ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

西国三十三所 興福寺の阿修羅2

2017年05月31日 21時17分32秒 | ウォーキング

仮講堂のお堂の真ん中には
阿弥陀如来が真ん中に置かれ、
その周りに仏教の守護神である
八部衆像が置かれています。

その八部衆のうちのひとりが
「阿修羅」です。



三面六臂という特殊な形ですが
表情はとても人間ぽいですねえ。

また腕のバランスなんかも絶妙です。

かつてこの阿修羅には
全面の右手が肘より少し先くらいが
焼失していたそうです。
それを再現してこうして
合唱させて再現されています。

戦闘の神様なのに、
なんともまあ筋肉のない
子供ような手ですね。

光明皇后の強い意志が
このような姿を作らせたんだと、
先日テレビでいってはりましたね。

この仏像は身長153.4センチ。
小さくまとめられたその姿からは、
まあ何とも言えないオーラが
放たれているようで、
見ていると体が小刻みに震えてきそうでした。

興福寺は藤原氏をはじめ
様々な人々によって守られ
発展してきました。

一方、奈良では東大寺という
巨大なお寺があります。

興福寺と東大寺、この二つの
集団は様々な場面で対立し、
競い合ってきたんですねえ。

様々な歴史を飲み込みつつ、
ここに並べられた仏像群は
それぞれの時代を見続けてきたのでしょう。

そしてこんなところにも、
小さな児童を連れた集団が
ドワーっと入ってきます。

う~ん、きっと小さな子供たちの中には、
これらはポケモンの一種、
なんて考えてるのも
きっといるんでしょうねえ。

八部衆の中には、
象をかぶった仏像や角が生えた
三つ目の像もあります。
顔が鳥になっている
半獣半人像もあるので、
(これが6月1日の朝日新聞に掲載
されて驚きでしたーー追加)
「ああこれがポケモンの原点なのか」
と思ったりしてね。

