今日は、きんぴら牛蒡、長ネギとワカメの味噌汁、納豆、山芋の千切り(わさび醤油味)、それに、豚肉の生姜焼き。豚肉の生姜焼きは今日作るつもりはなかったが、何かおかず不足かなと思い、急遽追加したものでした。牛蒡があまり良いものではなく、中にすが入っているような気がして心配でしたが、食べてみると、何とか食べられました。納豆を見て、納豆古いんじゃないと一言。納豆は多少期間が経ってもオ、発酵食品だから悪くなるものではない、多少、味が落ちる場合もあるが・・・・、結局、それを理由に食べないと言い出したので、むかついたが、そこは抑えて、黙っていた。
流し台下の収納部の棚が壊れているのを発見。流し台を新しくしてしまえば、簡単なのだが、棚の扉をテーブルや食器戸棚などを作ってもらった人に頼んで作ってもらい、付け替えているので、新しくしてしまうのももったいない話なのだ。
そこで、どんな風に改装するか、今まで、鍋や調味料などが乱雑に入っていて、どうも効率が良くない。どうせやるなら、きれいにかつ整理しやすいように棚の巾や高さなどを使いやすいようにしたい。プラスチックのケースに必要な物を分けて入れ、それがすっきり収まる棚ができえば、見栄えも良く、かつ、乱雑にもなりにくいと思う。
いざ、やろうと思うと、結構、面倒なことが多く、そのままになっていたが、しかし、このまま放置するわけにも行かないので、そろそろ本気を出して取り組んでみようと思う。
考えてみると、夫婦の問題は今始まったわけではなく、長い伏線がある。年に何回か赴任先に妻が訪ねてきた。来る前には、「いついつ行くからね。部屋掃除していて!」とメールしてくる。一応は、掃除しておくし、整理もしておくようにしていたつもりだが、来ると、部屋を見て、嫌な顔をするのが常だった。まあ、入居するときにはかなり念入りに掃除もするし、床も磨く、しかし、慣れてくると、常に掃除しているというわけではない、気が付いたときにちょっとやる程度で済ましていた。それが、普通だと私は思っていたし、それほど汚れているとも思っていなかった。
ただ、2人の感覚のずれはかなり大きく、家に帰ったときには相当激しい戦いが待ち受けていると予想していたし、そのときは徹底的に戦うつもりでいた。何しろ、私が一度も住んだことがないところに住んでいるわけで、全てが妻の思いどおりになっているところに、異物(私)が入るわけだから、相当激しい抵抗に合うことは想像できたからね。戦いの中で、自分なりの居場所を確保しないことには何も始まらないとも思っていた。
ところが、妻の病気というアクシデントで、急遽家に戻ることになり、しかも、もはや妻に戦いを挑むこともできない状況に陥ってしまったのだ。さらに、妻は、「私の世話をするのは無理だから、どこか有料の施設を探して!」と言ってきた。まさに、専制攻撃だ。返す言葉が全く思いつかない。本心からそう思っているならば、さっさと有料の施設を探して入所の手続きをするだろう。何しろ、長年、そういう仕事に携わっていて、全て承知しているわけだからね。それをしないということは、暗に、「私に従い、私の面倒を見よ!」と言っているように思え、非常に腹が立ったが、それを口にはできない。それだけは私の心(良心)が許さない。私は、戦う意欲を失い、戦わずして負けたということだ。
それにしても、2人の感じ方の違いは大きい。例えば、トイレ掃除、便器も床も手洗いも拭いてきれいにしたつもりでいたら、妻が「トイレ汚いよ、掃除したの?」と言って来る。「えっ、掃除したよ。どこが汚い?」と問うと、「便座とタンクの隙間に埃がたまっている。」と返事してくる。「え・・・・。そこまで言うかな!」私は言葉を失った。ここずっと言葉を失うことが続いている。ただし、私は、しぶといことには自信がある。そう簡単に音を上げるわけにはいかない。地道に抵抗を続けていこうと思う。
今日の夕飯は、昨日のカレーの残りを食べることにしていたので、比較的のんびり構えていたが、もう一品何にしようか考えたが、なかなか思いつかない。そこで、スーパーで見ていれば何か思いつくかもと思い、家を出た。
スーパーに行く前に、輸入食材店(ジュピター)に立ち寄った。いつも一言二言交わす女店員がいて、コーヒーを出してくれた。そこで、「今日カレーなんだけど、副菜何が良いと思う?」と話しかけた。「そうねえ、サラダ」との返事。「サラダは昨日食べたしね。他には?」とさらに話を進めるが、「やっぱりサラダしか浮かばないよ!・・・・間・・・・そうだ豆腐サラダはどう?刻んだ大根と豆腐。ドレッシングで食べる。どうかな?」と教えてくれた。これはいけそうだと思い、早速、スーパーに移動し、大根、豆腐、かちり干しを購入し、食材店に戻った。「豆腐、大根、かちり干しを買ってきたが、これに合うドレッシングある?」と声を掛けると、すかさず、「あるある、鰹節ドレッシングが良いよ。豆腐に合うから良いと思う。」と推薦され、即、購入して帰宅した。
大根=千切り、豆腐=細かめの賽の目、合わせた上にかちり干しをふりかけ、鰹節ドレッシングを掛けて完成、実に簡単だった。鰹出汁が良く効いて、大根にも、かちり干しにも、豆腐にも良くマッチし、さっぱりした味は、カレーにぴったりの味だった。これ、かなりいけるかも、しばらくカレーの時には食べ続けることになりそうだ。
50歳から単身赴任するようになり、63歳までのおよそ13年単身赴任が続いた。この間は、年に数回家に帰るだけで、家から遠ざかっていた。その間、それなりの苦労はあったが、それでも一人の気ままな生活を満喫していた。お互いに配偶者がいない気楽さに慣れてしまったと言える。
ところが、いったん家に帰り、一緒の生活に戻ると、二人の間には相当の開きができてしまい、なかなか埋めることができない。戻ってもう2年が経つが、それでもその溝は一向に狭まってきたとは言いにくい。人と話さずにいても、一向に困らないで、自分の世界にいることができる。何も無理して相手の機嫌を取るようなそんなことは面倒くさいというのが私の本音だ。妻曰く、「一緒にいる意味がないよ!」。確かに、そうだ。一緒にいる意味はない。それじゃ、どうしたいのか?妻が私の世界に入ってくるのか?それとも、私が妻の世界に入っていくのか?
妻は何も語らないが、「私の世界に入ってきて合わせて欲しい。」と言うことなのだろう。そうできれば、それが一番かもしれない。しかし、そんなことが簡単にできるはずもない。十数年の間にできた「私」も、私なのだ。味覚も好みも違う。味覚は子どもの頃に戻ってしまっているし、好みだってそうだ。はい、そうですか・・・と、合わせられるものでもない。これは、大きな問題だ、解決するまでには相当長い時間が必要となるだろう。