ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

信太、楽しむのだ3

2013年02月28日 21時28分31秒 | ウォーキング

さて、もうここまで来たら5kmくらいは
歩いたでしょうか。約6000歩となっています。

聖神社を後にして
しばし住宅地の静かな車道にそって歩くと
惣ヶ池遺跡のある公園に到着です。




この信太山というところは
陸上自衛隊の演習場として
長い間開発されることもなく
原野の様相を保ったまま
今日に至る貴重な自然の宝庫となっています。
都会の近辺で、非常に珍しい
生態系を残しているわけですねえ。

なかでも惣ヶ池に代表されるように
信太山の中には湿地が多くあり、
赤土の地質が
水はけを悪くして
湿ったところの多い原野なのです。

それゆえ、虫なども多く発生することから
知る人ぞ知る

「食虫植物の宝庫」

と、マニアの間で言われています。

まだ、演習場内が立ち入り禁止じゃ
なかった頃によくここに来て、
写真撮影をしました。
当時のカメラは、自然写真で
よく使われていたOM1。
もちろんフィルム写真ですから
今のようにすぐに確認できるものではなく
写真屋さんから現像が上がってくるまで
ドキドキ、ワクワクして待ったものです。
今回はそんな写真をいくつか
データ化していますので
doironコレクションの中から数枚紹介しましょう。

まずは、食虫植物と言えばこれ



モウセンゴケですね。
撮影日は昭和59年6月3日です。
信太山で撮影しました。
古い写真で、白がトンでいます。



花はあまりご存じないでしょうが
根元の葉っぱを見ればわかりますね。
ネバネバしていてここで捕虫します。



そしてこれは少し珍しいイシモチソウ
これも白がトンでいて
露出操作が未熟だったんですねえ。
石さえ持ち上げるというその葉っぱの
ネバネバ力は特筆ものです。
モウセンゴケと同日に撮影しました。

そしてこれは、食虫植物でも
別の科のタヌキモの仲間です。



ホザキノミミカキグサ

根っこに捕虫嚢という器官を持っています。
この頃には、カメラはマルチ測光のできる
OM4になっていますし、
リバーサルフィルムで撮影するようになりましたので
そのラチチュードの狭さから
露出に気を遣うようになりました。
昭和61年8月29日の撮影です。
こんな小さな食虫植物を撮影したくて
マクロレンズもその頃買いました。

湿地が多いということで
信太山には野生ランも多くありました。



これはカキラン(昭和59年6月24日撮影)



そしてこれは
オオバノトンボソウ(昭和59年7月8日撮影)です。
大阪周辺で野生ランを見ることは
めったにありません。

週末ごとに、胸ときめかせて
信太山の原野をさまよったものです。

今はほとんどの部分が
立ち入り禁止となっているのが残念です。
原因は、相次いだ不法投棄などで
管理責任を問われたからでしょう。
まったくろくでもないことをする奴らやね。

そんな信太山原野を貫く道を
今は携帯片手にてくてく歩き、
昔のことを思い出しておりました。

やがて、原野から少し人里のようなところに出ると
静かな山寺に出ます。
昔の武士の血で汚れた床板を
天井に使っているという

陰涼寺



山門には仁王さんがいて
本殿の屋根には大きなしゃちほこのある
なかなか立派なお寺です。
曹洞宗と書かれてありました。
境内には立派な銀木犀や桜の古木があり
季節ごとに訪ねてみるのもよさそうです。

やがて、クロスカントリーのゴールも間近の
山荘町に出ます。
そこからは車道の横の歩道をてくてく。
住宅街に入って間もなく
伯太神社の神域となっている

丸笠山古墳



も訪ね、歩数にして約1万5500歩。
距離約11キロを
三時間かけて歩いて彷徨したのでありました。
他にも八阪神社も懐かしい場所でした。
昔の子供の頃の思い出満載の場所で
残った分はまとめて、明日の最終編で
ご案内いたしましょう。

