病気の息子の見舞いに来たのに
もう7話になりましたが、
まだ手術の時を迎えていません。
病院へと向かうdoironの朝の
歩きが続いているところです。
そうしてようやく、
松本城に到着です。
この城は小笠原氏が深志城として
建設したもので、のちに
石川氏により松本城として
作られてきたものです。
天守閣は「烏城」といわれるほど
黒く塗られていますが、
今は国宝としてそびえています。
バックに雪を抱いた
北アルプスの山々があって
いい景色ですねえ。
この天守閣の中には依然来た時も
入ったので、今日は周りから
眺めるだけにしておきましょう。
見ていると、こんなに朝早くの
ころから結構大勢の人が
天守内をウロウロしているのが
見えますねえ。
あ、もしかして嵐が休止宣言を
出した後なら、
ここに嵐ファンが来て
いたかもしれませんねえ。
松本城だしーーー
その前だったのですが
こんなに人が入っているなんて
とても人気のようです。
さすがにここまで来ると
他国人も大勢来ているようです。
天守閣の周りの史跡の部分を
ぐるっと時計回りに
回って行きましょう。
山がきれいですねえ。
左の方に見えている高い山が
常念岳です。
標高は2857m。
雄大な景色ですねえ。
そして驚くことにここから
とんでもない山が見えているのです。
標高3180m。
北アルプスの中でもダントツ有名な山です。
常念の稜線を左の方に
降りていくと、
隣の山とのコル部分に
そびえているのが
「槍ヶ岳」です。
まだ、こんな山に
全然近寄れなかった昔なら、
奥の奥の山として
信仰されたでしょうねえ。
槍ヶ岳には二度登っている
doironですが、こうしてみると
すごい山だったんですねえ。
城はというと、ここからだと
逆さ城も見えますねえ。
水の中だと天井の梁の部分が、
鳥が飛んでいるように見えますねえ。
そしてここからも、
松本城の古い歴史が
うかがえる写真が撮れますね。
外国人風ですが三脚を設置して
構えている観光客もいましたねえ。
裏側に回っていくと木に
こんなヤドリギが
付いていましたねえ。
で、よく見ると、そのヤドリギたちの
隙間に一羽の鳥が止まっていますよ。
強そうな鳥に見えますねえ。
さすが松本、猛禽類かもしれませんが
ちょっとわからずじまいでした。
そしてここが松本神社です。
今大変なのは大野神社、桜井神社、
二宮神社、そして松本神社ですね。
いろんなファンが押し寄せる
のでしょう。
残念ながら「相葉神社」は
あるとは聞いていません。
大野神社は金勝アルプスの近くで、
桜井神社は堺の泉北ニュータウン、
二宮神社は和泉の二宮ということで
穴師神社、そしてこの松本神社と、
doironはどこもお参りしましたねえ。
きっと今頃はどこもえらい
にぎやかなんでしょう。
この神社には井戸があり
飲料もできるようです。
この先からこんどは松本城の
二の丸の方に入っていきましょう。
ここは発掘作業が進められていて、
地面にいろんな部屋の後なんかが
書かれておいてありました。
その端にあったのが
「明治天皇駐蹕遺址」の石碑です。
明治天皇は若くして
日本各地を巡行してはります。
ここには明治13年に来ていますが、
その時も山梨、三重、京都を回った時に
立ち寄ったところです。
二年前には北陸、東海道。
明治14年には北海道、東北を
回っています。
まだ電車もろくになく
険しい山道を自分の足で
登ったこともあったでしょう。
それでも巡行を続け
広く新国家をお披露目し、
人心を束ねていったわけですねえ。
その二の丸のあたりから
天守閣を見ると、
大きなはしごカーが
活動しているよ。
ああ、そうかあ、
この日は松本城の防災訓練の
日だったんだ。
警備員さんに聞くと、
それはそれでいい日に
来られましたねえと
感心してはりましたとさ。
続く
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