ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

福井満喫 一乗谷へ1

2020年08月21日 21時34分51秒 | 

今年になってから
福井もかなり回りました。

まずはこの春に18切符で
回った旅で、鯖江、福井駅、
福井城と回りましたね。

そのあと恐竜博物館、東尋坊と
最近は回っています。

そして今回はその福井まわりの
第6弾で福井城が栄える前の
一乗谷の遺跡の方を
回ることにしました。

回ったのは車です。

18切符はやはり蜜の中で
進んでいくから、
まだちょっと抵抗ありますからね。

高速道路の18切符とかないかなあ。
むかし高速道路をどれだけ
乗っても1000円ていう
政策を展開していた時代があったなあ。

doironが高速道路と仕事の関係で
かかわっていた時代で、
この政策により道路公団の
対応がめちゃめちゃ
固くなったときがあったなあ。

ま、それはさておき、
北陸自動車道の福井で降りて、
国道158を東向いて走っていきます。

足羽川沿いの道です。



福井北部の川はすべて
最終九頭竜川に合流して、
あの三国の堤防のところから
日本海にそそぎます。

この足羽川はその支流で、
さらにその足羽川にそそぐ
一乗谷川の流れに沿って、
この一乗谷の遺跡が広がっています。

ここは戦国時代に朝倉氏五代が
103年間にわたって
越前の国を支配した城下町跡です。

武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や
道路に至るまで町並が
ほぼ完全な姿で発掘され、
国の重要文化財・特別史跡・特別名勝に
指定されています。

1573年に信長に攻められ
灰燼に帰したこの城下町も
1967年に発掘が始まって、
当時の姿そのものを
連想させるような形にまで
整備されているようです。

まずは「水の駅」といわれる
ところに立ち寄ります。



ここには足羽川から水路がひかれ、
その周りにビオトープを
設けていますねえ。
ヤブカンゾウや



ネムノハナが



咲いていたり、羽の黒いトンボが
飛び交っていました。



ハグロトンボだと思われます。

きれいな水、深そうな山々、
広々とした田んぼ。
豊かな自然に囲まれたいい所です。



ここでお土産を見ていこうと
物産コーナーに立ち寄ると、
まあたいていは他とよく似たものが
並んでいるのですが、
ひとつ驚くものが。

ミセスがよく作っている
「空き缶風車」が、
なんとお土産コーナーの片隅に。

ああ、こんなものを
売っているんですねえ。



驚きでした。

さあそれではここを出て、
さらに一乗谷川谷の奥深く、
発掘現場の方へと
向かって行きましょう。



しばらく行くと一乗谷朝倉氏の
遺跡資料館があるので
よっていきましょう。



あ、その前に電車が見えましたよ。
小さな車両で足羽川を渡っていきます。

越美北線です。

学生のころ深田久弥の書いた
百名山の本を、
自分の本棚の一番上の
目立つところに並べており、
折々に読んだりしていました。

その中の福井県の山で
「荒島岳」という山があります。

標高1523mの
さほど高くはない山なんですが、
これが静かないい山でした。

山ってこんなにやさしさが
あるんやと思った山でしたが、
山頂に登ってみてびっくり。

荒々しい白山の景色が
目の前に一気に広がります。

やさしさの中には
必ず厳しさもあるんやで
と教えてくれたような山でした。

その山に行く時に、
乗った電車が越美北線でした。
3回はいったなあ。
冬のスキー場の片隅にテントを張って、
登山しました。
あの時に登った山は・・・

と言い出すとまだまだ続きます。
とりあえず、学生の多感な頃に、
感激した素敵な山登りで、
交通機関として
親しくなった越美北線は
思い出の電車なのです。

そんなことを考えながら、
一乗谷駅近くの
一乗谷朝倉遺跡資料館に
入っていくのでした。

続く

 


親父の夏の一日

2020年08月20日 21時00分00秒 | 生活

息子が生まれたのは、
あの阪神タイガースが
バース、掛布、岡田の
3連続ホームランで球界を
にぎわしていた昭和60年の
5月末だった。

結婚して3年目。

ようやく生まれて我が家を
笑顔で包んでくれた。



その頃、親父はマラソンに夢中で、
仕事、家庭もともに大忙し。
ずっと走り続けているような
日々だったな。

息子が小学生になった頃、
地元の子ども会のソフトボール部に入った。
走るということは早かったのだが、
球技の一瞬の判断力が乏しく、
親父と一緒で野球はさほど
活躍はしなかった。
ただ、6年の時にはホームラン王になり
喜んでいたが、
それは足の速さが大きな威力だったな。

