初瀬の交差点から、
狭い参道を車で上がっていきます。
途中、車同士がすれ違えないような
狭い場所もあるのですが、
降りてきたのが地元の車で助かりました。
都合よく道を開けてくれます。
この長谷寺の近くには
西国三十三所の番外札所である
「法起院」があるのですね。
帰りにはこんな狭い参道の
お土産屋さんや番外札所も回りましょう、
なんて思っているうちに
長谷寺の有料駐車場に到着です。
結構山の上の方まで
上がってくるのですねえ。
ではおまいりセットや納経帳とかを
持ってお寺に向かって行きましょう。
入山料を支払うところからは
目の前に仁王門が見えています。
立派な門構えですねえ。
両脇に仁王像、楼上に
釈迦三尊十六羅漢像を
安置しているそうです。
そして額字は「後陽成天皇」の
真筆だそうです。
昭和天皇が124代としたら、
その天皇は107代天皇だそうです。
仁王門が再建されたのが
明治22年ですから、
額字は保管されていたものなんですねえ。
その仁王門の下から
重要文化財の登廊が続きます。
長い階段ですねえ。
全部で399段続いています。
この登廊の天井部分に
「長谷型灯籠」がつるされています。
丸っこい形の灯籠のわくの部分に、
それぞれ寄進した人の名前も
入れられています。
いやあ、なかなか急な階段が
続きますねえ。
どうやらお年寄りなんかには
登っていくのも辛そうで、
きれいな道も作って、
そこを車で送り迎え
ということもできるようですねえ。
階段をすべて上り終えると
そこに本堂があります。
その本堂の前に展望台がありますよ。
断崖絶壁に建てられた
お寺の絶好の展望台です。
この寺は別名「花の寺」とも
言われてますから
春は桜もきれいだろうし、
ボタンやアジサイもきれいなんでしょう。
またそこにある木なんかを見ると、
季節によってはきれいな
景色になるんでしょうねえ。
そうそうこのお寺はかなり
年季が入ってますねえ。
展望台横の床の柱なんか、
みんな座るので角材が丸くなっています。
さあでは本尊をお参りしましょう。
10m以上もあるりっぱな
十一面観世音菩薩です。
全国の長谷観音の根本像
だといわれてます。
三十三所の納札も納め、
では納経です。
達筆ですねえ。
面白いのは記帳後に挟み込む当て紙です。
和紙風の神で真ん中に
長谷型灯籠のイラストが
描かれてありました。
これで15寺目も完成です。
でもここにはまだ近くの
番外札所の「法起院」もあるので
降りていきましょう。
途中こんな二又で生えている
杉の木を通っていきます。
源氏物語に登場する木だそうです。
そうして長谷寺をお参りした後は、
少し歩いて法起院を目指します。
ここは徳道上人が晩年に
隠棲したところといわれています。
ここにはきれいな蓮の花が
咲いていましたねえ。
それにタラヨウの木が
植えられていて、
ここでは木に生えている枝に
直接文字を刻むような
感じになっていました。
ではお参りをしていきましょう。
番外札所とはいえ、
きちんとお参りしていきます。
もちろんここでも朱印をもらいますよ。
納経帳の中には、
このお寺もきちんと乗っていますからね。
ああ~これで今日の
お参りは終わりです。
気候的にはさすがに山の中ですから、
蒸し暑くてどうにもならん
という感じではなかったですねえ。
帰りには商店街の中の食堂で
こんな山菜そばもいただきました。
給仕をしてくれた女性も
ここにくるお客さんは
普段は涼しいねえと言ってくれるのに、
「今年ほど暑い年はなかったですねえ」
とぼやいてはりましたな。
さあ、三十三所は次は
どこに行こうかなあとか考えながら、
暑い中にも、どことなく
秋が遠くから眺められていたような
doironの大和の長谷詣で。
これにておしまいです。
暑い夏が続きます。
もう気温がどこに行っても
35度を超えるような日々が
ずっと続いてました。
もうこんな日は脱水禁止の
doironにとっては、
歩き旅など絶対いけませんね。
車の温度計も40度を超えている
そんな日もよくあります。
最近の歩き旅で一番暑かったのは、
三年前の8月に淀川完歩で
天ケ瀬ダムを歩いた時だったかなあ。
ズボンも汗まみれで、
途中の経路内には自販機など
全くない道を歩いたときだったと思う。
夏場は交通規制で
バイクも通れない自然たっぷりの
山中の静かなアスファルト道を
19キロも歩いた。
途中抜け道もないので、
淀川完歩では一番の難所だったかもしれない。
