令和元年も今日で終わります。
いい年でしたか?
doironは可もなく不可もなく
いい年でしたって
あんなけ遊んどいてよく言いますなあ。
孫も元気に育っているし
doironも順調に年老いているし
ええ年でしたね。
そして明日はもう令和2年です。
さあて新年と言えば、
陸上ファンにとっては駅伝が待っています。
まずは元日の実業団駅伝。
これはもう日本の駅伝の
最高峰の戦いとなるわけです。
社会人ということで、
その実力は安定したうえで行われるから、
爆発的に飛躍する選手は見られないけどね。
唯一、学生から社会人にあがった
新人が爆発するときがあるのは、
これもまた面白い。
ここんところこの駅伝は
旭化成が3連覇している。
一人もMGCに選手を送り込めなかったが、
その実力はかなり安定して幅広い。
しかし、このチームにも
今は少し暗雲が立ちこめているのだ。
昨年活躍した大六野が不調であること、
市田孝もマラソンでガックシ来ているし、
村山紘太も絶不調と状態は厳しい。
一方で、高状態を保っているのが
トヨタ自動車だ。
オリンピックのマラソン出場を決めた
服部、福岡日本人優勝の藤本、
30歳を過ぎて調子の上がってきた
大石などの活躍で、
今の段階ではここが優勝筆頭候補だろう。
ほかにも調子のいいコニカミノルタや
MHPSの井上の独走、初出場の
GMOの活躍などが
見どころになるはずだ。
残念ながらこの駅伝も
氏子総代の社務所勤めで
途中からの観戦になるのだが、
ビデオで一区からしっかりと
確認しておかなくてはと思っている。
そして二日からは箱根駅伝が始まる。
昨年優勝したのは東海大学だ。
平均的に力が安定していたね。
本当いうと東海大学のメンバーを
見るともっと爆発的に走る選手も多いのだ。
関君なんて本来の力を発揮してくれれば
かなりのもんだろう。
しかし、そんな爆発的な選手の活動は、
今年も厳しいものがありそうだ。
ただ伊勢路の駅伝を制したのだから、
層はやはりあついといえる。
いかにメンバーを選抜してくるかが、
このチームの優勝にかかってくるのだ。
その東海が選手選択にへまをしたら、
往路の優勝は4強での戦いとなるだろう。
前回悔しい思いをした青学。
相澤、西山のいる東洋大。
土方、浦野の二枚エースを抱える國學院大學だ。
なんとこの大学は
ミセスの兄貴が先生をしているのだあ。
さすがに三日の復路となると、
やはり青学が盛り返してくるだろう。
東海大学と青学との戦い。
優勝は東海6割、青学4割と
踏んでいるのだがどうだろうか。
とりあえずこうして三日間、
駅伝見ながら新年を迎えよう。
さあ、まもなく2020年が
やってきます。
今年はオリンピックの年でもありますねえ。
いろいろと楽しみながら
来年もいい年にしていかなくてはね。
孫ももっと順調に育ちますように。
それではみなさん、
よいお年をお迎えください。
年に三日間、わが村では
夜警を実施します。
初日は青年団、二日目は
doiron達の村の世話役連中。
そして三日目が若頭の連中です。
今夜は先ほど若頭の一陣が「火の用心」と
回ってきてましたね。
拠点は公民館です。
自治会が一団体1万円の経費を出して
飲み食いして行うのですが
それだけでは足りませんね。
みんなの会費も突っ込んで
結構豪華にやっています。
doironたちが警備をする日には
市長や警察署長なんかもやってくるので
それらの陣中見舞いが来るまでは
おとなしくやっていますが
まあそれ以降は結構アルコールもあって
楽しく警備をしています。
あ、今年は市長には当たっておらず
なんと昔から12町のだんじり役員をしていた
市の幹部職員でした。
「ああ、知ってる顔ばかりでやりにくい」
といってはりましたわ。
昔は日本酒なんかも出て
ふらふらになるやつもいて
「いやあ、この夜警の日が
一番用心悪いぞ」なんて言いながら
集まっていましたねえ。
doironの仕事は、この団体への
補助金の支出と要人の出迎えですから
まあさほどありません。
楽しく警備をみんなでわいわい言いながら
そして新春にはそして氏子代表として
地元の神社で、おみくじ販売や
