桜前線は、やはり官に軍配があがった。
3月28日、当初の予想から2日遅れて
大阪に開花宣言が出された。
まあまあ、これくらいの誤差は
生き物相手ですから許されますやろ
ところが開花してから冬型の気圧配置が続き
開花の勢いがグンと鈍った。
もう少しこの冬型到来が
遅れていたら
今年の開花は遅いと予想していた
民間気象会社の勝利だったかもしれない
蕾はまだまだ固いものが多く
4月1日に予定していた花見も
1週間延期となってしまいました
そんな蕾固しのK市中央公園で
昨夜、2週間ぶりのたま練が行われた
参加したのは、5人。
ただし、アブさんは一瞬だけの参加
風のように走ってやってきて
400mトラック1周だけ一緒に走って
風のように去っていったのだ。
メニューは
2kmジョグのアップ
キロ5分ペースで5km
そしてメインは
キロ4分半の3km
久しぶりに刺激が入ったなあ
桜のつぼみみたいに
体も花開いてくれることを期待しておりますねん。
さて練習後はいつもの風呂へ。
昨日みたいに寒い日は
たまれ~ん、じゃなかった
たまら~ん
最近ひどい腰痛を湯船でしっかりほぐしちゃいました
そうそう、100円で買う炭シャンプーセットですが
あれはあきませんな
シャンプーなんぞ3滴ほどあればこと足りるし
リンスなんぞ、施さいでも
少ない髪はいつもサラサラしてるし。
で、その割りにボディシャンプーが少なくて
いっつも必死で搾り出して使ってる。
だから、「薄毛セット」を作って欲しいな
シャンプーは3滴分。リンスはなし。
そして、ボディシャンプーはたっぷりってやつね。
入浴後は、いつもの食事
今夜、板前さんは
「久しぶりに天気のええ水曜日でしたね」
だから、しっかり練習できましたやろ
みたいな口調
おう、ちゃんとこっちの生態を心得ておる
好感持てちゃうな~
しかあし、
煮込みすぎのおでんはいかんなあ
↓こんな感じ
う~ん、悔しいがおいしそうにみえるなあ
ちくしょう~
本当は、あげさんもちくわも玉子も
煮込みすぎて真っ黒なんやけどなあ
なんでもきれいに撮ろうとする
最近のカメラのあかんとこやね
でも、まあ、板前さんの
好感度に免じて
今日のところはこれくらいにしといたろと思った
昨日のたま練なのでしたあ
トライアスロン経験者は他にも職場に何人かいるが、
トライアスロンがようやく認知され始めた頃に、
右も左も分からない状態から始めたのがこの3人だった。
いや、それどころか満足に泳ぐこともできない連中が、
おそるおそるプールに入るところから始めたメンバーだ。
もうかれこれ20年くらい前の話。
当時30歳だった3人も、
二人が50代、
一人も50歳目前と、
世間の高齢化を見事に反映している。
そのうちの一人、
K氏は「怪物クン」の称号を持つつわもの。
別大マラソンを2時間36分で走り、
出場したほとんどの大会の年代別を制覇した。
トライアスロンでもその強靭な肉体は傑出しており
ほとんどの大会で入賞。
世界選手権の出場資格もあっさり手に入れたり、
絶頂期にはあの皆生大会で年代別2位となった実績ももっている。
もうひとりのI氏は日体大出身で、
ハンドボールで国体や国際試合にも出たスポーツマン。
仕事もスポーツをなりわいとしている。
そんな華麗な過去、
実績を持つ彼らに比べて、
僕にはそんな華麗な実績はほとんどない。
萩の250kmを3回完走したことぐらいだろうか。
ただ、今も全く現役で取り組んでいるのは僕だけ、
それはまあまあ自慢かな。
細く、長くという面では見本のようなもんですな。
焼き鳥をつつきながら、
昔話にいっぱい花が咲いたなあ。
辛かった大会、楽しかった大会、がんばった練習。
3人には、3人にしか入れない領域での想い出がいっぱいあって、
それはほんとに宝物になっている。
そして今は今で、
ルネの大勢の仲間と一緒に走ってることが、
やがてこれからの僕の大切な想い出になっていくんでしょうな。
こだわるのではない、
かといって流されるばかりでもない。
自然に生きて、自然に積み重なっていくたくさんの楽しい想い出。
ほんと、これは絶対宝物でしょう。
土曜日も日曜も仕事
今日は全く走れなかった
それは僕にとって
非常に悲惨な出来事ではあったが
それよりも、も~~っと悲惨な出来事が発生した
外付けハードディスクが壊れたのだ
それは土曜日
パソコンを立ち上げようとしたとき
パソコンの後で
コツコツコツ
ん?ハードディスクから音が出ている
何かがひっかかって
先に進まないようなそんな音
しばらく、そのままにしておいたけど
いっこうに鳴り止む気配がないので
仕方なく再起動
コツコツコツ
今度はとことん待ってみた
音が鳴り止んだところで
「マイコンピュータ」をクリック!
