草津線には「忍電車」という
車両が走っています。
中に乗ると、吊り広告が
こんな感じで暖簾が付いています。
すべての広告がこんな感じでした。
広告を暖簾で隠すとはまた大胆な
飾りですなあ。
停車駅の表示がこれ。
左右に貼られてありましたが、
もちろん駅名の順番は
左右で変えられてありました。
ところどころに貼られてあるのが、
「忍者養成講座」の張り紙です。
え~っと、これには
「戦わなければ無敗」
と書かれてあります。
「理不尽な説教、悪口なんか言われたら
すぐに逃げちゃいましょう。
忍者の武器はいざというときに、
しっかりと逃げ切るためのもの
だったといわれています。」
だって。
う~ん、政治家にはなれませんね。
ほかにも「甘いものを食べて太ったら
忍者に慣れません」みたいなことも書かれています。
60キロをこえたらあかんで、
ということですが
こ、これもデブを敵に回していますねえ。
あ、ここには「イケメンの彼が
できたりテストで100点取っても
黙っておきましょう。」
みたいなことが書かれています。
なんか生きていくのも
むつかしそうですねえ。
もう少し欲を言えば、
扉の開閉ボタンも
「開門」と「閉門」にしてほしかったし、
きっとこの電車の運転士は、
忍者の服装で運転しているんやろ
と思いましたが、それもちょっと
違いましたね。
普通の運転士でした。
いやあ、凝るんやったら
そこまで凝ってほしかったですねえ。
切符は手裏剣の形しているとかねえ。
でもまあ、窓の外にあの
「近江富士」の三上山が見えたりした
景色は良かったですねえ。
そうそう駅名の表示看板も
撮影したのですが、
動いている電車からの撮影は
むつかしかったです。
こんな風に一部隠れたり、
表示が斜めになったり、
女子高生に隠されたり
とむつかしかったですねえ。
こういう旅行をする時の
写真撮影についてもいろいろと
考えておかないといけませんねえ。
でもまあ、40分程度の
草津線でしたが、いろいろと
楽しめました。
終点は柘植です。
もう三重県ですねえ。
階段とかの忍者言葉の案内板なんかを
写真に撮りましたが、
どうもここで乗り継ぎに
1時間余裕あると思っていたのに、
前の電車にぎりぎり乗ることができました。
ネットの乗り換えアプリだと
乗り換え時間に余裕をもって
案内するんですねえ。
やはり時刻表できちんと
調べていかないといけませんね。
さてここから加茂まで
小一時間の旅です。
がらがらの電車で移動していきますが、
4人掛けの椅子に一人で座り、
ビールとおつまみを出して
楽しんでいきましょう。
ここからの関西線は、
昔義理の両親が住んでいた田舎を
ごとごと走っていきます。
ああ、この山の上あたりに
住んでいたなあ。
そういえばこの電車、
田んぼの中の一本レールを
ごとごと走っていたよなあ、
なんて思い出します。
一時仕事関係で交流のあった
「月ヶ瀬」なんかも通りますよ。
のんびりとビールを飲みながら
景色を眺めていきました。
窓から木津川が見えるようになったら
加茂に到着です。
まあ今日の飲み会に向けて、
予行演習のビールがおいしかったです。
一時間余裕ができているので、
さらにのんびりと奈良に向かい、
そこから畝傍へと向かいます。
支払った金額は予定通りの970円です。
通常より2700円得しましたね。
では早く着いたようなので、
そこからあすかの湯に向かいましょう。
お風呂に入って、都市近郊区間旅の夢を
ふくらませながら気持ちよく入浴しました。
その後は、またてくてくと
八木まで歩いて時間内に無事合流です。
え~っと、この日は駅前のおいしい
居酒屋でビールをたっぷりいただき、
帰りは遠回りせずに
ふらふら酔いながらも
まっすぐ帰宅したdoironなのでした。
おしまい
ーーーーーーー
都市近郊区間の旅は
面白かったです。
こういう考え方で間違っていない
と思うのですが、よく知っている人で
間違いあったら言ってくださいねえ。
しばらくこういう小規模遠回りを続けて、
最終大遠回りをしようと
思っているdoironなのでした。
奈良で開催される飲み会に、
JRの都市近郊区間を使った
遠回りで参加します。
目的地は、JRの駅で言えば
「畝傍」になりますね。
そこを目標に計画していきましょう。
まず、通常に行けば畝傍までの
運賃は970円ということになります。