家も全くなく、自販機も
ないかもしれないという予想は当り、
500のペット2本(一本は凍らせて)
を持っていったけど、
最後の方ではほとんど
なくなってしまう状態になった。
これはもう危機的状況であるぞ
と思った時に、遠くの方に
自販機を見つけたときは
飛び上がってよろこんだなあ。
もし今年、この時期に歩くとなると
多分あの時の暑さを
超えているでしょうから、
相当覚悟をしていかなければならないだろう。
でもまあ何もそこまでして
うろつくこともないか。
これでウロウロしていて
体の具合が悪くなったりしたら、
もうあいつは何考えてんねん
とあきれられてしまうだろう。
寄る年波には勝てないってなもんだ。
仕方ないので暑い夏場には、
せめて汗はジムでかくくらいにして、
普段は車でちょろっと出かけたり、
絵でもかいたりしながら
過ごそうかあなんておもいつつ
暮らしていた。
そんな夏場の暑さ対策で、
一人サマータイムで早朝に起き
朝の軽い散歩には行くが
元気な高齢者たちは
いっぱい外に出ているねえ。
ラジオ体操するんだと
言ってた知り合いもいたが、
もうそれ以上の運動を
あさからてくてくと
すごしているじゃんって感じだ。
そんな朝の散歩をしていると、
8月に入ったくらいから
朝の気候が気持ちよくなってきた。
ああ、どこか遠くの方から
秋がのぞいているぞという感じだ。
こんな季節だったら、
山方面に遊びに行くのもいいかも
と思い、ある日西国三十三所の
山方面のお寺に行ってみるか
と考え出かけることにしたのだ。
長くなったがそんな経緯で、
今日は西国三十三所のお話だ。
まあ、この日はさほど遠くない
8番の長谷寺を目指すことにした。
以前、この寺の近くの国道165号は
又兵衛桜を見に行くときにも通ったし、
額井岳登山の時も通過したところだ。
もっと以前となると、
トライアスロンの練習でバイクで
青山高原往復をした時にも
通ったことがある。
全く馴染みのない道ではない。
車だと家から南阪奈道路を通り、
橿原市を抜けて桜井方面へと
向かって行きます。
この辺りが白山比咩神社なんですが。
あれ駐車場はどこ?
あれあれと思っている間に
通り過ぎてしまいました。
ああ~寄ろうと思っていたのになあ、
通行量の多い車に押されるようにして
過ぎていってしまいました。
仕方ないなあ、じゃ次は十二柱神社だ。
ここでは狛犬の台座を
持ち上げている力士像を
見ていこうと思いましたが、
あれ~どこだろう。
場所はすぐにわかるだろうと
大きな地図しか持ってきてなかったので
場所を確定できません。
あれあれと思っている間に、
もう道は「初瀬」にかかりました。
仕方ないので今回はあきらめて
長谷寺だけにしようと思います。
初瀬、というのは初瀬山があるからです。
その山に、道明上人が
銅板法華説相図を天武天皇のために
安置し、そこへ徳道上人が
聖武天皇の勅願で本尊の
十一面観世音菩薩を祀ったところから、
初瀬山の寺である
「長谷寺」
となったものです。
今はもう長谷詣、長谷信仰として
人々に慕われる「観音霊場」として
親しまれています。
続く
息子にビデオ撮影機をかしてあげた。
お孫ちゃんの撮影に使えばいいよと
半分あげたような形で
お盆に帰阪した彼に渡したら、
そのお礼にとグーグルスピーカーが
送られてきたのだ。
これ。
テレビの宣伝とか見てると、
利用者がこのスピーカーと
いろんな会話をしている。
例えば旅行行先の天気とか
そんなことを会話しているのだ。
それグーグルにやらせよう
みたいにね。
まあ最近ネットのつながっている
パソコンと話をしたりすることも多いし、
携帯だってイチイチ打ちこまなくても
会話ができる設定に
なっていることがおおいから
そんなことが簡単にできる時代に
なっているのだ。
まずはグーグルのソフトを携帯に
インストールしてその中で
必要事項を打ち込み、
ネット環境も整理して
グーグルスピーカー
(略して「グースカ」)の設定をする。
いくらかゴニョゴニョしながら、
一応ソフトを通じて設定は完了である。
では成果のほどを試してみよう。
まずグースカを動かすためには
「オッケーグーグル」
と合言葉を送る。
その後「今日の天気は?」と聞くと、
細かく伝えてくれるのだ。
なかなかわかりやすい声でね。
よしよし。まずは成功である。
ニュースは?と聞くといろんな
放送局のニュースを
次々としゃべってくれる。
まあ聞きたいニュースなんかを