認識していない
そのあとは、再起動、再起動、再起動、・・
何とか手立てはないものかと
考えても悲しいかな、わからん
日曜の帰り道に電気屋さんに寄って
相談してみた
「外付けハードディスクから変な音が聞こえるんです」
って言いながら
これはまるでホラー映画の口調だ
などと不覚にも心の中で笑ってしまった
「壁の中から変な音が聞こえるんです」
とか
「井戸から変な音が・・・」
みたいな
電気屋さんいわく
「それは、ハードディスクに住む地縛霊が・・」
じゃなかった
「修理は出来ますが、中のデータは保障できませんよ」
だって
帰ってきてから
もう一度再起動
やっぱりアカン
このハードディスクには
膨大な写真や文書のデータが入っていた
それらのことを考えていたら
まるで自分の過去を消されてしまったみたいで
ガク~
もう今日は何もする気になりません
明日、データ破壊覚悟で修理に出します
ぁ~ぁ、CDゃDVDにデータを残してぉくべきゃったなぁ
もぅ、ゃめょ
黒メダカを飼っている。
なぜ大きな声では言えないかというと、
この黒メダカは環境省が絶滅危惧種に指定しているのだ。
だけど飼ってるのは、
その指定より以前からだし、
決して観賞用ばかりではないのですよ。
保護のために飼い続けてあげてるのです。
生息できる環境が身近にできればすぐに離してあげるつもりですから。
しかし、やつらはほんとにとっても可愛いんです。
水面近くを黒い背を見せながら泳ぐ姿は、
う~んもう佃煮にして食べちゃいたくなるほど可愛い。
春先から初夏にかけて、
おなかの大きな大型のメスの腹に卵がつく。
彼女らはこの受精卵を、
水草やコケにすりつけるようにして産卵するが、
我が家では、綿を入れてあげている。
数日おきにその綿をチェックすると、
小さな宝石みたいな卵がついているので、
それを親とは別の容器に入れておく。
それは卵が孵化したときに生まれ出てきた小さな小さな稚魚を、
親がえさと間違えて食べてしまうからだ。
1cm~2cmの大きさになれば、
親と同じ水槽にいれてやる。
毎年それを繰り返しているから、
いっこうに数が減らない。
メダカ飼育の経験が長い人によると、
メダカは同じ種族間で交配を繰り返しても、
奇形・短命・生殖障害などはほとんどおきないとのこと。
たしかに我が家のメダカにもそんな兆候は現れていない。
ま、願わくば、他地域のメダカと交配させてやりたいと、
これまで一度知り合いのメダカと数匹交換しようとしたけど、
か弱い命の移動はとても大変だったので、
以後はしていない。
飼い始めて数年経った平成11年2月、
日本古来のメダカ、すなわち「黒メダカ」が
絶滅の危険が増大している種である「絶滅危惧Ⅱ類」に指定された。
保護の動きは、その指定より以前からあって、
まだ個人のHP作りがあまり活発ではなかった頃から
保護を呼びかけるサイトも存在していた。
そのうちのひとつ、
「日本野生メダカ保存会」に出会ったのは平成9年頃だった。
そのサイトでは、黒メダカの生息地調査を行っており、
これは協力しなくてはと、
僕が知ってる大阪と和歌山の生息地を教えてあげたんです。
そのとき、どうやら僕の知らない間に自動的に
日本野生メダカ保存会の会員になったみたいでした。
その後、そのサイトを訪れることなく、
マラソンばっかりやってる日々を続けていたある日、
遠い友人から連絡があって、
「メダカ保護の活動をしてるんか」って言われた。
う~ん、髪の毛保護の活動ならわかるが、
メダカ保護の活動などまったく身に覚えがないので
理由を聞いたら、
インターネットでメダカ保存会の会員になってるのを見た
との返事が返ってきた。
URLを聞いて、
さっそくHPを開いてみたところ、
なんだかうっすら見覚えのあるサイトではないか。
そのなかの一つ、会員名簿をクリックしてみたら、
「現在会員数は4百数名。各地で保護活動展開中!」
とあり、なんと僕の名前が会員NOのひとケタのところにあるではないですか。
しかも回りの会員は支部長の役職についている。
え~、これは大変なことになってる。
さっそく連絡しようと思ったが、
もしこちらの素性がばれて是非支部長に!
