ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

2016大晦日

2016年12月31日 20時16分08秒 | 生活

ああ、もう2016年も
今日で終わりです。

今年は昨年の病明けの1年でしたが、
熱も出さず、お腹も壊さず、
まったく病魔のなかった一年でした。

しいて言えば太ったくらい、
髪の毛が少なくなったくらい、
道標で足を打って
ちょろっとケガしたくらいでしたかね。

ブログもおかげさんで
毎日上げることもできました。
だいたい文字数で行くと、
一回原稿用紙3枚半くらいにして
書いてますから、
原稿用紙1200枚くらいは
描いているんですね。

よくもこれだけしょうもないことを
書き連ねていることですな。

あ、そうそう年末の高校駅伝の
予想は男子的中でしたねえ。

女子は、西脇、神村、薫英の
順番を予想してたけど、
うれしいことに地元大阪がやってくれましたね。
ムセンビちゃんの走りがすごかったです。

新年は実業団から観戦です。
トヨタの頑張りが光るでしょう。
ただコニカミノルタもあの山の神が
入ってどれだけ上がるか
というのも楽しみですねえ。

そしてそのあとは箱根駅伝。
これはもう青学が強い。
そこへ早稲田が食い込むことが
doironは予想しています。

とにかくその辺の観戦から
一年の遊びが始まります。

そうそう、今年は四国詣でを始めたので、
そのブログや絵描きも
大変だったけど楽しかったです。
ここまでで43枚描きましたね。
いや、気に入らなくて
書き直したのも入れたら
50枚くらい書いたかな。
絵に関しては大変勉強になった年でした。

四国を結願したら
我が家で焼肉パーティをするので
その時に絵の展示もさせてもらおうかなと
思ったりしています。

昨日は、いつも通りに
年末のうどんも打ちました。



スーパーの袋を活用して、こねこね。



足でも踏みつけました。





そうして出来上がったものを、



丁寧に切り分けていきます。



けどねえ、スーパーの袋が弱くなったのか、
途中で袋が破れて大変でしたよ。
それに水回りも例年なんか安定しないのは、
気候や湿度なんかに
大きく影響されるのかもしれませんな。

ちょっと、しめっぽくなりすぎちゃいましたが、
まあ何とか出来上がって
調理したのがこれ。



まあまあな味でした。

やれやれ。
うどんは友達にも分けてあげました。
冷凍しといて、もうお腹すいて
なんでも食べれる~
というようなひもじい時に食べてくださいね。
きっとおいしくいただけるでしょう。へへ。

そして昨夜はそのうどん打ちを
済ませてから夜警をしました。

今年は世話人会長も後輩に回したので、
気持ちはたいへんらくちんの集まりですね。

一緒に集まる村の連中とは
今年も麻雀、競馬の
ギャンブル三昧の日々も過ごしました。

まあおかげで初心者ラッキーで
競馬は結構勝たせていただきましたな。

そんな友達連中との夜警ですから、
もう公民館は大騒ぎ。

いやあ、我が村もかえって
治安が悪くなっていたかもしれません。

とまあ年末もいろいろと
楽しく日々を過ごしました。

でもまあ今年は還暦で、
同窓会でも過去の友達と山のように再開したし、
熊野古道も結願し、淀川も完歩完了。
それからミセスと旅行にも行きましたので、
まあ、いい年でしたね。

来年もまたしっかり遊びたいし、
絵や趣味をさらに進めていきたいですね。

現役の皆さんには申し訳ございませんが、
高齢者生活を満喫していきましょう。

え~、そしてまたなにか遊びの機会があれば
こちらも是非お誘いくださいね。

何かとバタバタと書いてしまいましたが、
皆さんとともによいお正月を
お迎えできたらいいですね。

そして来年がさらにいい年であることも願い、
今年のブログも終了です。
よいお年を!


