ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

しだれ桜

2008年03月30日 22時24分50秒 | マラソン

昨日は天気も良かったので
先週に引き続き
山里に走りに行った。
そんなにスピードは出せないが
外を走るのは
気も紛れて長く走れるから
脂肪燃焼にはうってつけだ。
しかも山を走れば
筋トレにもなるしね。

近包の桃は来週やな。
桜も今週末。
けど、途中で見た見事な桜が

若樫のしだれ桜

知る人ぞ知る、有名な桜なんやろね。
それが証拠に
カメラマンが二組
三脚構えて撮影してたよ。
それに、夜桜用のライトアップ機器まで
設置されていた。
たしかに
夏の花火で
4~5の尺球が
破裂した後の火の粉のように
見事に花が
爆発してた。
前回通った時には
気づかなかったのになあ。
一気に咲いたんやろな。
こんな桜



見事というほかはない。
こんなに立派だと
さぞかし地元の人にとっての
誇りやろなあ。
ただの植物というだけでなく
これだけ見事だと
ほんとに生き物って感じやね。
ひとしきり、その桜を愛でたあと
リサイクル公園へ。
この時点で18キロくらいかなあ。

先週よりも黄水仙は少なく、
変わりに早咲きのチューリップが
気の早いやつ順に
ちらほら咲いていた。

雲雀がさえずり
ウグイスが鳴き
桜の咲き始めた山里を
今週も楽しみながら
走ってきましたあ。

トータルは27キロ


 


伝説の漫才2

2008年03月29日 00時17分17秒 | 仕事
昨年の送別会で
職場対抗のかくし芸大会があり
大賞をいただいた漫才。
参加者から
「お腹の皮がよじれるかと思った」
とか
「笑いすぎて気を失いそうになった」
とか
「ここ数十年で一番笑った」
というような評価をいただいていた。
その噂は
職場全体に広がり
参加してなかった
全然関係ない社員から
突然
「今度漫才聞かせてや」とか
言われたりした。
挙句には
老人センターに慰問に来てくれないかと
担当部長からオファーがあったりしたくらいだ。
さすがにそれはお断りしたが
わしらの漫才は
職場で伝説となっている。
そんなだから
今年も送別会が近づくにつれ
みんなの期待がいやがうえにも
高まってきていた。

よその職場の人から
「お金払ってでもええから
漫才だけでもみさせてもらえへんかな」
という依頼が幹事に相次いだらしい。
もちろん
そういうことはできない。
昨年に引き続き参加する人々は
「今年も笑わせてもらうで」と
わざわざ席に言いに来よる。
なかには
他では決して見ることのかなわない漫才を
味わえる喜びから
「doironさんと同じ部でよかった」
とまで言いよる奴もおったぜ。

当然、プレッシャーは日に日に強まり
ハードルがどんどん上がっていった。
もう、生半可な笑いじゃ
許してもらえそうにない状態だ。

今年に入ったくらいから
相方とネタを作り始めた。
たいていは、いっぱい飲みながら
大笑いしながら作ったよ。
出来上がった原稿は
自分で言うのもなんだが、
最高傑作といえるほどのできばえじゃった。
そうして原稿がほぼ出来上がったので、
今度はそれを覚える作業に入った。
相方は、電車の中で
原稿を読んでたら
笑いが止まらず
周りの乗客に
ドン引きされたそうだ。

もちろん、わしは車の中で
読書を中断し
原稿読みを続けたが
これも
周りの運転手は
気味悪かったやろなあ。
そりゃ
涙を流すくらい笑いながら
運転してる車があったら
わしだって
近づかんとこってなるわなあ。