てなわけで、信太、楽しむのだシリーズは
次回の最終編を持って終わりです。


信太、楽しむのだ2

2013年02月27日 21時58分47秒 | ウォーキング

熊野関連から離れて、次は
聖神社に向かってどんどん登って行きました。
途中、斜めに右に入って
そのままかつてのクロスカントリーの
レースコースである聖神社の裏口へと
直接入って行くと
今回の目的地の一つである
「信太の森ふるさと館」をスルーしてしまうので
とりあえず、神社に向かわず
道を直進し、ふるさと館の方に
向かって、テクテクとのぼって行きました。

眺めのよさそうな鶴山台の
集合住宅を左に見ながら
ここはトレーニングだと決めて
早足でふうふうと歩いていくと
やがて右手に見えてきたのが
そのふるさと館でした。



先日、和泉市の広報だったかで
この施設主催の
「ウグイスの初鳴き観察会」の記事が
出ていました。
そんな取り組みもされているんやね。
ここは、歴史的伝承と
自然の宝庫としての信太山保全の
両方の機能を兼ね備えた
情報発信基地となっています。

この施設の館長は
昔、doironが植物を求めて信太山の原野を
ウロウロしていた時に
出会ったことがある人なのです。

いるかな?と思って玄関に行くと、なんと

「定休日:月曜日」

なんとまあ、せっかくここまで
歩いてきたというのに・・・。
仕方なく、施設の周りの
由緒のある鏡池を見て回りました。

信太のきつね伝説では、
この池のほとりで、
白狐と保名が出会ったとされ、
また、保名の最後の童子丸(晴明)との
別れの場でもあったと伝えられています。
そんな鏡池は、信太のきつね伝説と
隣接する聖神社の神事を行う池として
住宅地に囲まれた森の横に
今は静かにたたずんでいます。

その池にそって右に曲がっていくと
聖神社の正門の方に向かっていきます。
森ではしきりに鳥が鳴いていました。

すると、またまた道路にこんな大きな赤鳥居。



この辺りは、街と神社が一体となっておるんだね。

神社の中ほどの立派な石の鳥居をくぐって



きれいに咲いたボケの花を愛でながら



参道の玉砂利を踏んで
歩いていくと、かつては極彩色だったんだろう
と思わせる柱や天井で彩られ、
少し傷んだ桧皮葺の本殿にたどりつきました。



ここは式内神社として、祀られ
本殿は重要文化財なんだそうです。



でも、あまりお金はつぎ込まれてないんでしょうね
昭和13年に大修理されて以降、ホントに気の毒なほど
傷んでおりました。

神社の境内には、各所に
不動明王を初め、様々な神様が
祀られていました。
その一つ一つがパワースポットを形成していましたよ。
神社を取り囲む森の雰囲気も
まさに神域と呼ぶにふさわしい神社でしたな。

いろいろとお詣りをして、お願いもして
祈りをしっかり捧げたのちに
神社を後にして
クロスカントリーコース沿いに歩いていくと
今度は信太山の貴重な自然の
代表的スポットでジダン氏お勧めの
惣ヶ池の入り口の公園へと差し掛かっていきます。

熊野編、伝説&神様編のあとは自然編となります。
それはまた明日。


神様のいたずら?

2013年02月26日 21時35分01秒 | 生活

信太、楽しむのだ2は明日に回して
今日はちょっとした出来事があったので
それを書きます。

最近すっかりお絵描きに夢中で
昨年末には、作品を連ねた
カレンダーも作ってあげたところ
ますます、夢中になって絵を描き続けている
義母さん。

doironのヘタな絵が
老後の生きがいつくりに
ひと役かったんだと思うと
それだけでこの趣味が
報われるような気がする。

最近はデイサービスで習ってる
絵手紙の先生の方針にも
ちょっぴり逆らい
我が道を歩き始めるほど
入れ込んでいるそうだ。

落ち込んでも、絵さえ描ければ
機嫌も体調も良くなり
ルンルンの一人暮らしを楽しんでいるわけですね。

そんな義母さんが、
先週中ごろに右手の不調を訴え始めた。
絵を描こうとしても
しびれた感じで思うように手が動かない
とのことであった。
義母さんは「脳梗塞かもしれん」と言うが
口は相変わらずよく回るし
不自由ではあるものの
足腰の状態も変わっていない。
なので、これはきっと
頸椎からきているんだろうと
タカをくくっていた。
でも、万が一ということもあるので
近所のお医者さんに行って相談したところ
「私も頸椎からきていると思いますが
念のため、しっかり検査のできる病院の
予約を取って紹介状を書いてあげましょう」と言われた。