四国巡礼四十六番浄瑠璃寺

2016年12月30日 19時34分01秒 | ウォーキング

さていよいよ今回最後のお寺
46番浄瑠璃寺にすぐに到着です。



ん?でも待てよ
「浄瑠璃寺」は京都にもあるよねえ。

そうなんですよ。
doironがいいなあと思うお寺のひとつです。
9体像が並ぶあのお寺ですよねえ。
あのお寺に行ったことは
ずっと記憶に残っています。

それにしても
今回は西方浄土の49番「浄土寺」、
東方浄瑠璃の46番「浄瑠璃寺」を
めぐる仏界めぐりの詣で旅でしたねえ。

道路から階段をのぼっていきますと、
結構深い森のような
寺内に入っていきます。



こんな亀とカエルのいる
水場の横で手を洗い、

こんな施設を見ながら



本堂へとお参りしていきます。



ここの本尊は「薬師如来」です。

八十八カ所の霊場の中で
一番多い本尊です。
二十三カ寺が本尊としています。

真言はかなり聞きなれた
「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
と唱えますねえ。

それにしてもここの本堂の構造は
複雑ですねえ。



最初はこれを絵に描こうか
と思ったのですが、
ちょっと入り組んでて
描きにくそうなのでやめました。

せっかく今の時期に来たので、
ここのお寺で有名なビャクシンと
本堂の屋根と紅葉を描いて
おくことにしました。

これ。



結構絵に手間がかかりましたねえ。
ビャクシンの幹を描くのに
全精力を使い果たしてしまいました。
幹のねじねじをうまく書けたかな。

そして太子堂にもお参りして、
今回のお参りはこれですべて完了です。



一日目4寺、二日目6寺の
今回は合計10寺です。

お寺そのものはさほど体力的なところも、
大変なことはないのですが、
移動のためにじっとバスに
乗っているのが大変です。

じっとしている時間が長くなると、
二日目の日なんかは
膝がだるくなってきます。

エコノミー症候群のようなものですな。

時折、足をプルプルさせつつ、
乗っている二人なのでした。

さて、では最後の昼食の時間です。
この日は、こういうショップで
昼食です。



タイ飯なんかが中心の
食事でしたが、食べきれないほどありました。
ビール飲んだからかなあ。
まあ、お参りも終わりですから
リラックスしておきましょう。
バスのトイレだけが心配ですけどね。

食後は、お土産なんかものぞきます。

う~ん、ここは
四万十ノリなんかがいいですねえ。
友達に買って帰ってあげましょう。

とまあそうして手ごろなノリをお土産に買って、
トイレをしっかり済ませて
帰りのバスに乗り込みます。

ラジオを聴きながら
半分眠ったような起きてるような
夢うつつの気分で四国を縦断していきます。
まあ、これがもう6時間以上かかるという
長距離です。
リラックスリラックスで
揺られていくのがいいようです。

吉野川のSAでトイレ休憩をした後は



淡路島のSAでも休憩。
ここでもお土産屋さんにもよりましたが
まあ、あまりそんなに買うものはありません。
家で自分で飲む玉ねぎスープ
カレー味を購入しておきました。

季節はもう冬で、四国の帰りには
淡路島ももうすっかり暗くなっています。
その後は渋滞でどの辺を走っているのかも
ほとんど気にすることなく
ようやくバスは無事に天王寺に到着です。

いやあ、大変つかれました。
移動だけでも結構体力いりますな。

さあこれでようやく二日間終わりです。
でも絵を描いたりしながら
帰ってからでも
十分時間を使って遊べますな。
それではたまに歩きに行ったり
忘年会に行ったりもしながら
年末に向かっていきましょう。