なんていわれても困るので思い直し、
ずるずると現在に至っている。
それにしても、
会員NOがひとケタで役員をされているみなさんにとって、
私の名前は邪魔でしょうなあ。
ときどき、もう消してもいいだろうと名前を抹消してくれていないか
チェックをしているのですが、一向に消える気配もありません。
庭の大きなカメで泳ぐメダカたちにえさをやるたびに、
なんとなく後ろめたさを感じてしまう今日この頃。
でも、やっぱり連絡する勇気がないんです。
だから、ブログの新着情報にも引っかからないように、
今回の記事のタイトルにも気を使ってしまいました。
これを読んだあなた、
当該メダカサイトを捜すのはご自由ですが、
ずぇ~たいチクらないでくださいね。
私と庭先で泳ぐメダカちゃんの
恋仲を裂かないでくらはい。
Nikonが銀塩カメラ
(いわゆるフィルムを使うカメラ)
から大幅に手を引き、経営資源をデジカメに集中させる
と発表したのは今年1月11日。
そのニコンの方針転換はこれまでフィルムカメラに
こだわりを持っていた昔かたぎのカメラマンたちの気持ちを
踏みにじる行為のように見えた。
ところが、
最近発表したデジカメD200が
そんな彼らの不満の声を押さえ込んでしまった。
それほどそのカメラのスペックが、
昔かたぎのフィルムカメラファンをも
うならせるほど優れたものだった。
1020万画素というCCDを持ち、
画質、操作性の良さも兼ね備えておきながら、
本体価格が20万円を切るという設定が決めてとなり、
多くのNikonユーザーがデジカメへの乗換えを決心したらしい。
それでも許せんというユーザーには
フィルムカメラの最上位機種「F6」と
入門機「FM10」の生産ラインは残しておくらしいから、
まあまあ今回の方針転換は
うまくいったのではないかというのが世間の評判だ。
しかあし
ことはそんなに単純ではない
そんなカメラ事情の変遷が
単に技術の進歩で救われたという単純なことではなく
写真撮影の楽しさを奪ったことになるということに
カメラマン達が気づく時がくると僕は思っている。
いや、もうとっくに来ているのかもしれない。
Nikonのそんな方針転換に連動してなのかどうかわからないけど、
同月19日にはコニカミノルタがカメラ、
フィルムから完全撤退すると発表した。
カメラでは世界初のオートフォーカスとして、
αシリーズを持ち、フィルムもかつてのサクラフィルムを引き継いで
事業を展開していたメーカーだ。
当時、フィルムはパッケージの箱の色のイメージそのままに
サクラは人の肌色、
FUJIは自然の緑、
kodakは黄色の発色が優れていて、
人物ならサクラ、
アウトドアフォトならFUJI、
風景全般はkodakと用途にあわせてフィルムを変えていた。
そんなふうに、
フィルム写真が主流だった頃は、
撮影はカメラまかせ、フィルムまかせの要素が多く
画質にこだわるリバーサルフィルム
(スライドフィルム)
での撮影なんかでは、
気に入ったフィルムの
ロットナンバーにまでこだわるのが、なかば常識だった。
そして撮影後は現像に出した写真が、
どんな形でできあがってくるか、
果たして想像通りの出来になっているかが楽しみで
ワクワクしながら待ったものだった。
それが、最近のようにデジカメが主流となると、
すぐその場で写真の出来が分かるし、
あとでいくらでも加工できるから、
出来上がりを待ってワクワクすることも
なくなるし
一瞬を切り取るために逃してはならないシャッターチャンスのために
渾身の力を注ぐなんてこともしないようになる。
それはそれで便利にはなるが、
写真撮影の楽しさは半減する。
ていうか、ほとんどの楽しみが奪われたといっても過言ではないだろう。
仕事で写真を撮りに行く時も、
取り直しがきかないようなシーンだったらフィルムだと、
失敗は出来ないぞというプレッシャーに押しつぶされそうになり
脂汗を流しながら写真をとったものだ。
あの頃がまるで遠い昔のようでなつかしい。
メーカーのフィルムカメラやフィルムそのものからの相次ぐ撤退で、
アマチュア写真家達の多くはそんな気持ちだろうと思う。
今年、僕がみんなに届けた年賀状も、
実は写真を加工したもので、
撮影した写真はそんなふうに絵のように加工も出来るし、
リバーサルフィルムのようなラティチュードの狭さを盛り込んだ写真や、
思いっきり絞りを開放にして被写界深度を浅くした写真なんか
パソコンで一発作成できてしまう。