そのうち選んでくれたりするのかなあ。
例えば、陸上競技関係は
必ず入れてくれるとかそういう感じね。
どこまでがこの機械の性能というか
気配りというかその辺が
まだよくわからない。
もしきのう陸上などで
新記録が出たりしたら、
気配を感じて「ねえねえ、新記録でたよ」
なんてしゃべってくれたりしないかなあ。
そんなことができるようになったら、
一人暮らしの人なんかは
気持ち紛れていいよなあ。
長くてあまり興味のない
ニュースだったりすると
「ストップ」と言えば
黙り込んでくれるのも愛嬌だ。
もっと進化して帰ってきたら
「お帰り~」とか言ってくれたりしてねえ。
でもねえ、こんな会話があったよ。
「オッケーグーグル。おはよう」
というと、
「doiron(本名)さん
おはようございます」と名前を
言ってくるのです。
これはびっくりしましたねえ。
ネットの中を分析してるのかなあ。
で、今日は野球はどうかと
「プロ野球はどうなってる」ときくと
「現在阪神タイガースは5回裏で
中日相手に5点リードしています」
というではないですか。
そして他のチームの成績は言わないのです。
「他は?」とか聞かないと
いけないんでしょうねえ。
それにしても、このグースカに対して
阪神ファンですよなんて
一度も行ったことがないんです。
キッチンにこの機械を置いてあるのですが、
もしかしたらdoironと
ミセスの会話を普段からそっと聞いていて、
静かにひそかにいろんなことを
考えているのかなあなんて
思ってしまいます。
あと、質問が雑過ぎて、
「ほらさあ、あの結果はどうなった」
て聞いたりすると
「ああ、私にはわかりません。
またもっと勉強します」
なんて言ったりするんだよね。
まあそこで例えば質問の意味を
しっかりと推測して
「錦織君はかちましたよ」
とか
「稀勢の里も勝ちましたよ」
なんて返事をして来たりすると
おどろきだよなあ。
そんなことを考えてると
結構面白かったりするのだ。
こうしているうちにも
いろんな質問が浮かんでくる。
「明日歩きに行こうと思うんやけど、
どこがいい?」
とか
「次にロト6を買うときには何番にしよう」
あるいは
「絵で胡蝶蘭を描いたけど、
なんて言葉にしよう」なんてのも
面白いかもしれない。
普段のdoironの生活に合わせて、
驚くような言葉を
送ってくれたりするといいなあ。
息子の楽しい贈り物に、
ときおりくすっと笑ったり
残念がったりしています。
昨年から小学校に行き、
安全について講習会を開いている。
これがねえ、やはり大変なのだ。
行くとなれば事前に準備もし、
話す内容を頭にストーリづけておく。
小学生相手でもいやあなかなか大変です。
なぜこんな夏休みの期間中に
安全の講習会を開くのかというと、
段取りがとてもつけやすいのです。
話を聞いてくれる相手は
地元の市では「仲良し学級」といって、
いわゆる学童保育の子どもたちです。
その教室に行き話をしにいくのです。
この学校関係者たちは
とても親切に我らを
迎え入れてくれますね。
なので我々も安全について
しっかりお話をし、
子どもたちの理解を深めて
もらうようそれなりに
努力をしていきます。
先日は、この夏二回目の講習会でした。
地元の海辺沿いの小学校の
仲良し学級に行きました。
ああ~この学校は友達の孫も
通っていて仲良しにいってるみたいです。
こんな話をやりますからね
とメールを送ったら
「残念!その日は休みを予定している日です」
とのこと。
残念でしたあ。
そもそも、この日はdoironが
講習を行う予定ではなかったのですが、
その講義役に当たっている人が
携帯に電話してきて
「今日は急な用事でいけません」
とホザくじゃなかった、
言ってくるという
おさぼりメールが届いたのです。
うぇ~、どうするのと考えていたら、
担当の市役所の人が
「doironさん、代打でお願いします」
とのこと。
え~高校野球じゃないんやでえ
とかいいながらも、仕方がないので
急遽講師になることになりました。
いやあ原稿も何もなしで
50人くらいの子どもらの
前に立ち話し始めます。
どんな内容のことを話すのか
事前に用意をしているわけではありません。
用意してあるビデオを
一緒に見ながらいきなり話を
進めていくほかありません。
え~まずビデオに空撮の町が写りました。
ん?ここはどこ。
こんな時は普段のほっつき癖が
役に立ちますねえ。