それをこんな遠回りで行きましょう。
まずは信太山から大阪駅に出ます。
そしてそこから東海道本線で
草津まで行き、草津からは
草津線で柘植に向かいます。
そして柘植からは加茂に行き、
そこから奈良へ。
桜井線に乗って畝傍着とこういう経路です。
経路図で行くとこんな感じ。
営業距離では213.1キロとなり、
普通なら3670円の経路となります。
ではその辺の経路図を持って
電車に乗り込みましょう。
パソコンの電車ナビで行けば
信太山11時54分の電車で
畝傍着は17時47分着
とこうなっています。
待ち合わせは八木駅で
6時半ですのでこれで完璧でしょう。
ではちょっと余裕を見て、
信太山11時22分でスタートしていきます。
食事はスタート直前で
昼食を食べていったので
今回は心配はありませんが、
途中下車できないので
後日の遠回りを考えたら
食事のこともどうするのか
状況を見ていかなければなりません。
まあ最悪はお弁当でもええし、
場合によっては駅弁でもいいですから、
ここはまあ気楽に見ていきましょう。
まずは鳳で電車を乗り換えて
大阪駅に向かいます。
大阪からは13時の新快速に乗って
移動していく予定でしたが、
一度ここでトイレをすまし、
コンビニでビールと
おつまみを買っておきます。
ビールはできるだけ
冷えたままになるように、
こんな時のために保温用の袋を持つ
カバンでやってきています。
まあそれでも12時30分の
少し早い新快速に乗ることができました。
あとのことも考えて
余裕をもって移動していくのは
構わないでしょう。
幸い電車は窓際に座れましたが、
まあ結構満員なので
さすがにビール旅とはいきませんね。
この電車はさすがにトイレもあるから、
排出を考えても飲んだり
できるんですけどね。
なんといっても、始発の姫路から
長浜まで乗れば二時間半の電車ですから、
その辺の整備はされているようです。
高槻から京都と止まり
それ以降はほぼ各駅停車のような状況で、
草津に着いたのは13:20。
でもここで早い草津線の電車に
乗れるかというと、結局ダイヤの都合で
予定通りの13:57に
乗ることになります。
草津の駅で、周りの景色なんかを
ホームで撮影しておきましょう。
そういえば草津は歩いたことが
ありましたねえ。
草津駅から南草津駅まで
東海道を歩きましたね。
そして、ドジ旅でbabiさんも
金勝山に行った時に、
ここの王将で宴会しましたねえ。
まあ結構大きなショッピングセンターや
食べ物屋さんが多くある街でした。
今回来たのは平日だったのですが、
57分の出発時間が近づくごとに
学生さんが多く集まってましたねえ。
そして、電車がやってきました。
おお~なんと忍者の絵も描かれた
「忍電車」と名付けられた電車です。
う~ん、都市近郊区間遠回りの術も
見抜かれていますかねえ。
ここは甲賀とか通るから
こういうラッピングをしてるんですねえ。
伊賀流と甲賀流とか比べると、
昔の漫画とかでは伊賀流に
正義の味方がいたような
イメージがありますねえ。
随分とそんなことを叩きこまれて
いるような気がします。
あ、そうそう甲賀流て
なんて読むかわかりますか。
よくここで間違えられるのが
「こうがりゅう」ですね。
でもねえ「甲賀」は「こうか」と
読むのです。
駅の表示もこうなっていました。
なので「こうかりゅう」と
読むのが正解なわけですね。
トイレのある草津線電車で、続く
近江塩津の周辺の景色なんかは
ホームから写真撮影しておきましょう。
途中下車は絶対あきませんからね。
ではここから湖西線で
比良山麓を京都へと向かいます。
地図を参考にしてください。
経路が複雑になりますねえ。
あとでまた整理してみますね。
京都からは東海道本線で
まず新大阪に行きます。
そこで大阪ひがし線に乗り変え、
鴫野へと向かいましょう。
そして鴫野からは片町線、
JR東西線と乗り継いで
尼崎に行きます。
複雑ですが大阪都市近郊区間を
少しでも長く乗るために
線を選んでいきます。
そして尼崎からは再び東海道本線で
大阪駅にいきます。
あとは信太山へと帰るわけですが、
決して京橋方面に乗ってはいけません。
東西線の京橋と駅が重なるためです。
弁天町の方へ回っていきましょう。
そのまま天王寺まで行き、
阪和線で信太山駅へと向かっていきます。