お神酒配りをやってますよ。
時間制で、今年は1日の
朝8時から10時まで社務所に
座っていることになったので、
もし来られたら是非声をかけてください。
そういう人には
お神酒を飲み放題にしますよ。
さあ、いよいよ明日は大みそか。
年越しのうどんを打とうかな
エビ餅つこうかな
門松の松をどこにいただきに行こうかな
なあんてことを考えながら
いっぱい遊んだ今年を
無事に越そうとし、来年ももっと遊ぶぞと
画策しているdoironなのでした。
久しぶりのぶらチャリです。
ブログをずっとたどってみないと、
28という番号も出てきません。
確かめてみると、今年の春に一度、
近所のイズミヤが改装されて
カナートモールになった時に
ぶらチャリしていますねえ。
あれがぶらチャリ27ですから、
これが28ということですねえ。
7か月ぶりということになります。
今回は大阪マラソンを走るという
ラン友のロング走に付き合いました。
まあチャリンコをぷらぷら
転がしていくにはちょうど
いい感じですねえ。
距離は30キロ。
一番遠い所で浜寺公園となるコースです。
この時はまだ11月でしたので、
紅葉がちょうどいいころかもしれません。
この時のチャリは、
これまでトライアスロンを一緒に
戦ってきたバイクを街乗り風に
少し改良したもの。
ただねえワイヤーが一本伸びていて、
フロントのギア変換がスムーズにいかない。
春頃には完全に
メンテナンスしないといけないねえ。
今回は山はないので、
フロントギアを重いままにして出かけました。
ラン友と近所で待ち合わせし、
出会ったところから指示していきます。
え~っと、この先のローソンに
居てるわあ。
久しぶりにそのチャリの
ペダルをぶんぶん回して、
走っていきますが、
バイクって気持ちいいねえ。
この日はさほど寒くもなくて快調でした。
助松団地のところから、
doironは自転車道を走りながら
高石市に入っていきます。
ここはねえ、ちょっと悲しい場所ですねえ。
母親が亡くなった病院が
建っています。
葉っぱの茶色くなった
ケヤキ並木を進んでいき、
その先を左折。
高石駅をこえたら旧26号線に出て
さらに海へ向かって行きます。
ああ、この辺は僕もロング走の時に
よくきましたねえ。
20年以上の付き合いのある道です。
途中で右折して住宅街の中を
浜寺公園に向かって走っていきます。
道の突き当りの緑がその公園ですね。
この公園に入るとまた
気分が変わるもので、
ロング走には良い感じですね。
この辺で走り始めてランナーは
約9キロになりますかね。
で、その公園はといいますと、
いやあなかなか秋の風情です。
紅葉する木はちょうどきれいですねえ。
たくさんのランナーも走っていますし、
家族連れやカップルなんかも
公園を楽しんでいるようです。
そんな景色を眺めながら
doironは時折ランナーに
コースを支持していきますよ。
まあこの辺りは泉州マラソンの
コースにもなっていますから、
支持は簡単です。
「このまま突き当り迄まっすぐ」
と言って、自分はウロウロです。
子どもの時もここには
遊びに来たことがありますね。
ミニSLも昔とはコースが
変わりましたが、よく乗りに来ました。
高校の時も、クラスの仲のいい友達らと、
バレーボールや鬼ごっこをしに
来ましたねえ。
突き当りまで北上したら、
ランナーは浜寺大橋の方へと
向かって行きます。
橋を渡ってこの先の運河沿いの道は、
大島桜の並木道です。
ずっとまっすぐの散歩道。
ほんとにレースをやってる時は
この道にバイクで来て
練習のクールダウンをしていましたねえ。
ここの公園の緑も
紅葉していてきれいでした。
そして運河ではカヌー(?)の
試合もあるようで、たくさんの
船が浮かんでました。
この運河沿いを二周して、約12キロ。
またここからやってきた道を
戻っていきます。
ランに付き合っているので、
バイクに乗ったあという気持ちよりも、
秋の景色を眺めて来たって
感じのぶらチャリでした。
結局ランナーは30キロ丁度を
3時間で走っていい練習が
できたといってましたねえ。
大阪マラソンのいい練習になったかな。
さあて次のぶらチャリは