次回もまた四国の西の橋の方へと
向かいます。
宇和島方面ですね。

遠くて、一泊二日で4寺しか
廻れないようですが
これでようやく
この八十八カ所の半分に達します。
結願を楽しみに、
頑張っていきましょう。

今回は遅くなったしエイもなく無事に
帰宅した二人なのでした。

6回目四国お遍路、おしまい。

ーーーーーーーー

さあ、ではこれから年末の夜警に
行ってきます。
あと一日がんばって過ごし、
よい年を迎えましょうねえ。


四国巡礼四十七番八坂寺

2016年12月29日 20時53分52秒 | ウォーキング

金剛杖のことでもう一つ、
注意しないといけないことがあります。
それは遍路時に橋の上を歩くときには
杖をついてはいけないんだ
というルールです。

橋の下で休んでいる弘法大師が
驚くからといいますが、
まあ行ってみれば、
橋は大事にしてねという
地元の人々の願いもあるのでしょう。

そうそう、それとお遍路時の忘れ物で、
この杖というのが多いそうですので、
遍路時には気を付けましょうね。

doironも山用に持ってる杖に
「同行二人」とどっかに
それとなく刻んでおこうかなあ。

この寺の中には、
「杖の淵」ではないですが、
ちょっと大きな池があります。



ここにいたのが、座って
打ち出の小づちを持った
地蔵さんがいました。

祈っておきましょう。

「年末ジャンボが当たりますように~」

本堂、太子堂、地蔵さんにまで
しっかりお祈りをして、
さあ、次の47番八坂寺に向かいましょう。

じゃ、運ちゃん頼むよ。

バスの山の方へ向かって
走り始めます。

途中、暴れ川だった重信川を
越えていきます。



この河川を改修した加藤嘉明の
家臣である足立重信という人の
名にちなんだ河川です。

かなり立派な川ですねえ。

遠くに見えているのは石鎚山の
系列の山々でしょうねえ。

で、30分もかからず次に到着しました。

ここは、役行者が開基し、
伊予の国司が築いたお寺です。

この国司が山を削り、
8本の坂道をこしらえた
というところから、
この名前になっています。

バスが付いたのは、
こういう施設の駐車場です。



「衛門三郎」の名前があったり、
こういう石の像があるのは、



じつはこの辺りが彼の生まれ故郷で、
近くに文殊院徳盛寺があり、
そこが三郎の生家後である
と言われています。

また近くには彼がなくした
といわれている8人の子どもの墓
「八塚」があるとも言われています。

ああ、そういうことからここに
8本の道を作ったのかなあ。

駐車場のあるこういう施設の
裏庭を抜けて行きます。

おお~、ここにはこんな
ワレモコウが植えられていたり、



立派な狸が置かれていたりと



気合を入れてはりますねえ。

かえりに時間があったら
寄っていきましょう。

途中こんな立派な木を眺めながら



軽く坂道をのぼっていきます。

あ、そうそう、この時期四国を
走っていて一番目についた
庭の植木がこれでした。



「皇帝ダリア」ですね。

昨年我が家の庭にも咲きました。
今年もその枝から増やしましたが、
花がまだ咲きません。
最近ようやくつぼみが
膨らみ始めたので
間もなく咲くでしょう。

この木のことは
皆さんあまり知りませんでしたねえ。
庭の植木としては歴史が
浅いのかもしれませんね。

「うわー」とか言いながら
写真を撮ってはりました。

そうですね、
ここ数年で一気に増えた木ですね。

その道の突き当りに
お寺があります。

阿弥陀如来のおられる
本堂にお参りして、



太子堂の方に回ろうとすると、
ちょっと変わったお堂がありました。



これです。

閻魔堂です。
左の「地獄の途」から入って
右の「極楽の途」から出てくる
という仕組みです。

お堂の中には地獄の絵図や
極楽浄土の絵図が書かれてあります。
これはまあここらしい施設ですので、
これを絵に描いておきましょう。



もちろん、doironも
一回通過しておきました。

それにしても、この閻魔堂は
色使いが派手ですねえ。
細かく色に気を遣ったら
全体にちょっとけばけばした感じに
なってしまいました。
いやあ、絵はほんとに難しいなあ。

ああ、しかしお堂の周りに地獄から
天国への道があるといいます。

doironも
かつて一度死んだときに
危うくこういう世界を
通過するとこだったんですねえ。
危うく残った「今」が極楽浄土か?
というと、なかなかそうも
いかないようです。

そのあと、太子堂にも回って、



しっかりと読経もしておきました。
バスへの帰り道、寄ろうと思っていた
施設でお茶を接待され、
土産物を除いてみたら、
なんと記帳途中の納経帳なんかも
売ってました。

ちょと変なの。

さあ、それでは今回最後の
46番浄瑠璃寺へと向かいましょう。

続く


四国巡礼四十八番西林寺

2016年12月28日 21時36分30秒 | ウォーキング

今回のお遍路の天気は、
雨は大丈夫でしたが、
時折強い風の吹く日でした。



まあ、雨も困りますけど、
この風もなかなか手ごわいんですよねえ。

ウインドブレーカーとか
着ていったらいいやんと言われますが、
そういうことではなく
実はお参りの時に、
ろうそくや線香に火をともすのに
結構手間がかかるんですよねえ。

ライターがなかなかつかなくてね。

お寺の片隅で体を小さくかがめて
火をつける作業をしています。

100均に行けば、
そういうときでも火がつけやすい
という入れ物のようなものを
売っているのですが、
まあこれ以上お遍路時の荷物を
増やしたくないというのも
あるので導入はしていません。

こんな時に狭いろうそく場の扉の前で
必死に火をつけようとする
おばさんたちも多く、
順番待ちですごい時間がかかったりするんです。

気の利く先達さんはそんなときに、
そういう周りをあまり考えないお遍路さんに
いろんな注意をしてくれるのですが、
そうでない先達さんもおられるので
なかなかうまくいきません。

え?doironが直接注意すればええやんって?

