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全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

淀川完歩35 毛馬についた

2016年06月12日 21時15分47秒 | ウォーキング

ここから先は「禁漁区間」という
石を過ぎると、淀川の重要機関



毛馬の閘門に到着です。



毛馬という地名ですが、
不思議な名前ですねえ。
まるでたてがみに覆われたような
強そうな馬がいたとか、
馬の上で髪の毛を揺らしながら
活躍するdoironのような
侍がいたからとか
そんなんでしょうか。

調べてみますと・・・
この辺りは旧東成郡毛馬村の一部で、
天正年間に織田氏が
この地に毛馬城を築き布陣したこと、
また古くは雑草の茂る
毛志島と呼ばれ、
それがなまって毛馬となったこと
に由来するとの2説があります。

前者だとまださらに
毛馬の意味が分かりませんねえ。
色のきれいな馬でもいたんですかねえ。
よくわかりませんでした。

今、この毛馬という土地には、
前回doironが歩いた
大川(実はこれが昔の淀川)と
今の淀川の接する閘門があります。

なぜ閘門かといいますと、
いらない水などを排出するためです。
いや、それは肛門
じゃなくて
本線と大川の水位が異なるために
その調整をする水門がついているのです。



またそのほかの機能としては、
大川の水を強制的に
淀川本流に戻す排水機場もついています。

実際どのようなときに
どんな施設が動くのか、
その仕組みなんかも
よくわかりませんが、
そこにある大きな施設が
淀川河口地域の水環境改善に
大切であるということは
よくわかります。

ちょっと周辺を歩いてみましょう。

自転車が一台通れそうな
小さな入り口から、



閘門の前のところに入っていきます。



この大きな名前の書かれてあるのが、
校門の内壁でしょうね。

川側の景色はこんな様子です。



橋を渡ったところに
いくつか案内板などが
ついています
順番に見ていきましょう。

まずこれが「毛馬洗堰」の説明版。



あれ~これは旧の洗堰施設かなあ。



10の門のうち3門残っている
と書かれてある。

う~ん、ここの施設は複雑すぎて、
また新旧があって
何がどうなっているのか
よくわかりません。

くるっと回るとこれは

「沖野忠雄」像です。



この人が毛馬閘門の築造に
貢献した人だそうです。

その像の後ろには
「淀川改修紀功碑」が立ち、



その周りには大阪城築城の際に
運ばれた石垣の石が
ここで船から落ちて
川底に転がっていあたもので
「毛馬の残念石」と
名付けられて転がっています。





それからこれが「眼鏡橋」の旧跡です。



淀川改修の際に集められた
土砂などを運搬するために
設けられた長柄運河の
入り口にかけられていた橋です。



おおきな丸い橋げたを
眼鏡に例えていたようです。

あ、そうそうこの毛馬の残席あたりには、
こんな風に北を向いて立つ
「北向き地蔵」もたてられてありました。



それから淀川改修に当たり、
昔大切な技術を持っていた人に
オランダ人の「デ・レイケ」さん
という人がいました。

これまでの淀川歩きの中でも
何度か出てきた人です。

そんなデ・レイケさんとの交流から、
日蘭交流の400周年記念広場
なんてのもここにありました。



琵琶湖は上流から流れてきて、
南郷洗堰、天ケ瀬ダムなどと
並んでこの毛馬の当たりは
この川の水の流れを制御する
大きな施設の一つとして
活躍している施設でしたねえ。

ここから長良橋を越え、



距離標も9キロとなったところで、



前方にJR京都線の鉄橋が見えてきました。



ではここらで今回の淀川歩きの
終点といたしましょう。

ここからJRに沿って
町の中に戻っていきます。

途中、中崎町の古い民家を
改良したようなお店が
いっぱい並ぶ中を歩き、



地下鉄の中崎駅でナビをストップ。



今回はこんな感じで
約10キロを歩きました。



たぶんあと残りは9キロもありません。
次回の歩きで一応淀川完歩終了でしょう。

でもねえ後半は対岸のほうにも
見どころがいっぱいあったようで、
そのへんも含めて
まだまだおつりで歩いてみよう
とおもいつつ、今回はこれで終了です。


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