いつになるのでしょうか
では、今日は村の夜警です。
今から行ってきます。
さて佐竹本三十六歌仙絵巻の
見学の旅に出直しです。
この日は木曜日です。
京都国立博物館のHPを見ても
間違いなく開館しています。
再度車で向かいましょう。
前日に目医者で
「白内障の初期状態」と診断されたので、
しっかりとサングラスをかけ、
ポケットに目薬を入れて出動です。
道は通いなれた高速道路。
車はまっすぐ目的地に向かい、
いつもの駐車場に入っていきます。
前回は簡単にはいれたこの駐車場も
結構いっぱいです。
最後の一台のスペースに
なんとか停めることができました。
まあこれは国立博物館が
開館しているからでしょうねえ。
入り口まで歩いていきますと、
まあ行列もなく素直に入館していきます。
庭が広いですねえ。
そして多くの人が休憩したりしています。
案外気温も低くなくていい日でしたね。
中に入っていきますと、
今回は王朝絵巻ということで
いろんな絵も飾られていますが、
目的は佐竹本ですから
ゆっくり移動していきましょう。
そして佐竹本に着いたところから、
急に人は増えてきます。
なんでもNHKでこの絵のことを
番組でやったからなんでしょうねえ。
時には人の背後から、
そして時には展示ガラスで
頭を打ちそうになるほど近くから、
一枚一枚眺めていきました。
でもねえ、それにしては
モノが小さいのです。
細かい部分まで見ようと大変です。
展示会の様子を見ていたら、
オペラグラスを持ってきている人も
結構いましたね。
こういう人気のある展示には、
ポケットに忍ばせておいた方が
よさそうです。
描かれてある代表の歌や
略歴なんかは見ていても
よくわかりません。
昔の字って崩し字やもんねえ。
説明書きと併せて見ないと
全くさっぱりわかりません。
まあ中には在原業平や
大伴家持といった
知っている人の絵もありましたが、
中にはこれって誰?
というような人が多かったです。
まあひとつずつ確認していきましょう。
目的は「小野小町」ですから、
チェックしていかないとね。
でもねえ、ないんですよ。
小町ちゃんはどこにあるのでしょう。
上の階下の階と見回ってもありません。
あれ~これは変だぞと思い、
いただいた資料を休憩コーナで見てみますと。
ガーン、ガーン。
な、なんと小野小町は前半で
展示終了なんだそうです。
今来ているのは展示終了の
少し前という後半です。
な、なんとそういうことだったのですね。
前回来た時に開館してたら
見れただろうに、残念です。
小町ちゃんごめんね~、
待っていてくれてたのにねえ。
でもまあこうして佐竹本三十六歌仙絵を
見れたのはとてもよかったのですが、
さらに細かい展示物を目標にする場合は、
展示物の状況とかも事前に
よく見ておかないといけませんね。
あ、もちろん展示会の会館閉館の
情報は言うまでもありません。
この後久しぶりに三十三間堂や
秀吉が作った外国人の耳塚や
豊国神社も見学し、
焼き肉丼をいただいて帰った
doironなのでした。
おしまい
もう年末だというのに、
このブログではもう少し
11月の話題が続きます。
今回の話題は佐竹本三十六歌仙絵巻を
見に行ったという話題です。
場所は京都国立博物館。
え~っとそれはどこかといいますと、
あの豊臣秀吉の豊国神社のすぐ横です。
じゃ、それでは佐竹本三十六歌仙絵巻
って何ですか?という説明ですね。
ちょっと書いてみましょう。
これは鎌倉時代の絵巻物で、
三十六歌仙の肖像画と
その代表歌と略歴が書かれており、
それを二巻の巻物にしているものです。
この巻物の絵は高価で発色の良い
絵の具を使って描かれており、
当時の服装なんかもきれいに
書かれているものだそうだ。
この度の博物館ではこれらの
36人の絵の31人分が飾られているという。
でも待ってくださいよ。
巻物なのに、なぜ一枚づつの絵に
なっているのでしょうか。
これには理由があります。
そもそもこの歌仙絵巻は
久保田藩主の佐竹家に伝わっていたもので、
こんな名前になっています。
それが業者一社では買い切れなかったために
10社ほどの業者で買われたそうです。
それがのちに「山本」という
実業家に買われたのです。
しかしこの山本氏が
手放すことになったのですが、
この巻物のままではやはり
高額すぎて買うものが居ません。
このまま売りに出してしまえば、
外国の資産家に買われてしまって
日本からなくなってしまう
という危機感がありました。
それを救ったのが益田という
大コレクターで、これをなんと
分割することにしたのです。
そして分割した絵を国内の業者に
売り分けてしまったのです。
大正八年(1919年)という
100年前の出来事でした。
そのため、この巻物の部分部分が
別々のところに納められ、
巻物としてはなくなってしまったのです。
このニュースは、2008年に
三越が一般サラリーマンが出した仏像に
史上最高額といわれる
12億7800万円の高額を付けて落札し、
運慶作というその仏像の
海外流出を防いだというニュースを
思い出させます。
佐竹本三十六の絵巻もそうして
バラバラではありますが、
日本国内に散らばって
いったのであります。
今は個人所有というものもあり、
国内にあるかどうかはわかりませんが、
まあたいていは外国には
行ってないモノと思われます。
まあそんな歴史を持つ
佐竹本三十六歌仙絵巻が
京都国立博物館に集まってくるのです。
これまで展示されたことも
他所ではありますが、
三十六歌仙のうちの三十一歌仙が
集まるというのはこれまでで最大です。
100年ぶりに再会するわけですねえ。
この入場券をもらっていたので
早速出かけていきました。
doironが見たかったのは
「小野小町」の絵でした。
六地蔵を歩いた時に
彼女ゆかりの地に行きましたからね。
月曜日は休みだと聞いていたので
火曜日に出かけて行きました。
駐車場は豊国神社に行った時に
確認していますからそこに
車をとめて歩いていくと・・・
え~休館日です。
なぜ?どうして?私は誰?
という状況になりました。
調べてみたら、月曜日が祝日の場合は
火曜日が休みになるということで、
それにどんぴしゃりだったのです。
ウヒャー、doironを加えた
三十七歌仙になることが
できませんでした。
もうこの日は意気消沈ですが、
まあこうなっては再度改めて
出直しだということで、
鴨川沿いのカレー屋さんで
昼食をとりつつ、出直しを誓った
doironなのでした。
続く
今年を振り返ると、
やはりなんといっても
訃報が大きなニュースでした。
最も身近な友達、首藤さんが
今年天国へ旅立ちはりました。
彼とは、周りにトライアスロン友達も
いない頃からの友達です。
何もわからないまま、
いろんなチャレンジをしましたね。
その後、山登りや旅行、
四国八十八ヵ所なども
一緒に回りましたね。
飲み屋にはもう1500回以上
一緒に通いました。
doironの人生の多くの部分を
一番知っている友達でした。
でも悲しいことは続くのですね。
その飲み会の場所であるエイもまた、
今年おかみさんがなくなり、
30年以上にわたる経営も
おしまいになりました。
おかみさんはエイの暖簾を抱いて
棺に収まりましたねえ。
doironの人生にとって
欠くことのできないものが、
今年一度に亡くなりましたので、
もうなにかある意味
喪中のような感じがしています。
今日はそんな首藤さん関連の
お友達と忘年会です。
今年の6つ目の忘年会です。
一時に比べて少なくなりましたねえ。
これで今年の忘年会も終わります。
今回のメンバーでの忘年会は
以前はエイでやったこともあるのですが、
その店ももうありませんから、
今日は松ノ浜駅前で
「ふぐ」をいただく予定です。
トライアスロンを始めたころの
友達も来ますし、首藤さんの
奥さんもやってきます。
秋に首藤さん宅で焼き肉大会を
やる予定だったのですが、
それも予定が合わずできなかったので、
みんなが集まるのも
首藤さんの初盆依頼です。
この場を借りて涸沢への納骨の
報告もしないといけませんね。
まあこのグループのそんな悲しさは、
この忘年会で忘れることにしましょう。
またもっと楽しいことが
待っているかもしれませんから、
生き残っている我々は
そんな訃報も乗り越えて
元気に前向いて楽しい人生を
送っていくことにしましょうね。
とりあえずは次は助松で
花見ですかねえ。
それでは、行ってまいります。
こんな亜熱帯の湖には
どんな生き物とかいるんでしょうねえ。
湖面をのぞき込んで
しばらく観察してみましたが、
まあ目視だけでは全く
生態系はわかりません。
きっと興味深い生き物とかも
いるんでしょうねえ。
そしてこのダムの周りにも
パイナップル畑が結構ありましたよ。
害獣とかの侵入に備えて、
まるでカスミ網のような柵が
周りに施されていますねえ。
ここもりゅうきゅうイノシシとか
いるんでしょうねえ。
ダム湖の周りの空き地は
今もどんどん開発が
進んでいる様子ですねえ。
高齢者も増え、こんな南の島に
引っ越してこようなんて人も
多いんでしょう。
底原ダムのところでのんびりしたら、
さあまた空港の方を向いて
街中へと入っていきましょう。
次に目指すのが、まあ今回の旅で
最後の地となる「白保海岸」です。
そもそもこの海岸は
一時なくなる運命にさらされていました。
石垣島の新空港をこの白保に
作るという計画が昔あったのですが、
その貴重なサンゴ礁などから
世界各地からの反対にも会い
断念するという経過が
あったようです。
その白保海岸の方に行くことにしました。
普通に県道を走っているだけではあきません。
白保の村の中へ細い道を入ってゆきます。
車もすれ違えないような狭い道を
入って行き、海に狙いをつけて
進んでいきますと、
ああ海が見えてきました。
しかし駐車場のようなところがありません。
道に停めたまま海岸線の方に
出ていくと、少し南の方に
広い所がありそうですから、
再度移動していきましょう。
そうしてかろうじて駐車場っぽい
ところに出てきました。
おお~ここでも一台の車の後ろで
男性がウエットの着替えをしています。
いい海岸なんでしょうねえ。
この辺の海は昔からの生活の海で
なかなか観光地化していません。
車をとめるのもなんだか一苦労です。
広い道の端に車をとめて
海に出ていきますと、
石がこんな感じで積み込まれています。
ここは石で作った港ですね。
白保の歴史を感じます。
海岸線を少し歩いてみると、
ここも大小いくつかの石が
波打ち際にありますねえ。
名前がついているのかなあ
と思ったら案の定です。
これが、白保の「願い石」(にーげーいし)です。
なにか願い事が叶うのかと
いうとそうではなくて、
神事の拠点なんだそうです。
さあこれで気になるところは
だいたい行けましたかね。
ミセスも満足してくれたでしょうか。
石垣島に旅行をするのなら、
今回のdoiron家のような行動が、
初心者向けでいいですね。
ほかにも乗馬やスキューバなど
やりたいことはいろいろありますが、
まあ標準的はこんな感じがいいでしょう。
ではレンタカーにガソリンを入れて
返却しに行きましょう。
ほんの少ししかガソリンは
減っていませんね。
すぐに満タンになりました。
そしてホーム登録してある
ナビでレンタカー屋さんへ。
無事返却しそこから石垣空港へ
送ってもらいます。
この時の飛行機の時間までの
3時間が、空港内での
晩飯になります。
しかしそんなにおなかも
すいていませんので、
注文した石垣牛入りカレーを食べながら、
めちゃのんびりとお店にいてましたねえ。
関空へ着いてからは
ミセスの運転なので、
doironはここで最後の
石垣島オリオンビールも満喫です。
このおつまみは何だと思いますか。
実はこれ、ナマコの煮たやつです。
こんなのをいただきながら、
出港時間を待ち、帰りの飛行機では
一度のトイレに行きました。
そうそう飛行機のトイレって、
排水の音がものすごいですね。
ボタンを押すと、まるで
巨大なトランペットのような音が
ブシューとなるのには、
10cmくらい飛びあがって
驚いてしまいましたね。
それにしても南国情緒のある
この島には、祈りの時を見たりとか、
あと一回くらいは
訪れてみたいなあと思いつつ、
おーりとーり石垣島は終了です。
お疲れさまでした。
今日は上田から帰ってきた翌日です。
ビデオで高校駅伝を見ました。
仙台育英は強かったですねえ。