まあ、そんなことはないだろうと思いつつ
一週間後の今日、その病院に行って
CTやMRIの検査をしたところ
なんと、やはり軽い脳梗塞の跡が見つかった。
詰まっていたのは細い血管でしたが
ビー玉大の組織が真っ白になって
壊れていることがわかった。
その脳の部分は
ちょうど、右の指先の動きを
つかさどるところなんだそうだ。

神様はなんて、残酷な病を
彼女に与えたのだろう。
よりによって、今の生きがいとなってる
絵手紙つくりに大きな試練の重しをつけられたのだ。
これが重症なら、神様を呪って
慟哭しただろう。
だが、救いは軽症であったことだ。
まったく動かないわけではない。
横は大丈夫なのだが
縦方向の筆運びが思うように
滑らかに動かないだけなんだそうだ。

それを聞いて、なんといってよいのやら
とっさに思い浮かばなかったが、
ここは深刻になって、暗く対応してはいけない。
明るく楽しい介護の精神に反するもんね。
そこで、義母さんには
花の詩画集をしたためている
星野富弘さんの話をしてあげた。
彼は頸髄を損傷し、口に筆を加えて
絵を描き、詩を書く人なのだ。
その絵は素晴らしく
詩も、日常の何気ないことに心の琴線を震わす
とてもリリカルな作品群のことを
紹介してあげ、
「口で筆を加えて絵も描けるんやから
少し動きにくいくらいどうってことはないよ」
と言ってやったら
「そうやな、じっくり時間をかけて
描くようにするわ。すっきりしたわ」だって。

強がりかもしれないけど
そうして強がりでも言えるくらいなら大丈夫。
神様の仕打ちに最初は
憤りを感じたけども
今は、彼女の作る作品に
一段と凄味が出るのではないかと
運命を受け入れたうえで
期待をしてみようと思っているdoironなのでした。

う~ん、負けられん


信太、楽しむのだ1

2013年02月25日 21時56分06秒 | ウォーキング

え~、タイトルがジダンのブログのようになっております。

本日、どことなく春めいた空気
(花粉が飛んでるだけ?)に
誘われてウォーキングシューズを履いて
ロングウォークに出かけてみた。

目的は、信太の森界隈を
彷徨する旅である。

まず、doironの住む所は
弥生時代の遺跡のある街である。
家を出て山方向に向かうと
すぐに歩道にこんなプレートが
いくつも貼られてある。



撮影したのはこの2種類でしたが、
全部で20種類くらいはあるでしょうか。
そのうち全部撮影しに行ってみようと
思っています。

そんな歩道を歩いてJR阪和線を横切り
さらに山の方向に歩いていくと
まず信太の森界隈を南北に貫く街道に出る。
それが

小栗街道

そもそもこの街道の名前の由来となった
小栗判官(おぐりほうがん)は伝説の人だ。
一度死んで、閻魔様に現世に戻され
完全復帰のために熊野の湯に詣でたという
ありえない逸話を持っている。
一度死んで復帰?
どこかで聞いた話だ。
そして、彼と照手姫との恋物語は
浄瑠璃となっているようだ。

熊野詣で彼が通った道に
この辺りではいろんな逸話が残っている。



これが、彼が腰かけたという石。
(右の奥の石)
そして


彼の名を冠した地蔵さんもある。
一応、「昨年地元の地蔵の
頭夜をつとめたdoironと申します」と
自己紹介しておきました。



そして、これは彼が入浴したという

小栗の湯

ウソです。

だ~か~ら~、小栗判官は地獄から蘇ったという
ややこしい経歴を持っている伝説の人なんやって。
最近できたこんな銭湯に
入ったわけはございませんって。

そんないろいろ逸話のある小栗街道は
また、熊野詣の道でもあります。
なので、この辺りにはいくつか王子跡があり、
そのうち一つの王子跡を通りました。それが

篠田王子(しのだおうじ)