中学生になって陸上を始めたのだが、
1年の時にリタイヤ。
あとは友達とワイワイ遊ぶ日々が多かった。

そして高校は、本人の希望で
M山学院を受けて受かったので
そこに行くことにした。

入学前のある日、
学校から電話がかかってきて、
入学式の時に新学年の
宣誓をしてほしいと言われた。
「え~、なんでうちの子が?」
と聞いたら
「入学試験の成績が1番だった」から
と聞いて驚きだったな。

それを聞きに入学式にいったら、
ばあちゃんもこっそり
タクシーでやってきていたそうだ。

その宣誓書は、今も
doironの部屋の中に貼ってある。

高校を三年間過ごし、
さあ大学となった時に
息子が言い出したのは
「信州大学に行きたい」とのこと。

親父が学生時代に金沢で
下宿していたので
そんなんあかんよとは反対もできずに、
結果そこに行くことになった。
18歳で親元を離れて
下宿することになったのだ。

その後、大学院にもいき、
なんと信州で仕事に就くことになった。
もう成人となるころから
完全に親元を離れて
生きていくことになったのだ。

ミセスは大変寂しかったろう。
でも彼ももう大人やから、
彼なりの考えで自分の人生を
築いていくんやから
喜ばないとと言い聞かせて納得した。

親父は、息子の自立と
ミセスの自立を
平然と喜んでいる風だったが、
内心はそうではなく、
くくくと寂しい思いを
こらえることも多かった。

やがて息子が彼女を連れて
帰宅してきた。
義理のばあちゃんにも会い、
doiron家は大喜びとなった。

結婚式では、doironが、
「息子は一人で頑張ってきて、
今は地元の皆さんにも
喜んでもらっている」
というあいさつをしたら、
横で息子が泣いていたな。

親父は精一杯こらえていた。

息子にそっくりの孫もでき、



これから先はどうなっていくのか、
よくわからない。

まだまだ人生は不明なことだらけだ。
ですが、とりあえずは
みんな元気で暮らしている喜びを、
今は心から楽しまないとと
自分に言い聞かせている毎日だ。

そんなことを、
ビールを飲みながら
じわじわ考えていた今日。

8月20日は「親父の日」なんだそうです。

 


福井満喫 東尋坊

2020年08月19日 21時14分10秒 | 

福井の名所と言えば、
東尋坊という場所がありますね。

 



日本海に面した柱状節理が乱舞する港で、
福井観光には欠かせない所です。

年間100万人がおとずれるという
観光地ですが、悲しいことに
自殺をされる方も多いようです。

詳しいことは知りませんが
月2件くらいはあるとネットには
書かれていました。

まあそれくらい海辺にそびえる
柱状節理が大きなところなんです。
そんな観光地なんですが、
ここは夕日がとてもきれいだそうです。
doironが訪れたときには
まだそんな時間じゃなかったので
残念でした。

ここに来たのは何度目くらいかなあ。
学生の頃にもきたなあ。
マラソン大会の帰りなんかも
立ち寄ったなあ。
社会人だったころや、
退職してからも来たかなあ。
4、5回は来てるでしょう。

今回はそんな訪問の中でも、
最も人が少なく寂しい景色でした。
東尋坊タワーの下の駐車場に
止めて歩いて行ったのですが、



普段は観光客が何組も
歩いている参道というか
港へ出ていく道も
3組くらい人がいただけです。
寂しいことこの上ありません。

ブラタモリでここに来た時は
大勢の観光客が来ていたのになあ、
まったくコロナ騒ぎも半端じゃないですね。

カニに関するお土産や、
イカ焼き、サザエ焼きとか並ぶ
お土産屋さんをうまそうやなあ
と見ながらも、まあ今日は
そんな贅沢もやめておこうと
我慢して歩いてゆきます。



そんな道の1番海側のところに
スタバコーヒーが出てるんや
と思ったら違ってましたね。

「IWABA CAFE」でした。



東尋坊だけに店の名前も
「岩場」なんですねえ。
鳥取県の砂場コーヒーを
思い出してしまいました。

でもユニークで明るくていいですよね。
明るさで病んでいる人々の心を
いやそうという地域の人たちの
やさしさも感じます。

岩場に行って、大池という名の
岩場があります。
そこへ歩いて行ってのぞいてみると、
ウヒャー、た、高い。
ここが飛び込みの場所だそうです。



高さは25m。



ああ、白浜の三段壁の60m以上
よりは低いですねえ。

ここで飛び込んだ人の
三割は助かるそうです。

でも故障は残りますよねえ。
みんなしっかり生きれる
人生であってほしいです。

この東尋坊にはいのちの
電話があるそうです。



白浜にもありましたねえ。
電話ボックスの中には
10円玉が何枚か
置かれているそうです。

でもねえ、東尋坊という名前そのものが
なんか恐ろしい過去を含んでいます。

「東尋坊」という名の僧が
昔いたそうなんですが、
それが荒くれ者の荒れ僧で、
どうしようもなく
周りの者が酒を飲ませて
酔っ払わせてここから
突き落としたんだそうです。