入口から20mくらい歩けば
もう展示は終わりです。

さあ、これで見たかった
阿修羅像もしっかり見ましたし、
興福寺に来た目的は果たしました。
では納経所へ記帳してもらいに行きましょう。

この興福寺は藤原氏と
強い関係があります。

その藤原不比等の1周忌に建てた
「北円堂」と



その約100年後に藤原内麻呂追善のために
建てられた「南円堂」があります。



西国三十三カ所の納経は、
その後者である「南円堂」で
行われています。

第九番札所です。



ここに行くと、結構外国人もいてはりますね。
アジア人の他にも
白人系の外国人も結構いてはりますね。

納札をおさめ、ろうそくをつけ、
線香をつけお参りしているだけでも
何となく視線を感じました。

ああ、ああしてお参りするのかと。

そしてお参りをした後は、
納経をしてもらいます。

見ている中国なんかにも
こういう納経の制度は
あるんですかねえ。

外国人が納経帳だしても、
書くのは中国語や英語じゃなく
やはり日本語でしょうねえ。

doironがいただいたのは
「奉拝 南円堂 興福寺」と書く
シンプルな納経でした。

ああでもこれで9筆たまりましたねえ。

さあこの後は近辺を
少し歩いてみましょう。

木陰に石像が林立する間を



階段で降りていきます。



そこが興福寺の放生池である
「猿沢の池」です。



周辺がきれいに整備されて
散歩道になっています。

この池には七不思議があるそうです。



・澄まず・濁らず・出ず・入らず
・カエルはわかず・藻ははえず
・魚が七分に水三分。

ここには地下水が湧いているのでしょうねえ。
何となく、きれいなんだか
そうじゃないんだか、
よくわからん感じでしたなあ。

さて、ぼちぼちお昼なので
今日はここで昼食ですね。
池の横にあるコンビニで
ちくわうどんを買ってきました。



いやあなかなかいいものですねえ。

こうして三十三カ所をまた
一つ終えました。
四国はもうすぐ結願なのですが、
こちら西国はもう少しありますね。

次は滋賀県の石山寺と岩間寺を
両方訪ねる歩き参りを考えています。
ここではあの淀川歩きで見た
ナワシロイチゴの
収穫もできそうやしなあ。

とりあえず阿修羅に震えた興福寺参り、
これにて終わりです。


西国三十三所 興福寺の阿修羅1

2017年05月30日 21時37分26秒 | ウォーキング

西国三十三所、
納経帳をもって九番目に尋ねたのが、
奈良県の興福寺南円堂でした。

車でプラッと出かけました。
駐車場は奈良県庁の駐車場。
車で奈良に行くときは、
駐車場はたいがいここにしています。

興福寺のすぐ近くにあって、
どこに行くのもわかりやすくていいのです。

ではなぜ今回三十三所のうち
この興福寺に行こう
と思ったかというと一つ理由がありました。
この興福寺にある仏像で有名なのが、
憧れの「阿修羅」です。
顔が三つ、腕も6本ある
まあたいがいの人は写真なんかでも
見たことがあるし、
たしか切手にもなっていたように思います。

この「阿修羅」はインド神話に
登場する戦闘の神です。

なあんて書くと、
よくわからんテレビゲームの
主人公のようですが
そうではありませんよ。

現場にポスターが張られてあったので、
その映像を紹介しておきましょう。
これです。



現場では写真撮影が無理なので、
これでご勘弁を。

戦闘の神様というと、
激しい怒りの顔を連想させますが、
この阿修羅はそんな顔ではありません。



どちらかというと怒りや
激しさは見ることができません。

これは当時のここでの宗教の
姿のひとつとして、
作られたものであるからだそうです。
作ることを発眼したのが、
光明皇后と言われています。

もともとは厳しい顔に
つくられるはずだったものが、
彼女の意向でこういう顔、
こういう姿になったのだ
といわれています。

現在、仮講堂のなかに置かれているのは、
当時の宗教観を視覚的に表す
という目的で、様々な仏像と
一緒に並べて置かれています。

仏像群のさりげない配置の中で、
阿修羅の位置づけを
より明らかにするために
並べられているそうなのです。

今はこの並べ方がとても評判だそうで
これは見に行かなくてはなりませんね。

六波羅蜜寺の空也上人像、
秋篠寺の伎芸天そしてこの
阿修羅は、doironのとっても
おすすめの仏像のひとつです。

これがこのお寺の国宝館修復に伴い、
臨時に展示されている姿が
すごいという評判なので
ぜひとも見てみようと
思い出かけてきたのです。

県庁東の交差点に出ます。



ここを北に行けば東大寺、
東に行けば春日大社、
西に行けば電車の駅方向に行きます。

興福寺は南の方角です。
この辺りは修学旅行か
あるいは社会見学の児童たちで
あふれています。

まあ、社会の中で出てくる興福寺や、
そこにある阿修羅などの
仏像の見学に来ているんでしょうねえ。

たぶん自分もこういうところには
子供の頃にも来たんでしょうねえ。
全然覚えてないけど・・・。

観光客を追い回す鹿を
見ながら進んでいきますと、



ああここが興福寺のひとつの入口ですね。

中にどんどん入っていきましょう。



すると、国宝館が現在耐震工事中のため、



あの阿修羅などが置かれている
仮講堂が見えてきました。

入館料は900円と、
ちと高いですが仕方ありませんな。

それにしても、国宝館が
耐震工事とはねえ。

仏像が立たれて置かれている
こういう場所には、
展示物にあまり振動が
伝わらないようにする耐震も
必要なんですかねえ。

だって、阿修羅像なんて転倒したら
絶対壊れちゃいますもんね。

床にエアバッグとか敷かれていたりしてねえ。
とか言いながら仮講堂の中に入っていきます。

ここの展示は広い部屋一面だけです。

この広い部屋にある仏像26体のうち
6体は重要文化財で、残りはすべて国宝です。

それらが、なんともまあ豪勢に
一斉に並べられています。

そして普通、こういう貴重な仏像群は
ガラスケースに入れられて
いることが多いのですが、
最近は仏像への影響の少ない
LED照明のため、ここのように
裸でおかれていることも多いそうです。

