ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ローラー台人生 1

2019年05月31日 21時25分32秒 | 最近の出来事
最近の運動はというと、
やはり相変わらずジムで
固定自転車に乗ったり、
ローラー台を歩いたり
軽く走ったりしている。

目標は600キロカロリーの消費だ。
その内訳はというと、
まあ最近は自転車で
大体300キロカロリーくらい、
歩き及びランで同じく300くらいかなあ。

相撲を見ていたり、
面白い本を読んでいたりすると
自転車は400くらいを漕ぐ時もある。

ローラーを使うときは500mを走って
500m歩くというのを繰り返している。
でもねえ、たまにこれも少なくなる時がある。
そうこのローラー台が
ずっと故障続きだったのだ。

通常使えそうなローラー台は
全部で6台あったが、
これはもうつぎはぎだらけの
ひどい状態が続いていたのだ。

思うように使えないときは、
歩くだけにしか使えないという状態だ。
ちょっとこれらの機械の故障を
詳しく説明してみよう。

まず6台あるうちの左の端の機械が、
まったく制御不能な故障で、
スイッチを入れても動かない状態だった。
なのでこれはもういくら
いじっても修理は無理。
もう古くて交換部品もないから、
操作部に段ボールを置いて、
使用できなくしてある。

次の右横の奴は、
まあそこそこは動いているが、
スピードを上げてくると、
たまに下部のローラーが
クリっと動いたりするから
足がドキッとすることがある。
でもまあ、走れないわけでは
ないので使うことも多い。

さらにその右側の機械はというと、
これがスピードを7km毎時以上に上げると、
もうローラー台が像の足音のように
「バンバン」と音を立てる。
これはもうジムの中全体に
響くから他の利用者も
「ドヒャー」となる。
それでも音を気にしないで走る人が
いたりすると、そんな時は
ジムのトレーナーが機械の
変更を促したりするのだ。

そしてまた右へ4代目になると、
まずローラの傾斜を上昇させて、
山登り風な走りを優先する
というモードが故障中。
でも、ローラの動きそのものは
スムーズで、平地ランの人には
貴重な一台だったりする。
なのでdoironもこの機械が
開いているときは優先的に
使うようにはしている。

そして次の機械はというと、
これがねえ、傾斜も使えるし、
ランするときもまあそこそこ使えるのだが、
この機械も若干走るときの
振動音がやや大きく響くので、
歩き中心のときなんかは
使用状況に応じてdoironが
2番目に選ぶローラーがこれ、
ということになる。

そうそう二つ目の使えるといってた機械は、
ローラの長さが短いので
選択順としては3番目としていた。

そして6台あるうちの右の端の機械は、
もうローラーがダメ。
時速4km以上には上げられないから、
高齢者がリハビリ的に
歩くくらいにしか使えない。

こうしてどの機械もそれなりの
厄介な性格を持っているので、
選択順の1,2,3くらいが
まあかろうじて使える機械だった。

そんな走れる機械が開かないうちは
自転車をこぎ続けたりして
チャンスを待つのだ。

でもまあいつも来ている人たちなら、
何となく、走ったりする人のために
そんな機械を開けてくれていることが多い。
なあんとなく暗黙の了解
みたいなところがあったりする。

しかし、たまに普段あまり来ない人が
きたりすると、歩くだけなのに
走れる機械を使っていたりするから、
「ウヒャー」歩くだけならあっちを
使ってくれよとか思ったりしてしまう。

でも口には出さないですよ。

ああ、今日はついていないんだなあ
と思いつつ、自転車乗ったり、
ストレッチしたり、筋トレしたりする。

まあ近頃はそんなローラ台人生を
送っていたのだが、
ついについに新しいローラー台が、
やってきたのだ。

しかも5台も。
これはもう、なんか新しい人生の
喜びが与えられたみたいな感じなのだ。

続く

堺を歩いたさかい5

2019年05月30日 21時10分25秒 | ウォーキング

妙国寺から北の方にはお寺が続きます。
まあ言ってみれば自治環濠都市、
堺のヘリの部分にあたるのかな。

本受寺はキリスト教を信仰していた
「西宗真」のキリシタン灯篭
なんかがあります。



そしてここの成就寺は、
種子島で鉄砲の製法を学んできて、
それを広めたという町民の墓があるお寺。











まあそんな風に次々と
他にもいろんな寺が現れ、
そしてここが本願寺堺別院となります。



かつて堺県庁の庁舎に
なっていたところです。



次々と様々なお寺に、
すべて立ち寄り調べていくには
いやあなかなか集中力が必要です。
還暦も過ぎたdoironには
なかなかしっかりと見て回る
というのは無理ですねえ。