「東尋坊」という名前には
そんな悲惨な過去が
込められているんですねえ。

ここまで来たのですが、
船には乗らず大きな柱状節理の
石を眺めて帰ることにしました。

このあと一度行ってみようか
と思っていた「雄島」ですが、
ちょっと気持ちが立ち上がり
ませんでしたので行きませんでした。



帰ってから調べると、
この島は東尋坊から
たくさんの死体が流れてくる
すごい心霊スポットらしいです。



これは心を充実させて
行かないといけませんね。
一人でへらへら行くところでは
ありません。
また別の機会にしましょう。

そしてこの関連で行ったのが
もう一か所あります。
車で5分くらいのところにある
三国の港です。



ここには、最近分かったのですが
東尋坊から切り出してきた岩で
作ったという岸壁があります。



九頭竜川の流れをうまく
沖まで流していくという
明治時代に作られたという岸壁です。



これもテレビでやっていたので
見たかったところです。

思ったより雄大な岸壁でしたね。

こうして東尋坊に関する様々な
場所を頭に描きつつ、
車でさまよってきた
そんな旅だったのでした。

 


福井満喫 恐竜博物館2

2020年08月18日 21時43分36秒 | 

この恐竜博物館は黒川紀章が
設計をされているそうです。

山の斜面を利用しているのかなあ、
ドーム型なんですが
上下の動きが多いです。

先ず中に入ってゆきますと、
長―いエスカレーターで
一番底まで下がってゆきます。



なんか恐竜って深い地層の中から
化石で発掘されることが多いですから、
この長いエスカレーターは
そんな世界を見たい人の
気持ちと一致してますねえ。

エスカレーターを降りると、
もうそこは化石のジュラシックパークです。



でかい恐竜の全身化石なんかが
迎えてくれますよ。



むむ、こんな巨大は骨を持った
生き物を育てるなんて
地球ってすごいなあと
思ってしまいましたね。

最近の恐竜のこういう展示を
見ていると、昔と違うのは
鳥の羽のようなものを持った
模型も多いですねえ。



鳥は恐竜から、
という昔の言葉の延長線上の
考えなんでしょうねえ。

あんなティラノサウルスみたいな
肉食恐竜は前足が小さくて
かわいいですねえ。

ま、ほんとにいてたら
かわいいというよりは
恐怖一色ですけどね。



模型なんかもきれいに作られていて、
その動きもめちゃ自然です。
といってもほんとの自然は
知りませんけどね。



卵のコーナーなんかもありますが、
こんな小さな展示のコーナーなんかは、
以前の人気の時には
おおぜいの人々や子どもが
いて全く近寄れないような
感じになるそうです。

昔、子どもが小さいときに
ここなんかに連れてきてたら、

「昔はなあ、近所の神社の中にも
恐竜がいてなあ」なんて
ふざけて言ってたかもしれません。

展示は下からスロープを上がって
徐々に上へと変わってゆきます。



トリケラトプスなんかは
よくわかるのですが、
ほかの恐竜はどれを見ても
同じに見えますね。

骨格なんてでかいか小さいかだけで、
あああの骨格標本は
よかったなあなんて言う人なんて、
一日一人くらいじゃないですかねえ。

展示物であと面白かったのは、
草食恐竜の首の長い模型でしたね。
あれは何かジュラシックパークの中で
自分の周りの世界を
のぞいているみたいで
とても面白かったですねえ。

とちゅう、化石を掃除とかしている
風景を見るコーナーなんかも
あるんですが。時間的に
開けていない時間帯でした。

ブラタモリでも紹介していた
コーナーですね。
その時テレビでやってたけど、
恐竜の化石って今は大変多く
発見されているそうで、
まだまだたくさんの化石が
箱に入ったまま、
積み上げられているそうです。

小さな大切な化石や恐竜に関する
珍しい発見など、まだまだ
これからどんどん
見つかってくるんでしょうねえ。

テレビで言ってましたよ。
ある研究者が

「私は地質学の研究者なんですが、
恐竜の化石がどんどん出てくるので、
今は仕方なく恐竜の
学者になっています」ってね。

館内放送が時々流れてきます。
今はコロナの関係で、

「一か所におおぜいが集まる
ことは避けましょう」
「だいたい1時間半くらいで
展示を眺めるくらいにしましょう」
なんてことも言われ続けてましたねえ。

でもほんとに好きな人は
一日いても飽きないでしょうねえ。
こんなマスクをしている
恐竜もいました。



そのうち、人類がこれまでであってきた、
細菌、ウイルスの展示館なんてのも
できるかもしれませんね。

とはいえみんな小さくて見えないので、
それに侵された人々の
暮らしぶりを紹介してね、
天然痘、コレラ菌、スペイン風邪、
新型インフルエンザ、
そして今回のコロナ菌。

