さあ、この辺まで来たら
クスノキの姿もかなり大きくなりました。
テレビでは視聴者がこの辺の
親戚に来た時に、ここの森を
見に行こうと歩いて
やってきたそうです。
でも実際に近づいてみると
それは一本の大きなクスノキでした、
というハガキを書いてきており、
火野正平にそこへ行ってください
というものでした。
確かにかなり大きな
森のようにも見えますね。
大和街道から宝来山神社が
見えるのですが、
少し距離が離れています。
もうここから目標のクスノキも
見えていますから、
寄り道ももうできませんね。
踏切のところにある石仏や
地蔵さんがいっぱい入った
お堂を眺めておきましょう。
あっ、線路のところには
わかりにくいのですが
カラスウリが一杯実を
つけていますねえ。
その先からこんな古い倉庫の
ある家を通過して進んでいきますと、
こんな石が立っています。
「一字一石」と書かれていますねえ。
お経や経文の中の一字を
石に書いて埋設したものです。
大和街道沿いでは通行人の安全や
水難除け、さらには悪疫が
入らぬようにとの願いを込めて
建てられているそうです。
あ、そこからもうクスノキが
デーンと見えていますねえ。
ではもっと近づいていきましょう。
これが裏側から撮った写真。
クスノキの周りは小さな空き地に
なっており、正面の方から
見た姿がこれです。
う~ん、大きさがよくわかりませんね。
ではタイマーを使ってdoironを
一緒に写してみましょう。
え~っと身長が190㎝の
doironでもこんなに小さく見えます。
その横にあった案内を見ますと、
名前が
「十五社の楠(じごせのくすのき)」
といいます。
幹周が約13メートルで
樹齢は600年を超えるといいます。
全国的に見て43番目の大きさの
木らしいです。
そしてそこには
「和歌山ならず近畿で最大」
と書いてありましたが、
これはどうなんでしょうか。
こんどドジ旅で行く、
大阪門真の薫蓋楠は
樹齢が13.8m、
樹齢は1000年、
そして全国的に38番の木
といわれていますから、
ここが近畿最大というのは
ちょっと疑問符です。
きっと、なにか別の比較も
含んでの話かもしれません。
まあ、和歌山については、
二番目の有田神社の大楠が
12.20mなので、
こっちは最大なのかもしれません。
この十五社に近づいてみますと、
幹の真ん中に大きな隙間が
空いています。
火野正平はここに座って
手紙を読んでいましたねえ。
いやあ、まあ最近門真当りの
大きなクスノキを見回してきたのですが、
ここもなかなか迫力の
歩きだったでしょうねえ。
樹齢から考えてこの木も
いろんな歴史を見てきたでしょう。
大和街道を歩くいにしえ人の
歌も聞いてきたんでしょうねえ。
参勤交代も眺めてきたんやろね。
人間の歴史を大きくまたいで、
しっかりとそびえ続けてきたんですねえ。
さあ、これで今回の目的は
果たしました。
ここからは笠田の駅へと
向かって行きましょう。
この十五社のクスの横にある
小学校を眺めながら、
こちらが駅方面やなあ
と思って歩いていると、
あれ、行き過ぎたかなあ
という感じになったので、
中学生に道を聞いてみると、
「ああ、この先の交差点を
右に曲がるとわかると思うよ」
と丁寧に案内してくれました。
ありがとう、といって進んでいき、
右に曲がろうとしつつ後ろを見ると、
大きな姿勢で
「そうそうそこを右」みたいに
案内してくれました。
いやあ、ありがとさんです。
今回歩いたのはこんな感じ。
距離にして8.6キロですが、
最初の内田までの歩きを入れると
やく10キロのコースとなりました。
結局歩いている間に、
食堂、コンビニ等もなく
手持ちの小さなパンで
すませた歩きとなりました。
大和街道もここまで来たら
和歌山からの空白を
埋めておかないと置きませんね。
次回はちょっと戻って、
田井ノ瀬から船戸の街道未知の区間を
歩きに行きますかね。
今回はこれでおしまい。
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