め、
箱作の駅に着いたところで
今回の歩きは終わり。



距離的には9キロでした。

今回も歩いてみて、
ニサンザイ古墳の事や
「淡輪」「箱作」の地名の由来も
知ることができました。

今年は信長道なんかで
こちらに来る機会が多かったですねえ。

でもまああと一つだけ歩きたい
もう一本の信長道もありますので、
近いうちにやって来ることにしましょう。

泉南の淡輪あたりを堪能した歩き、

これにておしまい。


淡輪あたりを堪能した2

2018年07月28日 21時27分54秒 | ウォーキング

この墓は西陵古墳といわれています。



そしてもう一つの名称が
「西のニサンザイ古墳」といわれています。

今からちょうど5年前に
堺市の古墳群を歩きました。
その時に「ニサンザイ古墳」を
歩いたこともあり、
その時のこの名前の古墳が
淡輪にあると知りました。

そこはどんな古墳なのかなあ、
と抱いた疑問がちょうど5年ぶりに
問題解決となりますね。

ではなぜ「ニサンザイ」なのかというと、
両古墳とも同じ理由で、
「ミササギ(陵)」が転訛し、
「ミサンザイ」から「ニサンザイ」に
変化していったということなんだそうです。

変わった転訛をするんですねえ。
まるで「doiron」が「ホイコーロー」に
転訛しているみたいですなあ。

ここは全長210mの前方後円墳です。
堀もあってかなり大型ですねえ。



では、この古墳はどこから
見ていくのがいいのでしょうか。

府道から海の方に左折して
歩いていきますと、
あああの堀の近くのところに
看板が立っているようです。



あぜ道を通って近づいていきましょう。



そこにはこの西陵古墳の
案内板が立っていました。

ふむふむ、ここは新羅を責めた
紀小弓が現地で病没し、
持ち帰られてここに埋められた
墓というのが説だそうです。

もう少し中までいけますねと
歩いていきますと、
あ、こんな門があり解放されていますよ。



これは是非とも入っていかねば
ならないでしょう。
でもねえ、お墓やからねえ。
一人で入っていくのは
ちょっと勇気を奮い立たせないといけませんね。



こんな山道を容器にあるいて行きますと
ここがどうも前方部の山頂ですかねえ。



何となく広くなっているのが
雰囲気を出していますねえ。

でも道標も洞も何もなかったのは残念です。

手を合わせてお参りだけして
出ていきました。

でもまあこういう墓はなんか
神秘的でいい感じですねえ。

ひとがあまり入らないだろうし、
深い緑も神秘的な感じに残されています。

田んぼの中のノビルの花を



見ながら元の道の方へと



出ていきましょう。

田園地帯の中を通る田舎道もいいですねえ。



やがて南海電車を踏切で超えて、





淡輪の村中の方へと入っていきます。

で、この淡輪なんですが
泉州以南の人なら読めますよねえ。

「たんのわ」と読むのですが、
ではこの名前の由来は何でしょうか。

それが先ほどの西陵古墳の
案内板の中にあったのです。

あの紀小弓が埋められた墓
というのが日本書紀の中で
「田身輪邑(たむのわのむら)」とあります。

鎌倉時代の武士の名前が
「淡輪」の語源になっているようです。
そしてこの方向に行かれた時は、
是非府道の橋の名前に
注目しておいてください。

「田身輪橋」という名前の橋が
架かっていますからね。

その淡輪の村の中に入っていって



まず目につくのが「船守神社」です。



ここは、先ほどから登場していた
紀氏(きのし)の一弓の子孫である
紀船守氏を祭神とする神社だ。

境内には大阪府の巨木の一つである



クスノキがある。



幹は6.24mで樹齢は800年という。

神社を色々と眺めていると
一人の男性が近づいてきて、
いろいろと話をしてくれた。

どうも今の氏子代表なんだそうだ。

「わしが氏子代表をしているときに、
このクスノキが倒れたりしないか
心配やねん」という。

そして神社の横にある小屋について、



「これはだんじりですか?」
ときくとやぐらなんだそうだ。

そんな風に神社周りのことを
色々聞くことができたのは、
タイミングがよかったのかもしれないね。

とても風情のある神社でした。

このあと近くの西教寺なんかを回りながら、
淡輪駅前の村中を
くねくねと歩いていきます。





そしてそのあとたどりついたのが、
先日電車でジダンに
いろいろと聞いていた
宇度墓古墳でした。

続く


淡輪あたりを堪能した1

2018年07月27日 21時16分31秒 | ウォーキング

岬町のビオトープの行きかえりに、
この辺りを走ったことのある
ジダンに駅前古墳のことなどを
いろいろと教えてもらった。

そんな話を聞きながら、
doironは、ビオトープの後は
この辺りを散策することで
頭がいっぱいになっていたのだ。

だいたいこの辺は海沿いはよく走った。

最初は一人で、そのうちに一緒に走る人も
増えてきて、ランニングクラブのみんなや
ウルトラマラソンを目指す人の
練習なんかにもよく付き合って走ったものだ。

岬ラン、と名前がついていたなあ

だから海岸線沿いなんかはどの辺に店があって、
ビールが買えて、どこでトイレができて、
なあんてこともよくわかっていたのだが、
もう少し山側の道なんかはあまり土地勘がない。
なのでまあ一度はそういうコースを
歩てみるのはいいことだろうと考えたのだ。

また最近で言えば堺の古墳群を歩いた時に、
この辺りの古墳群について
断片的な知識も仕入れているので、
そういう好奇心にもこたえてくれるだろう
という期待もあったしね。