いやあ大阪のおばちゃんに
遍路素人の私が
そんな恐れ多いことはできませんなあ。

ここの山門や堂宇は道よりも
低い位置にあります。
山門もこうして下に下がってくぐっていきます。



そんなことから罪ある人は
閻魔地獄に落ちていくとか
あるいはこの寺を現生と来生の
関所寺といったりされているようですね。

山門のところでほっこりしゃがみこんでいる
猫に見守られて入っていきましょう。



この48番西林寺に行った時も、
そんな風の強い時でした。
お寺の周りには大きな木が
植えられています。

そんな木からたくさんの葉っぱが
風に乗って飛んできますので、
ここではそんな姿を
絵にしてみることにしました。

これ。



う~ん、昔は(といっても今年ですが)
こんな木の描き方には大変苦労しましたが、
近頃はかなり慣れてきたようです。

クスノキ、松、竹、ビャクシンなどは、
それとなく描けそうな気になってきました。

あ、そうそう、ここではお堂の近くに
紅葉する木がありましたので、
それをひとつ描いてみましたが、
ちょっと難しかったですねえ。

またネットでいろんなアドバイスを
探しながら、別紙で
練習しないといけませんねえ。

この寺は今の場所ではないところに
行基が開基したお寺で、
そのご弘法大師が巡錫した時に
今の位置に寺を移し
伽藍を再興したそうです。

この公園のふちに

「杖の淵公園」

というところがあります。
そこが弘法大師が地元民のために
杖を突いて水を涌き起こして
湖を作った所とされています。

行ってみれば「弘法水」の揺蕩う池ですね。

弘法大師のこういう行動は、
これまでも各地で見てきました。

熊野古道にも杖で作ったという
井戸がいっぱいありましたし、
奈良の橿原神宮や
京都の石清水八幡宮の側にも
ありましたねえ。

こうして探したらきっともう
すごい数になるんでしょう。

お遍路している人の中には、
杖を持っている人もいますよねえ。
昔の難所越えには欠かせなかったようです。

ではこういう難所も少なくなった
今ではいらないのかというと、
実はいまはこの杖が弘法さんの化身で、
これを持って歩くことが
「同行二人」なんだというそうです。

そしてもう一つ意味があって、
昔は遍路をしている人が
道で亡くなったときに、
服の中に「六文銭」が縫い込んで会って、
これで葬儀をしてくれ
という意味だったのですが、
じつはこの杖もこれを墓にして
立ててくれという意味があるそうなんです。

杖の先には
「空・風・火・水・地」の
5文字が刻まれているそうですので、
そのまま「五輪の塔」の墓を表すんだそうです。

続く


四国巡礼四十九番浄土寺

2016年12月27日 21時19分55秒 | ウォーキング

49番は「浄土寺」といいます。

う~ん、なかなか厳かな
いい名前ですねえ。

ここは空也上人が平安時代に
3年間滞在し修行をしたというお寺です。

近くには、空也谷という名前の
修行谷もあるそうです。

え~っと、空也上人て人は知っていますか。

あまり知りませんよねえ。
doironもこの人が実在していたころには
生きていなかったので知りません。

平安時代の話です。

でも実はこの人の像が
まあまあ有名なのです。

国の文化財にもなっているこの人の像は
とっても特徴的で、
首から下に鐘をぶら下げて、
右手にそれをたたくこん棒を持ち、
左手には鹿の角のついた杖を持ち
わらじで立っています。

そして何よりもの特徴は、
この空也の口から
針金にくっついた6体の阿弥陀さんが
はみ出すように出てきているのです。

ネットに出てたのがこういう画像です。



6体の阿弥陀さんは「南無阿弥陀仏」の
6文字を表すそうで、
そのお経を説くことを
熱心に唱えていたそうです。

吐いたお経が仏の姿になっている
という像ですね。

重要文化財となっているその空也の像は、
京都の六波羅蜜寺、京都の月輪寺、
近江八幡の荘厳寺、
とここの浄土寺の4体があります。

特にこの浄土寺の像は一番有名な
六波羅蜜寺の像と酷似しており
本堂の左手の方に安置されています。

ところがねえ、バカでしたねえ。

事前に調べてここの本堂に
それがあることは調べていたのにねえ。
その時は、うかつにも
それを見忘れてしまいました。
バスに乗ったときにハッと気づいたけど
後の祭りでしたね。