最後に与謝野晶子のゆかりのある
妙覚寺を見て、昔の堺の
街中にもっと入っていくことにしましょう。



チンチン電車の綾ノ町の駅を過ぎたら、
古い感じの街中に入っていきます。



あ、ここは紀州街道なんですねえ。



大坂城から和歌山城まで
大阪湾の沿岸を通り、
つながっている道ですねえ。
紀州の殿様の参勤交代で
行き来した道ということになります。

この辺りは鉄砲の製造なんかも
されていた地域ですねえ。
紀州の殿様も興味いっぱい
だったでしょうねえ。

そしてここが堺市立
町家歴史館山口家住宅ですねえ。



いやあ家も古くなると
入館料が取れるんですねえ。





そんな古い家が続いていきます。



そしてここが鉄砲鍛冶屋敷です。
ここかなあ、この前ブラタモリでも
出ていたところは。

昔からの鉄砲の部品などを
製造していたところです。
主屋は江戸時代前期に
建築された建物で、
当時作っていた部品なんかも
たくさん残っているようです。

作業をやめた当時は
大事な製品の木の部分を
へっついさんにくべたりしていた
とかテレビで言ってたなあ。

面白そうやけど、残念ながら
内部の公開はしていないようです。

この辺りはこんな感じで
古い家も残り、うだつも
上がっているような感じの
家も並んでいます。



そんな道をくねくね歩いていると、
この辺りまで来るとさすがに
観光の人たちが来ていますねえ。

意外にに若いアベックとかが
多かったなあ。
川の周りに道が公園のように
つながっているところに出てきました。



ああこの辺りは涼しそうですねえ。



もうすぐそこに七道の駅がありますので、
コンビニでご飯とビールでも
買って飲むかあと買い出しし、
再びここに戻ってきました。



今日の昼飯はこんな感じね。

木陰に座って歩いてきた堺の町々を
思い出しながら、
のんびりといただきました。

おっさん一人で麻婆豆腐で
ビールを飲んで、まあここもまた
おっさんの長い歴史を物語るような、
レトロな雰囲気を醸し出しています。



今日歩いたのはこんな経路です。



距離にして8キロくらいでしたねえ。
まあ大体環濠都市堺の
中心地を巡ったって感じですね。



まあdoironにとっては、
こういう日々が黄金の日々です。
幸せをかみしめて、今日も
松ノ浜まで帰っていきましょう。

ーーーーーーー

この度世界遺産に登録されるようになった
堺の町は、ご近所にあって
古墳から戦国時代と古い歴史のある街でした。
これからまた多くの人が
ここを訪れることになるでしょう。
しっかりとこれからも
歴史を積み上げてほしいな
って感じでした。

おっさんの幸せな黄金の日々も
さらに積み上げないとねえ。

堺市民の皆さん
選挙には行きましょうねと
書いておしまい


堺を歩いたさかい4

2019年05月29日 21時15分29秒 | ウォーキング

このザビエル公園のあたりから、
街道が東に向かって出ています。

北側が長尾街道で南側が竹内街道。
そして西高野街道も
この辺りが起点です。
海路を伝ってここまで来た人が、
中百舌鳥古墳、古市古墳を経て
奈良方面あるいは高野山へと
向かったわけですね。

そして前二つはdoironが
働いていた場所を通っていましたねえ。

実は大阪府が出している冊子に
記事を載せたことがあります。

ああ、あのころからクリエイターな
仕事をしていたんですねえ。
その先で通るのがdoironが
入社試験を受けた
食品酢の会社ですねえ。



あの時人生変わっていたら
どんなおっさんになってたでしょうねえ。

そうそう堺の町は昔は
傘いらずといわれていたそうです。
大きな商売人がひさしを出して
商売していたからだそうです。

そんな堺の伝統産業会館
というのがありました。



中をのぞいてみますと、
お土産なんかも売ってましたねえ。



そして伝統産業ということで
鉄砲も売っている・・・
わけではなくて、
包丁などの刃物が売られていました。

本当にいい包丁が欲しければ、
ここに来るのもいいですねえ。

あ、七道のイオンでも
堺の包丁店があったなあ。
そしてコースはその先の材木町の
交差点に差し掛かります。

ここにはこんな道標が





「左妙国寺」「右住よし大さか」
と刻まれています。

そしてこの交差点の向かい側には
「朱座之址」の石もあります。



江戸時代、朱及び朱墨などの
関連商品を扱う商人による
座が存在していました。

そこでは有毒な「朱」は、
顔料や薬品などに用いられてきました。
そんな種の発売を織田信長は
認めていましたが、
豊臣秀吉によって否定。
 1609年、朱は、
中国などからの輸入に頼っていたため、
国内市場は衰退したそうです。

しかし徳川家康は、
衰退した朱座の再建を認め、
小田助四郎・甚太夫に
堺と江戸に朱座を設置させたので
ここがそのあとなんだそうです。

それにしても、織田信長、豊臣秀吉、
徳川秀吉にこの石が関連している
なんてすごいですねえ。

ここからコースは東向いて
進んでいきます。

ずっと先に進んでいきますと、
そこには宝珠院といわれる寺があり、
そこに後に堺事件といわれる
外国人切り捨て事件の
土佐藩の11名の墓があります。



上陸したフランス人を
切りつけた彼らの行動に怒った公使が
彼らの斬刑を命じて、
20人の切腹が行われましたが、
あまりに悲惨だったために
11名の切腹で終わった
という事件があったそうです。