信太山の名前にも関係しているし、
このあたりの町名も
王子町といいます。

その王子跡を訪ねるべく
キョロキョロしていたら
後述する聖(ひじり)神社の街道に面した鳥居から
少し南の家の壁に案内板が
貼ってあったので、



街道から30m位それて
行ってみました。



案内の石碑や案内板も設置されていましたが

住宅地に囲まれた空地の一角に
祀られたような祠はフェンスの中にあり
近寄れなかったのが残念でした。

とまあ、まずはそんなふうに
小栗クンにちなんだ熊野古道を
いろいろと探ってみたわけです。

そして次に
そんな信太王子跡から少し北の
その道に面した所にデンと立っている
聖神社の鳥居をくぐると
今度は、あの陰陽師アベノミクス
じゃなかった
安倍清明にまつわる信太伝説の
関連地域へと進んで行きます。



山に向かう片側1車線が
鳥居の下をくぐっています。

そうそう、そういえばこの鳥居をくぐる道は
doironが走り始めた頃に出場した
信太山クロスカントリーのコースでした。
鳥居をくぐって神社に向かう道は
かなりの急坂で、
登り始めてすぐにふくらはぎが
爆発しそうになった記憶があります。

そのコースは当時、
8キロコースとなっていましたので
ほとんどその道とよく似たコースを
たどろうとしていたから
今回は全長11キロくらいの
コース取りだなと考えながら
あのレースのときとは違って
今日は歩いて登っていったdoironなのでした。

明日に続く


割引券を活用

2013年02月24日 20時22分37秒 | 最近の出来事

今日は義父さんの誕生日。
昭和2年生まれなので86歳ということになる。
86年生きてきて、本人曰く
よくぞまあ、こんな歳まで生きたもんだ。

今日は、そんな義父さんの
誕生日を祝って
ミセスdoiron、義母さんとともに
お寿司屋さんにランチをしに行った。
車いすが2台必要なので
一台は施設でお借りした。

行ったのはKっぱ寿司である。
ランチタイムはなんとひと皿90円。
しかも、先日チラシが入っていて
割引券がついていたので
利用させていただくことにしたんだよ~

近頃は、ちらしの割引券も
けっこうお得なものが多い
マック、ミスド、ケンタなどのファーストフード店
うどん屋さん
焼肉屋さん
そしてお寿司屋さんと
食べ物屋さんが多いけど
中にはマッサージ屋さんや
薬局などもたまにある。
割引好きの友達なんかは
財布にそんなのがいっぱい
入っていたりするのだが、
ミセスdoironはそういうことに
無頓着なので
チラシを取っておいたりすることはなく
もっぱら我が家では
それはdoironの役目となっている。

部屋の壁に割引券入れなる
袋をぶら下げて
とりあえずためていくことにしている。
持ち歩いたりはさすがにしない。
そしてたまに壁の袋を点検して
期限切れを始末するのも
もちろんdoiron。
まあ、たいていが廃棄となるんやけどね。

こんな割引券はないかな。

訪問ヘルパー半額券

一割負担の50%OFFみたいなね
ん?これって違法?