自分の車とかで移動してたら、
絶対再度もどったのになあ。

団体行動ですからしかたないですね。

京都の六波羅蜜寺は
西国三十三カ所のお寺のひとつなので、
今度ここに行くときは
ぜひともお会いしておきたいものである。

この空也は各地で井戸や池、道路や橋を作り、
「市聖(いちのひじり)」ともいわれて
念仏講を始めています。

50番の繁多寺の一遍は
この空也を支持して活動しておりました。

そのとき、彼はちなみに
「捨聖(すてひじり)」と
呼ばれていたそうです。

とまあ、そんな風にこのお寺で
修業をしたという空也さんに
思いを馳せてしまいました。

もちろんここでもしっかり
お参りいたしましょう。



本殿前でお経をあげてお参りし、
横に移動して大師堂に向かっていくと、
そのお堂の間には弘法大師の
石像が立っています。



まあ、四国のお寺をまわっていますと
たいていのお寺にこの人の石像がありますな。

そしてどこのお寺もそうなんですが、
この人の石像の顔はとても丸い。

これはきっとそんな顔していたことが、
どこかの文書に出ているのでしょうねえ。

実は、doironが住んでいる町にも、
俗に「太子堂」と言われるお寺があります。

doironは町会の会計をしているから
よく知っているのですが、
毎年保険に入って大事にされています。

というのもこのお寺、昔は
祭りの夜にいったん燃えたのです。

あの時は焦りましたね。

だんじりを一方通行逆光で
村まで引っ張っていった
という記憶があります。

で、屋根まで落ちる大火事だったのですが、
居並ぶ仏像たちは一体も燃えずに
残っていたという事件がありました。

みんなお大師さんのお力や
というてはりましたね。

そのお寺の「お大師さん」もまた
丸い顔をしています。

あったかいお姿で、
我が村の人たちに愛されているようです。



そのあと大師堂の前でも
しっかりとお経をあげておきました。

結局この寺の絵は、
寺内にある仏足跡の絵にしておきました。



はい、では次の48番「西林寺」の方へと
向かっていきましょう。

続く


四国巡礼五十番繁多寺

2016年12月26日 21時31分15秒 | ウォーキング

この石出寺のなかには、
大きな丸い石がいくつか置いてあります。



触れば功徳が与えられる、
例えばここは恋愛成就のようにねえ。

またお寺に続く参道には
お店が並んでいる。

遍路にかかる様々な出来事に
彩られたこのお寺だから、
結構人気度も高いようである。

ここのお寺の本尊は「薬師如来」。



しっかりお参りしていきましょう。



では次のお寺50番の
「繁多寺」を目指しましょう。

しかしそれにしても、
こういうツアーの大型バスは大変ですねえ。
とくにお寺周辺の地域の中では
非常に狭い道を駆け抜けていくこともあります。

窓から外を見ていると、
もうバスが生垣の木と
ぶつかり合うほどの時もあるんです。

また一方であんな狭い田んぼの中の
一本道なんかもスイスイと進んでいくのは
感動物でもあるわけです。

昔はねえ、首Dさんとチャリンコで
四国回ろうといってたけど、
どうも香川と愛媛の県境あたりだと、
今の体力だったら無理だったかなあ。

まあ、でも今回廻っている寺々ぐらいだったら、
行けたかもしれませんね。

ああ~そうかあ。
人生と同じだな。

大した人生は過ごしてないけど、
それなりにきつくてしんどい時期もあったし、
平穏で淡々とした時もあったなあ。

いろんな楽しさ、きつさを体験しながら
遍路するのは、日々の暮らしと
ある意味同じなのかもしれませんねえ。

なぜ、遍路を続けようとするのか?

さあ、遍路の意味はよく分からないけど、
なんかある意味別の一つの人生を
全うしようという小さな目的意識も
あるのかもしれないね。

お遍路始めた子供時代、
満喫している青春時代、
苦労に応えて喜ぶ熟年時代、
遍路を楽しみ終焉に向かう高齢時代。

一つのまっとうな人生を
こうして体験してみることで、
見えてくるものがあるのかもしれません。

バスで平穏に旅するという意味では、
その辺のきつさ、アップダウンは
あまりないようですが、
こう見えてdoironも首Dさんも、
日々病気と闘っているのですから、
それなりのお遍路を過ごしては
いるわけですな。

さあ我らのお寺も、
もう50番までやってきました。

では繁多寺の駐車場から
歩いていきましょう。



この寺は一遍が修行した寺
ということで知られています。
行基などとともに、この上人も
よく出てくる名前ですね。

山門の近くに立派な道標が立っています。

結局この寺では、
うろうろとあちこちを眺めながら、
鐘楼の上の天井画か



この道標を描こうと思っていたのですが、
結局道標を描くことにしました。

それがこれ。



かなり古い道標のようです。
「遍路道」と書かれた面についている、
腕の浮彫がいいですねえ。

さっき訪ねた石出寺まで
「二十丁」と書かれてありました。

順送りの道標ですね。

四国って、道路標識も
お寺の名前で出ていたりしますが、
たいていは順送りにやさしく
書かれていたりします。

道路交通案内もお遍路にふさわしい
ということなんですねえ。

さあそれではお参りしていきましょう。

まずは手洗いで手を清めます。
この時のひしゃくの使い方も
作法があるそうです。
順番は、ちょっと頼りないので忘れましたが、
最後には水をひしゃくの柄にも
かけて置いておくのがいいそうです。

最後に清めておくということですね。

そして鐘楼があれば鐘を突きます。
あ、鐘の上の天井画というのがこれです。



そして本殿にお参りに行きます。



いつもと同じお参りですね。
一遍が修行したお寺だからと言って
念仏踊りをしないといけない
わけではありません。
これまでのお寺と同様に、
読経などを済ませていきます。