ここには大きな札が立っています。



もともとこの宝珠院は
その向かいにある妙国寺の
施設だったんですねえ。
その妙国寺は夜泣きのソテツ
という伝説で有名です。

時は戦国時代、遠い南の国から
運ばれてきたというそこのソテツは
当時大変珍しがられ、
天下統一を果たした織田信長も
欲しがっていました。

そしてついにその権力をもって
安土城へ移植させてしまったのですが、
そのソテツは毎夜毎夜
「堺へ帰ろう」とすすり泣くらしいのです。
激怒した信長が部下に命じて
ソテツを切らせたところ、
切り口より鮮血が流れ、
大蛇のごとく悶絶。

さすがの信長も気味悪がり、
ソテツを妙國寺に返し届けました。

痛めつけられたソテツは
今にも枯れそうになり、
日珖上人が読経したところ回復。
ここから「蘇鉄」という名が
ついたと言われています。



そんなソテツが境内にあるそうですが、
まあ入館料もいりますし、
ソテツは熊野古道でも
たくさん見かけたので、
パスしておきましょうかね。

まあ妙国寺は道標にもきざまれるほど、
昔の人には有名なお寺
だったのですねえ。

さあではここから少し
Uターンして、七道の駅の方に
向かっていきましょう。

続く


堺を歩いたさかい3

2019年05月28日 21時13分50秒 | ウォーキング

そんな紹鴎のところから、
大道筋をこえて西の方に
入っていきますと大きな建物があります。



これが、
「さかい利晶の杜」という建物です。



4年前にできた施設で、
千利休と与謝野晶子を紹介する建物で、
それを通じて堺の文化面を
アピールしています。
では入館料を払って
中に入っていきましょう。



まず一階は利休に関する展示が中心ですね。
これが、先程書いた利休の師匠である紹鴎。
う~ん、髪型に共感を感じますねえ。



55歳でなくなっていますので
doironより年下なんですよ。

墓は先ほどの南宗寺にあります。
ほかにも利休に関する展示もあります。
これが、これが大坂城内にある
山里二畳敷きという茶室。



これは、本物が再現されていました。



それから二階は与謝野晶子ですねえ。



与謝野晶子とは、こういう人ですねえ。



「君、死に給うことなかれ」の
フレーズが一番有名です。

64歳まで生きたようですねえ。
そしてなんと彼女の命日というのが、
5月29日ですなわち明日なのです。

偶然!

しかしこの晶子と鉄幹の夫婦は
すごい夫婦ですねえ。
晶子は12人の子どもを産むと同時に
鉄幹は恋多き人でした。

歌とは別に、壮絶な夫婦生活を
送っていたようです。

まあここでこの堺の二人の
概要はわかりましたねえ。
その杜を出ると西側に、
千利休の屋敷跡があります。



井戸が残ってて、こういう石の



ボードに彼の一生の出来事が
要約されていました。



最後は信長の怒りに触れて
70歳で自刃したそうです。

ではここから中環をこえて
大道筋を北に向かって歩いていきましょう。



ここは広い歩道になっていますねえ。
その歩道の端っこのところに
与謝野晶子の生家跡がありました。



明治初期にここで生まれて
育ったそうです。



そしてその先で大道筋は
大小路通と交わります。



この通りは堺の語源である
国境の街を象徴する道路で、
旧来の堺市街となる環濠内の
概ね中央を北西から南東方向に
貫いています。

なのでその交差点には、
こんな石碑が立っています。



「泉摂両国 堺南北両荘の界 大小路」

と書かれています。
昔はここが和泉国と摂津国の
境界だったんですねえ。

明治4年に摂泉国境が
大和川に変更されるまで
そうだったそうです。

この道をまっすぐ東の方に行くと
堺東駅で西に行くと堺駅になっています。

まあいわゆる旧環濠集落の
中心道ですねえ。

武家、商人、外国人、地元民、
様々な人が行きかった場所です。

doironもしみじみと
横切っていきましょう。



そして左手にザビエル公園が見えてきました。

正式名は戎公園ですねえ。
以前長尾街道を歩いた時は
この公園がスタート地点でしたねえ。

では公園の中をちょっと
覗いていきましょう。
平日ですが、結構人が多くて
子ども連れの家族が遊んでいますねえ。



そしてこれが、「堺鉄砲の碑」です。

種子島から渡ってきた鉄砲を
堺金属産業が増産し、
世の中を変えていったのですねえ。

堺火縄銃保存会が当時の歴史の
栄華をたたえて建設した碑だそうです。



恵比寿神社の神宮寺として
建てられたこのお寺も、
今はもうこの公園内に
ひっそりと形跡が
残されているという感じですね。

じゃ、なぜここがザビエル公園
といわれているかというと、

室町時代にこのあたりに
フランシスコ・ザビエルを
自宅に招いて布教を助けた
日比谷了慶の自宅があったから、
そんな活動に加わった
ザビエルの名前を付けている
公園なんだそうです。