おっと話が脱線しそう。
元に戻して、バースデー寿司ランチの話だ。

日曜ということもあって
店には結構な人がいたが
順番待ちの人が並ぶ
夜ほどではない。
すぐにテーブル席に案内された。
そこはほかの席と違って
椅子が固定になっておらず
動かせるので、車いすごと座れるようになっている。
こういう配慮はありがたいね。
バリアフリー、ユニバーサルデザインの
浸透のおかげである。

全員にお茶を入れ、
ガリも配り分け、
うどんも注文してから
お寿司を数皿とったところで
「誕生日おめでとう」というミセスの掛け声で
お誕生会は始まった。

イカは固い
タコは生よりユデがいい
等々、いろいろお声は上がったが
おおむね喜んでいただいた。
よかった、よかった。

食後は久しぶりに海が見たいということで
クルマを転がして
臨海の方へ出かけた。
釣り好きだった義父さんも
車中から懐かしそうに海を見ていたわん。

そうして全部で約1時間半。
滞りなくお誕生会を終え、
ホッとしたdoironでありました。

次は実父の91歳の誕生日が
来月に控えている。
ここ数年はいつも、
みんな毎回これが最後の誕生日だといいながら
過ごしてきたが
なかなかどうして
ある意味おどろくほど元気で
いい歳をとってはりますわ。

もしかしてみなさん、
年齢5割引という
人生の割引券でも持ってるんじゃなかろうね。


同級生と偶然に

2013年02月23日 20時15分56秒 | 最近の出来事

エイ仲間のS藤さんから
ゴルフクラブをいただいた。
なんでも新しいセットを新調されて
前に使っていたのが
不用になったからだそうだ。

いただいたのは、アイアンではなく
ドライバー類
そう、プラスとマイナスの・・・ではなく
いわゆるアイアンではないセット。
ゴルフ歴は全然浅いので
そういうのをなんて呼んでいいのかわからないんだよ~。

アイアンは、ついこの間まで
一緒に仕事をしていた友達にいただいてあり
今回のと合わせてほぼそろったことになる。
パターも今回いただいた。

マラソンのレースから引退し
運動はもうぼちぼちとやるかと
思い始めたころ、
今回クラブをいただいたのではない別の
マラソンの友達から
ゴルフに行こうと誘われていた。
手ぐすね引いて待ってるそうである。
これまでマラソンでブイブイ言われていた
doiron相手にゴルフでブイブイ言ってやろうと
いう魂胆だとその友達も言ってた。

ありがたく教えていただきましょう。
その友人二人のゴルフの腕前は
スコアでいうと
だいたい80~90くらいだという。
う~ん、なんとなくすごいのはわかるが
残念ながら経験がないため
実感がわかない。
マラソン初心者の頃に
フルマラソンを3時間以内で完走
と言われても、
練習したらいけるわ程度にしか考えておらず、
サブスリーがどれだけすごいか
わからなかったのと同じなんやろね。

ま、とにかくそんな友達から
春になったらS藤さんも含めて
とりあえず大阪南部の山にある
ショートコースに行こうと誘われている。

なので、とりあえず、少なくとも
今回いただいたドライバーの使い心地を
事前に確かめておかなくてはと思い
昨日、打ちっぱなしの練習に行った。
多分生涯5回目くらいの練習だと思う。

退職者の身分を生かして
平日の安い時間に行ったよ。
といっても、本当に安いのかどうかも
あまり知らないからわからんのだけどね。

料金は500円で45球というものでした。
1球あたり約11円。
質素倹約の身ゆえ
心して打たねばね~。

10球くらい打って
ようやく前に玉が飛び出した頃
それまですいてて具合がよかったブースの
隣におっさんが入ってきた。
ほかにいくらでもあいてるのに
ちとうっとうしいなと思っていたが
まあ1球1球集中して
20球目くらいからは
だいたい5球のうち4球くらいは
まっすぐ飛ぶようになってきた。
隣のおっさんはというと
なかなかうまそうだ。
音を聞けばだいたいわかるよね。

それにしてもそんなに上手なら
下手くそが目立たないようにと選んで入った
こんな端っこではなく
もっと真ん中で打てばいいのになあ。
なんて思ったものだ。

30球目くらいから、何回か
携帯で動画を取ることにした。
テレビなどでプロの大会は
何度か見たこともあるので
比較できるしね。
3スイングほどを撮影した。

そしてその日はひと籠45球と
決めていたので
打ち終えて帰ろうとした時だ。
前で打ってたおっさんが振り向いて
何か言いたげだ。
サインでも求められるのか
いやそんな筈はない。
そしたらおもむろに
「doiron君やろ」というではないか。