これで、都市近郊区間の最短運賃の
条件を満足しているわけですから、
信太山で140円を払って
出ていくことになるのです。
あ、そうそうもう一つ、
都市近郊区間の乗車には
別の条件もありました。
それは一日以内にという条件です。
到着時刻が深夜0時を過ぎたら
無効になるのか、
あるいは最終電車まで有効なのかの
辺はよくわかりません。
でも大丈夫。
ここに書いた大遠回りの電車に乗って移動すると、
朝8時09分の和泉府中に乗れば、
最終信太山に着く時刻は
なんと23時50分なのです。
ああ、よかったですねえ。
この時刻表を精査するだけで
1時間もかかってしまいましたよ。
でもねえ、こうして経路を
きちんと書いて計画表を
作っておくことは大切なのです。
途中で検札なんかが来た時に、
これをきちんと見せないと
うろたえてしまうそうです。
ちょっとした運行不良も考えて、
時間的な変更も含めた
きっちりした計画を立てて
おくのが良いかもしれません。
まあこの経路の場合だったら、
途中の運行不良も考えるのなら、
朝の出発をもっと早くしておく
必要がありますからね。
今回の経路をまとめてみましょう。
駅名は” ”で囲ってあります。
左の時間は到着時間
右の時間は出発時間です。
“和泉府中”8:09→
8:58“和歌山”9:04→
11:03“高田”11:09→
12:00“奈良”12:02→
12:30“久宝寺”12:41→
12:56“放出”12:58→
13:53“木津”13:58→
14:04“加茂”14:42→
15:38“柘植”16:08→
17:03“草津”17:25→
17:58“米原”18:02→
18:34“近江塩津”19:35→
21:04“京都”21:14→
21:38“新大阪”21:40→
21:53“鴫野”21:57→
22:19“尼崎”22:25→
22:29“大阪”22:58→
23:20“天王寺”23:24→
23:42“鳳”23:43→
23:50“信太山”。
大都市近郊区間の
大阪バージョンの大遠回りは
こんな感じなるわけです。
これでいいんだと思いますよ。
何か制限がほかにもあるのかなあ。
でもICOCAを使えば
金額的にもこうなるはずですしねえ。
距離的に行くと、各駅間の営業距離を
すべて足すと567.5キロになります。
これを運賃表で計算してみると
8960円となりますねえ。
それがなんと近郊区間の特例を使えば
140円
いいですねえ。
あと、条件と言えばトイレが
どうなっているかですねえ。
田舎の電車に乗れば、
トイレの付いた電車が多いと思うのですが、
これはちょっと行ってみないと
わかりませんね。
最悪は途中の駅で降りて
借りなければなりませんね。
ただし改札内のトイレね。
では、こんな長距離とはいきませんが、
とにかく一度遠回りしつつ
飲み会の開催に合わせて
奈良の八木まで行ってみようと計画し、
出かけてみたわけです。
続く
あちこちに出かけるときに、
交通機関として使うのは
主にJR、各私鉄電車、バスの
公共交通機関と自分の車という
組み合わせがほとんどだ。
たまにおじチャリや
家から歩きなんかもあるが、
多くはそんな交通機関を
使用して出かける。
まあなんといっても車は便利なのだが、
歩き後飲み会となると
これはもう電車で頑張って
出かけることになる。
先日も奈良で飲み会があった。
向こうで歩いて、
最終その飲み会の場所に
たどり着くというのを
奈良行きの飲み会の時は
良く行ったものだ。
ところが、先日その飲み会の時は
台風がくるのではということで
一度延期になったことがある。
急遽その翌週に飲み会が
延期になったので、
さあではこの梅雨時の飲み会に
うまく楽しめる方法はないか
と色々と考えてみた。
電車だと近鉄なんかを乗り継いで
八木まで行くことになるのだが、
これまでは桜井を歩いたり、
明日香を歩いたりしながら
出かけたこともある。
ほかにも、談山神社を歩いたり、
高取山を歩いたこともあったなあ。
一番長い時では奈良三山を歩いて
飲み会というのもあったあった。
さあでは今回はどうしようと
地図を眺めていて
ふと気が付いたことがあったのです。
もし雨で電車で出かけるだけなら、
JRの大都市近郊区間を使って、
うんと遠回りで八木まで
出かけてみてはどうかと思ったのだ。
それは一体どういうこと?