先日のブラタモリでも
言ってましたねえ。
このザビエルが、
堺は日本の中でも黄金などが
たくさんある日本人の金持ちが
住んでいるところだと
言葉を残しています。
だからこそ堺は自治環濠都市として
堀などで街を厳しく
守っていたんですねえ。

続く


堺を歩いたさかい2

2019年05月27日 21時18分39秒 | ウォーキング

以前、紀州街道を歩いた時に、
堺での終点がこの御陵通に
出たところでしたねえ。
ああ、この変わった名前の
お店もまだありますねえ。



あんまり開いているのを
みたことないけどねえ。

これを歩いていくと、道端には
いろんな花がありましたよ。
このクサフジは淀川でたくさん眺めましたねえ。



やがて道は、大道筋との
交差点に出ます。



まだまだこのまままっすぐ
進んでいくと、あの世界遺産となる予定の
仁徳天皇陵(大仙陵)の
南側へと出ていきます。
あ、古墳の名前の書き方はこれでいいのかな。

今書いたように、
ここは仁徳天皇陵と宮内庁は
比定しているようだが、
諸説あり学術的には確定していないそうだ。
だから地元でも御陵と呼ばれており、
道路の名称の「御陵通」や
ここを通る阪堺線の駅も
「御陵前」と名付けられています。



その御陵前駅のところから、
少し東の方に入っていきましょう。
目指すは「南宗寺」です。



ここは戦国時代に堺を支配した
「三好長慶」が開き、
大坂夏の陣で焼失したが、
後に再建したお寺です。

千利休などの供養塔があったりしますし、
様々な宗教行事やイベントで
よく紹介されるお寺です。

堀に面して作られた臨江寺の横を通り、



歩いていくとありました。
ここが南宗寺の入り口です。



入り口の案内を見ますと、
境内にはお寺もいくつかあります。



ここは堺の豪商が母「徳泉」の
菩提を弔うために建てた禅寺
「徳泉庵」。



そしてここは開口神社の近くにあって、
大坂夏の陣で焼失したものを
再建しここに建てたもの。

それにしても、大坂夏の陣て
大阪城を攻め落としたあの戦で、
河内の方や泉南の方の戦いは
よく出てくるのですが、
堺のこの辺りの民家や
大きなお寺も消失するような
戦があったのですねえ。
こういう歴史がなかったら
こういう施設は
もっと残っていたんでしょうねえ。
発掘したら、この時代の土の層は
焼けて赤い色をしているそうです。

そしてここもそう。



千利休が檀家だった天慶院です。
ここにはお寺が集まってますねえ。



境内に足を入れたらまるで
時間が止まっているような感じですねえ。
さあではここを出て進んでいきましょう。
道を西に戻って、チンチン電車の
大道筋に出る前にクルミ餅の
お店を見ていきましょう。



ここですねえ。

ここのクルミ餅は氷と一緒に
食べたりしたなあ。
今もそうなんでしょうねえ。
今日は行列もできていなかったけど、
店の中には大勢の姿があるような感じでした。

何回か入って食べたこともあるけど、
今日はのぞき込むだけです。
あ、ここには少林寺がありますよ。



憲法を教えている・・・わけではなく、
もともとは堺の豪商「小林亮法」氏の寺で
コバヤシ寺ともいわれていました。

その後ここも焼失しましたが、
催行され、住職が修行で使っていた
竹を逆さに立て、これから目が出て
竹藪が出来たら御利益がある
といってたそうです。
実際に目が出て、できた竹藪が
今もそこに現存しているようです。
すごいですねえ。

でもねえ、そんな話を聞くと
よく思うのですが、
最近は食品の薬的な効き目とか
製造地を少し違えただけでも
罪になるのに、宗教施設は
過去のいきさつが、
「ほんまかあ」とかいうものばかり
でも罪にはならんのですねえ。

宗教的な自由というのが
絡んでいるんでしょうねえ。

あ、その先には与謝野晶子の
歌碑が立っていますねえ。



「をとうとは をかしおどけし 紅き頬に」

あああの「君死にたもうことなかれ」の
弟のことをうたった歌ですねえ。
彼女の歌碑はこの堺市内だけでも
30近くあるそうです。

この後もコース内で見つかるかなあ。

ここには武野紹鴎の
屋敷跡の石碑がありますよ。



あまり聞かないけど
堺にとっては重要な人ですねえ。

1500年ころの人で、
茶の湯であの千利休の師匠に
あたる人です。

ある時紹鴎はごみひとつない庭を、
与四郎、後の千利休に掃除させたところ、
この与四郎は庭の木をゆすって、
枯葉を庭に広げたことが
気に入られましたそうです。

続く


堺を歩いたさかい1

2019年05月26日 21時13分34秒 | ウォーキング

百舌鳥・古市古墳群が
世界文化遺産への登録を
ほぼ確実にしたという
ニュースが流れました。

百舌鳥エリア、古市エリアの
古墳が対象となるそうだ。

このブログでも6年前には
「古墳で興奮」第1と第2シリーズで
古墳を訪ねつつ歩いていますねえ。
あの時の資料では百舌鳥古墳は
全部で44基あり
そのうちの28基を歩いたんだよなあ。