意外にメンタル面もすごく
鍛えられていましたねえ。
男女優勝おめでとうございます。
注目していた1区の石田君の走りは
とてもきれいなフォームでしたねえ。
でも他高の頑張りに負けました。
ちょっと身長がかなり伸びて
ランに影響が出てるかもねえ。
まあ、それでも今年は面白ったです。
ここで見た選手たちが
まもなくまた箱根駅伝とかにも
でてくるんでしょうねえ。
これからの楽しみです。
さあそれではまだ石垣島が
途中ですから書き続けて
行きましょう。
記事がたまりすぎて大変です。
昨日はdoironの二回目の誕生日でした。
なので今日はクリスマスイブ。
とりあえずはメリークリスマスです。
では石垣の続きです。
ーーーーーーー
米原キャンプ場の海岸線に出て
景色を楽しみました。
結構な数の若い人たちが
水着でワイワイやっていますよ。
若い女の子はあまりに過激な水着で、
カメラを向けることができませんでした。
読者の男性のみなさん、
残念ですが勘弁してください。
サンゴ礁がきれいだなあと
思っていたら無人販売で
サンゴの殻を販売していましたので、
ひとつかみ購入しておきました。
ただで持ち帰るのはあかんのです。
そんなサンゴのひとつがこんな感じ。
海の中で少しずつ固まって
こんな形になっていったんですねえ。
すごい自然の造形力を感じます。
我が家の玄関にしばらく飾っておきましょう。
ああ、ひょっとしたらこれは、
出産祝いとかにいいかもねえ。
「サンゴの肥立ちが良いように」なんてね。
南の海はほんとに青くて
天国見たいですねえ。
その米原キャンプ場の海岸の所には、
こんな今風の巨大シーサーを
作っている会社がありましたねえ。
かなりデザイン的に進んでいて、
もうなんか通常のシーザーではないですね。
こんな展示広場もありました。
う~ん沖縄独特のこういう文化も
それなりに進んで?いるんですかねえ。
その米原からしばらく行くと、
ここも以前に行ったことのある
ヤエヤマヤシの群落があります。
これは石垣島と西表島に
自生しているヤシである。
石垣では、沖縄県最高峰である
於茂登岳のふもとに生えており、
国の天然記念物になっています。
このヤシは1属1種の分類学上
固有性のあるヤシです。
那覇にも移植されたのも
育っているようで、
少しは寒冷にも強いそうです。
そうそうこのヤシは首里城の
周りにも植えられているそうですが、
あの火事でどうなったんでしょうねえ。
駐車場から200mくらい
歩いていくと群落があります。
ここです。
まわりは亜熱帯性の森で、
関西方面の山を歩いているのとでは
全然感じが異なります。
貴重な動植物も多いようで、
セミ、トカゲ、カラスバトなど
貴重なものがおり、
絶対荒らしてはなりません。
幸い周りに人はいず、
もうdoiron家は森をさまよう
高齢者夫婦になっていましたねえ。
「ああ、人生はつらいことだらけだ」
とそんなセリフが出てきそうやね
というと「全然やし」と
返ってきました。
返事がシャレになってたりします。
行って帰ってここはすぐに終わりです。
以前、ここの駐車場のトイレで
ウエットスーツを着替えている
女性がいましたねえ。
「ダイビング一緒にどうですかあ」
と声をかけてた女性はdoironと
ジダン相手に勇気ある発言を
していましたねえ。
「よっしゃ分かった」と返事したら
通報されそうです。
で、今はというと、
ウエットの着替えはここでは
できませんよと張り紙が
してありました。
さっきのキャンプ場でも
ウエット姿がウロウロしていましたから、
この辺はきっとそんな
スポットがあるんでしょうねえ。
さあそれでは次へと移っていきましょう。
このブログを読んでいるジダンが、
先日酒の席で
「一度行ったところにまた行くよなあ」
と感心してはりましたねえ。
でも今度は違います。
道を途中で山の方に曲がっていきます。
次に行こうとしているのは
石垣島の内部にあるダム湖です。
石垣島で一番大きな湖である
底原ダムです。
農業用水路として開発された
日本最大の堰堤をもつ
ロックフィルダムです。
石垣島というのは年間降水量が
とても多い島です。