同じことを大師殿でも行い終了。



さあ、では次の49番浄土寺に
向かいましょう。

続く


四国巡礼五十一番石出寺

2016年12月25日 21時41分29秒 | ウォーキング

温泉を見学した後は、



商店街をぶらぶら歩きながら、



からくり時計を見に行きました。



浴衣に丹前でちょうどいいくらいです。

食事の時のお酒も回っていますしね、
体はぽかぽかです。
商店街をちょうど抜けたあたりに
道後温泉駅があり、そのすぐそばに、



からくり時計がありました。

時刻は8時1分前。



おお~からくりを見るのに
ベストタイミングです。

キンコン~時報とともに
仕掛けの動く時計。
時計全体が持ち上がり、
時計版が裏返って中から人形が出てきます。



この時計の名前は
「坊ちゃんからくり時計」といい、
時計の中に現れるシーンは、
夏目漱石の「坊ちゃん」のシーンを
表しているそうです。

坊ちゃんは読んだけど、
なかなかシーンとつながりませんなあ。

一通りからくりを見たら、
ぼちぼち宿に戻りましょう。

途中のコンビニでチューハイ買って帰ります。

これはもう決まった動きです。
「オッサンからくり」といいます。
へへ。

宿に帰ってから首Dさんと
もう一度風呂に行き、
チューハイを飲みつつお休みいたしました。

で、翌朝。

朝は早い時間に出発ですから、
バイキングの朝食をパクパクいただき、



早々とバスに乗り込みです。

本日最初に向かうのが

51番「石出寺」です。

これまで何度か登場してきた
元祖お遍路「衛門三郎」が
また登場してきます。



托鉢に来た空海に何度も
いやな目に合わせ最後には
托鉢の椀をけりつぶす
ということもしたそうです。

そしたら、彼にいた8人の息子が
次々と亡くなっていき、
そのことで空海に冷たくしたことが
原因だと思い、遍路を始めるのです。

ところが何度歩いても空海には会えません。

で、結局逆回りしてみようと回った所、
自分の命が亡くなる寸前に空海に会い、
彼の気持ちが安らぐのです。

これが逆回りの功徳の大きさを
表しているそうです。

空海にあってその時にいいことをしたいと
衛門三郎がいったところ、
この石を持ちなさい
といって持たせるのですが、
衛門三郎はなくなるのです。

しかし、その後に伊予の国の
領主に長男が生まれたときに
手が開かないので僧が祈願したところ
その手が開き、

「衛門三郎再来」

と書かれた石を持っていた
という話があるそうです。

で、その石が空海の偉大さのひとつとして
寺宝となって残っているのが、
この「石出寺」だそうです。
その名前通りですね。

宝物殿にはこの石も祀ってありました。



この物語は、四国遍路の中に
何度も何度も出てきて、
空海さんの偉大さを伝えているのですが、
でもねえ

「ちょっと待って頂戴、般若はらみた」

ですよねえ。
托鉢の空海に悪さをしただけで、
子供たちが死ぬんですか?

いやあ、それはあまりに慈悲のない
話じゃないですか。

衛門三郎という人がいて、
なにか遍路にまつわるできごとにあった
というのなら、もうちょっと
味のある話だったらなあ、
と思ったりするのですがねえ。

どうなんでしょうか。

まあ、元祖は元祖として
いろんな伝説を残しています。

doironもしっかりお参りしていきましょう。

この寺の入口には「衛門三郎」と
書かれた石の巨大レプリカと
衛門三郎が刻まれてありましたので、
ここではそれを絵にしてみました。



石を描くのも難しいですね。
固いものだけど、
あまり固く描きすぎても
変な絵になってしまいます。

ようやくちょっと柔らくなったところで、
ここまでにしておきましょう。



また、石を描くのももう少し
勉強しないといけませんね。

寺に入っていくと、
まず記念撮影がありました。



三重塔をバックに、乗客全員が並びます。

首Dさんがこの写真を買われたので、
見せてもらいました。



男性がいかに少ないかよくわかるでしょ。

続く


四国巡礼五十二番太山寺

2016年12月24日 21時06分07秒 | ウォーキング

本日はクリスマスイブ
そんな日に、四国遍路とは
ちょっと変かなあ。
いやあ、でも続けましょう。
四国お遍路続きです。

52番太山寺は、
松山市太山寺町にあります。



お寺の名前がここでは
町名になっていますね。

さてこの寺なんですが
こんな伝説を持っています。

大分県の炭焼きである「小五郎」が
奈良の久我氏の娘「玉津姫」と結婚し、
その長者の運が開けて
海で海難に会いそうになった時に
観世音菩薩に祈願し助かったので、
そのことを感謝し一寺を設けたのが
この「太山寺」の起こりとされています。