最後に、休みの日に
一日かけてネタあわせをし、完成。
満を持して
送別会に臨んだのだった。

「懲戒覚悟の無礼講漫才」の
いよいよお披露目だ。

屏風の陰から
「どーもー」と言いながら
舞台に出て行くと
もうそれだけで大爆笑。
「待ってましたあ」の声が
あちこちからかかったよ。

今回のネタは
二人芝居のように
居酒屋で飲みながら
職場の人の
噂話をするという設定だ。


写真はそのときのもの。
今年の出来事を振り返るシーンで
子供の運動会で張り切りすぎて
アキレス腱を切ったDクンの話をしているときのものだ。

今回は特に二人で注文する
メニューに凝った。
例えば、
いつも文句ばっかり言ってるAさんの
名前を使ったAセットを注文するときは
「このAセットの焼肉は
タレが違うで~、
いつもピリピリ激辛のたれがついてる。
その名も『文句タレ』やあ~」
てな具合である。
もちろん、Aさんも
送別会に参加している。

そのほかにも
金曜日限定で
勝ち馬予想券がついてくる
Mセットでは
「これは大丈夫
食中毒のシーズンでも
ずぇ~たい、当たらん!」
ときたもんだ。

ほかにも
ここには書けないくらいの
ネタ満載で
今年も大爆笑の渦じゃったわい。

期待にそえてほっとしましたわい。

その送別会の翌日
人事異動があって
漫才の相方が
よその部に異動になってしまった。
とうとう、今回の漫才が
最後になってしまうのかと
思うと
一抹の寂しさが・・・。

相方の異動先は、
老人センターの慰問に来てほしい
と言ってた部長の配下。
う~ん、これが噂の
ヘッドハンティングかあ?

待てよ、
てことは
次回のわしの異動先も、そこ?
いや、その前に
クビになるかも

旬のもの

2008年03月24日 23時00分17秒 | 生活
今日は休養日。
本日代休の奥さんが
腕を奮って、昨日の野菜を中心に
春料理を作ってくれた。
まず最初は
あの「くもじ」



そして、珍しいわさび菜は
わしの好物である
ホルモン焼きに添えられていた。



巻いて食ったけど
わさびの味は
かなり抜けてたかな。

そしてこれは
わさび菜を使った
「わさび漬け」



これはわさびをかなり追加して
作ったと言ってただけあって
ツーンとおいしかった。

最後にこれは
奥さんの好物
若ごぼうの炒め物。



旬の時期に旬のものをいただく。
これ、やっぱりおいしくて
体にいいんやろな。

菜の花

2008年03月23日 20時11分30秒 | マラソン

今日は思い立って
光明池の温泉に車で行き
そこから、周辺を走り回った。
槇尾、松尾農道を走ってから、
光明池をぐるっと一周。
トータル25キロを走った。
早春の山里には
菜の花が満開だったなあ。
この花が咲くと一気に春めくねえ。

先日の新聞では、
kaisanの職場の前にも
今、いっぱい咲いているらしいやん。

雲雀の声を聞いたら
れんげ畑を連想するように、
菜の花のにおいを嗅ぐと、
昔、虫網を持って
モンシロ蝶を追いかけた
子どものときの思い出がよみがえるよ。
春の思い出は
不思議と子どもの頃の
記憶とつながっていることが多いな。

途中、和泉のリサイクル環境公園を通るので
ここで一服した。
ここは一面に季節の花が
植えられていて
今は、黄水仙が少し見頃を過ぎたくらい。
こんな感じ。



あと早咲きのラベンダーもうっすら花をつけていたな。



それから、それから
現地野菜の販売所も覗いてみた。
おいしそうな野菜が
いっぱい並んでいたな。

つぼみ菜の花

小松菜

白菜

ねぎ

ほうれん草

うまい菜

そして珍しいところでは

わさび菜

店の人が、どんな風に料理して
食べたらおいしいよと
いろいろ教えてくれたけど
まさか持って走るわけには
いかないので
帰りに、車で寄ることにした。

ランの後半に差し掛かった
光明池は、渇水状態。
湖面のふちまで降りて
魚釣りをしている人、
談笑している人、
散歩している人らがいっぱいいたなあ。
もちろん、走っている人も多くて
知り合いの人も何人か見かけたよ。

