玉手山公園のいろんな石碑を見たら
さあ下っていきましょう。
ここを降りて行ったら
玉手山の古墳の方に出ていきます。
あ、でもその前に
安福寺の横穴古墳群を
見ていきましょう。
凝灰岩の横に掘られた
32もの横穴は6~7世紀ごろのお墓です。
このころ横穴を開けて
お墓にするというのは
大阪では珍しい行為でした。
なんとも静かな感じの場所でしたねえ。
片隅にはこんな
「あんぷくじみち」と書かれた
道標や力石なんかも
置かれていますねえ。
さあ、ではここからまた
住宅街に入っていって、
玉手山の古墳群を見ていきましょう。
え~この辺り、
道がくねくねしていて
アップダウンもあり。
途中で道がわからなくなって
しまいましたが。
まあ何とかたどり着いたのが
「玉手山1号古墳」でしたねえ。
今自分のいる当りが
ややこしくなってきましたし、
この辺りから見える山の景色も
あまり知らないので、
まあとにかくこちらが
電車の駅だろうという
予想をつけて峠道を
下っていくことにしました。
下から頑張って登ってくる
高齢者なんかを眺めながら
進んでいくと、
河内国分の駅の方へと
ええ加減に降りてきましたねえ。
さすがにdoiron。
毎日人生の下り坂を
転げ落ちているだけあって、
下り坂は得意です。
道はここからしばらくは
線路沿いに南下していきましょう。
あ、その前にぼちぼちお昼です。
コンビニがあったので、
昼食にしましょう。
今日のお昼は
このおにぎり一個です。
ううっ、ダイエットはつらい。
この国道沿いには葡萄の
道端販売のお店があります。
以前の職場で実家が
こういう葡萄畑をされている方がいて、
よく葡萄をお世話いただきました。
そんな先輩がお店に出ていたら
面白いのになあなんて思いながら、
遠目に店をのぞき込んでいきます。
まあそんな出会いは
ありませんでしたけどねえ。
そうして田辺の交差点まで
来たら鋭角に左折です。
この辺りは道がきれいに
整備されていますねえ。
道端にはガマの穂なんかも
咲いています。
そんな道の突き当りにあるのが
国分神社
鎌倉時代の神社といわれています。
境内のなかはとてもきれいでしたねえ。
そして神社の関係者の人も
ここはとても親切でした。
この丘陵のてっぺんにある
松岳山古墳への道を聞いたら
ちゃんと教えてくれました。
「木はかなり切ってあるんですが、
大和川まで見れるほどには
なってないでっすよ」とのこと。
「はい。わかりました」と
お礼を言って登っていきます。
こんな急坂を上がっていくと、
てっぺんには石棺のようなものが
置かれていました。
さあこれで玉手山周辺の
見どころは大体回りましたねえ。
では河内国分の駅の方に
向かっておりてゆき、
そこから大和川を渡って
JRの高井田駅へと向かって行きましょう。
このあたりは旧奈良街道と言って
ちょっと雰囲気のある道ですねえ。
こんな虫籠窓のある
古い家なんかもありますねえ。
街道のような道を歩き始めたら、
道は大和川の橋を渡る道に出てきます。
その橋というのが、ここ。
国豊橋といいます。
大和川はこんな感じね。
この橋の突き当りのところに
高井田の古墳群もあり、
横穴なんかも面白そうなんですが、
さすがにこの日は暑かったです。
近くまで来てるのですが、
横穴に行くのはやめて
もう今日は終わりましょう。
また別の日にゆっくりと
ここはせめてみたいなあと思います。
右折して高井田駅前の
白坂神社に立ち寄って、
駅へと向かいました。
この日あるいたのはこんなコース。
距離は約8キロでしたが
暑くて大変な一日でした。
たまたまではなく、
歩きの延長でやってきた玉手山。
真田幸村は九度山を逃れ
ここにやってきて戦いにやぶれ
大阪市内で打ち死にしたとか
逃れたとかいわれています。
いずれにしても、彼が晩年
最後に見た景色の近くを
歩いてきました。
町は今も発展あるいは縮小を
続けているのですが
彼が生きてきた歴史の断面は
いまもなお地域に根強く
残っているのですねえ。
これにて真田一族訪ね旅
おしまいです。
最新の画像[もっと見る]
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます