ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

感動にはきりがない

2011年04月30日 22時29分34秒 | 最近の出来事

今日は施設からスーちゃんが
帰ってくる日だった。
スーちゃんの好物の
野菜たっぷりの赤だし味噌汁と
ポテトサラダを作って
迎えてあげた。

お袋の味、ならぬ息子の味だね。

初めて味噌汁を作ったときや
ポテトサラダを作ったときは
その過程を写真に撮って
喜んでブログにアップしたものだが
最近はこの程度の料理は
なんてことはなく、
感動も薄れてきたんだろう。
写真撮影もなく
淡々と作っては
食卓に並べている自分がいる。

料理で感動することも
少なくなったってわけやね。

以前はたまねぎのみじん切りを
30分かけてやってて
完成した時には涙を流したものだ。

え、その涙は違うやろって?

ごもっとも

最近は、みじん切りも
へっちゃらですわ。
ポテトサラダの微妙な味付けも
絶妙になりましたぜ。

ひとつことを普通に出来るようになれば
徐々にその感動も薄れていくってもんじゃね。

それは、スポーツにおいても同じで
さらに感動を深めたいという思いで、
もっと早く、もっと長く、もっと辛くと
求めてきた結果
ついにはウルトラマラソン
フルトライアスロンと
より大きな感動を求めているようになっていた。

今、身体を壊して
そんな巨大な感動は
求めるべくもないが、
それはそれで、
ようやく何キロまで走れるようになった、
バイクもそこそこ乗れた
後はスイムだと
やはり、同じ道筋を
辿り始めているdoiron。
ここは無理は禁物と
大ブレーキを必死でかけているが
より大きな感動をという
因果な性(さが)は
なかなか抑えることができないんだよなあ。

250kmマラソン
フルトライアスロンを完走した後は
いよいよ、最終目標だった
レイドゴロワーズやサハラマラソンだと
思い始めていたのに、
今となってはかなわぬ夢となってしまった。
しかし、感動はつつましい暮らしの中でも
味わうことが出来る。

どんなことでも精一杯頑張れば
また新たな感動に出会えるかもしれないという
思いは失わずにいたい。
感動には、限りがないものだということは
これまで十分学んできたんだ。
まだまだ、じっと耐えるだけの
人生じゃつまらない。

さあまだこれからだと、自分の底力を
信じて頑張らなきゃと考えていた
連休二日目のdoironでした。

と、これくらいの気持ちを
スーちゃんも持ってくれたらなあ
と、楽ちんな毎日であるショートステイから帰ってきて
QOLもガクンと落ちてるのをみて
しみじみと思いましたわ。

ようし、GW後半はスーちゃんを特訓して
どんなのでもいいから小さな感動を
ひとつ味あわせてあげますかねえ。


GW初日

2011年04月29日 21時39分34秒 | 最近の出来事

今日は堺シティマラソンの会場で
恒例のBBQを楽しんだ。

メンバーはルネの仲間だが
関連する人たちも大勢来る。
昨日12時近くまで
一緒に飲んでた濱ちゃんまで参加。

二日酔いで気持ち悪い~と
言いながらK塚の自宅から
チャリでやってきたんだと。



付き合いよろしいなあ。
で、写真の後ろで
くたばっているのは誰?

先週の日曜日に
宮古を完走したばかりの
shimizuとピナちゃんも
やってきた。
みんな元気で、力をもらいましたわ。

さてさて、そんな、BBQ大会を終え、
電車でがたごと帰った頃に
帰ってきた帰ってきた、
長野で働いている息子が
車を転がして帰ってきよったわい。

もしかしたら、女性を連れて
と思っていたが、
とりあえず、ひとりで帰ってきたよ。
ほっと胸をなでおろすと同時に
ちょっぴり残念でもありやした。

帰ってくるなり
今、職場の若いやつに借りてる漫画

モンスター(全巻)