という人のためにちょっと
解説してみましょう。
まず、JRの大都市近郊区間とは
どういうものかというと、
大阪周辺ではこれらの
駅の間をそう呼びます。
その区間内で電車に乗った場合、
どの区間を通ろうと運賃は
最短で行った場合の料金となります。
まあICOCAを使った場合は
当然そうなりますね。
例えば天王寺と新今宮の間で言えば、
天王寺から直接に次の新今宮に行こうが、
鶴橋から大阪駅を経て弁天町を通って
新今宮に行こうが電車賃は120円
と最短で起算されるわけだ。
これにはまあ制限がいくつかある。
まずは同じ駅を繰り返し
通過してはならない。
まあ環状線ならわからないけどね。
そして途中下車はできません。
その時はそこまでの最短の
通常料金をいただきます。
まあ、言ってみればひと筆書きで先ほどの
大都市近郊区間(大阪エリア)の
経路を塗りつぶしていけばいいですね。
ではちょっと時刻表を片手に
考えてみましょう。
まずはJRの和泉府中駅を
スタートしてみましょう。
最初は南向いて進んでいきます。
地図も何度か載せますので
参考にしてください。
まずは阪和線で和歌山に行きます。
そこから和歌山線に乗って橋本、
五条をこえて高田に行き、
そこから桜井線で奈良に行きます。
さらに北向いて行くんではなく、
今度は西向いて関西本線で
久宝寺に行きます。
ああここからはこの前歩いた
おおさか東線に乗り換えとなります。
放出に着いたら今度は
片町線で東向いて木津に行くのです。
地図を見ながら考えても、
これだと一筆書きでどこも
重なりませんね。
そこからまださらに関西本線で
三重県の柘植まで行きます。
ここはのんびりしたいい線ですねえ。
その柘植から草津線に乗り、
滋賀県の草津まで北上していきます。
ああ、琵琶湖のところまで
やってきましたよ。
それから草津からは
その琵琶湖に沿って北上し
東海道本線で米原へ、
そしてそこから北陸本線で
近江塩津へとやっていきます。
ここがこのコースの最北端ですね。
途中、余呉湖のあたりも通る
旅気分バッチシの田舎線です。
ここまで電車の営業キロにしたら
387.6キロ。
ここで降りたら6480円の
運賃がかかりますから、
時間があっても駅からは
1mmも出ることはできません。
このままうまく信太山まで
ルールにのっとって戻れば、
140円で帰れるのです。
頑張りましょう。続く
六角堂を出てさらに
北向いて歩いていきます。
こんな郵便局や
歴史博物館の古い建物を眺めながら、
姉小路通りを東向いて
進んでいきますと、
もう誰でもよく知っている
お寺に出てきます。
「本能寺」です。
あの織田信長が明智光秀に
襲撃され自刃したところとして有名です。
まああの時に火事で
燃え尽きてしまったり、
天明・元治の大火で焼失し、
昭和3年にこの地に移転して
再建されたお寺です。
かつては大量の朝鮮通信使を
迎えたお寺としても
有名な実績を残しています。
中に入ると、大きな樹木の下で
のんびりと休憩している人も
多くいましたね。
境内には「織田信長公御廟所」の
石碑もありましたねえ。
移転したので当時の本能寺の
変の頃の境内はどんなん
だったんでしょうねえ。
そんな境内を出て、
京都市役所の方へと
向かっていきましょう。
あ、いまは「ホテル本能寺」
なんかも建設しているんですねえ。
「敵は本能寺にあり」
といわれるなど、ちょっと暗い
イメージがあるのでしょうが、
でも歴史的には抜群の名前ですねえ。
そしてここが京都市役所です。
え~っと大学時代の知り合いが
ここで働いていましたねえ。
あ、もう定年かなあ。
その市役所の前では平和の旗を持った
高齢おじさんが演説をしていましたねえ。
世の中いろんな方がおられますなあ。
市役所の裏に回って進んでいきます。
ここは道の両脇に古美術や
古いお店が並ぶ寺町通です。
その歩道の端に面白い案内が
建っていました。
なんとここは「本因坊」発祥の
地なんだそうです。
ここにあった寂光寺の塔頭
「本因坊」に住んでいた僧侶の
「日海」は囲碁の名人だったそうです。
その後日海は「本因坊算砂」と改名し、
以後本因坊の名は世襲されてきましたが、
本因坊21世の秀哉が
本因坊の名は本当に囲碁の強い人が
名乗るべきだと、
日本棋院にその名を渡し、
昭和11年から「本因坊戦」
という選手権が始まったとされています。
いやあ結構歴史がある名なんですね。
調べたら、将棋の「名人」も
世襲制から変わっていった
という歴史があるそうです。
いやあ、勉強になりました。
そんな寺町通の先にあるのが
西国三十三所第19番の行願寺です。
ここは天台宗のお寺で、
開いたのは「行円」というそうです。
彼は僧になる前は狩人でした。
彼が雌鹿を射止めたときに、
その鹿が子をはらんでいて
小鹿が生まれたそうです。
そんな事件があったので、
彼は改心しその雌鹿の革の服を
着て修行をしたというので、
「革聖(かわひじり)」と言われ、