う~ん、あまり見たくもありませんか。

展示の最後に食堂がありました。



恐竜バーガーセットや
ティラノサウルスハンバーグプレート、
プテラノドン唐揚げプレート
なんかもありましたよ。

今度来る時は、
絶対孫を連れてこようなんて
考えてしまった博物館訪問でした。


福井満喫 恐竜博物館1

2020年08月17日 21時11分43秒 | 

学生時代は4年間金沢で過ごした。

北陸の小京都といわれるところで、
今ほど深く地域と触れることは
なかったがそれでもしっとりと
学生時代を過ごした。

実家とは雷鳥で行き来したなあ。
大阪市内から京都、琵琶湖を通り
北陸の海沿いを走った。
そして北陸の山々は虹が
よく出ていたのを覚えている。

そんな実家と下宿の行き来の旅の中で
必ず通るのが福井だった。
まあ、名所といえば東尋坊くらいで、
食べ物は雷鳥の中で売られる
小鯛の笹付けなんかが中心だったなあ。

ところが、学校を卒業し、
doironの一番長い仕事を
始めたころぐらいから、
その福井が強烈なイメージを
放ち始めた。

昭和57年にワニ類の化石が
発掘されたことを契機に、
その後の福井の特徴となる
化石が昭和63年から
発掘され始めた。

恐竜である。



その後勝山市の発掘現場では、
次々と化石が発掘され、
フクイラプトルやフクイサウルス
などの新属新種が6種類も見つかっている。

そんな発掘の状況などを伝えようと、
2000年に福井が県立で
勝山に建てたのが恐竜博物館だ。

前置きが長くなりましたが、
今回はこの博物館に
行った時の話です。

例によってコロナの影響で
閉鎖しているかと
ネットで調べてみると、
開けているようだ。
ただし、密にならないようにと
人数を決めて予約制と
なっているみたいだ。

早速行こうと思っている日の
一週間前に予約を取ってみると、
ガラガラである。
これはいいのじゃないかと確信し、
車で向かったのでありました。

恐竜のことはほとんど詳しくない。
ブラタモリでこの辺当たりの
放送を見たことと、
恐竜学者の本をジムで
自転車こぎながら
斜め読みしたくらいだ。

まあ行ってみれば
またいろんなことを
学ぶだろうと向かって
行ったのでありました。

途中のサービスエリアで
こんな立派なウツクシマツを
みかけたりしたなあ。



それからジムの知り合いの人が
昔福井で働いていたことがあり、
南条のサービスエリアの
おにぎり定食がうまいから
是非と進めてくれていたのだが、
doironの聞き間違いで
南条ではなく杉津のPA
だったみたいでした。

残念。仕方ないので、
南条でソースカツ丼&そばを
いただきましたが、
まあこれもとても美味でしたねえ。



途中のサービスエリアなんかには、
恐竜が服を着たりした人形が
置かれてあったりして、
それとなく恐竜感を盛り上げようと、
そんな趣向を凝らしていましたよ。



福井北ジャンクションから
中部縦貫自動車道にのり、
勝山で高速道路を降りてゆきます。

田んぼだらけの田舎道を走り、



なんか野生の恐竜でも
でてくるんんではないか
と思っていたら、



でたあ!



雪国らしく白い恐竜だあ。
もう外の景色もジュラシックな
感じになっています。
こんなやつもいますよ。



道端のトイレのある休憩所にも
恐竜関係のコーナーが
あったりもします。



遠くに、恐竜博物館の
ドーム型のような屋根が
見えていますねえ。
もうすぐです。



案内に沿って山を登るように上がり、
駐車場に入ってゆくと、
ガラガラですねえ。
バスなんかのとまる駐車場も
ほとんど空っぽです。

ん?今日は休み?



でも予約したしなあとか思いながら、
車をとめるともうすぐに
切符売り場に到着です。
休みではないですね。



泊っている車のナンバーを見てみると、
他府県が多いですねえ。
やっぱり大阪、なにわナンバーも
たくさんありますねえ。

さあでは切符を買いましょう。
こんなところも以前だったら
順番待ちなんでしょうねえ。
今はすぐに窓口です。

県立だから安いですね
1000円はしません。
730円で割引もあったような
気がします。

展示館の入り口のところで、
予約している印を見せて、
さあでは中に入ってゆきましょう。

 