では、出かけていきましょう。

まずは南海本線でみさき公園駅に行くことにした。

その駅がスタート地点だ。

なーんなーん、南海電車
南の海を走ってく~

というコマーシャルソングを
思い出しながら海沿いを
ゆられていきます。

途中の駅で、あああそこは
信長道で歩いたところだとか、
今日はここの古墳を見に行くけど、
どこから入るのだろう。

ああ、あの山からの道は飯盛山から
下ってきた道だ、などと
いろいろ想いが広がっていきます。

やがて、電車はみさき公園に到着。

地図を持ち、ナビを入れて、
さあ歩き始めましょう。

昔のように走るのではなく、
こうして人生のおまけの時間を
使って歩くのですから、
楽しいウォーキングになりますようにっと
祈りつつ北上していきます。

ではまず最初は国道26号線の
山側にある「白垰山古墳」を
目指していきましょう。

ローソンで水をかったところで、
おっと、みさき公園の駅の撮影を
忘れてました。
ここからとっておきますかね。



で、山手の方へと急な勾配の道を
登っていきます。



この先で右手当りの山が古墳の用なんですが、
どうも侵入口とかはなさそうですねえ。

開いていそうな土地には
不動産会社の所有地と
看板が上がっています。



左に入る道があったので進んでいくと、



ああなんか地元のゲートボールグランドの
ような空き地があります。



その周りのフェンスの向こうが
古墳なんでしょうが、
入っていくところも案内もありません。



フェンスにはしっかり鍵もかかっています。



これは入れないなあと思ってみていますと、
森の中の方からうるさそうな
犬の鳴き声が聞こえてきます。

なんか得体がよくわかりません。

まあ、古墳として公開されている
土地ではなさそうです。



ネットで調べてみますと、
白峠山古墳は、独立丘陵の頂部を利用した
径20mほどの円墳。
だが、個人所有の古墳なのだそうだ。

ああ、残念でした。

道もそこから先には行けなさそうなので
元の道に戻ってもう少し上がっていきますと、
池のふちに出ます。



ここが夕野池のふちです。



伝承では、この池のふちに立っていた
杉で船を造り、垂仁天皇らが
舟遊びをした池といわれています。



そんな池の横をすぎて左に左にと
下っていきますと、昔の国道26号、
今の府道752号にと戻ってまいります。

ああ、一発目から探索失敗やなあ。

でも頑張ってテンションをあげながら
進んでいきましょう。

府道を進んでいくと、午前中やのに
岬高校から生徒がいっぱい出てきます。



テストなんかなあ。
でも若いってほんとにいいねえ。
みんな元気で明るくって楽しそうで。

まあ、doironおっさんもこの歳になって
楽しんでいるんですけどね。

やがて右手の方に「こりゃ古墳やなあ」
という感じで、こんもりした山が現れます。



続く


見どころ満載ツールドフランス

2018年07月26日 21時08分34秒 | スポーツ全般

今年のサッカーW杯は面白かったなあ。



あの乾君のゴールなんか、
感動して声が出てしまったよ。

ベスト8の夢も一瞬見せてくれたしなあ。
もう睡眠の事なんて
しっかり考えなくていいから
すべて実報道で見せていただいた。

そしてその後は大相撲。

横綱や大関の一部が休場となる中で、
御嶽海の頑張りがとても目立った。
勝ち続けると、体だけでなく
心まで充実するんやなあ
と思いつつ観賞していた。

来場所、上位が復活してくる中で
どれくらい頑張れるかが
彼の真の実力がわかる
いい機会になるでしょうねえ。