あああの交差点の角にお店がある
この小学校近くのあの場所やなあ。
では「みんなさあ、いまビデオに写っている
交差点はどこだと思いますか?」
するとやはり子どもには
近所なので分かるようです。
「おっちゃん、知らんの。OO君の家の近くやん」
とか言うてきはります。
そんなやり取りをしながら、
わいわいと話を進めていくのです。
予定は30分間でしたが、
使ったのは35分間。
まあまあでしたね。
受けてほしいところはうけたしね。
こんな人相の悪いおっちゃんが
安全について語るという
変な講習でしたが、
まあやれやれです。
ここはお家からはちょっと遠い
学校でしたのでまあ普段
この子どもたちに会うことはないでしょう。
でもねえ、今年の一回目に
やった学校はすぐ近くの学校でした。
近所にはスーパーもあり、
たまにはそこに買い物に行きます。
そしたらさあ、先日doironの顔を
知っている子がいてスーパーで
「こんにちは」といわれてしまいました。
え~誰?どこの子?と
考えていたのですが、
思い浮かびません。
きっと、あの講習会に
参加してた子だったんでしょうねえ。
こんな覚えにくい顔なのに
覚えてくれてたんかなあ。
「やあ~こんにちは」と返しておきました。
そんなことがあると
だんだん世間が狭くなってきますなあ。
学校では安全について
講習したりしているんで、
交通ルールはちゃんと守らないと
いけないしなあ。
10円ひらっても警察に届けないとなあ。
どこに目があるかわかりませんからね。
なんか年取ったらええ加減な
調子のいい高齢者を目指そう
と思っていたのになあ。
まあ、しかたないか。
世の中の何の役にも立たない分、
年金もらってるからせめて
世間が安全なように
ちょっとは役に立たないと
いけませんかねえ。
夏休みもまもなく終わります。
なつかしい蛸地蔵の駅を見た後は、
また南海線路沿いを歩いていきましょう。
駅のすぐ近くには「足止地蔵」があります。
ここには何の案内もなかったのですが、
ネットで見たら結構立派な
地蔵盆もしているようです。
足止めというところを
資料を探ってみますと
「家出人、走り人について祈る」
とありました。
う~ん、家出人についてというのは
わかるのですが、走り人
というのは何でしょう。
まさかランニングに出て
あちこち走り回っている人に対して・・・
じゃないでしょうねえ。
何かについて走りこんでいる、
まあ熱中して行方のわからない人
みたいなところでしょうか。
地蔵にはいろいろとあるのですねえ。
今回の足止地蔵、足の神様の地蔵、
咳の神様の地蔵なんかも
doironの近所にありますが、
変わったところでは田原本のあたりには
「おうてくれ地蔵」もありましたねえ。
そうそう日限地蔵も
意外に各地にありました。
地蔵は地域ごとにいろんな思いを
込めて親しまれているんでしょうねえ。
そんな線路沿いの地蔵尊を
見ながらさらに線路沿いを
進んで行きますと、
津田川を越えることになるので、
踏切のところからすこし街中へと
入っていきます。
ここまでマンふたは岸和田の
こんな感じだったのですが、
津田川を越えてふと気づいたら
もうこんな貝塚のマンふたになっていましたね。
ああ~もう貝塚かあ。
空の方も若干暗くなってきました。
まあ、でもこれくらいでちょうど
待ち合わせ時間に貝塚に
到着しそうですね。
津田川を渡ったところで、
ぼちぼちこの辺で線路沿いの道に
出ていかないといけませんね。
本日歩きの一番の目標である
地蔵群もこの辺りのはずです。
再び線路沿いの道に出て、
しばらく行きますと線路の向こう側に
小学校が見えてきます。
確かこの辺にと・・・思ってみていますと、
出てきました。
これがその地蔵群です。
こうして立ち止まってよく見ますと、
どうも地蔵には2種類あるようです。
右に6体、左に6体。
どうも2種類の六地蔵が
置かれているようです。
なかなか立派な地蔵さんですねえ。
そしてふと気づくと、
六地蔵軍の前に仏像が一基座っていますよ。
これ。
螺髪ですから如来像ですねえ。
六地蔵と向きあっていますよ。
ここってどういうところなんでしょう。
洞なんかもないしなあ、
何の説明もありません。
かえってネット見ても
記載がないのです。
地蔵盆の時なんか人が集まるのかなあ。
横をみたら、墓石が立っていたりするので、
まあそういう場所なんですかねえ。
そして螺髪はまあ巻貝を
意味する髪の毛ですねえ。
だから貝塚?
