ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

真田なんだな 1

2015年02月25日 21時18分56秒 | ウォーキング

大勢の人々が暮らし、
一見隙間もなくビルが建ち並んでいる都会の中にも、
ゆっくりたどれば
時の流れを越えた数々の想いの痕跡を発見します。

今回は、以前歩いた暗越奈良街道の
最後に訪れた「玉造(たまつくり)」より、
街道筋を少し外れて
浪速の宮に向かうコースを歩いてみました。

「玉造」といえば、
古墳時代に勾玉(まがたま)を



作る人達が住んでいたことから
ついた地名であることはご存知ですよねえ。

大阪の大半が海だったころでも
このあたりは人が多く住んでおり、
遺跡の跡が発掘されるところでもあります。

駅に着いたのは午前10時25分。

おお~、環状線の横に電車がはみ出しています~



いやいや、そんな店ですから。

では、ナビをセットして歩きはじめましょう。

今回は時間の都合で、
全長6キロばかしのこんなコース。



大阪城にもまわりたかったのですが、
梅の季節に行くのがいいだろうから、
そこは次の機会に譲ることにして、
とりあえず谷町4丁目までのコースを設定しました。

最後に大阪府庁に立ち寄って、
街道マップを手に入れようということも画策していました。

昔、といってもそんなに昔ではないのですが、
大阪城近くに砲兵工廠があった頃、
そこで働く人たちが大勢住んでいて
賑わっていたという、
玉造の「日之出通商店街」にまず向かいます。



おっと、その前に駅近にあるという

「壽福延命地蔵尊」

に立ち寄ってみましょう。

狭い路地の突き当たりにそれはあります。
ここ。



その路地に入ってくるのは、
地蔵目的しかないので、
地蔵堂の前でお世話をしていた人が
遠くから「ん?」という顔でじっとこちらを見ていました。
地蔵さんのような女性です・・・
あ、といっても頭がツルツルではなく
愛想のいいふくよかな~って意味でっせ。

doironも負けてないけど・・・

いわば地蔵同士の邂逅です。

話を聞いたら、地域の自治会の人で
この地蔵の花を替えたり、
掃除をしたりのお世話をしている人だそうです。

そういえば、スーちゃんも元気な頃は
村の地蔵のお世話をしていたことがあります。

初っ端からそういう人に会うとは、
スーちゃんの巡り会わせかもしれません。

写真を撮ろうとすると、
ちょっと待ってといって
ローソクに火をつけてくれるのですが、
扉を開いているとすぐに消えてしまいます。

「そのままでいいですよ」と
お断りして写真をパチリ。



ビルとビルの隙間にひっそりとたたずむ地蔵で、
そこだけが別世界のようでした。

日之出通商店街は、
昔ながらの商店街です。

そこここの店で、お客と店の人が話し込む姿が見られ、
地元密着度の高い商店街であることを伺わせました。

そして商店街のあちこちに
この旗が立っていました。



一番上に六文銭が描かれ
「幸村ロード」と書かれています。
おお~一番下には
勾玉も描かれています。
ここは幸せな村なんでしょうか。
いえいいえ違います。
その理由は、商店街を抜け、
玉造筋を横切ったところにある「真田山」です。

江戸時代初期の武将、
真田幸村ゆかりの場所です。

彼の話が来年のNHK大河ドラマに決まっていますから、
その人気にあやかろうと
商店街も活気づいているようです。
そうか、来年は真田なんだな。

その真田山に行こうと地図を見ていますと、
スーパーのあるところが目印になっていましたが・・・
実際にはそのスーパーがありません。

店先で暇そうにしていた
doironと同年輩くらいの店の人に聞くと、
何年か前にスーパーはなくなり、
今はドラッグストアになっているとのことでした。

なるほど、そういう店なら行ったり来たりしている時に
何度も前を通りました。

地方の地図だと、
大きな杉の木が目印になったり、
鳥居や道標が目印になって道をたどるのですが、
店の名前なんかを書いてある都会の地図は
店の盛衰でどんどん変わるのが厄介です。

教えていただいた店の人は
まだ何か話したそうでしたが、
丁寧にお礼を言って、
真田山の方へ向かうことにしました。

続く


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