を見つけて
大喜びしておった。

若い食べ盛りの彼。
「親父、焼肉行こうぜ」と
言われたら、さすがに
一日2回の焼肉は往生するところでしたが
どうやらその難は逃れることが
出来ました。

今夜は、家でチューハイで
歓迎パーティを催した
doiron家なのでした。


友達

2011年04月28日 23時58分27秒 | 最近の出来事

今日は職場の歓迎会。
でも友達から飲み会も誘われていたので
歓迎会は早々に切り上げて
友達の飲み会に参加した。

こちらのほうが圧倒的に大事だ。
職場はあと5年弱で定年を迎えるが
友達付き合いに定年はない。

これからも長~く付き合う友達を
優先し、飲みに行って危うく
ブログが途切れるところまで
楽しんじゃいました。

濱ちゃん、キャッサン、じゅんちゃん
とっても楽しかったよ。
生きてて良かった。
これからもよろしくね。

おやすみぃ~


免許不携帯

2011年04月27日 22時45分35秒 | weblog

朝晩の通勤時に寄るコンビにも栄枯盛衰があり、
サンクスがいつのまにかラーメン屋さんになってたり、
ファミマが中古車屋さんに替わってたり、
新築のコンビニができたりして、
極端な話、
年々状況が変わっている。

最近doironがよく寄るのは、
pontaカードを持っていることもあり、
ローソンが多い。

3~4年前にできたそのコンビニは
結構交通量の多い交差点に面しており、
信号の加減で
出入りがとてもしやすいから気に入っている。

お気に入りの理由はほかにもある。
そこの店員がとても小気味いいのだ。
いらっしゃいませ、ありがとうございましたは
当たり前だが、レジに客が並んでないときには、
「ただいまカラアゲ増量中です。いかがでしょうか。」
とか
「本日より季節商品の○○を販売しております。」
てな具合に熱心に商品売り込みをしている。
オーナーにしてみれば
とても頼りがいのある店員なんだろう。

リーダー格の若い男性は
doironの知る限り平日は皆勤のようである。
今日も、車を止めて店に向かっていると
レジにいる店員さんたちが、
頭に被り物をつけている。
見ればニワトリの絵が描かれ
~何月何日までカラアゲ増量中~
と書いた顔と同じくらいの大きさの
プレートをつけた鉢巻をしているのだ。

う~ん、ますます小気味いい仕事振りではないか。
本人たちも楽しんでいるようだし、
仕事はこうでなくちゃと思いながら、
レジに缶コーヒーを持っていき、
清算しようとしたところ、

あれ?あれ、あれ?財布がない。

車の中に忘れたわけでもない。
あ、そうか、今日は上着を替えたんや。

て、ことは財布は家ということになる。
doironのばやい、
財布には免許証をはじめ、
身分証など重要カード類などが
すべて収納されている。
失くした時に大変やという声もあるが、
失くす事を前提にはできない。
常に使用するものであれば、
いつも存在を意識できるから、
財布と一緒にしておけばいいというのが、
doironの考えだ。

レジに立ったまま、
おろおろしているわけにはいかないので、

「ごめん、財布忘れたわ。キャンセルできる?」

と言ったら

「わかりました。またのご利用をお待ちしております。」
とこうだ。
ますます、このコンビニが好きになると同時に、
そこの店員さんの仕事振りを
部下に見せてあげたいなと
思ったdoironなのであった。

その後、免許証もないので、
警察に自首した・・・
んなわけはなく、
めちゃ安全運転で帰った。
だって、思わぬ職質を受けたくないしね。

信号の黄色の変わりばなの、
いつもなら突入するタイミングでも、
今日はきっちり止まったぜ。

携帯やナビをいじることもなく、
安全運転そのもの。
制限速度は、5キロオーバー以内にとどめた。

結局、免許不携帯のほうが安全運転
という皮肉な結果となったわけだ。

いや、いや安全運転はいつも心がけないとな。

検問も何事もなく、
ジムでパパッと走ってから家に帰り、
ガレージに車を入れたときに、
ほっと胸をなでおろした
小市民doironなのであった。

今度そのコンビニに行ったら
増量中のカラアゲでも買ってあげよう。

スーちゃんの好物なのだ~


奇妙な同僚

2011年04月26日 23時08分54秒 | 仕事

新車には、バックビューモニターがついている。
最初はなかなか慣れなかったが
この頃はすっかり慣れてしまって、
もう一台の軽自動車に乗って
バックするときに、
ついついモニターを見てしまう。

便利に慣れるのも困りものだ。

ヘッドランプもオートモードで
トンネルの続く道路では
メチャ重宝する。
キーだって、差し込むこともなく
「開けごま」といえば開く。
んなわけないか。
でも、人はどんどんずぼらになって行きますな。