今年のお盆は

2020年08月16日 21時08分53秒 | 生活

お盆となると、
なんかいろいろと気ぜわしい。

後日書きますが、
首藤さんの墓参りに行ったこととか、
我が家の墓参りにも8月10日の
千日参りやお盆のお迎え参りに
いったことなんかもありました。

また、同級生の墓参りも行きましたね。

こんな歳になってくると、
年々墓参りの件数が
増えてくるような気がします。

墓参りが続くと、
体は元気なんですが、
気持ちの方がざわざわしますね。

それに加えて毎日暑い。

暑いのは嫌いじゃないのですが、
こちらの方もこんな歳になると、
自然に体が反応してしまいます。

できるだけ無理な予定を
入れないようにして、
秋口の様々な計画を
しっかりと練っていたりするのです。

コロナ対策で、あちこち飲みに
行くのも遠慮をしていますが、
まあここというときには
マスクをして対策しながら
出てゆきますがね。

その他の時間はというと、
こうしてブログを書いたり、
絵を描いたり、近所をマスクして
散歩をしたりして
過ごしているお盆時期です。

夕方なんかはジムも休みなので、
早めにビールを開けて
テレビ観戦をしたりもします。

コロナのおかげで、
再放送や総集編なんかの
映像が多いねえ。
市民の活躍を目にする映像なんかも
嫌いじゃない。
ああ、こんなことをしながら
楽しんでいるんやあなんて見ながら、
また自分の趣味への思いを
募らせたりする。

最近よく思うのが、
こんな市民が、という番組に
出てくる人の名前なんかを見たときに、

「あれ~こんな名前を
トライアスロンの出場者の中に見たぞ」
とか思ってしまうんだよね。

まあレースはあんな非日常の中で
行われていたけど、
実際社会の中で全然体を
酷使しない仕事をしている人も
多いからね。
弁護士、医師なんか結構いてたからね。

だから、よく似た名前なんかを
見かけると、もしかしたら
トライアスロンの仲間では、
なんて思ってしまって見込んでしまう。

マラソンに関しても
同じように感じるよねえ。

元トライアスリートの後遺症
なのかもしれません。

テレビを見ていて、ミセスに
「あれ?こんな名前の人が
皆生に出ていたような
気がするんやけど」なんて
いいつつ見ていると、
超巨体の人が出てきて
「あ、違った」なんて言ってると
「またそんな幻想を抱いている」
としかられてしまうんだよね。

まあ厄介なもんです。

そんな合間にお盆ですから
家の仏壇にお参りすると、
いたずらな心を働かせてしまう。

木魚の代わりに並べてある
かぼちゃを置いたり、



鐘の中に梨をいれて
順番にお参りする
ミセスを驚かせたりする。



ウヒャーとか言ってる。

その後で、ぬいぐるみの犬に
木魚を叩かせてたら、



仏壇参りにとやって来た姉貴に
大笑いされたなあ。

まあ両親も、こんなお参りを
きっと喜んでくれているだろう
と思っている。

まあのんきなお盆だ。

夜になると、星を見に
散歩に出かけたりもするし、
面白いテレビ番組や
録画してある番組なんかを見ながら、
グフグフと過ごしている。

そして寝るときはというと、
最近図書館で借りてきた
漫画を見たりしながら
眠りの世界に入ろうとするのだが、
事件が起こってその続きの項目が
始まろうとする頃には
もう気持ちのうちの95%は
眠りの世界に行ってしまっているから、
なかなか進展しないのだ。

たまにはそのまま夢の中で
自分で続きを作って
寝てしまうときがあるのだが、
夢の中での超偉大な展開に
翌日笑ってしまうときが
あったりするから、
まあ寝ていてもお得な生活を
しているわけなのだ。

そんな風に、今年のお盆はのんびり、
ゆったりと過ごした。

これから涼しくなって、
また歩くのも楽しくなるぞと
心を弾ませながら、
にんまりとしている
今日この頃のお盆であったのでした。

 


夜空を見上げて2

2020年08月15日 20時30分05秒 | 自然

宇宙ステーションの飛行観察は
村の人々を巻き込んで、
楽しい観察となりました。



doironさんってあんなんに
詳しいんやなあと
とってもほめてくれはりました。
ネットで調べたらすぐに
出てくるんですけどね。
あ、もちろんそんなことも
教えてあげました。


で、そんな観察があって
1週間後です。

ジムでバイクを漕いでいるときに、
そのステーションの話を
ジム友と話してたら、

「そういえばもうすぐ
流星群が見れるよねえ」と
言ってきました。

ああ、そうやあ、この時期やったら
「ペルセウス座流星群」が
見れるねえと思い出しました。

このペルセウス座流星群は
昔、山に登り始めたころに
よく見た流星群です。

忘れないのは、白山の別山の
無人小屋でみんなと
眺めたときです。
山の星ってなんときれいなんや
と言いつつ眺めていると、
流れ星がピューと飛んでいきます。

そしたら、それから何度も
何度も星がとびましたねえ。

別山の小屋には水がなく、
重い水道水を持ち上げた
疲れもあったのですが、
そんな疲れも忘れて、
みんなで涙が出るほど
感動したのを思い出します。

まだ20歳くらいだった
doironにとっても初めての出来事で、
山ってこんな楽しみも
あるんやなあと実感したものです。

そして二回目に観察したのが、
先日車で近くを通った
福井の荒島岳です。

もうその頃は4年生で、
後輩を連れてこの山に登った時です。
登山後、テントを張って
みんなで山暮らしを楽しんだのですが、
それがちょうどこの流星群の
時期でした。