続く


GW前夜祭

2017年05月29日 20時20分56秒 | 生活

もうGWもとっくに済んで
間もなく6月を迎えようというのに
まだ前夜祭の話ですみません。

4月の四国第11回から帰ってから、
我が家で焼肉をしました。

黒毛和牛をかたまりで買い
大盤振る舞い・・・というわけにはいかず、
安売り肉で行いました。

薄毛和牛ですな。

え~っとなぜ突然の焼肉かといいますと、
四国を結願したら我が家で
絵画一覧と焼肉大会を
開こうと思っていますので、
今回はその予行演習のようなものでした。

近所を通る村の人にも
「ちょっと食べていきやあ」
と声をかけながら行いましたよ。

庭を片付け、大きな植木鉢を
移動させたらまあまあのスペースに。



ここにキャンプ用のテーブルを
広げて行いました。

でもねえ、炭は使ってないのです。
今回の焼肉の熱源は
カセットボンベでおこなう機械で行いました。



これは便利ですね。



たいそうな準備もいらないし、
さあ始めようと思ったらすぐに
肉を焼き始めれます。
唯一というか、ただ残念な欠点は
熱源が小さいことやね。



いきなり5~6人で行うには
焼くのが大変ですから、
競争になると、中途半端な
焼け方の肉の争奪戦になりそうです。

ああ~それはまだ赤いで、
と言いますと、
これくらいが一番うまいんだ
と大概みんなそういいます。
あれは味気ないなあ。
一番そういうのはdoironなんですがね。

まずはあらかじめ情報を
流していた麻雀友達が集まり、
いつもの雀卓メンバーが集まりました。

まあ、今日のところは
これぐらいがいいかなあ、
と思っていたら声を聞きつけて
またメンバーが増え始め、
一瞬これは村中大焼肉合戦になるか
と心配しましたが、
まあ狭い庭なのでもう目いっぱいです。

それに今日はdoironのふるまいなので、
あまり肉も買っておらず、
何とかそこそこで終わり
ということになりました。

ああ、まあ当日は炭をいこすなどしたら、
結願パーティはなんとかなるでしょう。

絵も何とか展示できるように
かんがえていかなくてはなりません。
ぼちぼち百均に額など求めにいきましょう。

さて世間はこの後来週より連休が始まります。
そんなGWはスケジュールが
あちこちと目白押しですが
何とかなるように頑張りましょう。

まあ、何とかこうして世間の連休が
もうすぐ始まるよという感じの
我が家でのGW予行演習でもありました。


四国巡礼十二番焼山寺

2017年05月28日 21時28分50秒 | ウォーキング

さあ、遍路ころがしと言われる
12番焼山寺へと向かいましょう。

「遍路ころがし」とは、
山岳寺院札所への厳しい登りの遍路道を、
遍路をころげ落とすような
道の意味でこのように呼んでいます。

まあこのお寺がそう呼ばれるのは、
順周りの11番から来るときの
長い山道をいうのですが、
逆回りなので厳密にいえば
私たちはちょっと違いますがね。

でもまあ山の上に方にあるお寺ですから、
逆回りでも観光バスは入れず、
このお寺にはこんなマイクロバスに



乗り換えて進んでいくことになります。

2台と普通車に乗り換えて出発です。
こういう山道を進むタクシーは
みなすごい運転をしはりますねえ。
何度も何度も往復しているのですから、
撃速で進んでいきます。

おっ、藤の花が・・・梅の実が・・・
桐の花が・・・あっという間に
通り過ぎてゆきます。

約20分ぐらい乗ったかなあ。
ようやく駐車場に到着です。

ここからしばらく山道を
歩いていきます。

この焼山寺はなんとあの
役小角が開いた山だそうです。

へ~追放された葛城族が一時、
高知に住んでいたのですが、
役小角はここまで来ていたんですねえ。

何せ彼の関連する山は1000山を
越えるというくらいです。
え~doironも近隣の小さな山など
いろいろ行きましたが、
全部でいえば100山
あるくらいですよねえ。