ところで、そんなバックビューモニターを
付けてあげたい同僚がいる。
100kgはあろうかという巨体で
ふと何かを思いつくと
周りを見ずにいきなり振り返って
どこかに向かって突進し、
何人かの仲間をなぎ倒すという
へまをすでに何度かやらかしている。

彼の頭には
まるっきりバックビューモニターが
欠如しているのだ。

「あのなあ、ものごと落ち着いて
考え、ゆっくり動け。
何もすばやいだけが偉いんじゃないぞ。
大河を見ろ、大河を。
ゆっくり流れてるやろ」と
先日、噛んで含めて
にゃんにゃんして諭してあげた。

しかし、そんな忠告も彼には
馬耳東風
ぬかに釘
荒れ狂う大河のごとき
寝耳に水の危ない行動を繰り返している。

しかも、彼は
人一倍、いや人十倍の
ずぼら者である。
トイレから出てきたときは
必ずシャツのどこか一部が
ズボンからはみ出している。
それも見るたびに注意するのだが
まるでいたちごっこだ。
あきれて放置しておくと
先日なんか前も後ろも
シャツが一部はみ出ていたので
介護の親父のズボンをなおすように
シャツの後ろを押し込んであげた。
そしたら、いきなり後ろを振り向いて
頭をさげるものだから
頭突きを食らわされそうになる始末だ。

そんなdoironの命がけの指導の甲斐もなく
それでもシャツのはみ出たいでたちで
あちこちに激突を繰り返す彼。

もう、これは最後の手段だ。
彼のメガネにバックミラーをつけてやる。
いや、それは無駄だろう。
では、動きが鈍くなるように
脚に鉄のおもりを鎖で取り付けるのはどうだ。
う~ん、まるで囚人だ。

色々考えあぐねているうちに
春の人事異動で、その彼が
なんと、なんとミセスdoironの
職場に異動となったではないか。

かくなる上は、一刻も早く
策を練らねば、ミセスdoironの
身に危険が降りかかる。

同僚とはいえ
あきれる所業の数々。

100kgの巨体を以下に制御するか
その問題は、核燃料棒制御のごとく
数々の困難を包含している。

彼の周辺5m以内は立ち入り制限区域にし
自衛隊の出動も願いたいところだが
非現実的だ。

しかたない。
とりあえず、彼には

「石敢當」

と大きくプリントした
シャツをプレゼントしなくては
と半ばやけ気味に考えている
今日この頃ですだ。


最近のおさんどん

2011年04月25日 23時13分33秒 | 生活

料理当番や弁当作りは、
家族総出の介護や被介護の暮らしの中で、
doironの大切な仕事だ。
とはいえ、料理もそれほど経験豊富なわけではない。
ていうか、料理も無難にこなせる今どきの男の中にあっては、
まったく初心者といっても
過言ではないだろう。

声を大きくして自慢できるほどのことは、
これっぽっちもないのだが、
それなりにがんばっていることは、
ブログのネタにしたいお年頃なのだ。

つい最近作った料理をひとつ紹介しよう。

それはフランスの家庭料理の一つとして、
きたきた、きましたよ。
フランスですよ
花の都パリのある
おフランスですよ。
ああ、なんて上品なんだ。
ボンジュール、
ジュテーム、
ユビジュッポン~などと
囁かれながらかの地で
よく食される「ポトフ」だ。

ポトフとは

「火にかけた鍋」

という意味だそうで、
肉類とにんじんやカブやたまねぎを
大きめに切って、じっくり煮込む料理のことであると、
ウィキぺディアには書かれてある。

困ったときのウィキぺディア
一家にひとつウィキぺディア
あなたの頼れる味方ウィキぺディア
ウィキぺディアに清き一票を・・・

すみません、脱線してしまいました。

つまり、じっくり煮込む料理なわけだが
残念ながらそれほど多くの時間をかけて
料理にいそしむ余裕はdoironにはない。
さっと作れておいしければ、
それでいいわけである。
したがって、doironが挑戦するポトフでは、
野菜はすぐに火の通るキャベツとシメジ、
肉はベーコンとソーセージにした。
もちろん味付けは、
利尻昆布と土佐鰹のあわせだし
ではなくて
固形のコンソメブイヨンだ。
あらゆる手抜きは
多用しなければな。
ただひとつ工夫をしたことといえば、
最後にピザ用チーズを入れたことかな。