え、誰やと顔を見ても思い出せない。
名乗っていただいてやっとわかった。
大学時代の同級生でした。

卒業以来一度も会っていないので
30年以上ぶりである。
今も変わらず電気関係の仕事をしているとか。
退職したことを告げると
悠々自適やなと言われた。
う~ん、はた目にはそうだろう。
悠々介護であることを説明し
近況を話し合った。
隣のブースに入ったのは
顔を見て、もしかしたらと思ったので
様子をうかがおうと思ったようだ。

doironは地方の大学に行ってたので
同郷同士の結束は強い。
とはいうものの
音信不通状態ではあった同級生と
まさか、こんなところで会うとはねえ。

以前、伊良湖のトライアスロンで
高校の同級生に会った時も
驚いたけど
産まれて5回目くらいの
打ちっぱなしで
そんな旧友に会うとは
思いもよりませんでした。

この分じゃ、ゴルフを始めたら
思いもよらない再会が
あちこちであったりするんじゃなかろうかと
ふと思ったりしたdoironでした。

ところで、動画を確認してみたら
フォロースルーが
全くなっとらんということが
わかった。
なので、次の練習に行く前に
素振りでもしなきゃと思っているのだが
練習方法、それであってるだろうかね。


春に新たな出会いを

2013年02月22日 22時01分32秒 | 自然

野草というにはあまりにも
都会で見かける春の花に

ホトケノザ

があります。
小さな仏様が手を合わせているような
姿で輪生します。
植物に興味を持ち始めたころ
こんな花が身近にいっぱいあることに
なぜ、それまで気付かなかったのかと
不思議に思いました。
興味を持って見たら
今まで見えているはずなのに
気付かなかったことってあるんやな。
と、そう考えたら、
そんなことは自分の周りに
よくあるのかもしれないと
思うようになりました。

耳を澄ませば聞こえてくるもの
目を向けたら見えてくるもの
そして、心を働かせたら感じてくるもの
そういうものは逃さず
自分の中に取り込んでいかないとね。



もうひとつ、足元にいっぱい咲く花が

オオイヌノフグリ

種の部分が犬のふぐり、すなわちK玉みたいだから
ということでつけられた名前です。
でも花は名前とは裏腹に
春にはちと珍しく
素直なブルーに彩色された
なかなか可愛い姿をしています。

小さな花が一面に咲く様を
誰が言ったか
「地上に青い星をちりばめたよう」と
表現したのがピッタリだと思います。



夜空を通じてみる宇宙もあれば
身近に広がる宇宙もある。
最も身近なところでは
母親星、親父隕石、
義父ブラックホールに義母銀河など
介護の宇宙も
まったく謎と不思議に満ちているもんね。

そうそう、先日のロシアの隕石
すごかったよなあ。
あんな隕石が空から舞ってくる確率は
100年に一度とか。
だったら、何百年、何千年動いていない
活断層の有無で
原発稼働の是非を問う前に
隕石対策を論じないといけないのでは
と、半ば今の原発への対応がいささか
建前すぎることを揶揄しながら思う今日この頃だ。

ま、それはさておき、
隕石よりも原発よりも
冬もそろそろ終わり
やがて訪れるであろう
身の周りの春のことだ。

今年は、絵を描き始めたから
また違った目線で
季節を眺められるのではないかと
期待をしたりしている。

身の周りの今まで気付かなかったことや
小さな宇宙に出会えることを
楽しみに、この春は
野を歩いてみようと思っている。


力を抜いて

2013年02月21日 21時35分38秒 | 生活

もともと何でも力が入るタイプなのである。
やり始めたら夢中になり
知らず知らずのうちに力が入っていることが多い。

昨日行った歯医者さんでも
「doironさんはついつい噛む力が
強くなりすぎるから、時々意識してください」
とよく言われる。
噛みしめすぎて、歯に負担がかかるんだそうだ。