そうすれば、写真コンテストなんか
ほんとに意味がなくなってしまうのではないだろうか
芸術だった写真撮影が、
加工の優劣を競う単なる技術になってしまわないかと
心配しているのはきっと僕だけではない筈だ。
王将戦7番勝負に決着がついた。
3連勝のあと3連敗し、
窮地に立っていた羽生王将、
勢い的に上回っていた佐藤棋聖。
二人の大一番が
春の嵐が襲来した佐渡島で繰り広げられた。
3月21日午前9時。
記録係の振り駒で先手に決まった佐藤棋聖が
初手7六歩
やっぱりね~。
この緊迫したタイトル戦最終局で
7六歩以外はありえんやろなあ。
一人の持ち時間は8時間。
投了のその時まで2日を要することになる。
最終的に残った時間は、
羽生7分
佐藤1分
最終決着のついたのが98手目だから、
一手進むのに約10分を消費したことになる。
我々レベルの勝負なら
「寝るなあー」と怒られそうやな。
羽生が98手目「6七と」を指したところで佐藤が投了。
3連敗の後4連勝でタイトルを奪取したことは
いまだかつてないというジンクスを破ることはできなかった。
これで羽生は9期目の王将を務めることになる。
そして問題はこれからだ。
はたして本当に羽生は勝っているのか、
それを検証しなければならない。
インターネットの講評によれば、
「投了図以下、先手玉は7七金打以下の詰めろ。
後手が9五歩と逃路を開こうとしても、
8四桂としばられてそこまで」らしい。
う~ん、なんとなくわかるが、
例えば投了図から羽生と僕が入れ替わったら、
佐藤棋聖に勝つことができるだろうか?
無理っぽい
もしルネRCがルネ将棋クラブだったら、
きっとルネ名人戦、
ルネ王将戦とかいって、
温泉に行ったり、
料理旅館に行ったりして
対局とかしてるんやろなあ。
一緒に参加できない人のために
インターネットの掲示板を使って、
大盤解説とかしたりして。
名づけてGT棋譜。
だめかなあ。
実は昨日から風邪っぽいんです。
今日は雨じゃなくてもタマ練行けなかったかも。
しょうもないブログばっかりしてないで早く寝よっと。
おやすみ~
親父の囲碁の腕前は尋常じゃない。
自分で囲碁教室を開ける資格を持っているらしい。
80歳を過ぎてもなお
近所の碁会所に通っては囲碁を打ち続けている。
そんなんだから、将棋も滅法強い。
子どもの頃、
親父と将棋を指して勝ったためしはなく、
また全然勝てる気もしなかった。
まるで赤子の手をひねるようなもので、
せがれといえども全く容赦せず
いとも簡単に撃沈していたものだ。
そんなことだったから、
僕も負けてばっかりの将棋から
次第に興味がなくなっていったものだ。
親父が強すぎるのも考えもんですな。
だから、僕は息子に対して
ダメ親父を演じてやらないといけないのだ、ハハッ。
それはさておき、
最近そんな将棋に対して再び少し興味を持ち始めた。
最近といってもきっかけは古く
そうあの羽生君が日本将棋会の
(日本以外に将棋が指されているのか知らないけど)
全7タイトルを制覇するという偉業を達成した頃から、
よく新聞の将棋欄を見るようになった。
といっても、
最初の1手目が7六歩かどうか確認するのと、
終了図のみを見ているだけ。
将棋の心得がある人なら
初手はほとんどが7六歩の筈。
もし、プロの差し手がそれ以外だと
きっと注目の棋譜になるだろうから
一応チェックだ。
それから、中盤の攻防などは見ていてもよくわからない。
たまに、「好手○四銀」などという記事が載っていたりするけど、
その手のどこが好手なのかさっぱりわからない。
ただ、見ていてかろうじてわかるのが、
終了図
プロの対戦が最後の詰みの形まで行くことは皆無。
たいていは詰みの形の10手くらい手前で終わっていることがほとんどなので、
その終了図から先を考えて、
なぜ投了(負けをみとめること)をしたのかを考えてみるのだ。
これがなかなか詰め将棋となって楽しい。
棋譜を最初から全部追いながら確かめていくほど、
興味も時間もないけど、
最後の終了図以降くらいなら、
駒を並べて
少し考えてみようかなあって思いますやん。
それが、王将や名人のタイトル戦なんかだとなおさらね。
終了図と記された盤面のなかには、
なんでこれで負けやねん、
もっと粘れるやろと思うときもあったりする。
そんなときはたいてい解説に、
勝ったほうの玉には「詰みはない」とか
負けた方は「一手一手追い詰められるだけ」みたいに書かれてある。
げせん!