でもそれはほとんどが
台風などによるもので、
水をためておく必要があり、
こんなダムが作られたのです。
1971年には200日近く
雨がふらなかった年もあったりして、
そんな時は島ですから
水の不足はとても
深刻なものになったそうです。
ダム沿いの道をくねくね
進んでいきます。
続く
御神崎、という名前は
「神が降臨する場所」と
いわれています。
なんか不思議な雰囲気のある場所です。
これまでこのブログではなんか
海辺の石の話を書いてきましたが、
この岬にもそんな石があります。
みんなの崇拝を集める
というようなそんな石ではなく、
こわい伝説に包まれた石です。
この景色は灯台の後ろの広場から
見える石の景色です。
左は大きな石で、行きませんでしたけど
中におまいりするような場所もあります。
そして右側の矢印のついた石、
これが問題の石です。
島なので近寄れません。
拡大してみましょう。
すると、その右の石の上に
一個だけ独立した石が
乗っているでしょう。
これがブナリィッツブリィイシ
といわれる石です。
普通の言葉に直したら
「姉の頭石」といいます。
これがねえ、こわい物語なんです。
ある家で全く働かない
弟とよく働く姉がいました。
ある日姉が仕事から帰ってきたときに
弟が宴会をしてたので起こったそうです。
人前で起こられて腹の立った弟は
姉の首を引きちぎったのですが、
姉の執念はすさまじく
首だけでおとうとにかみつき、
殺してしまったそうです。
その姉の首が石の上に富んでいき、
そこで岩になったという物語です。
こわいですねえ。
その岩の上の不安定な石は、
台風の時には動いたりもしますが、
落ちずに岩の上に残っているんだそうです。
石垣島の西端でこんなこわい石を
見ることができました。
そんな岬で先ほど買ってきた
ハンバーガーを、その姉のように
大きな口を開けていただきます。
昼食代わりですねえ。
あ、こんなこわい話はミセスには
その場でしていませんよ。
ひんしゅくものですからね。
「ああ、景色がいいねえ。」
「太平洋の風が気持ちいいねえ」
とかいいながらランチを
楽しむdoiron家なのでした。
さあ、ではまた次の目的地に
向かいましょう。
たまに、ミセスも運転したいので
ここからは運転交代です。
今来た道を、おり返して
進んでいきましょう。
県道に出たら、島を時計回りに
グルリンと回っていきます。
このままずっと進んでいけば
空港へ向かって行きます。
左に川平湾の残景をみながら
進んでいくと、
右手に何か看板がありますよ。
「荒川のカンヒザクラ自生地」とあります。
そもそもカンヒザクラは
中国から台湾にかけて映える
桜なんですが、沖縄にも
植えられそれが野生化しています。
もともと石灰岩の土地で
育ちやすいといわれるそうですが、
ここの荒川沿いには石灰岩の
土地が多いようで
ここで野生的に自生しているそうです。
ただ個体数が少ないので、
天然記念物になっています。
前回ここに来た頃は
ちょうど花の時期だったのですが、
近くにも遠めに見ても
その花は確認できなかったですねえ。
そんなに真剣には
探してませんでしたがね。
もちろん今はその時期じゃないので、
なおさら見つけるのは無理でしょう。
写真はネットから頂戴しました。
そんなところからすぐのところに、
米原キャンプ場がありますよ。
海に面した海岸線の遊び場です。
何となく公共施設のような
ところにある広場に車をとめ、
歩いて海岸線に出ていきました。
こんな高級そうな花が咲いていたり、
ハブクラゲなんて言う
注意看板もありましたよ。
竹富島のゆがふ館に
その写真がありましたね。
ああ強烈な毒をもつクラゲですねえ。
どんな頻度でいるんでしょう。
陸ではハブ、海ではハブクラゲ。
ああ南の島は自然の力にも
恐ろしいものがありますねえ。
そして海岸線を歩いていると、
こんな穴がたくさん開いています。
ウヒャー、これは何かなあ。
ハブモグラとかいないかなあ
と考えてしまいますよねえ、
海岸はこんなにきれいなところ、
サンゴ礁がいっぱい転がっています。
続く
あ~今日の高校駅伝は
どうだったのでしょうか。