今、歯医者さんの治療は
以前虫歯治療したところが
悪くなっているので
被せてあるのを取って
虫歯を削り
新たに被せを施すというもので
今日はその歯の掘削作業があった。

あれはいつ聞いても嫌やねえ
きーーーーんという音。
思わず全身に力が入ってしまいます。

もう神経がないので
痛くないとわかっていても
知らないうちに腰に、背中に、肩に
力が入り、両手を固く握りしめています。
口を開けてて噛みしめられない分
全身硬直状態ですわ。
自分でも、はっと気づいて
身体の力を抜こうとするのですが
10秒くらいでまたまた力が・・・

昨日なんかは開けている
口の周りの筋肉にも
力が入っていたみたいで
こじ開けている先生の指先が
疲れるらしく、ついに
「口の周りの力をゆるめてください」
なんて、お願いされてしまいました。

治療が終わったら
恐怖のジェットコースターから
降りてきたみたいに
全身カチコチになってしまいます。
2、3日後には筋肉痛になるんでは
というくらい。
全く、歯医者通いにも闘魂が必要なんです。

力が入るというのは
他の場面でも体験します。
実は、昨日先日作成依頼をした
人生初メガネが出来上がったので
引き取りに行ってきました。
この眼鏡作成にあたって
目の検査をするときにも
目に力が入ってしまいました。
何やら測る機会に顎を乗せるときも
力が入って、細い目がさらに細くなってしまい
計測が難しくなるんです。
以前、人間ドッグでいきなり指2本で
目をこじ開けられたことがあります。
だもんで、なおさらトラウマになっていて
あごを置いたら目が細くなる
というパブロフの犬状態なのです。
今回は、それでもかなりがんばって
計測してもらい、弱点を
克服できたようで喜んでいたところだったのです。

ところが昨日、初メガネができて
家に帰ってから
「どう、似合ってる?」と
ミセスdoironに聞いたら
「顔に変な力が入ってるから
普段みたいにして」と注文されましたが
もうダメです。
力を抜こうとすればするほど
顔は歪み、目は波打つ始末。
「だから、力を抜いてって」と
言われても、

無理

「もういいわ」と丁重にお断りしました。
そして自分で見てみようと思っても
暴走する表情は
元に戻りません。
鏡に向かうなり、力が入ってしまいます。
え、どんな感じかって?
それならお教えいたしましょう。
眼鏡をかけたdoironの目のアップが

これだあ



どうです?
力が入っているでしょう。
我ながらどうかと思います。

それに、普段眼鏡をかけないので
かけているとなんとなく
鼻の上がキュンとなります。
それは眼鏡に慣れていないからよと
眼鏡歴50ン年のミセスが
アドバイスをしてくれました。

そうかあ、しばらく読書や
ブログやお絵描きでかけておれば
眼鏡にも慣れて顔に力が入らなくなるかもね。
その時に似合っているかいないのか
判断をすることになるでしょう。

それにしても、すでに人生
介護以外には肩の力抜けまくって
脱力状態だというのになあ。


ようやく雨もやんだ

2013年02月20日 21時27分37秒 | マラソン

日曜日、マラソンに参加されたみなさん
ホントに良かったですねえ。
もし大会開催日が一日、二日
後にずれていたら、大変でした。
ずぶ濡れもしくは寒い、寒い目にあってたでしょう。
そう考えたら、レース日のコンディションは
絶好でしたね。

これまで出場した中で
最も寒かったのは
滝畑ダム周辺で行われた

南大阪駅伝

コースの道路が凍っていて
行くのも大変。
走っていると日陰の地面は
氷でつるつるという状態でした。
こわいのなんのって。
そんな中でも
ランパンランシャツで走っていたから
若かったんですねえ。

今回もランパンランシャツで
走っている知り合いも結構いましたが
最近は、アームカバーなんかもあって
なかなか快適そうです。

それに女性のウエアもカラフルになりました。
ランスカ、ランピース、カラフルタイツ
マラソンも昔のストイックな感じは
かなり薄れてますね。
とってもいいことです。

出場選手たちの底抜けの明るさに魅かれて
トライアスロンに手を染め(足を染め?)だした
頃のマラソンは、
スタート地点で思いつめたような人たちが
多かったけれど
最近は随分と明るくなってきました。
誰でも少し頑張れば
マラソンも走れるんだということが
当たり前のようになってきています。