田舎なので空がよく見えます。
天の川が見えるなあ
とかいいながら見上げていると、
次から次に星が降るように
飛びまくるのです。

これは願いごとをするチャンスやあ
と後輩が叫んでいましたね。

あの時は、みんなでテント口から
顔を出して、星を見ながら
4年間の山の思い出も
話しあったのがとっても
印象に残っています。

毎年、お盆のころに
このペルセウス座流星群が飛びます。
これまでにも何度か家で
眺めて流れ星を見つけたことが、
数えきれないくらいありました。



60年以上生きてると、
あの時感動で涙を流した流星も、
ちょっと楽しみな非日常の
光景になってしまいました。

そんな流星群を見に行こうと、
またいつもの公園に
よる9時過ぎに向かって行くと、
また先日宇宙ステーションをみた家の前で
ばったり出会いました。

「ああ、今日も飛んでくるの」
と聞かれたので
「今日が流星群が飛ぶ日やで」と説明。

また数人で裏の公園に行くことにしました。

でもねえこの日は雲が多かったです。
東から北の空あたりが狙い目ですが、
もやもやっとその辺に雲が出ています。

全く星が見えなくなるような雲ではなく、
薄い色の雲です。
みんなで、いつ飛ぶかなあ
とかいいながらじっと
見上げたのですが、
ちょっと無理ですねえ。

今日は無理やから明日見ようと、
みんなで帰ったのですが、
どうしてもあきらめきれず、
部屋の窓から北東の空を
見上げていました。

すると、どうでしょう、
丁度地蔵さんの方角に
薄い雲がかかっているようなんですが、
その向こうにくっきりと
光の筋を浮かべて星が一個
流れていくのが見えました。

やっぱりね。地蔵さんのおかげですね。

毎日毎日、コロナの中で、
こんな遊びしようかな、
でも人ごみあるから
いけないかなとか
いろいろ考えつつ
過ごしていますが、
こうして宇宙ステーションや
流星群を待ちつつ夜空を
見上げて過ごすのもいいなあなんて、
ビールを飲みながら
考えている今日この頃です。

 

 


夜空を見上げて1

2020年08月14日 21時09分41秒 | 自然

これまで何度も見かけたことがある、
国際宇宙ステーション。



あるかぎられた時間帯に
見ることができるし、
実際にそこと交信をする場にも
立ち会ったこともあるのだ。

なんてことはない夜空にも、
そんなロマンが
浮かんでいるというわけだ。

そのステーションが、
年に何回か夜空に確認することが
できるのは、
地球上はもう日が暮れた段階で、
はるか上空を飛ぶステーションには
まだ太陽の陽光が当たっている
というときだ。

なので見えるのはそんな条件が
整ったとき。
しかももちろんこの辺の上空を
飛ぶときということになる。

ネットで調べてみると、
8月4日と5日に大阪で
見ることができるとあるので、
久しぶりに眺めてみるか
と観察してみることにした。

まず4日の日は、
8時33分から36分の3分間だ。
西北西から上がり始めて
南西の方に飛んでいくらしい。
ただしこのデータは
大阪市内からのデータなので、
微妙にずれてはいる。

この日はしかも満月で、
特別に月が赤い色になる



というのでそれの観測もかねて、
近所の公園に出かけて行った。

う~ん、確かに今日の月は
赤い色をしてるぞと見ていると、
近所の人が散歩で通りかかって

「何してるの?」と聞かれた。

「今日はねえ、月が赤い色になる
っていうから見に来たよ」

「確かに赤い色してるねえ」

「それでねえ、今日はこの後
国際宇宙ステーションが見えるので
それも見に来たんや」

と説明すると、ポカンとしている。
なかなか初めての人には
何を言ってるか理解しがたいのだろう。
理由を説明し、あと5分くらいで
飛んでくるでと説明すると、
その人は家の方に電話をしつつ
一緒に眺めることにしました。

これで日にちを間違ってたら
大ヒンシュクやなあと
ちょっと心配になりましたね。

そのあと家の人が3人ほど
やってきて来て、夜空を
見上げることになりました。

すると、やりました、飛んできました。

「来た来た。あれやで」と説明。
見上げる、と言っても
この日は仰角が低かったので
中空ぐらいの所を明るい光が
ゆっくりと空を滑っていくように
流れていくのが見えました。