この寺は「革堂」と呼ばれるように
なったそうです。
ではお参りしていきましょう。
ここの香炉も独特な形ですねえ。
そしていつものように儀式をすませ、
お祈りしたら納経をしてもらいましょう。
これで三十三所のうち
20か所が終わりました。
少しずつですがたまって
いくものですねえ。
この革堂には今は見ることは
できませんがもうひとつ
特徴的な宝である、
幽霊絵馬があります。
おふみという女性が子守をしているときに、
この寺の御詠歌を歌い続けたそうです。
それで宗派が違うと怒った
雇い主がおふみを虐待し
殺してしまい土の中に埋めたそうです。
そのことを幽霊になって親に告げ、
掘り起こされたそうです。
そのおふみを描いた絵馬が
幽霊絵馬として今も
残っているそうです。
8月に毎年公開されるそうですが、
ネットに絵が出ていました。
手鏡はおふみの愛用の
ものだったそうです。
さあ、次は西国三十三所の
どこに行きましょうかあ。
また出かけたら報告します。
今日はこんな感じで歩きました
おしまい
ーーーーーーー
エックストレイルでの最後の
旅となった京都の三十三所めぐりでした。
車を引き払う前には
事故無くてありがとうねと
四輪にお酒をかけて感謝しておきましたよ。
また次の人のところで元気でね。
烏丸通を北向いて歩いていくと、
こんな小さなセブンイレブンが
ビルとビルの間にあったりします。
京都はいろいろと建物の形や
色にもうるさいんでしょうねえ。
行政的にもうるさいし、
町の人たちからもいろいろと
意見が出たりするんでしょうねえ。
そして北向いて大きな東西の通りで
2本目の六角通のところに来たら
そこを右折していきます。
左手に見えてくるのが
西国三十三所第18番札所の
「紫雲山頂法寺」です。
ここは聖徳太子が創建した
如意輪観音菩薩を本尊とする
天台宗のお寺です。
先日奈良の太子道を、
全工程を太子と二人で歩きましたね。
だからここでも
「やあ久しぶり」と声をかけて
おかないとね。
でもここまで聖徳太子は
来たんですねえ。
どうやってきたのかなあ。
やっぱりあの甲斐の国の
「黒駒」に乗って
やってきたんでしょうかねえ。
馬に乗りつかれて、
おしりも冷やさなくてはと、
聖徳太子がここの池で沐浴したときに、
木の間に置いてあった
持仏の如意輪観音像が
動かなくなったために
ここにお堂を作って
それを祀ったのが
この寺の始まりとされています。
むむ~おしりを冷やしたのが
この寺の始まり?
これはちょっと違うかあ。
そしてその太子の観音像は
秘仏として扱われており、
つい最近に開扉されて
見られているようです。
そうかあ、太子ちゃん、
見たかったなあ。
前回の開扉依頼136年ぶり
だったこともあったそうです。
聖徳太子の持っていた観音様ですよ。
その本尊がネットに出ていました。
これです。
5.5cmくらいの
小さなものだそうです。
前立本尊の後ろに納められているそうです。
その本尊が今入っている本堂は、
その形が6角形になっています。
明治10年に昔と同じく
その形で建てられており、
人々はこの寺を六角堂と
呼んで親しんでいるそうです。
では本尊にお参りしていきましょう。
こんな思いのこもった香炉に
火をつけた線香をあげ、
ろうそくにも火をともします。
そして横手にある入れ物に
三十三所の納め札も納めます。
5円玉で賽銭をあげて、
ではお参りしていきましょう。
熱心な人はここでお経をあげたり
するのかなあ。
doironはうんと気持ちだけ込めて
お祈りしていきます。
さあでは納経帳に
記載してもらいましょう。
こういう三十三所には納経帳に
記載してもらう人は結構いますが、
最近は神社なんかでも
記載してもらう人は多いですねえ。
doironも最近は神社用の
納経帳を持つようになっています。
まあこういう寺社仏閣は良くいくのですが、
まあ中でもここと
いうようなところでは
記載してもらったりしています。
どこでも記載してたら、
まあきりがないほど
ウロウロしていますからねえ。
記載してもらったら、
少し乾かしてから閉じていきます。
あ、今の納経は日付が
当然令和になっているんですねえ。
ではもう少し六角堂の中を
見ていきましょう。
この寺に来てどうしても
見ておきたいのは「へそ石」です。
本堂前の柳の根元に、
真ん中に小さな穴の開いた
直径40cmくらいの石があります。
寺の礎石なんですが、
平安時代にこの寺が通りをつくる
邪魔になっているので、
なんとか移動してもらえませんか
と祈ったところ、
雲が沸き起こり寺が
15mほど移動したそうで、
その時に残った石が
「へそ石」といわれているそうです。
それがこれ。
平安京の中心を示す石だ
といわれています。
この石をお菓子にした
「へそ石餅」もここで生まれて
いるそうです。
ほかにも寺の池を池坊とし、
華道が発症したともいわれています。
さあこれで18番の
お参りは終わりました。
