ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

柏原といっても兵庫県 2

2015年12月27日 20時45分16秒 | ウォーキング

この太鼓楼の前に、
野口雨情の歌に出てくる一節が
書かれてあります。



「町の真ん中 櫓の上で つつじ太鼓が 昼寝する」

この歌碑が書かれてある石を見てみましょう。
後ろはごつごつの石なんですが、
刻み面はとてもきれいですねえ。



これはやっぱり石の加工でこうなるんでしょうか。
石のことはよくわかりませんが、
立派な石碑でした。

さあ、この後はもうすぐ木の根橋です。
歩いていきましょう。

おっ、この猫はなかなかのやつです。



運んでくれということでしょうか。

突き当りの道を左に曲がりますと、



見えてきました。
大きくそびえる、木の根橋の
「大ケヤキ」です。

普通はこんな名前の「木の根橋」ですが、
反対側を見てみると、
樹齢1000年を超える
大ケヤキの根っこが見事に川を渡っています。



いやあ、なかなかのものです。

いつまでも大事に育ててほしいですねえ。
いやあ、満足しました。

では帰りましょう・・・ではなくて、
まだまだ歩きます。

この木の根橋のすぐそばにあるのが
「織田神社」です。



柏原藩三代目の藩主である
「織田信勝」を主祭神として、
創建されました。
そのご、信勝が死んだあとは
彼に継嗣がなく、柏原藩は絶版となったそうです。

町そのものも2004年に
大合併により「丹波市」になったものです。

ここが「丹波市役所 柏原支所」ですが、



屋根には昔の「柏原町」の
マークの入った瓦が残っているようでしたねえ。



さあ、それではさらに東のほうへと
進んでいきましょう。



これが、ミセスの卒業した大学のジムの
柏原支所のようなものでした。



それを眺めながら進んでいきますと、
「建薫神社」に到着します。



この神社、祭神は誰だと思います?
なんと、あの天下統一の偉業を前に
本能寺で倒れた織田信長なんだそうです。



全国で信長を祀る神社は、
京都と天童市とそしてこの柏原の
3か所あるそうです。

ちょっと貴重ですね。

道は、官庁の建物をいくつか過ぎ、





やがて広い通りに出てきます。

そこにあるのが「柏原藩陣屋・長屋門」です。



この中に入るには、
あとで尋ねる「柏原歴史民俗資料館」で
入場券を買わねばなりません。

まあ、せっかくですからあとで再度きましょう。

その長屋門の前に
なにやら記念碑のようなものがありますので
行ってみましょう。



まず最初がこれ。
「織田信包公」の碑です。



あの信長の実の弟で
柏原藩初の藩主となっております。
そしてなんとこれが、
旧「柏原町道路元標」です。



おお~、秋に伊丹に行った時以来の道路元標です。
これでdoiron収集8本目となるはずです。

この道路元標て、
意外なところにあったりするから面白いですねえ。

そして、さあその横にあるのが、
「田ステ女」の幼児像でした。



それにしても「田ステ」とは偉い名前ですね。
と思ったら、子孫には参議院議員
「田英夫」とかいるんですねえ。

さあ、それでは柏原町歴史民俗資料館に
入っていきましょう。



店内はすべて写真は禁止ですので、
残念ながら何も撮影できませんでした。
昔使っていた道具のほかは、
「田ステ」の関連もたくさんありました。
まあ、中身はそんなものがあれこれです。

このときのチケットがあれば
先ほどの施設にも入っていけますので
向かいましょう。

と、歴史博物館の前に立派な建物があります。
これは何でしょうとじっと見ていたら、
むむ~なんとこの立派な建物は小学校でした。



実はこのまち、
駅から歩いてくる間もずっと思っていたんですが、
結構ゆうふくなんですかねえ。

立派な家や施設がたくさんありました。
お金が結構あるみたいにね。

ミセスもこの町やったら住んでもいいかも~
なんて言ってます。

まあそれはないでしょうがと続きます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