いやあそんなことはないでしょう。
貝塚といえば貝殻の塚として、
縄文時代の遺跡を指すことが
一般的であることから
この地名がつけられた
との説もあるようだが、
貝塚市の市域ではいまだに
貝塚遺跡が発見されていないのです。
そんなことから、
その関連性は証明できず、
「貝塚」という地名の由来に
関する確証ある説は
現在のところないといわれています。
海塚という地名がありますから、
それと関連している
という説もあるようですが、
まだ結構謎の多い地域です。
まあ、でも気になってた地蔵群は
ちゃんと確認したので、
また調べておきましょう。
そこからむかし親父が
目の手術をした貝塚の
市民病院を眺めながら、
こんな「蛸坊主もなか」の
お店なんかも見つつ、
水間線の駅から南海の貝塚まで
歩き終えました。
こんな感じで距離は5キロ。
時間もぴったりです。
そこで仲間と待ち合わせ、
駅前の飲み屋さんでビールをクイ~、
ウヒャあいい感じです。
秋にはあんなところを歩きたいね。
あそこもいいねえ。
などといいながら、
真夏の歩く会の宴会を楽しんだ
doironなのでした。
おしまい
最近は毎日暑くって、
歩き友達はどうしているんだろう
と思っていた。
まあ皆さんさほど若くはないので
無理はしないで、今は計画を建てたり、
他の自分の趣味に没頭している
人もいるのだろう。
あ、もちろん仕事に集中している人もね。
まあそんな状態だから
時間的には余裕が取れるようで、
夏の飲み会のお知らせが
あったので行ってきました。
働いている人の職場に近い
貝塚市の駅前での飲み会です。
もちろん夕方からの飲み会なので、
じゃあ夕暮れくらいから
少し歩いて参加してみようと、
ちょっと計画を建てたのです。
この辺りは紀州街道や熊野街道で
よく歩いたところです。
以前は泉州マラソンの応援でも
この辺りに立っていたことがあります。
じゃあ歩くコースはどうしようかなあ
と考えたところ、そういえば
一か所だけ気になるところがありました。
南海電車に乗って、
山側を見ていると蛸地蔵を過ぎて
少し行ったところで、
道端に何やら石の地蔵さんが
何体か立っているところがあるのです。
あれは何かなあと思っていたので、
歩いてそれを確認に行くことにしました。
岸和田駅から貝塚に向かって
南海沿線沿いに歩いていきましょう。
飲み会の始まる時間を見越して、
電車に乗り出かけていきました。
岸和田駅は昔はよくウロウロしたところです。
電車を降り、では歩き始めましょう。
まずは線路に沿って南向いて
歩いていきます。
今は高架の上を電車が走っていますが、
昔は平面を走っていましたねえ。
その先の踏切を原付バイクで超えたときに、
一旦停止を止まらなかったので
交通違反で止められたことがあります。
生涯初めての交通違反でしたねえ。
踏切なんて一旦停止しなくても
安全なんと違うん、と
ふてくされていたことを
思い出しますねえ。
駅前の交番に連れていかれて
切符を着られたときに、
同級生にばれてしまいましたねえ。
その交通違反を起こしたのが、
この臨海と東岸和田をむすぶ
道の踏切でした。
そこから道は線路の山側を
和歌山向いて進んでいきます。
線路沿いに見えている右の学校が
doironの母校です。
そのころ阪和線で通っている
友達とはこの辺でよく遊びましたねえ。
広いビリヤード場があって
よく出入りしました。
バイクに乗って、ビリヤード場で遊ぶ
という、まあ田舎の高校生にしては
進んでいたんでしょうねえ。
しばらく進んでいきますと、
岸和田の次の駅「蛸地蔵」に到着です。
ここは小さな駅ですねえ。
でも何となく雰囲気のある駅です。
駅舎の上部にはステンドグラスがあります。
そもそもこの蛸地蔵という名前は
ある大法師とたくさんの蛸が
岸和田城を守ったというところから
ついた名前です。
タコが戦をねえ。
刀、槍、弓矢など蛸一匹で
いろんな武器を持つから
強そうですねえ。
ここのステンドグラスには
そんなタコの活躍なんかが
描かれたりしているようです。
でもねえ、武器を持つ手が多くて
強いんならイカの方が強いよなあ。
物語のストーリーに寄ったら
「蛸地蔵」はもしかしたら
「烏賊地蔵」と呼ばれていたかもしれませんね。
駅から少し高校の方へ向かう道を
見てみるとこんな感じです。
むかし山岳部とトレーニングで
ランニングをしたころ、
最後のこの道はラストの
スパート道でしたねえ。
しかしまあ、あんな狭い村中の道を
思いっきり走ったりして、
よく子どもとぶつかったり
しなかったものですねえ。
そんなことを思い出しました。
あの時に一緒に走った山岳部の2名とは、
就職後トライアスロンの会場で
偶然会って驚きました。
なんか同じような趣味に