湖面を渡る風やウグイスの声も
非常に心地よかったな。

車に戻って、温泉にのんびりつかり
さっきの野菜を車で買いに戻った。
走ったら結構しんどい距離やったのに
車やったらイチコロやね。

買ったのはこの3種。



左から、ほうれん草、菜の花、わさび菜。
ほうれん草はいわずと知れたおひたしに。

菜の花は、漬物にして
「くもじ」としていただく。

え、なぜ「くもじ」なのかって?
教えてあげましょう。
この菜の花は「茎(くき)」も食すもので、
むかあし、むかあし
「くき」を食べる野菜のことを
「く文字」と隠語で呼んでいたらしい。
まあ、いわゆる
好きになる、「ほれる」ことを隠語を用いて
あいつはあの娘に「ほ」の字やで、
みたいな使い方なんですね。
多分、そんな感じだったと思いますよ。
よそでは言わないほうがええかな?

そして右端が「わさび菜」
あんまり聞いたことがないでしょう。
店の人も言ってたよ
「これは、この辺では
ある一軒のこだわりの農家さんしか
栽培してない」珍しい野菜らしい。
生の葉っぱをちょっとつまんで食べてみたら
確かにわさびの味がする。
「サンドイッチにいれたらおいしいで」という
店の人の言葉に
なるほど!と感心して購入。
しかし、
わしは、焼肉を巻いて食べてみたい気もするのう。

菜の花が咲き乱れる季節を
走り抜けた一日。
ほんま、もうすっかり春やねえ。
桜の季節もあとひと息ですな。


家庭サービス

2008年03月21日 23時00分35秒 | 最近の出来事

朝礼と残業のことについて
橋下知事が一席ぶったとき、
「私たちがどれだけサービス残業してると
思ってるんですか」と手を上げて言った職員に
府民の苦情が相次いでいるという。
へ~、大衆って弱い者の味方じゃなかったんですかね。
国会だけじゃなくて
民衆の心もねじれちまっているんかね。

ま、それはさておき
サービス残業はしょっちゅうな
私ですが、
世間に対して
「私がどれだけ家庭サービスしてると
思ってるんですか」と言ってみたいので、
春分の日は、いろいろ家庭サービスをした。
朝から、スーパーに買い物に行って
カートを押しながら
買い物のお手伝いをしたよ。
それから
久しぶりにお料理の手伝いもした。
その日は餃子を作ったよ。
あの中国冷凍餃子事件以来、
餃子を食ってなかったので、
手づくり餃子を作って、
餃子鍋にしようということになった。
スーパーでは、ひき肉、ニラとともに、
もちろん餃子の皮も買ってきた。
さすがに粉から皮を作るというところまでは、
手が回らんかったんでね。
スーパーから帰ってきて、
これらの食材を点検しているときに、
奥さんが

「うわ~懐かしい~」

と餃子の皮の入ったパッケージを見ながら言うのだ。
餃子の皮がなつかしいとはどういうことなのか
わけを聞くと、その皮、
奥さんが生まれた実家の
近くにあったお菓子やさんの製品なんだそうだ。
「昔は駄菓子を作っていたお菓子やさんが、
こんな食品にまで手を広げて今でもがんばっているんやあ」
と昔を懐かしんでいたんです。
あの餃子事件以来、
餃子の皮の需要がすごいらしいので、
そのお菓子屋さんもさぞや繁盛していることだろう。

もう何年も前から、
その実家の両親は引っ越していて、
今は和歌山に住んでいる。
なので、
大阪市内の奥さんの
産まれ故郷には身内は誰もいないとのこと。
そういえば、
奥さんが実家を出てからも、もう25年以上経つ。
今度ゆっくり、
実家のあったところを歩いてみようよと
誘ってあげよかな。

さて、さて餃子なのだが、
具は奥さんが作り、わしは包みを手伝った。
皮を手に取り、具を載せる。



そして皮の円周に沿って
くっつけるための水をつけるのだ。
そうして、まず半円形を作り
両脇を中に織り込む。
そうしてできたのが、これ。



この餃子を、僕がオススメの
ラーメンだしで
なべで煮込んで
餃子鍋の出来上がり。
どうです、家庭サービス
いっぱいしてるっしょ。
これで、半年は食いつなげれるかな。
え、そんなの家庭サービスっていえない?
普通の、旦那やて?
あなた、大衆の敵やね。