彼の十分の一くらいには
なれたでしょうか。へへ。

そうして彼が開いた山へ
空海さんがやってきます。

もともとこの山には毒蛇が住むといわれ、
空海さんがそれを鎮めよう
としたところ山が火を放ち焼けたそうです。

ところが彼がのぼって行くと
火は鎮まったといいます。

そこで彼はこの寺に一宇を築き、
焼山の寺と名付けたのが
この焼山寺の始まりだといわれています。

参道にはいろいろな仏像の
石像が置かれています。



山の中なので、斜面には
すみれもいっぱいです。



谷川には石碑が並んで立っており、
その石碑のなかに
こんな鳥がくっついていましたな。



最後に急な階段を上がっていきますと、
ようやく山門が現れます。



順周りなら前のお寺から
6時間ほど山道を歩いて
到着するお寺ですから、
ここにたどり着いたら
ホッとするでしょうね。

なんかそんなホット感が
漂う山門ですから、
ここではここを絵に描いておきましょう。



境内に入っていきますと、
さすがにここの古刹には
立派な杉の木が林立していましたね。



「焼山寺山杉並木」は
県指定の天然記念物で、
幹回りは5~6メートルで
樹齢300年以上の杉が
並んでいるそうです。

そして、心洗われるような
開けた景色の中、
山々を眺める展望地も
気持ちのいいところです。



その奥に本堂があります。



ここの本尊には空海が刻んだという
虚空蔵菩薩が祀られています。

「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや
 おん ありきゃ まりぼり そわか」
という難しい真言を唱えつつ
お参りしていきます。

参道の左には大師堂もあり、



ようやくこれで
本日最後となるお参りを済ませます。

ああ~今回はこのお寺で打ち止めです。
なかなかいろいろと
景色や雰囲気を味わいながら
今回もいいお参りができましたね。

元来た道をあるいて戻り、
マイクロバスに乗り換えて
下っていきましょう。

帰りはゆっくりと運転してくれました。
色んな木の花を眺めながら
くだっていく途中では、
衛門三郎が空海さんと
最後に出会った像なんかのある



「杖杉庵」なんかの前も
ゆっくりと通ってくれました。



そしてバスに乗り変えたら、
もう食事も終わっていますから、
そそくさと帰阪に向かいます。

さあ、あと残すは11寺のみとなりました。

次回の最後の第1番霊山寺では
結願の感動するのかなあ。

なんでも講和があったり、
満願書と言われるものを
配っていたりと楽しそうです。
掛軸もここまでたまりましたよ。



では、また絵とともに
四国結願ブログアップしますからね。

第11回、これで終わり。


あわただしく生きてます

2017年05月27日 19時44分13秒 | ウォーキング

今日はねえ、当初の計画だと
四国12番の絵を描いて
それをブログにするつもりでしたが

歩くのにとても気持ちよさそうな
天候だったので
歩きに行くことにしました。

今日行ったのは淀川
昨年完歩したけど
まだ歩いていない対岸を
歩くことにして朝からぶらりと
出掛けてしまいました。

その内容はまた別の日にブログで
紹介するとして
帰宅後は知り合いがイカ焼き焼いたので
取りにおいでと連絡があり
チャリンコ乗ってイカ焼きゲット。



本日淀川歩きで
十三でイカ焼き食べたから
もうこの上なく幸せだ。



これが十三イカ焼き

そしてさらにジムで運動をしにもいった。

え~本日のジム運動量は
600キロカロリー。
よしよし今日はダイエットには
よさそうな日々だなあと満足状態である。

ジムから帰ってきてから、今夜は
絵描きおじさんにならねば~
と思っていたら、村の連中から
麻雀のお誘いが・・・
これは断れませんね。

てなわけで、今日もお手抜き
ブログでした。
では麻雀に行ってきますぅ。

 