今回世界遺産に登録される古墳は
百舌鳥では23基。
多分、なんどか世界遺産を訴える中で、
被葬者がわからないなどの
古墳を除き、今回この基数で
申請したんでしょう。

で、結局doironがどの古墳を歩いて、
どこが抜けているのか
資料を突き合せればわかるのだろうから、
そのうちに古墳に興奮第3部
などで歩いて明らかに
していこうとおもっている。

そして古市古墳群も3年前に
「南河内雨中歩行」シリーズで
数基訪ね歩いたのを書いている。

あの時の調べでは、
古市古墳群は全部で123基と
調べたのだが、まあここも見直しされて、
今回は26基が対象となっているのだ。

なのでここもまた
「南河内孤軍墳闘」と題して
特集をすることになるでしょう。

思わぬ予告になってしまいましたが、
このブログをまた
楽しみにしていてくださいね~。

前置きが長くなりましたが、
そんな世界遺産のニュースが
流れた3週間くらい前に
なんとdoironは堺の町を
歩いているのです。

湊~七道の間です。

この辺りは、昔の堺の中心地あたりを
グルリンと回ったので、
そのことを書いておきます。
堺の市長選が告示されたばかりの日に
ぴったりの記録ですねえ。

関係ないか

出かけたのは、もうすっかり桜も終わり、
ヒラドツツジが咲き始めるまでの
間くらいでしたね。
緑がしっかり萌え始めたころでした。

電車に乗って湊駅に



降り立ち歩き始めました。

駅前には湊駅前公園があり、



地図が設置されているので確認です。



そこにあるプランターには、
千利休と与謝野晶子が
描かれていますねえ。



この二人が、この辺りのおおきな
先人となっているようですねえ。

まずは東の方へと歩いていきましょう。
歩き始めると、向こうの方から女性が一人、
結構な勢いで走ってきます。

「サイン求められてもなあ」と思いつつ
「ああこれはキロ4分10秒くらいの
いきおいやなあ、フルマラソンやったら
3時間切れるで」と思うと、
doironの近くでその人のカバンから、
小さなバッグが落ちました。

「ああ、落ちたよ」と言ってあげると
「ああ~」といって拾っていきます。

すると今度は4分5秒くらいの
勢いで走り始めました。
どうも乗る電車の時間があるようですなあ。

すると、またその人のカバンから、
霧吹きのようなものが
ポロリと落ちて転がっていきます。
もうまるで新喜劇を見ているみたいです。

ああ、そっちは車の方やから
気を付けないとと思いつつ見ていると、
危機一髪で歩道で
拾い上げはりましたねえ。

すると、もう今度はキロ3分50秒
くらいの速さです。
するとまたまたですよ。
なんか化粧ポーチのようなものが
バシャっとおちて、リップやら
何やらがころころと転がり始めました。

ああ、なんかもう指摘するのも変な感じで、
じっと見届けてしまいました。
あちこちに転がったものを拾って
カバンに直し、かばんもきっちり占めて、
そのあとはもう走る速度も
キロ15分くらいまで落ちましたねえ。

ちょうどそのころ、
高架の上を電車が走り始めたところでした。

ああ、もしかしたらdoironは
千利休でも与謝野晶子でもなく
将来の堺のオリンピック選手を
見かけたのかもしれません。
写真撮っといたらよかったかも。

さあいきなりの出来事に驚きつつも、
気持ちを取り直して歩き始めましょう。

駅前にはこんなもつ鍋屋さん
なんかもあるんですねえ。



機会があれば行きたいですねえ。

そしてコースは御陵通の
ところに出ていきます。

続く


アウトレットに出かけたよ

2019年05月25日 21時55分49秒 | 最近の出来事

アウトレットという
スポーツ用品屋さんには
ときおり出かける。
よく行くのはやはりりんくうかな。
一番近いしね。

それで、ちょっと遠いところとなると
よく行くのは三田だ。
これら二つは大体慣れてきたので、
どこにどんな店があるか
というのもよくわかっている。

あれはどっちだったっけと
ウロウロすることもあまりない。

よく入るのは、アディダス、
ノースフェイスが多いかなあ。
でもここんところ、
滋賀県によく出かけたので、
先日はお出かけのかえりに
竜王のアウトレットに行ったのだ。



ここはねえ、北モールと南モールに
分かれているんだよねえ。
どこに何があるかというより、
初めてなのでうろうろと
歩きまわってみることにした。

今回はねえ、靴を買いたい
と思っていたんだ。
種類は街歩き用と普段履きの運動靴。

歩き始めて買った靴が、
ここにきて一気にかかとが
減ってきたのだ。

お気に入りのアディダスの
靴だったのになあ。

まあ人間と一緒で寄る年波には
勝てませんね。

いろいろと靴を見て
歩いたのですが、
まあ大体これにしよう
というのを決めましたね。

でもねえ、もう少し見たい
ブランドの靴もあるので
ちょっと購入を検討
というところでしょうか。

このアウトレットでは
食堂がいろいろあって面白いな。
doironが入ったのは
「もりもり寿司」。
金沢出身のすし屋ですねえ。



そういえば、doironが住んでいたころは
あの回る元禄寿司にいったなあ。
パチンコ屋さんの裏にある
小さなすし屋で、パチンコの勝ち負けで
友達とよくおごりあいをしたなあ。
大阪に帰ってきても
あの寿司屋のネタはいいなあと
ずっと思ってました。
もう40年位前の話です。

