DonkeyMの部屋

Donkeyはロバ。格好良くなく、足も遅い。「のろま」とか「馬鹿」といった意味。日々の感動、怒り、愚痴等を記事にしたい。

子母沢寛の「勝海舟」を読み終えて!

2016-08-11 21:50:13 | 雑感

 「勝海舟」を読み終えた。文庫本だが、一冊500ページ越えが6冊。結構読みでがあった。私は、幕末の志士の中では、坂本竜馬が好きで、坂本竜馬が暗殺されなかったら、日本の有り様も大分違っていたのだろうと考えていた。

 ところが、「勝海舟」を読んでみると、坂本竜馬の活動の後援者は悉く勝海舟の知人が名を連ね、勝海舟あっての坂本竜馬であったことが分かる。また、発想の多くは、勝海舟の発想によるところが多いようだ。また、幕末に、アメリカまで咸臨丸で渡米しているが、航海術を習得するときの勝海舟の集中力や包容力の大きさは、物凄いものがあった。そして、百年後には欧米を追い越し、一番になるのだという強い意思を抱いて、人材育成に当たっていたようだ。

 先を見越す力は大変なものであった。ただ、惜しむらくは、口では幕府の温存ではなく、「日本国を西洋列国から守り、中国などのようにならないためにはどうするかということが中心で、自らの立身出世には関心がなかった。西郷隆盛など大物たちからの誘いを断り、あくまでも江戸幕府にとどまって、その枠を超えようとはしなかった。もし、勝海舟にもうひとつ欲というものがあったら、明治とそれに続く時代の有り様は大きく変わっていたことだろう。

 しかし、これはあくまでも子母沢寛の描いた小説の中でのこと、実際の人物はどうだったのかということは分からない。非常に興味のあるところだ。

 そこで、次には、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読むことにした。これも、文庫版400数十ページの8冊セット、古本屋で1200円で買ってきた。これでしばらくは読み続けられることになった。しばらく掛かるだろうが、読み終えたら、また、一言感想を述べたいと思っている。

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生前退位について天皇自らお気持ちを述べられるとか!

2016-08-05 22:41:21 | 雑感

 ニュースによると、天皇が生前退位についてお気持ちを述べられ、それが録画で放送されるとか言いますが、そこまで天皇を追い詰めてしまった政府の責任はどんなものなのだろうか?天皇は、生前退位について以前からお気持ちをお持ちで、政府関係者に伝えていたという。しかし、政府はのらりくらりと対応を引き伸ばし、きちんと対応していなかったことが窺われる。これは、いかがなものだろうか?政府の怠慢も、ここまで来てしまったとは呆れたものだ。

 その一方で、自民党の憲法改正草案では、「天皇は象徴であり」という文言を、「天皇は元首であり」と書き換えようとしている。これはいったい何を意味するものだろうか?天皇の意思を尊重するというよりも、むしろ、「天皇」を利用し、政府が国民を上から目線で動かそうとしているのでは、ないだろうか?そこに、何やら、恐ろしい意図がありそうで、心が寒くなってくるではないか?憲法9条を反故にして、戦争ができるようにしてしまおうという動きと、何かどこかで結びついているようにも感じられる。これは本当に困ったことだ。

 天皇も、人間である以上、その意思は尊重されねばならない。これは法律以前の問題ではないかと思う。

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家の中でも車椅子生活に!

2016-08-03 23:28:19 | 雑感

 トイレと風呂場のバリアフリー化を図ってきたが、トイレは段差を解消でき、後は風呂場のスノコが入れば、一応、バリアフリー化は完了となる。今までは、トイレに段差があって、出入りで疲労してしまっていたが、段差がなくなって少しは余力を残せるようになったようだ。ただ、居間からトイレまでの距離は結構あるので、この間の移動は、車椅子を使うことにした。

 最初は、感覚的に段差があって少し降りる感じでの移動だったが、平らになると平らになったで、今までと違いすぐには上手く動作ができなかったが、それも次第になれてきたようで、少しずつスムーズになってきた。まあ、私でも、トイレに移動するとき、ついつい前の感覚で移動すると、足の運びが変になることがある。これは習慣的にやっていたことなので、慣れるには少し時間が掛かることだろう。

 まあ、環境が少し変わると、その環境に慣れるのにも、時間が掛かるものだ。少しずつ慣れていくしかないのだろう。

 それと、ベッドやソファーからの起き上がりが一人ではできなくなり、起き上がるときに介助が必要になった。その分、私が近くにいて介助をしなくてはいけないことが増えた。でも、これは仕方のないこと、他にだれに頼むということもできるものではない。でも、まだ、食事を口に運ぶこと、トイレで用を足した後、吹くこと、歯磨きを一人でできることなど、できているので、まだ、私は助かっている。これができなくなってくると、完全介助の領域に入ってしまうのだろう。まあまあ、為るようにしか為らないのだから、焦らず、慌てず、頑張り過ぎない程度に、やっていこうと思う。

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