四国巡礼十三番大日寺

2017年05月26日 21時19分03秒 | ウォーキング

お参りが終わったら、
この14番常楽寺も



空海、弥勒菩薩に影響されている
児童福祉施設など
結構印象深いお寺となりましたね。

さあ、ではまた来た道を
歩いてバスまで戻り、
次の13番大日寺を目指しましょう。

え~っと「大日寺」といえば
28番も「大日寺」でしたね。
そしてさらに調べてみると、
最後のツアーで行く4番のお寺も
「大日寺」です。

この四国遍路では国分寺は4寺、
そして大日寺は3寺と
いうことになっているのですね。

そもそも平安時代に浸透した密教では
最高位の仏さまが「大日如来」です。

「万物を総該した無限宇宙の全一」
と言われる根本仏で、
曼陀羅の中央に描かれます。

なので、4番、28番のお寺も
この「大日如来」を本尊としているのですが、
この13番大日寺はそうではありません。

もともとこの寺は一宮神社の
別当寺でありました。
この寺が明治の神仏分離で別れました。

大日如来は神と仏の一体物
というのが解かれ、
この神仏分離で別れてしまい、
神社の十一面観音が本尊となり、
大日如来は脇侍となっているそうです。

これまでいろんなお寺や神社と
触れてきましたが、あの神仏分離は
非常に大きな出来事だったのですねえ。

ま、なのでこのお寺は
十一面観音が本尊なわけですね。

先達さんはそんな説明はしてくれず、
このお寺の前の道が交通量が多く、
カーブしているので危ないですから、
必ず信号と横断歩道で渡ってください
とえらく熱心に説明してはりましたよ。

まあ、今回のお寺もあと2寺です。
慎重に、そして熱心にお参りしましょう。

では本尊でお参りです。



十一面観音なので
「おんまきゃ きゃろにきゃ そわか」
という真言です。

じゃ十一面観音とはどういう弥勒か、
というとこれが難しい。

一つの顔の他に10の顔を持つ観音菩薩です。

11面とは「笑い」「泣き」「悦び」・・
などを表すものではありません。

十種勝利と四種果報をもたらす
と書かれてありますが、
じゃなぜ11面なのか、
まだまだdoironにもわかりません。

千手観音が千本の手を持つように、
11の顔を持つ観音さんなど、
仏教は難解ですねえ。

ただ一筋、御利益を
祈っておすがりしておきましょう。

この本堂と向かい合って、
大師堂がありそこでも
しっかりお参りです。



ここではしあわせ観音があります。
両の手に挟まれた中に
こういう観音さんがおられます。
この絵を描いておきましょう。



では今回の寺内もようやく
あと一寺ということになりました。
帰りも車の交通に気を付けて、
バスへ戻りましょうね。

では最後の12番焼山寺へと
バスで向かいましょう参りましょう。
この焼山寺はいっぽうで
遍路ころがしと言われています。

山の中までタクシーで行かないと、
大型バスは入っていけない
という山の中にあります。

お遍路にとってはこの寺の間は大変なところで、
doiron達は逆内をしていますが、
本来の順内をしている者には
約6時間かけて歩いて
到着するもので、
今の大日寺がようやく
人里のお寺に戻ってきた
と思わせる難関なのだそうです。

ではそのお寺に、向かいましょう、
と思いましたが
ここで昼食の時間となりました。

今回の昼食は
「神山温泉四季の里」という
ところで食事です。



こんな食事をいただきました。



う~ん、ビールがあれば飲みたいのですが、
残念ながらあとひと寺ありますから
お遍路中です。
ここは我慢していただいておきましょう。

食事の時間に余裕があったので
風呂に入ったらよかったかなあと
続く


四国遍路 結願しました

2017年05月25日 21時39分02秒 | ウォーキング

良い天気が続く中
今回の四国は天候が大変でした。

日本は大きな高気圧に囲まれた
低気圧の中で雨に襲われていましたね。

でもねえ、我々の心は
すっかりと高気圧の状態でした。

ほんとに回れるかなあと思った
第1回から、少しずつ遍路打ちをかさね
いよいよ結願となりましたからね。

第1番霊山寺

少し前に四国遍路の
一番寺ってどんなところだろうと
見に行ったことがあります。

行ったときには団体さんが
お経をあげてはりました。

あんなお参りを88ヶ所もするのかあ
と驚きましたね。
でも実際にやってみると
本堂と大師堂の2回お参りするし、
お参りのバスの中でも
お経をあげたりするので
そう、200回以上は
お参りしてたんですねえ。

それが今日の1番寺で
結願しました。

う~ん、ちゃちなツアーでしたが
それなりにいろいろと気を使いました。

これでいいこといっぱいあるかなあ。
願い事もしっかり聞き届けられるかなあ。

現在のブログはまだ
11回目の四国巡礼の
途中ですが、まあとりあえず
本日結願したことを書いておくとともに
あと13寺分のブログと絵を
完成させないとね。

まあ、今日は疲れたので
ここまでで許してください~


四国結願の旅

2017年05月24日 21時27分39秒 | ウォーキング

今日は四国に来ています。
12回目です。ということは
そう、今回の旅で
いよいよ四国が結願するのです。
長かったなあ~

ツアーという楽ちん遍路ですが
まあこれでも一年間は長かったです。

今月は、山口、長野、静岡、四国と
あちこちうろうろしており
しかも合間に山に行ったり
西国三十三カ所に行ったりと
なかなかお絵かきも含む
ブログがしんどいですので
予約投稿もできず、こうして
旅先ブログを載せています。