この小五郎の話は全国各地に飛び散らばり、
地域の特徴とくっつけた
いろんな昔話になって
散らかっているといいます。

例えば、和泉市にもそういう話があり、
葛城山に住む炭焼き「小五郎」が
娘を助けてそれによって
きれいになった娘と
暮らしたという話も残っているそうです。

各地に伝説を残した「小五郎」に
まつわる話ですが、
実際にも亡くなった娘を悲しんで、
大きな石仏を作ったのが
あの国宝「臼杵の石仏」と
言われています。

まあ、といってもこの話は
昔話でどこまで信ぴょう性が
あるかわかりません。
けっこうな山道を行きます。



結局この寺は行基が十一面観音を安置し、
約100年後に空海が来たというのは、
まあこれはよくある話です。



絵に描いたのは、
平成26年に設置された
摩尼車のある本堂です。



摩尼車というのは、
これを一回廻すだけで、
お経を一巻呼んだと
同じ功徳が現れるという、
まあいわばお得なものなのです。

そして、実はこの本堂がまた
大変古いものなんだそうです。



何度か解体修理をしているものの、
1300年の頃に建てられたもののようで、
かなり圧倒的な迫力のあるものです。

で、この本堂に安置されているのが、
行基の十一面観音と
それを囲む6体の観音様。



秘仏で一般には明らかに
していないそうです。

そういえば、四国には秘仏と言われる
御本尊が結構あります。

下手したら住職さんも
見たことがないものもあるそうです。

中には、長期間に一度、
一般開放される本尊もあるそうで、
お参りにそういうのが当たると
大変貴重なんだと
先達さんはおっしゃてはりました。

昔は非常にでかいお寺だったこの太山寺で、
昔話の伝説や秘仏本尊に思いを馳せながら、
こういう拝み石なんかも



鳴らしながらしっかりと



読経し真言を呼び掛けておきました。





さあ、これで初日のお参りは終わりです。



やれやれとホッとしながら、
今日の宿泊地である
松山へと我らのバスは
向かったのでありました。



この日の宿泊地は道後温泉で、
まさに坊ちゃん風呂の
すぐそばのホテルでした。



チョットした斜面に、
本館と新館が入り組んで立っているので
ちょっとややこしいホテルでしたね。



部屋に入る前に従業員による
建物説明などがありました。

バスの止まったのが
6階でお出かけは2階から
というややこしさです。

さあ今日は夕食まで時間があります。
doironはせっかくなので、
まずはここでビールを一杯してから、
温泉へと向かいましょう。

内湯と露天風呂があります。

いやあ、いいねえ、道後温泉

体がぽかぽかになり、
頭の中がふにゃふにゃになりますねえ。

お遍路と温泉て
なんかピッタリですねえ。

十分体があったまり、
あせも止まらない中
食堂へと向かいました。

この日の夕食は懐石料理でした。

どんなだったかというと・・・

ウヒャー写真を撮るのを忘れてました。
残念。
まあ、まあな料理でしたが、
量が多すぎて食べきれませんでした。

普段はダイエットのため、
ミランダカー的な食事しかしてないのでね。

で、食事のあとは、
首Dさんはのんびりするというので、
一人で夜の道後温泉を探検に行きました。

ここがあの有名な温泉です。



なんでも回収のために
近々閉められるそうです。
そしてその後は回収後
開けられるのか、
はたまたまったく別に施設になるのか
決まっていないそうです。

どうなるのかなあ、と思いつつ
続きます。


年末ですねえ

2016年12月23日 21時35分17秒 | 生活

四国はなかなか絵がはかどりません。
まあ、年末でもあるし
今日はちょっと四国はお休みします。

なあんて、そんな風にしたほうが
閲覧数が上がったりするんやけどね。

ーーーーー

さて年末のこの時期になると、
いろんな記憶すべき日も
重なってきます。

まずは22日ですが、
これがあのグーの命日となっています。
亡くなったときに、
地元市の施設にもっていって
荼毘に付しましたが、
その時に焼け残った骨は
同市のペット墓場に
納骨してくれているそうです。

その共同のお墓が、
doiron家の墓のすぐそばなので、
22日にはその墓場をお参りに行きました。

線香をあげるのも
今は四国のおかげで慣れていますしね。
しっかりとお参りしておきました。

それにしてもここに墓参りすると、
いつも不思議に思うのは
たいてい線香がついているんだよね。
きっと自分ちの墓に来たついでに、
doiron家のようにみんな
線香あげていくんだろうね。

「グーちゃん、一年だよ。
いい子にしてるかな。
幸せに過ごしているかな」。

帰宅すると、明日のクリスマスイブに向けて、
簡単なプレゼントを買いに行く。

今年はdoironは前日に
こんな帽子をいただいた。



こ、これだとアラスカでも
歩きに行けそうだ、
と思ったら違いました。



絵を描いたりする時の足温器です。
あったかいね~。

でもあんまり気持ちよすぎると
心が鈍ってしまうかな。
それなりに気を付けて、
頭は冷やしつつ筆を握っている
クリエイターなのです。
へへ。

まあ、そんな事前プレゼントに対して、
doironもそれにあやかって、
ミセスがポケモンゴーの
玉取散歩に行くときに、
はける靴下を買ってあげた。

これ。



最初はねえ、
「こんな派手なんあかんわ~」とか
言ってたのに、
今日なんか福祉のボランティアに
行くときにはいていって、
ばあちゃんらの気を引いているようだ。

まあ、それなりに年を取ったのですから、
靴下くらい若くていいんじゃないですか。

で、その今日23日はというと、
これがなんとdoironの
二つ目の誕生日なのである。

マラソン大会で命を失いかけた日でした。

もうあれから6年が経つのですねえ。
濃い6年でしたね。
doironはそのあとも病気をおこし、
命からがら老後を楽しんでいるのですがねえ。
なので今夜は誕生祝に、
カニ鍋をいたしました。