そして今、この季節にとてもはまっているのが

「ツール・ド・フランス」だ。

今年で第105回目となる。
高校野球より古いんやねえ。

レースのある日には
30分弱の番組でいつもBSで
放送されており、
これはもう欠かさず見ている。

もう頭の中は選手が走っている
フランスの景色でいっぱいなのだ。

自然で出来たトンネルの中の道路、
アルプス、ピレネーの山岳地帯、
一面のひまわり畑や
森の中を走り回る彼らの姿が
頭の中を駆け巡っている状態だ。

そして今年のツールは
レースとしても非常に面白い。
コースの組み合わせが絶妙ですね。

前半はスプリンターたちの闘いで、
マイヨ・ヴェールを目指して



「サガン」選手が活躍した。

そしてアルプス、ピレネーでは
マイヨ・ブラン・ア・ポア・ルージュをめざして



アラフィリップが活躍している
という状況なのだ。

そんなスプリンター、山岳の争いが
見ていて非常に面白い。

もうそれだけで普通のレースに
匹敵する面白さがある。

そしてツールドフランスといえば、
やはり問題のマイヨ・ジョーヌを



めぐる個人総合の争いも
そんなスプリンター、山岳の陰で
静かに続いているのだ。

今年はフルームが5勝をかけて
挑んでいる。

これまでツールを
5回制した選手は4人いる。

7勝を果たしたアームストロングは
ドーピングで消去されている。

その4人は総合して
5勝クラブメンバーと呼ばれており、
歴史に名を残しているのだ。

ジャック・アンクティル、
エディ・メルクス、
ベルナール・イノー、
そしてdoironの大好きだった
ミゲル・インデュラインの四人だ。

そこに名を連ねようとしているわけだ。

個人総合で言えば今年は
今がスカイのトーマスが
トップでマイヨ・ジョーヌを着ているが
彼は、同じスカイのフルームのために
頑張っているんだと今も行っている。

そのフルームが1分39秒遅れで
2位となっている状況だ。

自転車選手のチーム同士の駆け引きは面白い。
自転車なんだから
思いっきり踏むだけじゃん
と思っていたら大間違い。

今回の節のレースは有力どころは
すべて後ろだからゆっくりと走ろうと
全体を調節したり、
ポイント争いではライバル選手の
ポイントを横からもぎ取って
自チームの選手を楽にさせよう、
あるいは終盤で前をずっと走り続けて
トップに楽させようというような
駆け引きが非常に面白いのだ。

2018の今年のツールも
これから終盤戦でピレネーに入っていくが、
トーマスがフルームに対して
どんなサポートをするのか、
それともチームスカイの意志の変更で、
彼をトップに押し上げるのか、
その辺のレース以外の駆け引きが
注目されるところである。

一日を30分足らずにして
放送しているのを見ているだけなのだが、
こんな縮小版のレースも
7月29日の凱旋門での結末まで、
一秒たりとも見逃せない状況である。


菩提樹を見に行った

2018年07月25日 20時57分16秒 | 自然

先日ミセスから、
菩提樹の木が見たいのやけど
という要望があった。

ああ、菩提樹といえば日本では
シナノキ科の木でこれはまあ
たいがいどこにもある。

確か記憶ではあの高取山の
城のところに大きなシナノキが
あったんじゃないかと思っている。

それに長野県なんかは
「信濃」というが、
これはこのシナノキが
大量にあるからこんな名前と
なっているくらいだ。

なので、こんど孫に会いに
長野に行ったときに探してみよか、
なんてことを言ってたのだが、
なぜ菩提樹が見たいのかという
質問をミセスに返したときに、
事情がガラッと変わったのだ。