今頃は青春18きっぷに乗って
孫のところまで来ているはずです。
長野県の優勝はあったかなあ。
とりあえず今夜は予約投稿で
石垣島を続けておきます。
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海岸べりでグラスボートの
出発を待っていますと、
少し年配の二人がやってきて、
男性の方が何かを広げています。
お~なんと海岸のところから、
ドローンを飛ばしているではないですか。
ここはそんなこともできる
場所なんかなあ。
それとも許可を撮ってるのかな
とか思っていると、
ドローンがビューンと飛んでいきます。
上を見上げると一か所に
とどまっていますよ。
ああ~いい映像がとれるんでしょうねえ。
ぐるっと回ってきた後、
目の前に見事着陸。
楽しそうでしたねえ。
ここんところしばらく川平湾の
ドローン映像というのを
ネットでチェックしていましたが、
doironがうつっているような
映像は見つかりませんでした。
まあ許可がとれるのなら
楽しい映像作成かもしれませんね。
そうしているうちに、
グラスボートの出向時間です。
呼ばれて乗り込んでいきます。
朝早い時間だったので、
10人ぐらいで余裕の船旅でした。
こんな感じで海底が見渡せます。
ブルーンとエンジンがかかって
最初は砂を巻き上げて
船はスタートします。
魚が船底を元気に泳いでいきますねえ。
やがていろんなサンゴ礁の上に
差し掛かっていきます。
これなんか立派なサンゴ礁でしたねえ。
窓から外を見ていても結構な迫力です。
あ、大きな二枚貝がたくさんいますねえ。
運転手は食べるとおいしい
二枚貝ですから、食堂で
食べたりできますよと
案内していました。
また別のところで
大きな蛸が泳いでいたりして
びっくりしましたねえ。
それにしても、船で見事に
目的のサンゴ礁の上に
たどり着きますねえ。
そしてそこに居る魚なんかも
見事に解説してくれます。
もう海底の地理を頭の中に
持っているのでしょうねえ。
竜宮城もウミガメやウミヘビとかは
見れなかったけど、そんなに高い
金額ではなく意外に
楽しませてくれましたね~。
2回の旅行で石垣島に来て
全部で7日目にあたりますが、
こうして亜熱帯の海の底を
見ることができてよかったです。
それにしてもこういう
グラスボートもそうですが、
食堂とかも若い男女が
しっかり働いていますねえ。
運転手も切符売り場も案内も
若い人だらけ。
そういえばレンタカーも
ホテルも空港も土産屋も
みんな若い人でした。
ああ、ここらは高齢者には
暮らしにくいのかもしれませんね。
年よりはみんな家で
のんびり暮らしているのかねえ。
それとも若い者を陰で
操っているのかねえ。
石垣島の労働環境も
垣間見たような気がします。
さあではここで昼食をと思いましたが、
ちょっと時間がまだ早いですねえ。
ここでお弁当でも買って行って
次の目的地を目指しましょう。
しかし川平湾に並ぶお店を見て回りましたが、
どうもお弁当は売っていません。
仕方ないのでハンバーガーを
二個買って車に乗り込みました。
次の目的地は、御神崎という
灯台のある岬です。
読み方は人によって異なります。
「おがんざき」であったり
「うがんざき」であったり。
ここは石垣島の夕陽スポットです。
竹富島では西桟橋でしたが、
石垣ではここ。
太平洋に沈む夕日の中で
浮かび上がる恋人たち。
う~ん、高齢者夫婦には不似合いですか?
まあ昼間だから許してもらいましょう。
前回来た時は妖怪が出てきそうな
山の中をこえてやってきましたが、
今回は普通の道でやっていきます。
ここがその御前崎灯台です。
この岬には、本当にあった遭難の
話がひとつあります。
昭和の時代にこの岬沖で船が遭難し、
35名が亡くなったという話です。
灯台下の広場にはそんな出来事を
刻んだ南無観世音菩薩の慰霊碑が
立っています。
なんか風の吹きさらしの丘でとてもさみしく、
そして毅然と立っています。
悲しい事件だったんですねえ。
そしてこの御神崎にはもうひとつ
岩に関するこわい伝説があります。
この景色の中にあるその岩です。
続く