しかしここのもりもりずしも
なかなか良かったです。
イカのお寿司の
よせ盛りがうまかったなあ。



そしてやはりここのアウトレットの
特徴は外国人が少なかったことかなあ。
ある意味すいた感じがしていいです。

ちょっと遠いけど、
アウトレットで一日のんびり
というのもいいかもしれません。

そしてもう一つ、
最近は三重県にもよく行ってるので、
長島の三井アウトレットにも行きました。

ここには大体15年前くらいにいったかなあ。
走りやトライアスロンに
熱心だったのを思い出します。

ここへ行くには、西名阪から東名阪に入り、
四日市から伊勢湾岸道に入って
湾岸長島に下りるのが最短でしょうねえ。

ところが四日市で道を間違い、
東名阪の長島まで行ってしまいました。
30分くらいは遠回りに
なってしまったかなあ。

下道を走って遠くに
長島スパーランドの
ジェットコースター
(最近はこんな言い方しないかなあ)
が見えたら、その横がアウトレットだ。



広大な駐車場に車をとめて
向かっていきます。



ここもまあ超久しぶりなので
ウロウロと歩いていきます。



地図を手に入れ、あっちこっち。
doironは相変わらず靴を探しつつ
歩いていきますが、
なかなかねえ場所が
あまり特定されません。
靴屋さんを見つけてもねえ、
なかなか買う気にならず、
食事の時間となりました。

ここはねえ、フードコートの
ようになっているところで、
席が空いたら誘導してくれるという感じ。
これはなかなか良かったですね。

で、食べたのが「やばとん」のカツでした。



うまかったなあ。
ビールを飲みたかったけど、
車なので残念ですねえ。
うう~。

結局、買ったのはTシャツを
一枚と靴下セットだけやなあ。
ここは遠すぎてちょっと大変ですねえ。
スパーランドやなばなの里と合わせて
一泊なんかで行くには
ちょうどいいかもしれませんねえ。