「うわ~こんなにくっきり見えるんや」
とみんな感動してましたね。

消えた後に「明日も見れるで」
と言いつつ解散です。

で、その翌日です。
この日は7時45分からで、
かなり高い所、
頭の真上くらいを通過の予定です。

ジムから帰って、
食事前に出かけました。
そしたら昨日の知り合いが
孫とかつれてやってきてます。

「孫にも見せようと思ってねえ」
と盛り上がっていましたよ。

この日も空は快晴で
今日も観測には絶好やなあ
と思いつつ見ていると、

おお~、やって来ました。
西北からまっすぐ上がってきます。

飛行機のように点滅しないし、
動きが滑らかでゆっくりです。

この日もどんどん上って行って
頭の真上を通ってゆきます。

「すごいなあ」とみんな
大喜びしてましたね。

「あれでねえ、テニスコートくらいの
大きさやで」なんて説明してあげました。

携帯で撮影してたけど写ったかなあ。

「夜空の観察」ていう夏休みの
宿題にしたりしてね。

頑張って見上げていた孫の一人が、
見上げすぎて後ろにこけそうに
なってましたね。

「体の向きを変えなさい」
とお母さんに言われて
助かりましたが、
みんなで大笑いです。

今日もくっきり見えて
みんなも大変喜んでました。

もうまるでdoiron
呼び寄せた見たいな感じやねえ。
えへん。

立秋過ぎてから暑い日が続きます。
夜も25度以上の日々が続きますね。
そんな中でみんなで見上げた
宇宙ステーション。
たった三分の出来事ですが、
ステーションは宇宙を
観察するとともに、
我が村の連中も喜ばした
感動の飛行をみせてくれました。

 