目覚めていたんですねえ。
一人は会社員で、一人は近大付属の
先生でした。
母校の応援に甲子園に行ったりしたのかなあ。
続く
台風20号の進行図を見ると、
なんと地蔵盆でお参りの最中くらいに
一番の暴風圏に巻き込まれる感じである。
さて今年の地蔵盆はどうなったか
この日一日を振り返ってみよう。
まず朝の五時ころに村の人たちは
提灯をつけに地蔵さんのところに集まる。
まあ、この時はまだ穏やかな天気だったな。
ああ、地蔵盆が来たら
秋らしくなるなあなんて
話ししていたものだ。
doironも初めての孫の提灯を
自分の提灯の横に付けたよ。
孫の初お目見えやなあ。
早朝から地蔵さんのところでさわいで、
午前九時に地蔵講のメンバーが集まります。
まずは地蔵さんの前に
テントを立てないといけません。
でもねえ、もしかして台風の風が
強烈に吹いてきたら、
すぐにたたまないといけませんからねえ。
一度みんなで今日はどうなるか
話し合いましょうということになりました。
結局はテントも建てずに
何とかならんかと相談に入ります。
まずは前倒しできるところは
先に行いましょう。
来てもらうお坊さんは一応18時半からの
予定なんですが、前に持ってくるとすれば
何時に行けますかと問い合わせました。
まあ大暴風雨の中で
お経をあげてもらうのもできませんし、
地蔵さんを公民館のところまで持ってきて、
そこでおがんでもらうのも
ちょっと無茶です。
結局お坊さんはこの日9つの地蔵さんの
予定が入っていましたが、
その隙間を塗って午後3時半には
お参り可能とのことなので、
そこに予約をしなおしました。
ではそのお参りを中心に考えてみましょう。
まずは、お参り時間が変わったことを
町民にどのように周知するかです。
手段は3つ。
町内放送で呼びかける。
ハンドマイクで触れて回る。
急遽、紙の文書を作って配布する。
結局はハンドマイク以外の手段で
周知することになりました。
ではその内容です。
おにぎりの引き取りは
午後3時なんですが早くすれば
何時に行けますかと
業者に問い合わせてみますと、
ぎりぎりで12時30分だとのこと。
ではその時間に取りに行きましょう。
で、そうして手に入れたおにぎりは、
これまでは午後7時から
配っていたのですが、
前倒しで配ろうということになりましたが、
これまた皆さんに通知しないといけません。
結局は地蔵講全員で村の中の
お布施をいただいた家に
配布しようということになりました。
配布時にはできるだけ
お隣さんへの預けとかも気にしつつ、
最悪は3時半からのお参りと
その時のおにぎり配布案内紙を
預けてきます。
それを一時くらいから行いました。
まあそれがもう最後の手段ですねえ。
で、結局町内放送もdoironが行いました。
お参り時間が早まることと、
おにぎりの件を伝えないといけませんので、
複雑な内容なんですが
できるだけシンプルに行いましたよ。
それでも「よく聞こえなかった」
と問い合わせがあったので、
風向き見て再度放送しましたね。
こうしておにぎりも何とか配り終え
虹の中でのお参りも含めて
作業が終わったのが
午後4時でした。
この時点での天候というと、
まだ雨も降っていません、
風が少し出てきたようですから、
もう提灯もおろしに行きましょう。
そしておさがりも回収し、
配布の仕分けをして、
いつもならお参り前のひと時に、
ここで豪華弁当と酒飲みが
始まる食事会が、今回は
すべての作業を終えてからとなりました。
ビール、日本酒を飲みながら
弁当をつつきます。
頭屋の挨拶も
「今回は自分の家族の都合と、
台風の接近でいろいろと変則となり、
皆さんにご迷惑をおかけしました」
とあいさつがありました。
そう今回おにぎりを買わずに、
例年通りみんなに握ってもらうのでしたら
きっと大変だったでしょう。
結果的にはおにぎり購入は
大正解でしたね。
よかったねえとかいいながら
ワイワイ言ってたら
頭屋の携帯がなりました。
な、なんと彼のお父さんが
なくなったという連絡です。
すごいタイミングです。
むすこの頭屋の仕事が
すべて終わったのを見越してのような
大往生だったのかもしれません。
ご冥福をお祈りします。
2018年、今年の地蔵盆は
文字通り嵐のような一日でした。
今年の地蔵盆は異例づくめとなった。
まずは頭屋のことが問題となる。
頭屋とは、今年に50歳台後半を迎え、
子どものころから地蔵盆の
周りで生活していたようなおっさんが、
新たに地蔵講に入会するときに
むかえる一生に一度の役割なのだ。
写真に写っているのが今年の頭屋
これを迎えると、
地蔵盆に関するイベントの
すべての責任者となる。
お坊さんによるお参り、
お布施の集め、宴会の手配、
配布するおにぎりの準備、