アウトレットはほかにも、
垂水や鶴見なんかも行きましたが、
やはりりんくうが
一番近くでいいですねえ。

ほかに目的地がなければ、
遠方まで交通料払って、
アウトレットというのも
どうなんだかねえ。

それにまああまり購入欲も
なくなりましたから
アウトレットそのものに
興味もありませんねえ。

ああ言ってみればdoironの
人生そのものがもう
アウトレットなんやから、
そういうことなんでしょうよ。


西国三十三所 琵琶湖畔の長命寺2

2019年05月24日 21時08分18秒 | ウォーキング

ここが長命寺参拝者の
階段の登り口です。



本堂まで808段の階段が続くといいます。
一つ一つ焦らずに登っていきましょう。

この寺は第12代景行天皇に
仕えていた武内宿禰が
ここにある柳の木に
「寿命長遠所願成就」の文字を
記すとなんと300歳以上迄
生きたといわれています。



武内さんにはさん、熊野古道で
その神社を訪ねたことがありますね。



その後ここを訪れた聖徳太子は
この木に霊感を感じたので、
この木で観音像を刻み、
それを本尊としてこの寺を
長命寺と名付けたそうです。

本尊は秘仏だそうです。

最近では2009年に61年ぶりに
開けられたそうですがね。

平安時代の本尊ですからねえ、
見たかったですねえ。

では階段を上りはじめましょう。



傾斜は結構急です。
雨上がりなので滑らないように
気を付けて登っていきます。



ああ、こんな急な階段だったら



走っても心拍数が上がったでしょうねえ。

もし本当のタイムレースなら
手まで使って上がったかもしれません。

階段も曲がってはまた上まで
ずっと続いています。

途中整備の悪い所もあって、
ん?これは808段のひとつなのか
どうなのかわからんような
階段もありますが、
かなり上まで来ましたぞ。

おっここに、鳥居のようですが
お寺なので山門なんでしょうか、
ひとつの結界のような門がありますねえ。



ああ清い心で入っていきましょう。

ふうふう。

そして駐車場のところに来たら、
こんな亀の上に看板が立っていますよ。



西国三十三所の22番総持寺にも
こんな亀の石の看板がありましたねえ。

で、その背後には
「健康長寿の観音さん」
と書かれています。



まあこんな石段を登ってこれる人
でないと健康長寿には
恵まれないでしょうねえ。

その駐車場から最後の百段くらいを
上がると、本殿に上がっていきます。



すみません。

本殿の写真を撮り忘れたので、
ネットから頂戴しました。

まずはしっかりお参りしていきましょう。

ろうそく、線香に火をつけ、
納め札と賽銭を入れてお祈りします。
そして納経をしてもらいましょう。

納経帳には、大きく

「大悲殿」

と書かれてありました。



資料では「千手大悲殿」と書かれるはずだった
のですが、今はこんな感じです。

大悲殿とは聖観音や
千手観音や如意輪観音などの
観音菩薩が安置されている建物です。

これで西国三十三所
18番目のお寺ですねえ。
あとは15寺ですねえ。

あ、番外も入れたらもう少し増えますか。

本堂の横には三重塔もありますねえ。



現存のものは1597年に
建てられた重要文化財です。

そうして境内をグルリンと
お参りしたら、境内の展望台から
琵琶湖を眺めてみましょう。



この辺り正面に見えるのは
近江八幡あたりの湖面ですねえ。
実はこの辺りから右の方へと
湖面を回っていきますと
休暇村があります。

何回か宿泊しましたねえ。

最近ではドジ旅でも宿泊しましたねえ。
いやあなかなか景色のいい所でした。

帰りは駐車場から、車道を下っていきます。

くねくねと曲がりくねった道を、
シャガなんかを眺めながら
降りてゆきましょう。



まあ悪天候で竹生島の宝厳寺には
行けなかったけど、適度に
汗をかき頑張れたから
良しとしましょう。

あちこちの琵琶湖の景色を眺めながら、
夕方までにきっちりと
帰れた三十三所歩きでした。

ーーーーーーー

人々の思いが三十三所にはあふれています。
祈りの力、感謝の心
お参りにより
様々な人々の目に見えない祈りを
心いっぱいに浴びるのがとてもいいです。


西国三十三所 琵琶湖畔の長命寺1

2019年05月23日 21時26分39秒 | ウォーキング

余呉湖をのんびりと
歩いたのが気持ちよくて、
その雰囲気が忘れられず、
滋賀県方面に心を寄せてしまいました。

なので、もう次の日に
再び琵琶湖にある
西国三十三所を訪ねて
出かけていくことにしました。

ああ、こんなにのんきで
いいのかなあと思うほど
暇なおっさんです。

行こうと思ったのは
竹生寺にある宝厳寺です。
四か所くらいからこの島に渡る
フェリーが出ています。

実はあの余呉湖に行った時に
そのフェリー乗り場を
確認しておいたのです。



それは彦根、近江塩津、木之本ではなく、
長浜の港でした。



カウンターで時刻表とかを見ても
駐車場も広いし、出ている本数も
多いから、ここなら大丈夫でしょう。

もし土日だったら、
予約していないと乗れないくらい
こむそうですけどね。
doironが動くのは平日中心です。

高速道路の長浜で降り、
琵琶湖へと向かいます。
この日の天気はときおり
雨もぱらつく薄曇りです。

でもまあお寺参りですから
雨でもいいだろうと出かけたのです。
ここが長浜の駅ですね。



ここから北陸本線をこえて
豊公園へと向かいます。

この公園は昔盆梅展で
来たことがありますねえ。
そして琵琶湖南部から走り始めると、
この辺はぼつぼつ夕方になるくらいです。

あ、そうそう琵琶湖の
アイアンマントライアスロンでも
ラン終盤の最後の山場でしたねえ。

その公園の南部にある港に行き、
前日に確認しておいた駐車場に入ると、
ガードマンが走ってきます。

「ああ、とめる順番とか
場所があるのかなあ」
と思っていますと

「お客さん、今日はフェリーが欠航ですよ」
とのこと。

「え~そんなにひどいのかなあ」
びわ湖のアイアンマンなら
スイムもありそうな湖面なんやけどなあ。
と思いながら話を聞いていると、

「今日はどこも欠航ですよ」とのこと。

ウヒャー、それはあきませんねえ。

まあ僕は車でたらたらやってくるから
ましですが、遠方からバスツアーなんかで
来た人は最悪ですねえ。

でもまあ泳いで渡るわけにもいかないし、
あきらめることにしました。

そこで目的地をこの竹生島より
南部にある近江八幡の「長命寺」に
変更することにしました。

でもまずは昼食ですね。

長浜港近くの広い空き地の一角、
琵琶湖に面した公園で、
持参してきたお弁当を広げましょう。



スープはいつもと同じ
ナメコの味噌汁です。
あちこちで釣りをしている若者たちを
眺めながら、パクつきます。

それにしてもやはり琵琶湖は
あんな風に岸辺で釣りを
している人は多いですねえ。
ていうか平日の昼間なのに、
どうしてあんなに多いのですかねえ。
不思議に思ってしまいます。
さあ食べ終えたら、
波の少ない湖面に不満を感じつつ
移動ですねえ。

ここからだと車で一般の湖岸道路を
走っていきます。
ああ、この道は良く走ったり、
自転車に乗ったりしたところですねえ。
まあ天気も雨が止んできたようなので、
のんびりと琵琶湖の景色を
眺めながら行きましょう。