いやあ、誕生日がいくつかあると
いいもんですな。
三回目の誕生日もあるしな。

え?ええことないって?
そ、それもそうかなあ。

4回目の誕生日はないようにしないとね。

そして明日は24日。
クリスマスイブですねえ。
と言っても、なにも企画はありません。
ただジムに行って、
じっくり体動かして、
健康を味わってくることにしましょう。

あ、そういえば25日は
高校駅伝ですねえ。

現場に行くかどうかは検討中です。

今年は、男子が倉敷、
女子が西脇と見ています。

あ、そうそうそれから
今年も喪中なので
年賀状は出しませんが、
お祓いを受けたので
送ってくれた人には
ちゃんと返送する予定ですからね。

あとは年越しうどんを
打つための粉の購入。

年末ジャンボの発表に備えて
置いてある神棚の拝礼。

そして最後に残っている
大仕事がアトリエの大掃除。

来年からも、
外歩きをしっかりするとともに、
アトリエ活動も
もっとしっかりしていこう
と思っている、
そんな年末なのですわ。


四国巡礼五十三番円明寺

2016年12月22日 21時50分01秒 | ウォーキング

延命寺のお参りを終えて、
駐車場に戻るとバスが
自分らのを入れて
3台止まっていました。



一台がいよ交通、一台が奈良のバス。
doironがいつもお世話になっているのが
阪急交通社ですから、
同じツアーではないですね。

もしも同じ経路をまわるなら
この3台はいつも同じ順番で
お寺に入ってくることになります。

朱印の順番があるからね。

ちょっと今日は混んでしまうかもしれませんね。
頑張って回りましょう。

バスに乗り込んで瀬戸内沿いを
まわっていきましょう。



瀬戸内は島々の景色がきれいやねえ。



とかいいながら
首Dさんを見ると、
この辺りでチョット疲れているようでしたね。

確かに彼が今やっている治療法を聞くと
とてもきつそうでした。

この日は水曜日だったので、
資料を見せてもらったら
その曜日くらいが一番きつくなるそうでした。
まあ無理のないよう、
そしてゆっくり休めるように
できるだけ周りに気を使ってあげよう
と思いましたね。

そうしているうちに、
やがてたどり着いたのが
第53番円明寺です。



あれ?さっきの寺と読みがいっしょ?
と思ったら「延命寺」は(えんめいじ)で
この「円明寺」は(えんみょうじ)と呼ぶそうです。

う~ん日本全国に100寺くらい
ありそうな名前ですねえ。

おっ、さっそくマンふたを発見です。



四国では参道を歩いたりはしますが、
一般の道は歩くことが少ないので
なかなかこれに巡り合いません。

松山市の市の木は、と調べますと、
おおやっぱりこのマンふたに
絵として描かれたヤブツバキですね。

「ヤブ」のついているのが
それらしくていいですねえ。

ではdoironもここから寺内へ
「ヤブ」遍路いたしましょう。



ここの神社の本尊は
「阿弥陀如来」ですねえ。



真言は
「おん あみりた ていぜい から うん」
と唱えます。

行基が阿弥陀如来を本尊とし、
それを空海が霊場としたものです。

ここには特徴が三つあります。

ひとつが、銅製の納札が
堂内に残っており、
現存する最古の納札として
寺宝としてのこっていること。



そしてもう一つが、
太子堂の奥に江戸時代に建てられた
「キリシタン灯篭」が立っていること。
御禁制の時代に、形をそれとなく
十字架に似せて、真ん中に
マリアさんが描かれたような灯篭で、
今回の絵はこれを描くことにしました。



古い灯篭だが、つややかな
石の材質が意外にきれいです。

これを描くに当たっては、
周りに生えてる草の材質に気を使ったり、
植えられた花の様子にも気を使ったな。

まあ、こうしてひと寺ずつ
描いていくといろんなところが気になって、
絵の勉強になっていきますねえ。

そしてもう一つ最後に残った特徴が、
ここのお寺の屋根瓦が特徴なのです。



どの瓦も重厚で鬼瓦として名高い
「菊間瓦」というのが使われているそうです。

ただそれだけではなく、
実はこの地方の節分行事が
特徴的なのです。
この地方一帯では「鬼瓦みこし」が登場し、
「福は内、鬼も内」と唱えるそうなのです。

なんか、この地方のやさしさを
感じさせる行事ですねえ。

空海はこう言ってます。

「もし一つの教えにこだわれば、
すぐにその教えに縛られ、
生と死の川を行ったり来たりし、
その輪廻から逃れられないのです」

人の心の動きと宇宙を一つのものとして
唱え続ける空海の密教は、
果てしなく大きく深いもの。

キリスト灯篭、長く続く納札の灯篭、
鬼は内福は内 どれも、
こだわりなく世界を見続けることの
大切さを感じさせてくれるような
お寺周りの出来事なのだ
と思わせてくれます。

ここでもしっかりとお参りを済ませて、
さあ、これで3寺終わりです。

あとひと寺で今日のお参りは終わり。

では次の52番太山寺へと
向かっていきましょう。


続く