西国三十三所 波に揺られて2

2020年08月13日 21時18分21秒 | 

連絡船に乗っているのは、
高齢者のグループや
男女二人連れがほとんどですね。



若い男の子のグループが
ここにというのはちょっと
不似合いですもんね。

船から下りて、すこし商店の
あるところを過ぎればすぐに、
入山料を支払います。

そうして一番で納経してくれるところまで
階段を上ってゆきました。
この階段は165段
祈りの石段と名付けられています。



ぜえぜえと飛び込んで
真っ先に朱印をもらってから、
75分間を効率よく
過ごそうという魂胆です。

これがねえ、結構きつかったな。

こんなに急な階段が続けば、
高齢者は大変だろうなあ。
doironの父母も頑張って
登っていたんでしょうね。

ぜえぜえと登ってゆきますと、
少し後ろに年齢のよく似た
おじさんが続いています。

息遣いまで聞こえてきそうです。
でもまあ頑張りましたよ。
納経所についたのは一番でした。
あっという間に納経をしてもらい、
さあでは島内を見学して回りましょう。



まずは5重の石塔です。
台石の形や傘石のそりの形から
鎌倉時代のものと推定されるそうです。
日本の7つある重要文化財の
5重の石塔のひとつだそうです。

これまでの間に豪雨で
琵琶湖に水没したそうですが、
相輪の下部がまだ
見つかっていないそうです。

その石塔の横の階段を上ってゆくと、
三重塔に出ます。



1487年に作られたのですが落雷で焼失。
でも設計図が見つかって、
平成12年に再建されたそうです。

そしてこの三重塔の横には、
樹齢400年といわれる
「モチの木」が見事に育っています。



何の変哲もない琵琶湖上の島に
様々な歴史が育っているんですねえ。

それにしてもこんな本堂とあわせて、



いよいよこんな島に来たんやなあ
という感が強くなりますね。

「神を斎く(いつく)」島が
「つくぶしま」に転じ、
「竹生島」になったといわれています。

そんな歴史の中に浮かんでいるんだって
気になりますね。

そしてこの島には宝厳寺のほかに
こんな舟廊下を通って行くと、





都久夫須麻神社(竹生島神社)も
残っています。
関白秀吉が作った建物を
ここに寄進したものだそうです。

ここにはねえ狩野永徳や光信が
草木花を描いたという
天井絵なんかも残っているそうです。

ああ、ありがたやですなあ。

そしてここが国宝の宝厳寺の
「唐門」です。
大阪城の一部が豊国廟極楽門に移築、
そしてそれがその後この島に
渡ってきたそうです。

秀吉の歴史とシンクロする建物ですねえ。

そうそう眺めのいい場所には
八大竜王拝所があって、



そこではかわらけな投げができるそうです。
こんなところと写真を
撮ろうと思ったのですが、
何となく担当者の目が鋭く
気後れしてしまいました。

え~この島の旧跡はこんな感じです。

さてフェリー乗り場まで
降りて来たのですが、
まだすこし時間がありますね。



売店で近江牛まんを買い



ベンチで一休み。



牛まんをかぶりながら
のんびりしていると、
上の方から乗客たちが
どんどん降りてきました。

コロナ対策で、みんなマスクをして
重装備です。
自分のためにも、周りの人のためにも
かかせませんね。

帰りのフェリーに乗り
予定通り長浜へ戻りました。

もし電車なんかで来たら、
ここから今津の方に帰る
というのも一つの手ですね。

長浜の駐車場で泊っている車の
ナンバーを見たら、
京都、兵庫、名古屋、静岡など様々。
大阪ナンバーもなにわナンバーも
いましたねえ。

西国三十三所ですから、
集めている人は必ず来ますねえ。
泉ナンバーで目立つかなあ
と最初は心配していたのですが、
何のことはないですね。
竹生島でコロナ撲滅お参りですね。

早くそんな心配もしなくていいように
なればいいなあと思った
doironの西国旅だったのでした。

 


西国三十三所 波に揺られて1

2020年08月12日 21時06分51秒 | 

琵琶湖の北岸近くに浮かぶ竹生島。

広さは0.14㎢で周囲の長さは
約2キロの小さな島です。
しかし小さいとはいえ、
以前ドジ旅で行った淡水の湖で
唯一ひとがすんでいる琵琶湖中ほどの
近江八幡市の沖島についでの
大きさとなります。

ちなみにこの竹生島は無人島です。
この島そのものはでっかい花崗岩の
一枚岩で出来ているそうです。



人は住んでいないけど、
びわ湖では昔から神の住んでいる島
といわれており、この小さな島の中に
西国三十三所の宝厳寺が作られています。



聖武天皇の勅願により、
行基がこの島に弁財天像を
収めたのが始まりのお寺です。
久米田池を「隆池院」と呼び
後に「久米田寺」となったお寺に
池の管理をさせたあの天皇ですね。

以前からこの島に出かけてゆき、
西国三十三所の朱印をいただこう
と思っていました。

実は一度来たことがあるんですがね、
その時は残念ながら
強風のため船が出ず
行けなかったことがありました。

ああこれもまたお寺と
縁のないことでしたね。
がっくりして帰ったのですが、
そののちに姉貴の話を聞いて
驚いたことがあります。

実は姉貴も三十三所の朱印を
旦那さんとあつめに回っていたそうですが、
二回船が出ず行けなかったそうです。
まあそれはありがちかな
とは思うのですが、さらに驚いたのは、
三度目にようやく船に乗って
やっと来たぞと思った時には
なんと納経帳を持ってくるのを
忘れたんだそうです。

ウヒャー超ガックシで、
もうこの寺とは縁がないなあ
と思っていたのですが、
後日ようやく朱印をいただいた時には
涙が出るほどうれしかったといってました。

そう考えたら、一度船が出なかった
ぐらいだったらいい方ですね。

コロナのこともあって、
もしかしたら今は船も出ないかなあ
と思ったりして事前に問い合わせたら、
船は天候が悪くなければ
出ているとのことです。

だったら早速行くことにしましょう。

船着き場までは車で行くので
密になることもないでしょう。
乗船の時だけ注意していけば、
コロナ対策も大丈夫でしょう。

竹生島への船は4か所から
出ているようです。
長浜、今津、彦根、木之本からの
船便が地図に書かれています。

今も動いているかはちょっと不明です。
doironは事前に調査した
長浜からの船を予定して
出かけてゆくことにしました。

高速道路を長浜で降りて向かいます。
朝早く6時過ぎに出ましたので、
船の出る港に到着したのは
朝食を食べつつ行って
8時半くらいだったでしょうか。

長浜発の船が9時が初便なので
ちょうどそれに乗ることができます。
料金は往復で3130円。
ネットで少し割引ができます。

到着が9時30分で75分間滞在して、
10時45分に竹生島発で
11時15分に長浜に帰る予定です。

この時は満員の4分の一くらいの
人数でしたかね。
座席も一列明きくらいで
余裕の乗船です。
もしこれがいっぱいだったら、
朱印も時間かかって
仕方ないでしょうねえ。

でも今日は余裕のはずです。
天気はまずまずで、
波もあまりありません。
静かな湖面を船はどんどん
進んでいきます。

昔、この琵琶湖で開催された
トライアスロン駅伝に
出たことがあります。

淡水なので泳ぎにくかったなあ。
アイアンマンなんかも今就航している
船のすこし南側で泳ぎましたねえ。

出たかったけど、
さすがにアイアンマンは
むつかしかったです。

船に揺られて水鳥が飛び交う湖面を



進んでいくとようやく



竹生島が目の前に迫ってきました。



さあ、では上陸です。