彼女が見て見たいという菩提樹は、
あの釈迦が悟りを得たときに
座っていた横に生えていた樹木なのだ。
どうも最近彼女が読んでいる
小説に出てきたりするというのだ。

で、その悟りの木を調べてみると、
なんとまあこれが日本で
菩提樹と呼ばれているシナノキではなく、
クワ科の木で

「インドボダイジュ」

という名で呼ばれている木だ
ということが分かったのだ。

じゃその木を見にけばいいんやな
ということで、まずは
神戸の森林植物園にないかどうか調べてみた。

すると、このインドボダイジュの木は
どうも寒さに弱いらしい。

2015年の記述ではこの木は、
小さな鉢植えだったらいいけど、
屋外のところでは生育は無理。
なので日本では育たないんだそうだ。

ああ、そうだったんやあ。
これはもう屋外では無理なのかなあ
と思ったので、例えば
鶴見緑地の温室の植物園なんかで
ないのかなあと探してみることに。

すると、植物園の中ではなく
鶴見緑地の公園の中に
インドボダイジュが花を咲かせている
という記事を見つけた。

「へえ~こうして屋外でも育つんやあ」

と驚いたね。
地球温暖化のせいかなあ。
と一瞬思ったのだが、
でもねえこの菩提樹って
結構種類も多いから、
これが果たして悟りの菩提樹かとなると、
行って調べてみないとなあ
という感じだ。

ではまあ、あのドジ旅以来の
鶴見緑地に行ってみるかあ、
と考えていた時だ。

どうもあの悟りを開いたインド菩提樹が
お寺に生えているという
情報が入ってきたのだ。

そのお寺というのが、
両親のお骨も納めてあるという
「一心寺」だ。



これはもう行かなくてはならないだろう。
義母さんの3回忌に向けて
お参りに行き、その時に探してみましょう。

まずは四天王寺で天国まで



あるいは地獄まで届く
という鐘を打ってもらって



一心寺へと歩いていきます。



さあ、この寺のどこに
菩提樹があるのでしょう。

キョロキョロ探していると、
きれいな紫の花が咲いている木がありました。

近づいていくとこれが



「ジャカランダ」

という木です。

鮮やかな紫の花やなあと思っていたら



もう盛りが過ぎていて、
足元に大量の花びらが散っていましたねえ。



これもなかなか見ごたえがありました。
熱帯の植物で日本では珍しく、
これこそ鶴見の植物園に
あったりするそうです。

で、問題の菩提樹ですが、
ネットに乗っていた写真の背景から
推察しつつまたまた境内を
ウロウロしながら探していると、
おおありました。

これがインドボダイジュです。



この木の下でブッダが悟りを
開いたそうです。
なかなか立派に育っていますねえ。
解説版にもかかれているように
熱帯原産なので日本で育つことは
非常に珍しい木だそうです。



この木は大阪府立大学の農学部で
育てられていたもの。

薬師寺の期間限定の彫り物の
中に、ブッダが悟りを開いた
シーンがあるそうですが
そこに掘られてある菩提樹も
こんな感じの木でしたねえ。

花はイチジクのように
身の中にあって見えないそうです。
だったら最初にネットで見た
鶴見緑地の菩提樹は
本来のシナノキなのかもしれませんね。



まあ、存在を確認するまで
時間のかかったこの木ですが、
何とか見れてよかったです。

でも心配事も一つ
7月からこれだけ暑い日が続くと
暑さをたっぷりと受けて
巨大化してこないか心配で、
これからは一心寺に行くたびに
チェックしなくてはと思っている
今日この頃なのです。