もうすっかりこの辺の地形のことは
わかっています。

途中長浜ドームの横を通ります。



あの琵琶湖アイアンマンの
ゴールだったところですねえ。
気持ちのいい道を走りながら
ああ、あの山の向こうが
長命寺やなあと進んでいきます。

山をグルリンと回って琵琶湖にそそぐ
川の橋を渡らずに右折していくと
長命寺下の駐車場に到着となります。



車でかなり上まで上がって
いけるようにはなっているのですが、
ここは長命寺です。
階段道を下から登って
健康を支えつついくことにしましょう。

昔、元気なころにこの長命寺の階段を
ゲハゲハ言いながら走ったことがありますねえ。

琵琶湖岸の静かなお寺を
しっとりとお参りしようと
思ってた参拝客には
とっても迷惑な参拝者だったでしょうねえ。

続く


よごイチウォーキング4

2019年05月22日 21時27分54秒 | ウォーキング

満開の桜と静かな湖を眺めながら、
戦国時代の歴史ある地を
眺めつつ歩いていきます。



あ、何か石がありますよ。
あ、句集ですね。



「秋晴に湖に自噴を想ひみる」。

山口誓子が書いた句です。
この辺りをあるいたのですねえ。
そうかあ、女の人が・・・
て思ったら間違いですよ。
この人は男の人です。
明治中頃のこの辺の人は、
こんな名前を付けていたんですねえ。
ほかにも水原秋桜子なんかも
そんな感じですねえ。

芭蕉もそうですけど、
絵や写真でなく言葉で
景色を残すのなんてすごいねえ。
まあそれだけこの湖の情景が
人々の心をかき回したのでしょう。
ほんとにとても静かで
気持ちにしっとりと答えてくれる景色です。



さあ、あと残りわずかです。
この辺りも大岩岳とか
近づいて昔の合戦時の名所
なんかが続き、案内板が立っています。



尾野呂が浜は、この余呉湖での
合戦に火ぶたが切られました。
こんな静かなところでねえ。

やがて、車をとめた観光館に
たどり着きましたよ。
一周しましたね。
あまりアップダウンの無い
静かな道でしたねえ。

ここでもマラソン大会が
あるそうなんですが、
気持ちいいコースなんでしょうねえ。

大会は13キロもあるから、
ここを二周回ったりするんでしょうねえ。
もし、フルマラソンだったら
これを6.5周ですかあ。
これはちょっとしんどそうですねえ。

さあ、では歩きはこれで終わりです・・・
てなわけではないですね。
あの天女の柳をもう一度
探さないといけません。

観光館でお土産市とかしていた人に
尋ねてみました。

「あの~湖を一周してきたのですが、
天女の衣掛柳が見つからなかったんですが、
どこですかねえ」
と聞いてみました。

すると、一瞬曇った顔をして
「そうなんですよ。あの柳はすこし前の
台風で折れてしまったんですよ」
と残念そうに話します。
「国道をずっと行くと、
北野神社の石碑の横に
大きな木の株があるはずです。
あれがそうなんです。」とのこと。



「うひゃあ、そうですかあ。
それは残念ですねえ」

「そうなんですよ。以前も一度倒れたときは
北野神社の木を立てたんですがねえ。
今年はどうするかまだ決まってないんです」
とのこと。

「わかりました。いいようになればいいですね。
この辺の観光名所ですもんね」
と言って、doironはその切り株を
見に出かけてみました。

先ほどの小さな石の橋を渡り、
田んぼの中の道を進んでいきますと、
あああそこかあ。
先ほど北野神社の石票を
写真撮影したところの横に、
大きな切り株がありました。



ネットでみたら、
こんな大きな木だったのに
すっかり切り取られています。

観光館の人は
「案内板も今は取り払ってあるんです」
とのことなので、全然わからなかったです。

このまま伸びてゆくのを待つのかなあ。
でもそれじゃあ時間がかかりすぎるものねえ。
なにかゆかりの地に大きな
柳でもあれば持ってきたりするんでしょうねえ。

何もかも天女の思い出に
彩られたこの地域の、
シンボルの木やもんねえ。

うまく再生してくれたらと思います。

さあ、これでこの余呉湖の旅は終わりです。

一周並びに衣掛柳の再捜索も含めて、
約7キロを歩きました。



なかなかいい旅でしたよ。
滋賀県は琵琶湖もいいし、
何となく広々した感じで好きですねえ。
この時期ですから桜を眺めつつ、
西国三十三か所の竹生島に
来るのもいいですねえ。

琵琶湖テラスも今年中には
行きたいなあとか考えつつ、
高速道路を走って帰宅した
doironだったのでした。

ヨゴイチ歩きの旅、
これにて終了です。

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余呉湖はびわ湖の陰に隠れて
あまり注目されることの無い湖。
でも雰囲気はとても良かったですね。
ここで生まれた天女の子孫もいるという
周りの村の人々の強い気持ちが
この良湖を支えているなあという感じでした。
歩けば自然いっぱいのこんな湖にも
人の心はじんわりと溶け込んでいるのですねえ。