すべての買い物の長となる。
まあいわばその日一日は
大変な役回りとなるわけだ。
しかしわが町のおっさんの
年齢分布は非常に微妙な状態で、
この辺の年齢が大変すくなく
なりつつあるのだ。
まああと3年くらいは
次の候補者が決まっているのだが、
その3人の後の候補者となると、
他町に住んでいたりして
平日になるかもしれない頭屋の
大任務を務めるとなると大変なのだ。
それに頭屋ともなると、
奥さんの役割が非常に重要となる。
地蔵さん(全部で5体ある)の
前掛けも新調しないといけないし、
おにぎりを握りに来る
あんなの人たちを迎える
女性チームを作らないといけない。
まあ、こういう役割が
奥さんに課せられるのだ。
こんな事情を考えると、
なかなか頭屋を務めるとなると
大変なわけだ。
で、今年の頭屋なのだが、
まあこいつは町内に住んでいるので
祭りなんかでも活躍するやつなので
人材的には申し分ない・・・
と言いたいところなのだが、
かれは独身なのである。
女性のいない分その役割をどうするのか、
その辺が大変なのである。
7月になると地蔵講の総会が開かれた。
そんな中でも彼は頭屋を務める
という覚悟であった。
この地蔵講に向かって、
ミシンを買い、それの動かし方を
自分で勉強し、地蔵の前掛けを作るという。
そして女性陣の仕事はみんなの
協力をもらいつつ務めるという
覚悟でずっとすごしてきていたのだ。
いやあ、なかなか大したものである。
ミシンをかって勉強というところで、
みんなびっくりしたものである。
そうして覚悟を決めてやってきたのだが、
ここへきて彼の家でたいへんな
ことが起こったのだ。
父親が病気で長期入院をし、
母親も認知症で介護が始まったという。
しかも父親はかなり深刻な状況なんだそうだ。
家の介護もしながら、
頭屋を務めることに彼は
大変深刻な感じになった。
まあそういえばdoironも
4人と1匹を介護しながら
頭屋を務めたんやけどね。
まあミセスと2馬力だから
何とかなったみたいなものだ。
でも彼の場合はできることは
自分でクリアしてきたものの、
ここにきて大変な感じになってきた。
総会でいろいろと話し合った挙句、
今年は特別措置として
おにぎりも自分らで握るのではなく、
握ったおにぎりを
購入してみようということになったのだ。
おにぎりを握らないとなると、
女性の大きな役割はなくなるのである。
地蔵講としての大きな仕事は
まあ8割はなくなったと
考えていいだろう。
いやあ、村の女性陣は
大きな喜びだったろうな。
「今年は握らなくてええんやて」
と喜んだに違いない。
まあ、昔からの地蔵講のおっさん達は
伝統が崩れたと悔しそうにはしていたがね。
結局色々と業者を当り、
値段交渉した結果、
ご飯を買ってそれをおにぎりにする
のとほぼ変わらない価格で
そろえられることになった。
そもそも女性陣を迎え入れるために
購入したお菓子や果物、
それにおにぎりにかけるゴマやたくわん、
それらを入れるパックも買わなくて
済んだからだ。
まあ来年からは、
こういう体制になるだろうなっ
て感じだ。
頭屋の人材がいなくなるという
深刻な問題は除いてね。
そうして8月23日ついに
地蔵盆の日がきたのだが、
な、なんと台風20号真っただ中
というそんな厄介者を
仕込んだ形でね。
続く
足の裏に8年くらい前から
魚の目が一つできている。
ランニング時などなにかの拍子に
ウルっと痛みが走るのだ。
簡単に直るんなら治療してもらおうと
皮膚科に行き、そこを見せたところ、
女医さんが、「ああわかりました」と言って
切れ味の鋭いメスで
くるりんと削ってくれたのです。
とても微妙な削り方で、
痛みが来るぞ来るぞっと警戒しつつ、
幹部にうっ!と痛みの前兆が
さしかかったところで削り終了です。
はあ~緊張したけど大丈夫な痛さでした。
「これでよくなってくると思いますよ」
といわれ安心しましたね。
これで素足で靴を履くトライアスロンの
ランでも大丈夫でしょう。
ところがです。
三日ほどするとまたその幹部が
固くなってきました。
「ああ~結構しつこい魚の目やったんやなあ」
まだ完治してなかったわあ。
さあ、じゃあもう一度皮膚科へと思いましたが、
あの時は微妙に痛くなりかけで
治療が終わったのに、
再度治療となるとあらっぽい
治療になるかもしれません。
うひゃーそれはいややなと思い、
もう少し大きくなってきたり
しないか推移を見ることにしました。
しばらくほっておいたのですが、
さらに大きくなることはなかったですが、
微妙な圧迫感が足の裏に刺激を与えます。
さあどうしようと思っているうちに、
ついに別の病気でマラソンを
やめることになってしまったのです。
じゃあ、ランニングも昔みたいに
ハードにすることはしないから