まずキャベツはザク切り、
シメジは一本ずつにバラかしておく。
鍋を火にかけて、
1cm幅に切ったベーコンを鍋の底で軽くいためる。
ほんのり火が通ったら、
そこに水とブイヨンと野菜と
切れ目を入れたソーセージを入れ、
鍋にふたをしてあとは「がんばれ、がんばれ」と
横で声をかけながら待つ、
ということは別にしなくてもいい。

キャベツが舞妓さんの着物の袖のように
しんなりなったら
(どんなんや)
チーズをばらばらと入れ、
しばらくしたら火を止めて
ふたをしたまま蒸すべし、蒸すべし。

これで明日のための料理その1、
ポトフのジョーの出来上がりだ。

食べる直前に胡椒をたっぷりかけると味が引き立つ。

生まれて初めて作ったポトフがこれ。



意外にうまく、ミセス
doiron

「星、みっつ☆☆☆」

をいただきました。


そんな手抜き料理のほか
お弁当作りも、
いささか気まぐれではあるが続いている。
今日入れたお弁当は、
昨晩に炊いておいた旬のたけのこご飯を詰め、
卵、ソーセージを焼き、
自然解凍OKのえびグラタンも詰めて、
普通はこれで出来上がりなのだ。

でも、doironはいつもひとつのテーマを
弁当に持たせている。
今日のテーマは、

「がんばろう東北弁当」

津波の防波堤のように
おかずを並べたわけではない。
おかずにヨウ素をまぶしたわけでもない。
単に、海苔を東北の形に料理はさみで切って、
ご飯に乗せただけの弁当だが、
忙しい中でひと手間かけたことで、
復興への思いを込めてみた。

それがこれ。



それにしても、これまでいろんな弁当を作った。
写真はすべておいてあるので、
ある意味これはコレクションともいえる。
何らかの形で、まとめてみたいものである。

そのようなわけで、
どれもとてもつたない幼稚なおさんどんですが、
ま、これがdoironの精一杯ですわ。


スーちゃんのこと

2011年04月24日 21時43分28秒 | 最近の出来事

このブログでスーちゃんといえば
そう、ただ今施設で
ショートステイ中の
doironの実母。
だが今日は違う。
一世を風靡したキャンディーズの
向かって右端で歌って踊っていた
あのスーちゃんだ。

doironがちょうど学生の頃だ。
下宿にはテレビもなくて、
新聞もなかったのに、
彼女のことをよく憶えている。
それは、いつも行ってた
町の中華料理屋の
油でコテコテになってたテレビで
みていたからだ。

大学3年の頃に
友達となけなしの仕送りを
やりくりして
その中華料理屋で
ビールを頼んで
解散コンサートの様子を見た。
その頃は、ピンク・レディも絶好調で
あの名曲?「UFO」も
確かこの頃だった。

友達は、圧倒的にスーちゃんと
けいちゃんのファンだったけど、
doironはミキちゃんとミーちゃんがいいという
ちょっと変わり者でした。

「普通の女の子に戻りたい」という
キャンディーズの解散フレーズは有名だ。

ちっ!今にして思えば
doironも昨年末のあの出来事のあと
トライアスロンを卒業する時に
「普通の男の子に戻りたい」と
宣言すればよかったぜ!
と、今とても後悔している。

そんなスーちゃんが亡くなった。
永遠のアイドルも
あの卒業時の言葉どおりに
やはり普通の女の子だったんだねえ。
同じ時代を生き、
同じ世界を共有した
同じ世代の人が
亡くなるというのは
わが身に照らして考えてしまい
無性に寂しいものだ。
彼女はdoironより
約三週間後に生まれて
先に逝ってしまったわけである。

平成元年に公開された映画

「黒い雨」

その中で彼女は主役
「高丸矢須子」を演じ、
日本の映画賞を総なめにした。
その映画の中で
矢須子はこう言ってる。

「死ぬために、生きているのではありません」

そう、ひとは生きるために生まれて
きたんですね。
約20年もの間
病気と闘い
懸命に生きていたあなたは
紛れもなく
死ぬために生きたのではなく
生きるために生きた人そのものでしたねえ。