遠距離じじばば2

2018年07月24日 21時05分42秒 | 生活

遠距離ジジババには仕事が
ほかにもあります。

それは地蔵盆に地蔵さんに
掲げる孫の名前入りの
提灯を作らないといけません。



ここにあげておかないと、
じいちゃんばあちゃんは
何してんねんと町人の
非難の対象になったりするのです。

最近の子どもはねえ、
地蔵提灯を見ていると
不思議な名前が多いよ。

・・男、みたいな「お」の付いてる
男の子の名前なんてないし、
・・子みたいな女の子の名前もありません。

「孫doiron」も息子には
ブログに書くと言ってないので
ここには書きませんが、
まあ今風の名前であったりします。

地蔵盆の提灯は、
「だれだれの子どもはこれやで」
と村人のそんな交流の場に
なったりもするのです。

だから、提灯は頑張って
作ってあげたいのです。

そこで、祭りなんかでなじみの
提灯屋に行き、写真の注文に
行ったのですが、これがねえ
店が閉まっていてなかなか
注文できなかったのです。

何回かに分けていくと、
おお~やっと空いているようです。
じゃ注文しようと中に入っていこうとすると、
入り口のところに

「こんな時期に申し訳ないのですが、
いま提灯の材料を納入できなくて、
注文は断っています」とのこと。

長い間休みだったのは
「病院通いをしていた」という
店長の都合もありました。

え~これは大変です。

そこを何とか、というようなことも
病気のことを考えたら無理も言えません。

仕方ないのでこの店をあきらめ、
ネットとか提灯屋の多そうな
岸和田なんかで探して
注文しようと思ったのですが、
あと1か月と日にちがあまりありません。

で、ふと思いついたのが、
神社の氏子総代として
提灯の注文を集めたので、
その提灯屋に注文してみることでした。

連絡をしてみると、あっさりと
「ああ~わかりましたよ。
今年の地蔵盆に間に合うように作るよ」とのこと。

ああ、一安心です。

神社の氏子総代の仕事が
こんな役に立ちましたねえ。

地蔵盆は8月23日。

今年はまた一段とおにぎりを
しっかり握って配ってあげれるように、
頑張って手配しないとねえ。

遠距離じいちゃんばあちゃんも、
こんなことでもそれなりに
いそがしい夏なのでありますよ。


遠距離じじばば1

2018年07月23日 21時34分10秒 | 生活

孫が生まれ、おじいちゃんになって
もう10日くらい経ちます。

近くにいないし、姿も見えないので
常に現実感があるわけでは
ないのですが、
息子から届くメールなどで、
写真などは毎日届き癒されています。

先日はよく笑っている写真を送ってきました。
こんなやつ。



ウヒャー、赤ちゃんを抱っこできないから
携帯を抱っこしてしまいますねえ。

また、ある時はわんわん泣いてる
動画も届きます。
「よしよし。泣かないでねえ。」と
涙をふくようにティッシュで
携帯の顔をなでてあげたりもします。

はあ、遠距離じいさんは大変なんです。

携帯では息子に
「何かいるもんあったらゆえよ」
とも言ってあげています。

絵本かあ?て聞くと・・・
「まだまだ早いよ。」

紙おむつかあ?・・・て聞くと
「自分のために買っておいたら」
などといわれたりしますねえ。

よっしゃ分かった。
もうちょっとしたら、
おじいちゃん、おばあちゃんが、
ネットの中であやすような
そんな画像を作るのでそれを送りましょう。

「あのねえ、おじいちゃんたちですよ。
こんな顔です~ヒョッコリ!」
とかいろいろ案を作って
動画撮影をしてやるねん。

こちらの顔をよくまっさらな脳に
刻んでおいてもらわないと
いけませんものね。

ただいまミセスにも案の作成を
申し付けています。

「え~、そんなことすんの?」
なんていいますが、
「お前は孫とジジババの関係を
なんて思っているんだ」
としかりつけたりしています。

いやあ、そんな風にネットを通じて、
様々に癒してあげたり、
癒されたりしながら
これからの日々をすごして
いくことになるのでしょうねえ。

そしてこちらのじじばばには、
そんな仕事というか
日常以外にもう一つ別の役割もあります。

それはしばらくの間、
近所の人たちがどんどん
お祝いに訪れてくるので、
その相手です。

あの~あちこちで

「孫が生まれてねえ」

とかいっているのではないのですよ。
マージャン友達なんかには
「孫ができたんやあ」なんて
言ってただけなのに、
日帰りで長野から帰ってきた翌日には
町のあちこちで、
「そっくりなお孫さんができたんやてえ」
と声をかけられてしまいました。
いやあ、もう情報は漏れ漏れです。

そしてブログにもかいたので、
ジムでもみんなに顔を見るなり
「おめでとう」といわれてしまいました。

もちろんコメントをくれた人もいますし、
別途メールでお祝いを
くれた人もいます。

みなさん本当にありがとうございます。
こんなじいちゃんですが
変わらずおつきあいしてくださいねえ。

でもねえそんな友達や
近所のお祝いに来てくれる人たちには、
孫を合わせることもできないので、
それが残念です。

で、どうしたかと言いますと、
顔の絵をかいてあげました…
というのはウソで、
doironが撮影した写真とか、
息子から送られてきた写真を
A4に印刷して、
「僕の名前はーーーで~す」とか
コメントを入れて
玄関に3枚ほど張り付けることにしました。



いやあ、プリンターをさらに
していてよかったです。

そして我が家にやってきた
お祝いの人にまあ暑いからと言って、
お絵かき部屋に通っていただき、
絵も押し付けてみていただきながら
くつろいでもらうときに、
デジタルフォトフレームに
映像をながしつつ
孫の姿を見ていただくように手配しました。