ああ、何せ計画性がとぼしいもので・・・

今日は11番から5番のお寺を
打ってきました。
明日はいよいよ

 

4番から1番までの結願です。
感動するかなあ。
最後までしっかりお参りしてきます。


四国巡礼十四番常楽寺

2017年05月23日 21時28分28秒 | ウォーキング

さて15番国分寺で
お参りをした後は、
次の14番常楽寺へと向かいます。

このお寺の間は約800mで、
ここでは歩いて移動していきます。

田舎の田んぼ道を
のんびりと歩いていきますよ。

この道沿いにも水路が流れていますねえ。
田んぼに水の入るシーズンなんでしょうか、
水路には結構な水が流れています。

四国の川は、
経路が短いからなのか
水質はみなとてもきれいです。
やっぱり最後まで
カワウソが生きてた環境が
残っていたんでしょうね。

昔はねえ、この辺りはコメの
二期作みたいな感じで
社会で習ったけどなあ、
最近はもうほとんど二期作は
沖縄でやってるくらいで、
四国ではあまりしていないそうだ。

稲刈りと田植えが一緒になって
農家の負担が大きいことや、
減反政策ということもあるようですね。

田んぼの間の田舎道、
それがここでは遍路道なんですが、
そこを進んでいると
季節によっては歩きお遍路も
気持ちいいでしょうねえ。
今もいい頃ですねえ。

先日、ミセスの上司で
僕より早く退職した人が、
歩き遍路で全部の寺をまわり、
その結願パーティが
開催されたので行ってきました。

彼は結局歩き遍路で、
45日かかったそうです。

もし走り遍路ができたら
どれくらいかかるかなあ。

あさ9時から5時までの
8時間での走りを考えたら
一日だいたい40キロは大丈夫かなあ。

そしたら1200kmと言われる
遍路道なら30日。

それか、もうあとはどうなってもいい
と考えたら、そうやなあ
一日80kmと考えて
15日で完走かなあ。

元気な頃ならそんな無茶を
考えたかもしれません。

そんなお寺もあと14寺ですねえ。
頑張りましょう。

テクテク歩いていきますと、
14番常楽寺に到着します。



荒い岩に囲まれた階段を
上がっていくと、



ここは奇妙な境内が広がります。



そう、ここの庭には名前がついています。

「流水岩の庭」と呼ばれています。

江戸時代に、山を削って
境内を整備したところ、
砂岩が風で浸食されてできた庭です。

まるで水が流れているような
景色であることから
こういう名前が付いたようです。

岩の斜面がでこぼこした庭を、
えっちらおっちら進んでいきます。

ここの本尊は、弥勒菩薩です。

四国遍路のお寺の中では
唯一の本尊だそうです。

う~ん、さすがに真言は
「おん まいた れいやそわか」
と初めていう名前ですね。

なんでも釈迦の救いに
もれた人たちを救済する仏
と言われています。

それを受けてかどうなのかは
知りませんが、
ここのお寺では四国霊場で唯一の
児童福祉施設も開設しております。

虐待、家庭崩壊、不登校などの
児童を預かることが多くなり、
そちらでの心のケアも
大きな仕事となっているそうです。

児童の心は施設でケアし、
大人のこころはお寺で
ケアしているわけですね。

ではしっかりと本殿にお参りしましょう。



その後、ふと後ろを振り返ると、
大きなアララギの木が生えています。



大きな幹が地面から飛び出し、
その下に洞があります。
これがなんと、木の上に
鎮座している空海さんを
祀るものなんだそうです。



うひゃあ、ここではこれを
絵にしておきましょう。



アララギの木の股にいる
木彫りの空海さんが
とてもさわやかです。

この木は、空海が挿し木して
育った木だといわれています。

意外に木の寿命は長くて、
かつての空海全盛の頃からの
歴史を見続けてきたという大木も、
ここまでにも結構ありましたねえ。

石や木などは、長い間の人々の想いが
刻み込まれているようです。
古いところを歩いていると、
しみじみとそんなことを考えますね。

で、そんな木を背後にして、