ひとつの時代が
あなたと共に終わったと
思う人も大勢いるでしょう。
人生の転機を迎え、
新たに歩を進めようとしている
doironだってそうです。
生きて、生きて、生き抜かねばね。

それでは、スーちゃん
安らかに!ご冥福をお祈りします。

合掌

P.S. 
我が家のスーちゃんも頑張ってます。


遺伝子に刻まれた記憶

2011年04月23日 21時54分14秒 | トライアスロン

この時期、doironの遺伝子に
刻まれた記憶がふたつある。
ひとつは、沖縄よりさらに南へ300km
南海の孤島”宮古島”で開催される
全日本トライアスロン宮古島大会である。

doironのフルトラデビューは
この大会だった。
もう今から16年前のことだ。
「いつかは宮古島へ」を合言葉に
doironのトラ人生は始まった。
32歳で水泳を覚え、
ローカルな大会を歴戦し、
少しずつ実績を積み上げて
ようやく出場資格を得たときは
これで夢の舞台に立てるという喜びで
飛び上がって喜んだものだ。

昭和60年に開催されたこの大会の
第1回をTVで見て
まさか自分がその舞台に立つなんて
夢にも思わなかった。

そのdoironデビュー大会の成績は
11時間15分、389位。
今にして思えば
ほとんど情報もない中で
よくぞ完走できたものである。

その大会も含めて宮古には3回出場した。
なので、4月のこの時期の宮古は
doironの遺伝子にくっきりと
刻み込まれた大会となった。

そんな宮古の大会が
いよいよ明日開催される。
濱ちゃん
shimizu
ヒゲママ、ヒゲパパは
もうすっかりこの大会の常連であるが、
今年は”僕の愛車はピナちゃん”こと
N川クンが始めての宮古に挑む。
多分ネットでほぼリアルタイムで
記録が掲載されるだろうから
明日は、南の島に思いを馳せながら
皆さんの活躍をとくとみさせていただこうと思っている。

そしてもうひとつ、遺伝子に刻まれているのが
「萩往還」だ。
250kmという超長距離を
0泊3日で走るという
日々を普通に過ごしている、
ごくノーマルな人々には多分想像も出来ない
ウルトラな大会である。

例年、GWに開催されるこの大会に
doironは4回出場した。
距離と時間が長いだけに
それぞれの大会に書ききれないほどの
思い出がある。

「僕は一体どうなるんだろう」という
恐怖感に怯えながらスタートした
1回目の記憶は鮮烈だ。
大雨の大会、脚を捻挫しつつ200km近くを
走った大会、あぶさんと共に走った大会。
それぞれの記憶は強烈に
遺伝子に刻み込まれた。
もしかしたら、その時の負荷は
何らかの形で身体にも
刻み込まれているのかもしれないな。

スタートは、GW真っ盛りの
5月2日。
I原さん、babiさんをはじめ
今年もいろんな人が
いろんな思いを胸に
スタートラインに立つという。

是非とも素晴らしい3日間を
皆さんの遺伝子に
刻んできてくださいね~。

このふたつが
doironの遺伝子に刻まれた
春の出来事である。

なぜ、遺伝子なのか?
それは
単に記憶に刻まれるだけではない。
脳に、身体に、心に、そしてその人の
人生そのものに刻まれ
いつまでも残響鳴り止まない記憶だからこそ
あたかも遺伝子にまで刻みこまれる、
とこういうわけなのである。


我が家の事情

2011年04月22日 22時49分13秒 | 生活

仕事帰りには病院めぐりだ。
季節外れの寒気のせいで
親父から「寒いので色々衣類を持ってきてくれ」
と頼まれて持っていったり、
寂しがり屋の義父に一日一度は
顔を見せに行ったりで
なかなか走る暇もない。