いやあ、なかなか厄介なおじいちゃんです。

そこには息子のカレンダーも置いて、



顔を見比べてもらうことも
手配しています。

さすがにdoiron自身の写真は
やめておきましたがね。

まあ、そんな風に孫誕生を
遠距離のジジババは目いっぱい
楽しませてもらっている次第なのです。


左右色違いの靴下

2018年07月22日 21時37分38秒 | 生活

たまにデサントのバーゲンに出かける。

これまでこのバーゲンでは
山用の服や練習用のウェアなんかを
よく買った。

安くていいしね。

そしてここに行くと
いろんな友達にあいます。

歩き友達や昔一緒にスポーツを
やった仲間とか前の職場の同僚とかが多い。

今回も退職前に一緒に
大きな仕事をやった同僚に
バッタリと出合った。

「元気にしてますかあ」
「お互いさんにねえ」
などといいつつ別れていくのですが、
いやあまあ懐かしい。

あの頃の思い出がグイーンと
よみがえって来たりしますねえ。

そんな日は昔の職場で
仕事をしていたころの
夢を見たりしますね。

まあ、それほどここは大勢の
人々が集まる場所だったりするんですねえ。

今回の買い物は、
最近友達がやっているストレッチ教室に
入ったりするので、そんなウエアを
買うことが一つの目的でした。

それと、Tシャツは各種大会の
参加賞がたくさんあるのですが、
いずれも古臭くて、西暦2000年頃の
シャツなんかがとても多いから、
ちょっと日常に着るのならと
機能性を少し求めたシャツを
買うことも目的です。

おかげさんで、ストレッチ用の
ズボンは最適なのが見つかったし、
Tシャツも自分なりにオシャレやなあ
と思うものを2枚買うことが
できたのでよかったなあ。

以前だったら、これはいいなあ
というオシャレなものがあるなら
どんどん買い物かごに入れていって、
最後にもう一度品定めをする
という貪欲な買い方をしていたのですが、
もうそんな気持ちも少なくなってきて
あっさりした買い物になりましたね。

よしよし、これでまた歩きのウェアにも
活用できるぞとすぐに満足し、
早々に引き上げることにしたのです。

でもそうそう実はもう一つ
気になるものがありました。
それが靴下です。

最近doironはこんなおしゃれが
広がらんかなあと思い、
靴下を左右別色の物を
履くようにしているのです。

人に指摘されると、
慌てて別の色の物を履いてきたわあ
とかいいながら笑いをとるのだが、
最近はジムでも少しずつ
慣れ始めています。

いつか、若い女性や格好いい若者が
こんな真似をしてくれたら
楽しいなあなんて思いつつ、
ときおり足元を見つめながら
はしゃいでいるのです。

で、今回のバーゲンでは
同じ模様で色違いの靴下が
三足セットの超激安で
売られているのを見つけました。

しかも二種類の色違いがある。
6色セットですね。

それがこれ。



ばらしてみたらこんな感じだ。



ではこれをこんな感じで
左右色違いも気にせずにはくとなると、



何種類のはき方ができるか
というのを考えてみました。

え~っと、右足に青を履くと
左足には5色選べる。
いや、同じ色も選択の一つや
と考えたら6色から選べる
ということになる。

で、右に履くのはもともと6色あるから、
トータルの組み合わせは
6×6で36通りあることになるわけだ。

この計算で間違ってないよねえ。

doironの場合、デザインは同じで
色が違うということに
こだわっているから
こういう計算になるのだろう。

もし左右デザインも違うのでいい
となったらもう計算できなく
なるほどあるわけだが、
まだそこまではいっていない。

激安三色セットを二つ買うだけで、
36種類も楽しめるって
いいと思いませんか。

例えば、今日は小遣いが不足しているから、
赤と黄色を履いておこうとか、
若い人がおおい所では
優しくピンクと水色を履いておこうとかね。

まあこんなおしゃれが流行ったら、
恋する気持ちは赤と青
みたいな取り決めが
できたりするかもしれないよ。

なあんてことを考えながら、
このおっさん、頭おかしいぞ
と思われることを警戒しつつ、
靴の中で見えにくいオシャレを
楽しんだりしている
doironなのでありました。

そうそう一つ注意すべきことは、
洗濯をするミセスのことを考えたら、
在庫はきちんと管理しておくことは
必ずしないといけませんがね~。