大師堂でもしっかりと
お参りをしてまいります。



続く


四国巡礼十五番国分寺

2017年05月22日 21時44分40秒 | ウォーキング

一つのお寺に参るだけでも
かなりあわただしく時間が
バタバタと過ぎていくのです。

手洗いを済ませ、
先ずは本殿に行き、
ろうそく、線香をあげ
納札、賽銭をおさめて軽く合唱です。

それから隅っこに集まって
約10分ぐらいの勤行、
お経の読経が始まります。



それと同じことを、
大師堂でも済ませますので、
寺内の移動を考えたら
どんなに早くても30分以上は
ひと寺のお参りにかかるでしょう。

途中階段をのぼったり、
ちょっと見どころに
立ち寄ったりすると、
どんどん時間が過ぎていきます。

最初の頃はその段取りがあわただしく、
そして忙しく、なんだか
お参りしている気になれんなあ
とか思っていたのに、
近頃はそういう作業も
自然と流れていくように
順々に進んでいきます。

もうなんかお寺と一体になって
時間が流れていく感じですね。

四国詣でも少しは板についたかなあ。

それとお参り時には、
その季節季節の自然の姿も
よく目に入ってきます。

この観音寺では、
寺の境内のすぐ横に
大きなフジの花が咲いていましたね。



ああ、もうそんな季節なんですねえ。

そんなことを考えながら
バスに帰り、さて次のお寺である
15番国分寺はどんなところなのか、
そう思いながら目指していきましょう。

国分寺というのは四国遍路に
4つありますねえ。
その国分寺の最後のひとつ
徳島県の国分寺です。

この国分寺は聖武天皇が
諸国に命じ、天下泰平の世を願って
全国に66寺建てられたもののひとつです。

行基が開き、後に弘法大師が
霊場として開創したものなのだそうです。

なのでそんな関連のものも多く、
ここの本堂には聖武天皇、
光明皇后の位牌が祀られているそうです。

またこの寺は、薬師如来を
本尊としていますが、
トイレの神様として
烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)を
まつる寺としても有名なんだそうです。



昔はこの寺に来たら、
この神様のお札を
みんな買ったそうです。

で、いただいた人はそれを
張るところが難しく、
結局トイレの天井に張るのが
いいといわれたそうです。

トイレで上を見上げるように
それを眺めるといいわけで、
昔の人はこういうお札を
「上を見上げる」ところから

「おみやげ」

と言ったのだそうだ。

う~ん、ほんまかなあ。

それから中に進んでいきますと、
鐘楼の手前、山門の近くに
おおきな礎石が置かれています。

中央に丸いくぼみがある
巨大な石で、近くの水田跡から
遺跡として掘り出されたそうです。

これが、かつて国分寺にあった
七重の塔の「心礎」と言われています。

遺跡としてはこのほかに、
古い瓦や陶磁器なども
出土しているそうだ。

え~っと、かつて80番の国分寺では、
金堂の礎石が並んでいるのを
絵にしましたねえ。

なのでここでは、
この塔の「心礎」を絵にしておきましょう。



ではこのお寺もしっかり
お参りしておきましょう。

まずは本堂の薬師如来にお参りです。

四国八十八カ所の内、
この薬師如来が一番多いんですね。

やはり昔の人々は
自分の体の事なんかが大事なんでしょうねえ。

まあ、そもそも四国詣では、
死出への旅立ちのところから
始まったんだと、
先日エイに訪ねてきてくれた
薦やんが言ってました。

何かわからない病気を抱えて、
お参りしているうちに
亡くなっていく
という人が多かったそうです。

まあそういう人が多かったからこそ、
病気に打ち勝つ薬師如来が
本尊になることが多かったんでしょうね。

国分寺という、当時の文化の中心で、
自分の命の無事を祈る
というこれらのお寺には
いろんな歴史があったんでしょうねえ。

このお寺の住所が
今も国分町であるというのも
また歴史を感じさせてくれますね。

ここの本堂は現在修復中でした。



続く