この時はそのまま19番の
行願寺革堂へと続けて
進んでいきます。
続く
西国三十三所も
今回の頂法寺六角堂で
19番目のお寺となりました。
今は車などで気軽に行けるけど、
昔はそんな風には
いかなかったんですねえ。
一生かけて少しずつ回る、
そんなお寺参りだったのでしょう。
最近なんかはほかの近辺の観光も
かねて巡ったりしています。
そして今回狙っているのは、
その19番目だけではなくて、
20番目の革堂も候補に加えて
回ることにしました。
では今回は車に乗って四条まで行き、
そこから歩くことにしましょう。
多分エックストレイルの
最後のドライブとなるでしょう。
車への感謝の気持ちも
お寺に納めてきましょう。
車を走らせて四条まで行き、
そこで駐車場を探します。
最後のご奉仕ですから
豪勢な駐車場に停めてもいいのでしょうが、
なかなかそうはいきませんね。
京都一の繁華街、四条の周りの
駐車場というのんは
普通のところより倍近い値段がします。
あちこち探しまわって、
少し南側の松原通のところに
比較的安い所を見つけたので
そこに停めて、四条の方まで
てくてく歩いていくことにします。
ここが四条河原町です。
だいたい毎年土地の値段を
やいやいニュースで流すときに、
この辺りの土地も出てくることが
多いですねえ。
普通に歩いていても
外国人が半分くらい。
アジアの人で見わけがつかない人も
考えたら、三分の二くらいは
外国人じゃないですかねえ。
そんな中、歩道を北向いて
進んでいきます。
四条通に出たら左折。
う~ん、この辺は本当に人が多い。
そして寺町通のところから
北に入っていくと、商店が
ずらっと続いています。
この辺りが「京の台所」として
にぎわう錦市場です。
一般に京都では「にしき」
と呼ばれて親しまれています。
全体的な像としては、
京都市中京区のほぼ中央に
位置する錦小路通のうち、
「寺町通 - 高倉通」間に存在する
食品販売中心の商店街だ。
魚、京野菜といった生鮮食材のほか、
乾物や漬物、おばんざいなどの
加工食品を商う老舗や
専門店が集まる市場の商店街です。
さあ、ではその様子を見て
歩いていきましょう。
まずは右手に錦天満宮の
ある所に出てきます。
ここに来たらねえ、
必ずチェックしておかないと
いけない鳥居があるのです。
それがこれ。
なんと鳥居の「笠木」、
「島木」、「貫」が両脇の
ビルの中にめり込んでいるのです。
む~、これはどちらが先だったんでしょうか。
調べてみると、ビルが後の
ようですねえ。
鳥居の柱の幅で区画整理をしたら、
あとで立ったビルの中に
鳥居の先端部分がめり込んだそうです。
こんな区画整理のミスも、
ここでは何とも京都らしからぬ姿に
生まれ変わっているんですねえ。
ここはまあ必ずチェック
しておきましょう。
そしてそこから高倉通にかけて
商店を見ながらゆっくり
歩いていきましょう。
焼き鳥や、てんぷら。
店先では歩きながら
ちょこっとつまめるような
商品を並べています。
お昼前なのでそそられますねえ。
でもなんか、てんぷらとかを
おっさん一人でつまみつつ
歩いてもなんか変な
おっさんの景色になりそうです。
「あの外人のおっさん一人で行儀悪い奴や」
と京の人々に言われそうですから、
遠慮しておきましょう。
ここはゆばの有名なお店です。
そして、ほかにも栗ポンや
みたらし団子なんかも並んでいますよ。
まあ今日の目的は西国三十三所なんですが、
この錦商店街一本に絞って、
だらだらとここを歩き回るのも
またちょっと変わった
歩き旅になりそうです。
高倉通を出ると、
こんな「だし」の自動販売機なんかを
見ながら歩ていくと、
烏丸通に出ていきます。
ここを右折すると六角堂はすぐです。
続く
早朝から入れる大浴場に行って、
朝のお風呂を楽しみ、
昨日買っておいた朝食を部屋で食べました。
もし行きたいところがあれば、
ここでもう一泊無理をいって
止まればいいかと考えていたのですが、
まあ今回のところは孫と一緒に
散歩をしてからのんびりと
大阪に向かって帰るか
ということにしました。
約束の時間に、上田城の駐車場に
歩いて向かいます。
今日は息子と孫だけです。
お母さんは仕事を休めなかったそうです。
昨日と同じ抱っこの服を着て
息子がやってきます。
ああ、doironもあんな服を着て
孫を抱っこしたいものですねえ。
上田城の中の公園をプラプラ歩きつつ、
それとなくいろんな話をしましたねえ。
ミセスも日ごろのことを
いっぱい話していました。
ゲームの内容なんかも含めてね。
真田神社の茅の輪で写真を撮りました。
じいちゃんはこんなところでは
無用にはしゃぎます。
ずーっと散歩をして息子は最後に、
「孫と十分触れ合ってくれたかな」
と言ってましたねえ。
「ああ、十分触れ合ったよ。
仕事まで休んでくれてありがとね」
といっておきました。
「じゃあ、また来るね」といいつつ、
息子も「祭りに帰れたら帰るわ」
といっておりました。