へへ、失礼こきました。


美山その後

2008年03月18日 22時58分00秒 | マラソン
美山マラソンのラスト41.5キロ地点、
つまり走り始めて1キロ行かないうちに、
車線の中央線に埋め込まれた反射板を
思いっきり蹴って足を傷めてしまった。
走っていてこんな怪我は初めてだ。
あんな小さな反射板につまずくなんて、
いかに脚が上がってないかやね。
そういや、
このごろ平らなとこでも時々つまずくし、
やたら物をよく手から落としたりもする。
何かの病気の兆候?
いやいや多分そういう
つまずきたいし、
モノを落としたい年頃なんだろう。

傷めた当日は、
S水クンにもらった冷却グッズで
冷やしつつ帰り、
帰ってから冷シップでくるんでいたが、
翌朝、目覚めたら
足の指が1.5倍に腫れ上がっていたので、

ビックリ!

階段を下りるのもひと苦労だったなあ。
慌てて職場の近くの医者に行き、
レントゲンを撮ってもらったが異常はなく、
まずはひと安心。
ま、いわゆる突き指のひどいやつやね。

それにしても、
自分のレントゲン写真を見るとき、
みなさん複雑な心境になったりしませんか。
「血は見るのも嫌いだ。でもわたしの中にたしかに流れている」
といったのは、
あの喜劇王チャップリンだけど、
レントゲン写真を見ると
自分の体も
普通の人間の性(さが)に貫かれているんやと思うと、
自分の知らない自分を見るような気分になるのはわしだけかな。

ま、それはさておき、
そこでは腫れがひくまで冷やして、
ひいたらこうしてテーピングすべしと
医者に教わり、
テープを処方してもらって帰ってきた。
そうして、今朝になって、
腫れもひいてきたのでテーピングを始めたが、
これがまた歩きにくい。
たかが指でも
固定するとギクシャクしてしまうものやね。
だもんで自己流のテーピングに換えて、
なるべく動かさないようにすることにした。

当分、ランは控えて
バイク&スイムかな。

しかし、美山のその後で
一番後遺症のひどかったのが

花粉

涙と鼻でクシャクシャの毎日ですわい

美山マラ

2008年03月16日 22時41分38秒 | マラソン

最近、かなり体が動くようになって
楽しみにしていた美山マラソン。
和歌山の日高川町で開催された
大会に参加してきた。



マタのしたから覗いているのはKaisan

そうそうこの写真で思い出した。
名古屋に行ったときに
電車の中で写した写真に
浮かび上がった
怪しげな人かげの写真も
ついでに掲載しておこう。


へへ。

それはさておき
今日の種目はフルマラソン。
目標は、4時間とし、
走り出して様子を見ながら
精一杯走ることにした。

足のケガ、
気持ちの弱さ、
身体の不調と
いろいろあったけど
ま、精一杯走れたから
よしとしよう。
S水クン、T川さん、テル美ちゃん
入賞オメデトー。
I原さんもしぶとく完走、よかったねえ。
そして
セイゾー君、運転ありがとう。
おかげで、自治会の総会に間に合いました。
来年も副会長になりましたがね。

ま、おおむね春の始まりに
ふさわしく、いろいろ
むくむくうごめきだした一日でしたな。

しっかし
全身に花粉を浴びて走った一日。
明日の花粉症の症状が心配じゃ


3月14日

2008年03月14日 22時00分21秒 | 最近の出来事
今日はわしの誕生日だ。
50歳になることを待ち望んでいた頃は、
なかなか歳もとらないものだと思っていたのに、
50歳を超えてからは2年の月日が、矢のように過ぎ去った。
以前の誕生日にこのブログで、
同じ3月14日生まれの有名人のことを書いたが、
今日はこの3月14日のことについて書こう。