マラソンなら40km地点で
100m離れていても、
追いつき追い越して逆転する弘山のような例もあるやん。
最後まであきらめるな、
と棋譜を見て言いたくなるときもあるんやけど、
ま、僕ら凡人の将棋力で詰みがわかるくらいなら、
とっくに投了しているということやろね。
さて、3勝3敗の五分で迎えた王将戦7番勝負、
羽生がタイトルを死守するか佐藤棋聖が奪取するか、
今日と明日、佐渡島で最後の戦いが繰り広げられている
ああ終了図を早く見たい~
そして最後にもうひとつ
強いねえ、王ジャパン!
贔屓目な分を差し引いても
日本が一番いきいきしてたな
いろんな意味で
日本が主役だったんじゃないですか
WBC
時事ネタとしてこれは
やっぱり入れておかないとね o(^')b
今日は日本ベースボール界の歴史的な一日でしたな
いつものコンビニにフラッと出かけたときのこと。
店に入ると棚にほとんど品物が残っていない。
まるで、イナゴの大群に襲われて、
丸裸になった田畑のような状態だ。
(実際には見たことないけど)
こ、これは盗賊に襲われたか、
あるいは団体が押しかけて品物を買いあさっていったのかと思ったほどで、
化粧品関係、カップめんのコーナーはほぼ全滅の状態、
菓子類やパン類も貧相な状態になっていた。
かろうじて残っていた雑誌のコーナーで、
チラッと立ち読みをした後、
つまみのナッツとチューハイを一本持って、
レジへ。
店の人に、
「ほとんどモノがないけど、どうなってるの」
て聞いてみたら、
「いやあ、もう閉店するんです」
「え~、そうなん?生存競争が厳しいんやなあ」
て言ったらアルバイトの兄ちゃんは笑ってましたな。
店の入口に張られた張り紙
このコンビニは我が家の冷蔵庫であり、
本棚であり、
コピー作業場であり、
宅急便ポストであり
送迎車のランドマークでした。
そして、なによりも絶好の気分転換の場所で、
このブログにもいくつか書いたけど
レジの様子の観察もずいぶん楽しませていただきました。
そんな風に僕のライフスタイルに
結構深く関わっていただけに、本当に残念。
そこそこはやっていると思っていたのに、
維持していくのは大変なんやなあ。
遠方で下宿しているせがれが帰ってきたとき、
向こうでの生活の様子をそれとなく聞きながら、
コンビニまで散歩するのも楽しみのひとつだったのになあ。
別のコンビニまで行こうとしたら、
そこからさらに500mほど歩かないといけないから、
もう親父の散歩には付き合ってくれないかもね。
本日閉店
さよなら思い出のコンビニ。
ホームセンターや市場の花屋さんの店先が、
もうすっかり春になっている。
色とりどりの小さな花がたくさん並んでいると、
庭に置いてみたくなって買って帰りたくなるけど、
そんなに広くない庭なので、
たいていは店先で眺めるだけにしている。
手入れもしっかり出来ないので、
ただ枯らすだけだし。
花は野に置け、
ではなくて花は店に置けやなあ。
今まで花屋の店先で買って残っているのは、
15年ぐらい前に買って、
毎年花を咲かせる
ヒゴスミレ
白い色が飛んでしまいました
スミレが好きで、
タチツボスミレ、
アカネスミレ、
ヒカゲスミレ、
フモトスミレ、
シハイスミレ、
ツボスミレなど
春の野山に出かけては、
たくさんのスミレの写真を撮っていた。
スミレは種類が非常に多くて、
たしかスミレ科スミレ属だけで
1冊の写真集が出ているはず。
都会ではめっきり見ることが少なくなりましたが、
少し田舎に行くと、
タチツボスミレなんかはたくさんあります。
あの葛城山の登山道にも、