じゃあねえ、別れてこれで、
今回の孫とのふれあい旅は終わりです。
あとはのんびりと大阪に
帰るだけとなりました。
今回は、下の山道を通って
松本へ向かう道を帰りました。
ナビを入れて下道を進んでいきます。
見慣れぬ地名がいろいろ
出てくるねえ、最初は青木村の
方に向かいますが、
すこし目的地をそのままにして
山道を行くことにしましたよ。
静かな山道を進んでいきますが、
そのうちに軽自動車でも
すれ違えない道に入っていきます。
「おお~、ポツンと一軒家」
を目指しているようだあ。
実際にそんな住宅もありましたねえ。
こんな山道が続いていきますが、
ナビはちゃんと案内していますので
従っていきましょう。
ウヒャー熊が出るかも
とか言う道をよっこらせと
進んでいきます。
ああ、こんな山道だったら
新車で来てたら大ヒンシュクやなあ
というような道です。
谷筋の道ではカエルなのか
セミなのか何か生き物の声が
飛び交っています。
もう写真を撮る気力も
なくなってきたころに、
ようやく二車線の道になってくる。
ああ、こんなところ和泉ナンバーの
軽自動車で走ったのは
もしかしたらdoironだけかもしれんなあ。
街中に出て田舎道を
さらに走りようやく
松本にたどり着いたのでした。
ああここでお土産を買って
おかないといけませんね。
こちらに来たら
たいがいがまるたかの
野沢菜を買っていたのですが、
この時はまるたかの味噌も
売っていたのでそれを購入です。
松本からは、もう高速に
乗ってまっすぐ帰宅ですが、
途中doironのぐっすり昼寝時間や
ミセスのゲーム時間も作って、
SAを転々としながら
帰っていきましたよ。
それにしても最近は
軽自動車も快適ですねえ。
スピードも全然困らないほど出るし、
何も運転に疲れることもなく
名神から京滋バイパス、
第二京阪を抜けて帰宅しました。
立場的にはどこで寄り道して
泊って帰ってきても良かったのですが、
あきませんねえ。
この歳になったら家が一番落ち着きます。
四度目の長野訪問も
無事に終わりました。
さあ次はいつ行こうかなあ、
そしてついでの旅はどうしようかなあ
なんて考えつつ、
ジジババは二日間の旅を終えて
自宅で熟睡するのでありました。
ーーーーーーー
いまひとつ考えているのは、
尾瀬に行って山道を歩いてから
孫に会いに行くというツアーです。
果たして実現しますかね~
誕プレのおもちゃを買いに来たのは、
トイザらスでした。
おもちゃってどんなのを
買えばいいのかなあと考えました。
まあ、なにか陽気な楽しいのが
いいなあとか考えて、
結局簡単な音のする
子供用のピアノのようなものを
買いましたねえ。
これで楽しく遊んでもらうのが
いいかなあって感じでね。
でもほんとに意外に
むつかしかったです。
まあその辺のことに
最近はあまり目が向いていなかったのでねえ。
これからは気にしておくことにしましょう。
そうしておもちゃを買ったら、
まあ大体の用事は終わりです。
遠くのおもちゃ屋さんに来たので
帰りは孫と戯れながら帰りましたよ。
今度来た時は、じいじ、ばあばとか言って
遊ぶのかなあ。
そして歩いて動き回ったりしながら、
遊んだりするのかなあって
感じでしょうね。
その日はそれで終わりです。
車をとめてあるスーパーに戻って、
いったん別れましょう。
明日もまた遊ぶのでねえ。
月曜日なんですが、
息子は休みをとってあるようです。
じゃね~と少し寂しさを放ちながら、
我々は上田駅前のホテルへと
向かうのでありました。
もうこの辺りは何度来たでしょう。
上田駅前はかなり詳しくなっています。
ミセスが休憩している間、
一人でウロウロ歩いたこともあるので、
裏手の方も結構歩きましたね。
この日泊まったホテルももう
4度目ですかねえ。
大きな風呂のあるホテルなので
お気に入りで選んでいます。
部屋に帰ってから早速風呂に行き、
朝からの運転の疲れも含めて
湯に流しましたよ。
そして、さあでは晩飯に
出かけることにしましょう。
今日はどこにするかなあ。
いろんな店が並んでいますよ。
マグロ専門店なんてのも
こんな山の中の都市にあるんですねえ。
疲れをいやす、あっさりと居酒屋風の
お店でいいかと考えつつ歩いていたら、
手作り豆腐の居酒屋店
みたいなのを見つけましたから、
そこにしました。
これが、そんな手作り豆腐です。
ほかにもこちら独特のイナゴの
佃煮なんかもありました。
僕はちらっと興味を示したのですが、
ミセスはそんなの注文したら
私は即この店を出ていくからね
と強気です。
だからなにがなんでもパスです。
意外に海の刺身なんかが
おいしかったですねえ。
山国はやはりなんかそんな海のものに
憧れたりするんですかねえ。
生ビールを二杯半飲んで
気持ちよくごちそうさまです。
かえりは上田駅をウロウロしました。
上田には電車が色々とあります。
北陸新幹線、しなの電鉄、
上田電鉄。
新幹線はJRなんですが、