でも今日は中途半端に遅くなり
そんな病院関係は
ミセスdoironが処理してくれたので
雨上がりの住宅地を
少し走ることにした。

近所を走っていると
いろんな人から声がかかる。
それはいつものことなのだが
今日は、なんか様子が違った。
会った知り合いには必ず呼び止められるのだ。

実は、親父が入院し、その余波で
スーちゃんがショートステイで
施設に入っていることは
ご近所には内緒にしてあった。

親父が、色々見舞いに来てくれるのを
嫌うからだ。

ところが、普段家に居てもこもってて
近所の人の目に付くことも
ほとんどないのに
どうも、このごろdoiron家は静か過ぎる
というような噂が
ご近所各所で湧いてきているようなのだ。

なので、走っているdoironを
見かけては
「何かあったんかあ?」と
疑問をぶつけてくるのだ。

たいていは、
「ああ、今はショートステイで小旅行や」
などといってごまかしていたのだが
今日は、そんな話の後
二人が家まで
確かめにきよったのだ。

もうこれは、いつまでも黙っていられないと
判断し、正直に打ち明けることにした。
打ち明けたひとりは

「村の拡声器」

と呼ばれている女性である。
もう明日には村中に
doiron家の事情が
広まっていることだろう。

押し寄せるお見舞い。

さぞかし病院もにぎやかになるだろう。
それに以前から
親父の老々介護をきづかって
スーちゃんはうちでもみてあげるよ
といってくれる人もいるし
デイに出かける時には
うちの家に連れてきておいたら
送り出してあげるよと
声をかけてくれたりもする。
ありがたいことだ。
涙がちょちょぎれる。
こんな放蕩息子には
出来すぎた親の人徳である。
doironもしばらくは
走っているときも
車の中からも頭を下げたり
手を振ったりと忙しくなるだろう。
まるで、今まさに選挙活動真っ盛りの
市会議員候補のようにね。

先ほどミセスdoironと
話し合った。
我が家の通りに面した塀には
親父が入党している自〇党の
掲示板がある。
それを活用して、
家の様子でも書いておくか。

●今日の親父
「入院中だがすこぶる元気」
●今日のスーちゃん
「ショートお出かけ中。ちょっと不機嫌」
●今日のグー
「ちょっとお漏らしして謹慎中」
なんてね。
ついでに、お寺の門前にあるみたいに
今月の標語みたいなのも書いておくかのう。
4月の標語
「転倒一瞬、介護10年」
てのはどうだろう。
ううっ、自虐ネタはやめよう。
なんていってたら、ミセスdoironが
「付き合いきれんわ」だと。
なんていいながら
本当は韓ドラ鑑賞の
邪魔をされたくないに決まっているのじゃがね。

いずれにしても、
人々のつながりが
希薄になりつつある今の社会で
こんなに我が家事情に
干渉してくる村社会も
貴重な存在になりつつあるよなあ。
でも、ほんとになにかあった時には心強いばかりだ。
全面的に善意に甘えるわけにはいかないが
そういう人たちに
囲まれて暮らしているという安心感は
捨てがたいなと
思っている今日この頃ですじゃ。


早春も過ぎた頃に

2011年04月21日 22時16分19秒 | 最近の出来事

清明、穀雨も過ぎて、
いつの間にか早春とは
もはや言いがたい季節になった。
ほとんどの低山から残雪も消え
大阪では桜の季節も終わってしまった。
別れと出会いの交錯する
年度の変わり目はとっくに過ぎ
新しい生活の中で
人々の日々が動き始めている。
doironもこの春から
さまざまなものが新しくなった。
身近なところでは、携帯や車。
でも、もっと大きく変わったのが
仕事で、次に
老親の暮らしだ。
ということはつまり、
ほとんどが変わったということだ。
新しい暮らしの中で
酸欠の金魚のように
アップアップしながら
日々を送っている。
そんな暮らしはとても疲れるものではあるけれど
かの地で復興を目指して
頑張っている人たちの比ではないだろう。
金魚のアップアップどころか
わずかに残った水たまりで
身をくねらせながら
必死で生きている人たちのことを思うと
胸がキリキリ痛む。

そんなかの地に
ようやく桜が咲き始めたという
ニュースが流れている。
桜の下に集い、
ひとときの笑顔をとりもどしている
彼らのそんな姿は、大阪に桜が
咲き始めた頃から
待ち焦がれていた光景だ。

今は、大阪で早春も過ぎた頃だが
東北はこれからだ。
季節を楽しむ余裕を持てというのは
酷だが、
せめて自然の采配を
これからの力こぶに
してほしいなあと思っている。