見事な群落があります。
そんな種類の多いスミレですが、
ほとんどのスミレがハート型の葉っぱをしている中で、
このヒゴスミレとエイザンスミレという2種類だけが
細かく裂けた葉っぱをしているのです。
エイザンスミレは野生に出会ったことはあるけど、
ヒゴスミレには出会えずにいて、
いつかは会いたいと思っていたところ
近くのホームセンターで売られているのに
ヒョッコリ出会ったので、
思わず買ってしまったのでした。
スミレは多年草。
しかも毎年種をいっぱいつけるし、
花が咲かなくても種が出来るという性質を持っており、
出来た種が、はじけて飛び散る仕組みになっている。
だから、今は鉢だけでなく
庭のそこここに咲いています。
スミレの生態はたいていそんな感じで
こんなに繁殖力が強いのに、
それがめっきり少なくなるなんて、
野草にとって
都会が如何に住みにくいかということですね。
それともうひとつ、
これもずい分前に買って以来、
毎年ひっそりと咲き続けているのが
「忘れな草」
ドナウ川のほとりで、
恋人のために花を摘もうとした若者が
足を滑らせて滑落し、息を引き取る前に、
握り締めていた小さな花束を恋人に差し出して言った言葉
「forget me not」
が花の名前の語源とのこと。
小さいけど、ハッとするような切ないブルーが、
ロマンチックな花の名前をいっそう引き立てています。
今日見た花屋さんにもいろんな名前の花が並んでいました。
そもそも園芸品種には和名のないものが多く、
もしかしたら品種レベルでは名前をつけたもん勝ちなのかも。
興味をひいた名前の花の写真を一枚、
店員さんの目を盗んで撮影してきました。
その名も
「初恋草」
シソ科の一種、ケマンの仲間かなあ
もしほんとにつけたもん勝ちなら、
命名権のある花屋さんていいよなあ。
僕だったら、どんな名前をつけようかなあ。
「オモイデソウ」
「ムネキュンスミレ」
う~ん乙女チックやなあ。
24時間心電図計を体に装着してもらった。
これは、写真のように
通常の心電図測定と同じ場所にセンサーを貼り付け、
そこからの信号を拾って、
24時間分の波形を記録する機械を
ウエストバッグに収めて携帯するというもの。
当然、プールや風呂には入れない。
以前の記録媒体はカセットテープだったけど、
久しぶりにつけたらメモリーカードになっていた。
だから、テープ駆動のメカも必要なく、
機械はずいぶん小型化されていて
携帯するわずらわしさがかなり軽減されている。
ここんとこ、
レースや練習の中で
1時間半ぐらい走った頃から、
不整脈が出ることが多かったので
そいつの正体を突き止めてやろうと思って
今回の装着となった。
午後からルネに行き、
久しぶりのローラーとのデートを楽しんだ。
でも、時速9kmからはじめ最終は13kmまで、
きっちり2時間走ったのに不整脈は
出なかった。
喜ぶべきなのか、
悲しむべきなのか、
やっぱりせっかくやから出て欲しかったなあ。
汗まみれにもなったのに、
今日は風呂にも入れないし
出なかったら意味ないじゃん!
また、
しばらくレースや練習の様子をみるしかないようです。
ところで、この機械をつけている間、
しなければならないのが、
時系列での生活記録だ。
記録の項目は
トイレ、運動、休憩、食事、飲酒、起床就寝、仕事、運転などの行動と
胸痛、動悸、息切れ、めまい、倦怠感などの症状を、
三つ折のカードに鉛筆でチェックすることになっている。
しかし、是非若い人のために、
行動には「デート」
症状には「ときめき」
を入れてあげてほしいなあ。