我慢できるよなあ。
なので、自分で爪切りなどで
こまめに削ったりしながら
治療を続けることにしようと
気持ちを切り替えました。
それから月に一度くらいは
大きく削っているのだがねえ、
やはりしばらくすると
固くなってくるというのが
ずっと続いていたのです。
で、先日も風呂上りにニュースを見ながら、
魚の目を削っていたときのことです。
なんかとってもくるりんと
爪切りが回ったなあと思ったら、
気持ちがスカッとしたのです。
何が原因でスカッとしたのかわからないけど、
心の奥底で小さな喜びが
ドーンと爆発したような感じでした。
そしてその感覚はしばらく続き、
なんか足の裏がとても快調なのです。
ああ~ついに8年間の奇跡が
やっと起こったんやねえ。
皮膚科の鋭利なメスでも
切り取れなかった魚の目が
やっとこさ直ったという感じだ。
もう二週間たつけど次世代の
魚の目は生えてきていない状況だ。
心のどこかがその完治に
気づいていたんやろねえ。
ということはあの小さな魚の目が、
どこか心の片隅に食いついていた
って感じだったんだろう。
やった~もうこれでdoironの
マラソンも引退撤回だあ、
とはなりませんけどね。
練習時なんかでの軽い痛みが
もうなくなったと思うと
足の裏も気持ちも軽くなりましたね。
歳をとってきて体のどこかが
不具合なんてもう治ることも
ないだろうと思っていたけど、
こうして魚の目の完治という
小さな出来事でも
気持ちを明るく励ましてくれるやん
と喜んでしまった今日この頃の出来事でした。
最近、友達の孫が面白いのです。
マージャン友達の娘の男の子なんですが、
よく親元というかじじばばとこへ
遊びに来ています。
週末なんかはたいてい来ていて、
麻雀台の周りをウロウロと
遊んでいます。
おかげですっかり顔なじみになって、
街中でひょっこり会っても
「おっちゃん~」と言って
寄って来ては「ドラドラやで~」
とかわけのわからんこと言って
声をかけてきてくれたりするのです。
いやあ、かわいいものですねえ。
この子は最近の技術の進化にも
ちゃんと対応していて、
まだまだ小さいのに、
タブレットを見ながら指でスラッシュ
とかしながらそれを
見ていたりするのには驚きます。
そうそう、もっと小さい時にも
こんなことがありました。
まだ自分がよちよち歩きなのに
介護している、ひいおばあさんが
トイレに行こうとしたときに、
みんなの真似して背中の腰のあたりを
つかんで支えているという
びっくりするような姿を見せて、
みんな仰天しましたねえ。
驚くほどしっかりした子です。
そして今の時期、3歳くらいになって
この孫がねえ、なんていうか
とても不思議な力をみせるのです。
doiron が麻雀で大三元を
上がった時です。
白を鳴いたところで対面が
リーチをかけました。
そのあと中を鳴いて、
ウヒャーと場が持ち上がります。
待ちは發と4萬のシャボ待ちです。
するとリーチをかけてた者が
發を引いてきたのです。
ウヒャーとdoironの大三元の上がりです。
その時です。
そのお孫さんがちょっと離れたところから
「緑で終わったんやろ―」とつぶやくのです。
一人で持ち点がなくなったら終了です。
なので、これでいったん終了です。
それにしてもマージャンの役も
何も知らないのに、
びっくりするような感想です。
これはこの子は何か力を
持っているよなあと
みんなで大騒ぎしました。
そして、このお盆の時のことです。
おじいちゃんとこへ訪ねてきたその孫が、
押し入れのふすまを開けてこう言うのです。
「押し入れの中に子供が座っている」
それを聞いたおじいちゃんがびっくり。
「お、お盆に変なことを行ってるぞ」
とちょっとゾクとしつつ、
「何人子どもがいてるの」と聞くと
「二人」と答えたそうです。
変なことをいう子やなあ
と思いつつ聞いていたのですが、
その三日後にお母さんが病院に行くと
医者に「子どもができていますよ」
と言われたそうです。
そしてなんとそのこどもというのが
「双子」だったそうで、
じいちゃんは
「もうあの時孫にはそれが見えていたんやなあ」
とびっくりしたという話です。
いやあ、不思議な孫の力、
そんなことってあるんですねえ。
まもなく地蔵盆。
その友達は孫の名前の入った提灯を
6個つるします。
他の麻雀仲間も孫の提灯を
7個吊るすそうです。
doironもやっと今年、
孫の名前の入った提灯を
一つ作りました。
これ。
これを朝早くから吊るしに行かないと
いけません。
台風真っただ中の地蔵盆になりそうですがね。
いやあ、それにしても
幼馴染もみんなおじいさんに
なっていきますねえ。
うちの孫にも超能力がついて、
ここで宝くじ買えば当たるよ、
なんて教えてくれないかなあ。