ほかの線はJRなのか
民鉄なのかわかりません。
多分JRの線を残した
第三セクターとかの電車が
多いのでしょうかねえ。
まだはっきりしませんので
また調べておきましょう。
でもねえ、新幹線があるのだから、
東京であそんで新幹線で
こちらに来るというのも
一つの旅の手段なのかもしれません。
息子の家は新幹線の電車のそばですから、
まもなく通るよとかいいながら
新幹線の窓から手を振るのも
いいかもしれません、
て見えないかあ。
東京マラソンが近づいてきましたよねえ。
なので最近は東京への旅行に
興味を示しています。
新しくできつつある競技場や水泳場、
選手村なんかも見てみたいですねえ。
マラソンコースなんかも下見して、
応援の下見もしておきたいなあ
なんて考えたりしています。
上田の町を酔っぱらい加減で歩きながら、
東京オリンピックと孫訪問に
思いをはせていたじいちゃん、
ばあちゃんなのでした。
コンビニで追加の酎ハイや
おつまみをかって行って
部屋でのんびりしていたら、
息子から連絡があり、
あしたは孫と上田城の中を散歩しようと、
場所や時間の報告がありました。
たのしみですなと、続く。
「やあ、久しぶり。足の調子はどうや」
「問題なしやで」といいながら
前に抱いている孫に
「こんにちは」とあいさつすると、
「うえ~ん」と泣き始めたではないですかあ。
ああやはり久しぶりだと
緊張するんですかね、
ていうかそんな幼い子どもに
前回会った記憶などないやろから、
今はまったく見ず知らずの
おっさんなんでしょうねえ。
それに、「車の中で睡眠しているのを
起こされて機嫌も悪いんやあ」と
お父さんは言っておりました。
まあまあ何とかなだめつつ、
息子の車でお蕎麦屋さんに
向かいます。
車中でも後ろに座っている、
おっさん、おばさんのことは
気になるらしく、視線を送ってきます。
そのたびに「えへえへ」とか
言って笑っていると、
少しずつ慣れてきたようで、
笑顔も見れるようになってきましたね。
結構車を走らせて、
やってきたのがこんな蕎麦屋さんでした。
「ふるさとの草笛」かあ。
いいじゃないですかあ。
何となく高原のそば畑を
駆け抜ける風の音のようなさわやかな味・・・
ん?待てよ。
その下に「蜂天国」と
書いてあるじゃないですか。
も、もしかして、この地方の独特の料理である
「蜂の子」の佃煮とかが
入っているソバなのか。
突き出しはイナゴやザザムシだったりして、
と心配になりましたが、
どうも違うようでした。
駐車場の奥に「蜂」を中心にした
展示室があるようです。
あ~よかった。
もう息子の強烈な自己主張で
地獄に彫り込まれるのかと
心配しましたが、そうではないようです。
でも帰宅後調べてみたら
この蜂天国って面白そうで、
こんな招き猫のハチの巣や、
七福神のハチの巣なんかも
展示してあるようです。
なんか強烈な置物ですねえ。
よくぞこんなところに
ハチの巣を作ったものですな。
結局そんなところには入らずに、
広い蕎麦屋の座敷見たいな
食堂に入っていく、doiron家なのでした。
ここは結構流行っていますねえ。
お昼も少し過ぎていたのですが、
家族連れなどでいっぱいでした。
ビールはさすがになしで、
あれこれと注文し、
すぐにおそばが出てきました。
そんな郷土色豊かなそばではなくて、
普通のおいしいそばでしたねえ。
味はというと、実はあまり
覚えていません。
こちらは孫の動きが気になって、
気になってね。
おお~今つかまり立ちをしたぞ。
こっち向いてじいちゃん
ばあちゃんを観察しているぞ。
ウヒャーお父さんがスプーンで
離乳食をあげているぞ。
ばあちゃんの「いあないいないばあ」に
大笑いしているではないか。
まあそんなことばかりに
気持ちを走らせていて、
結局どんな味だったのか
よくわからないまま、
名物そばをいただいた
爺さんなのでした。
そうして孫とのコミュニケーションを
深めつつ、そこから今度は
孫の誕生日祝いとなる
おもちゃを買いにお店に
向かう我々でした。
車の中ではおなかが
いっぱいになって、
孫も居眠りをしている状態です。
ウヒャー、眠っていても
可愛いですねえ。
思わずほっぺを触りたくなります。
まわりは上田から東御にかけての
景色が続いていきます。
冬は雪だらけなのかなあ、
今は気持ちいいよなあ。
そうして外の景色も見ながら、
しみじみと思いました。
父さんが子どもの時はdoironが
運転していっぱいあちこちに
遊びにいったよなあ。
でも今はそんな見慣れない景色の中で、
彼は離れて暮らしているのだ。
もうまったく人生は
どうなっていくのか
よくわからないままでも、
どんどん進んでいくのですねえ。
今はよしよしとあやしている孫も、
将来はついていけないほど
走り回ったりするんやろなあ。
息子も少し走ったりするように、
孫もマラソンしたりするかなあ。
孫子や見慣れない土地を見ながら
そんな感慨にふけるdoironなのでした。
続く