これもやはり、芸能人たちのおかげですかね。

そんな大会をいろんな感慨を込めて
外から見るのも、これまでは随分寂しかったけど
今年の大会を応援しながら
かなり平気になってきている自分が
いることに気付いた
今年の泉州マラソンでした。


大地にKISS

2013年02月19日 21時25分43秒 | 生活

元気満々で退院してきた親父。
それでもひと月近い病院暮らしだったから
徐々に日常に慣らしていこうと
色々と生活の中の工夫を考えていたのだが、
退院から一夜明けた早朝のことだ。
起きていくとすでにベッドはもぬけの空。
トイレに入っている様子もないが
まさか、冷たいみぞれの降っている中を
歩きに行ったのかと
玄関を見たら、靴がなかった。

あ~あ、あれほど徐々にと
言ってあげたのにと
あきれ返っていたら
帰ってきた。どうやら傘をさして
歩いていたようだ。

諭してあげねばと
玄関に行ってびっくり!!

なんとオヤジの顔が
血だらけなのである。

げげっ、とにかく血を拭わねばと
ミセスを呼んで治療をしてもらった。
その間に、冷凍庫から凍った保冷剤を出して
タオルでくるんで
腫れはじめているおでこに撒いてあげた。

聞くと、足を滑らして
顔から転んだのだそうだ。
こんなに寒くてカチコチに凍っている
早朝の大地にKISSをしたわけだ。
幸い、口の中や手足に大事はないようなので
顔のけがの対応だけで済みそうだった。

頭に冷たいタオルを巻いているので
身体を温めつつ
様子を見ることにした。
朝食はパンを用意してあったので
自分で済ませたようだった。

こちらの朝食を済まし
様子を見に行くと
落ち着いているようだったので
寝かせておいてあげることにした。

そして、昼間
doironは出かけていたので
昼食はミセスdoironと
食べたようであったが
その時には、かなり腫れがひどくなっていたようだった。
ミセスdoiron曰く
「まるで大ゲンカしたみたい」
だったそうだ。
でも傷もないし、本人も
傷みもないというので
これはもう冷やすしかなかろうと
冷えピタ2枚をおでこと
腫れてきた鼻の上に貼ってあげたそうだ。

そうこうしているうちに
doironが帰宅して
顔を見てまたまたびっくり。

そう例えて言うなら
出来そこないのフランケンシュタイン
といったところだった。
本人は普通に「お帰り」というが
初めて見たらまるでホラー映画である。
冷えピタと冷えピタの間に見える目は
紫に縁どられ、おでこもパンパン。
頭の右から左に釘が刺さっているのでは
と思ったほどだ。

熱でパリパリになった冷えピタを
交換して、それからかかりつけの
病院に退院の報告がてら連れていこうと思ったが
これじゃ、外に出すことはできない。
下手したら、こちらが虐待と思われるんじゃないかと
心配になっちまうもんね。

徐々に慣らしていかないとアカンと
こんこんと諭しておとなしくしておくように
言って聞かせて横にならせた。

そして夕方、部屋に行くと
これまたびっくり

布団から出た両手足がぶるぶると震えている。
え、どうしたんと聞くと
「いや運動してるんや」だと。
全く人騒がせである。
布団から出た手足が
ぶるぶるしている様は
まるで、配線を一本間違えて
ショートしてびりびりしている
ポンコツロボジーのようであったぜ。

しかし、それにしても
こんなに迂闊で活発な親父が
よくぞこの歳まで長生きしているもんだと
ほとほと感心するのだが
よくよく考えてみると
自分の事より他人の事のために
いっぱい苦労してきた人だから
きっと神様がご褒美に生かしているんだろうな
と、思わずにはいられない
そんな出来事でした。