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いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

龍野に行ったの 2

2017年05月01日 21時15分03秒 | ウォーキング

いやあしかし日本の公害対策技術も
たいしたものですな。
もしアジアのどっかの国に
こんな醤油工場があったりしたら、
においに加えてPM2.5の
醬油ミストも飛んできそうですな。

で、ここで問題です。

なぜこの醤油の会社名が
「ヒガシマル」なんでしょうか。

もうそこからこの龍野のまちの
歴史に触れていくことになります。

まずは、なぜこの辺りは

「龍野」

と呼ばれていたのでしょうか。
そこから入ってみましょう。

この龍野の名前には、
このブログにも何度か
出てきたことのある相撲取りが関係しています。

野見宿禰です。



あの奈良の当麻蹴速と
戦い勝った方ですね。
これが相撲の始まり
と言われていますね。

その宿禰がこの地で没し、
出雲から多くの人が来て、
揖保川の石で墳墓を作るため
人が野に立ち並んだところから
「立野」といわれ、
それが「龍野」になったといわれています。

で「ヒガシマル」なんですが
脇坂家などの領主のもとに
城下町が作られましたが、
明治になってヒガシマル醤油の前身、
淺井醤油に藩から払い下げられた
直営醤油醸造所「物産蔵」が
〈東蔵〉と呼ばれていたことが
ヒガシマルの由来のひとつだそうです。
家紋がこれだったそうです。



それに加えて、
「社運が旭日昇天の勢いなれかし」
の願いも込めてこの名前が
定められたものといわれています。

創業400年という古い会社なんですね。



醤油の町としては、
これまでいろんなところを訪ねましたねえ。

まずは小豆島。

これはオリーブマラソンという
10kmのレースに出に行きましたねえ。
もう30年以上前ですが
doiron生まれて2回目の
10kmレースでした。

直前が堺シティで51分で走り、
次に出たここのレースが44分。

7分も縮まったのですから、
あと三回出れば世界記録だ
といってましたね。

でもそのレースが
小豆島の醤油工場を横切るレースで、
案の定、極強烈な醤油の香りの中を走りました。

もうイカの刺身になった気分でしたな。



エイドステーションは、
ワサビだったりしてね。

あ、ここのゴールのごちそうが
ソーメンでした。
風呂桶にいっぱい入れてある
あの光景が忘れられません。

そしてもう一つの醤油の町は
「湯浅」ですね。



夏にここの海にもよく行きましたし、
熊野古道に関して
結構歩き回った所です。

そういえばそこもあまり
においはしませんでしたね。

そうそう、あと飛鳥の岡寺あたりにも
造り醤油屋さんがありました。



そう考えたら、醤油工場のある町は
結構歴史のある古い街が多いようですね。

ここの醤油はなんといっても
「淡口醤油発祥地」の醤油ですねえ。
漢字は普通は「薄口醬油」なんですが
ヒガシマルは「淡口醤油」と言ってます。

1666年(寛文6年)に
この龍野で円尾孫兵衛という人が、
醤油もろみに米を糖化させたものを
混ぜることにより色の薄い
醤油を創り出したのが
最初と言われています。

関東の濃口とはこんなに色が違いますねえ。



でもこんなおいしい
醤油のある日本に生まれてよかったですなあ。
今夜はまあ頑張って帰って、
刺身で一杯と行きますかねえ。



とまあ、こうして駅前にある
醤油会社をじっくり眺めただけで、
もうかなりこの「龍野」とは
いいお友達になれたような気がしますねえ。

もしかしたら会社の周りに
醤油の自販機なんか
あるかもしれないなあ
ときょろきょろしながら
進んでいきましょう。

あ、マンふたはやっぱり赤とんぼの模様ですね。



「夕焼け小焼けの赤とんぼ・・」
の歌を作詞したのが、
ここ龍野に生まれ
龍野に育った三木露風ですね。

ここではマンふたはじめ、
いろんなところに
赤とんぼマークが出てきますねえ。







まあこれに関する地域も
後ほど歩きますよ。

工場街を出たら道は醤油が
染み込んだような
しずかな田舎の村中を抜けて行きます。

続く


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