自分の誕生日だからということももちろんあるけど、
僕はこの3月14日というのがかなり好きだ。
円周率であるパイも
3.14で僕の誕生日と同じだから、
親近感から円周率を小数点以下30桁まで覚え、
それは今も学級委員をした中学一年のときの、
クラスの男子の名前を出席番号順に淀みなく言えるのと同様に
すらすら口をついて出てくるのだ。
また、この日はいつからいわれたのか知らないが、
ホワイトデーと呼ばれ、
バレンタインデーが、
女性が好きな男性に気持ちを告げる日なのに対抗して、
男性が女性に気持ちを告げる日とされている。
多分、お菓子やさんの陰謀なんだろうが、
そんな風潮にかこつけて、
想いを成就した人も、
多分他の日よりは多いだろう。
また、この日は
奈良お水取りのクライマックスの日でもある。
二月堂の回廊を
火の付いた松明を持って
練行衆が駆け回るその姿は
多くのニュースでも取り上げられる。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉もあるが、
関西ではこのお水取りの行事が済むと
桜の咲く春がやってくるといわれている。
冬の季節に終わりを告げ、
希望に満ちた春が始まる日というわけだな。
他にもどんなことがあったのか
インターネットで、3月14日について調べてみた。
毎年いろんなことが起こっていたようだが、
僕の興味を引いた出来事が3つあった。
一つは、1965年の3月14日。
沖縄で見つかった野性の山猫が新種と認定され、
「イリオモテヤマネコ」と名づけられたとのこと。
哺乳類の新種発見は
世界的なニュースとなったとある。
もうひとつは、
大阪万博の開会日。
当時僕は14歳。
多感な年頃で、
好奇心一杯の若者に、
世界中の文化が集まる万博は、
おおきなおもちゃ箱のようなところだった。
延々と並んで入った
アメリカ館で見た月の石は、
SFの世界そのもので、
見るものすべてが信じがたく素晴らしかったものだ。
そして3つ目は、
1992年のこの日から、
新幹線を「のぞみ」が走り始めた。
今年のダイヤ改正は3月15日だが、
これまでほとんどのダイヤ改正が
3月14日だったように思うなあ。
新年度の4月1日からではなく、
3月半ばのこの頃に
ダイヤ改正をするのは多分、
旧国鉄時代、国の機関などは
たいてい人事異動が4月1日にあるため、
ダイヤ改正と異動が重なると
混乱するという理由からなんだろうと思っていたのだが、
違うかなあ。

いずれにしても、
太古からの生命のロマンを感じさせる
イリオモテヤマネコの発見、
わくわくドキドキの体験をした万博、
人々の想いを乗せて
今も走り続ける「のぞみ」のデビューは、
3月14日にふさわしい出来事だねえ。
何はともあれ今日から52歳。
素敵な一年が始まった日として、
自分史に残せるといいな。

夜の校長室

2008年03月13日 23時50分49秒 | weblog

先日、昔懐かしい友達に遭遇した。
昔一緒にPTAの役員をしていた人だ。

うちんとこのちびが小学生のとき
各家庭での
投票で決まる「指名委員」というのに
選ばれたことがある。
どういう役割かというと
PTAの三役を
選ばれた指名委員が
指名しないといけないのだ。
もし、指名できないと
その指名委員の中から
PTA会長などを
選出しないといけないという仕組みに
なっている。
選ばれたわしらは
いろんなところを頼みにまわり
やっとこさ、Aさんが会長をひきうけてくれた。
会長が決まると
副会長や会計などは
スムーズに決まったな。
その後、わしら指名委員は
各部門の実行委員長で
残らなければならず
わしは、「保健体育実行委員長」をつとめ
運動会の司会や
ドッジボール大会の
ルール説明会などを
全校生徒、父兄の前でやらされた。
それはそれで
人前で話すことの
度胸がついてよかったなあと
今でも思ってる。

やがて、ちびも中学生になる。
そこでも
PTA役員選定の仕組みは
小学校と同様で
指名委員が選挙で選ばれるのだが
今度は、小学校でわしらが頼んで
会長をしていただいたAさんが
指名委員に選ばれた。
当然彼は僕のところにやってきた。
指名委員が大挙して我が家にやってきて
その先頭にAさんの姿を見たときは
愕然としたね。
これは男として、人間として
引き受けざるを得ない。
訪れた指名委員達が
口火を切る前に
こう言ってやった。
「わかりました、何も言わなくても
わかってる。なんでも引き受けます」と。
幸い、わしのところにくる前に
会長は決まっていたので
頼まれたのは副会長だった。
ほっとしたのもつかの間、
PTA三役の仕事というのは
意外に多かった。
実行委員長の時には
気づかなかったが、
研修やら何やらで
仕事を休んだことも何日かあったし、
イベントごとに
副会長の最初の挨拶
会長の締めの言葉も
必ずあった。
それに、毎月一回
夜間に校長室に集まって
いろいろと
話し合いをするのも
かなり面倒だった。
そうして一年が過ぎ、
いよいよお役ごめん間近となったころ
PTA新聞に
原稿を書いてくれといわれた。
最後のお勤めやなと仕方なく
副会長に着任したときの気持ちや
毎月夜間に校長室に集まって
議論した思い出を綴って
最後の会議でその原稿を提出をしたとき、
「doironさんの寄稿文のタイトルはどうしますか」
と聞かれたので、
少し考えた。
「一年間を振り返って」
なんかはありきたりで面白くないし
とっさに思いついたタイトルを告げた。
それが、今日のタイトルの

「夜の校長室」

このタイトルを告げたら
「なんかやらしいなあ」とか
「絶対変や」とかみんなに言われたが
それくらいは
一年間頑張ったんだから
わがままを聞いてもらおうと
押し通した。
果たして、その年の
PTA新聞では
そのタイトルが
大きく紙面を飾った。

経過が長くなったが、
先日会った友達も
そのことを覚えており
大いに話が盛り上がった。
そして、お互いの
近況を報告しあったときに
わしが、今の仕事をしていることを
話したら
「そら、天職や」とえらい受けたもんだ。
その友達、
今は、大きなマンションの管理の仕事を
しているという。
そういえば、PTAのときも
施設関係の役員してたから
「お互いさんやねえ」と笑いあった。

そのときのPTA新聞を
友達と別れて家に帰ってから探したけど
残っていなかったのが
残念だったなあ。
今なら、マックを使って
クオーク、イラストレーター、フォトショップを
駆使して
もっと面白いPTA新聞を作れたやろなあ
などと思った今日この頃なのでした。

チャンチャン



名古屋に行ってきた

2008年03月11日 00時30分02秒 | weblog

名古屋国際女子マラソン。
ドラマは、残り一枚の
オリンピック切符をかけた
戦いだけではなかった。
その後方でも
様々なドラマが繰り広げられる。
むしろマラソンの
主役は彼女たちなのかもしれない。
走ることだけに専念できるわけではなく
いろいろなものを背負い、
それでも獲物を追うように
夢を追って
前に向かって行こうとしている
この群像を見よ!


一様に前を向いて走る
彼女たちの視線の先に見えるものは・・・。

「あんなふうに、
最後尾車に追われたレースは初めてや」と言ってたたま。
残念やったけど
いい経験やと思いましょ。
今回名古屋に行けなかったけど
たまの次の素晴らしいゴールを待ってる
両親のためにも
この経験をきっちり活かして
がんばれよ。



25キロ過ぎのたまです。

そしてセイゾー君、
いろいろ
お疲れさんでした。
今回は、いろんな味を
経験させていただいたなあ。

生まれて初めてのひつまぶしも
いただいたし


山ちゃんのぴりから手羽先、


やBとんのわらじ味噌カツも、
うみゃかったでよ~。

ありがとうごぜえやした。

しかしどれだけカロリー貯めたやろか。
頑張って放出せねばなあ。