「アナログ人間」という言葉を最近、良く耳にする。多くの場合、パソコンのことが分からなかったり、デジタル家電が分からかったりする人が、良く口にする。その裏には、「アナログ人間」だから、「デジタル」のことが分からなくても仕方ないという言わば、言い訳に使われ、これらデジタル機器のことを覚えようとする気がないという意思が見え隠れしている。
私は、分からないながらも、パソコンを使うし、デジタルカメラを使う、テレビも、アマゾンプライムビデオを見たり、TVerで見逃し番組を見たり、スマホを使ったり、LINEを使ったりしている。決して、デジタル機器に乗り遅れているという訳ではなく、覚えようとする意思がないと訳でもない。でも、私は、どう考えてみても、「アナログ人間」だ。
小学校の頃から、先生が何かを教えてくれても、俄かには信じなかった。そして、違うのではないかとすぐに勘ぐってしまう。例えば、中学校に入り、英語の勉強が始まる。例えば、「go」は行く、「come」は来ると教えられる。本当にそうなの?と、ついつい疑ってしまう。辞書を見る、確かに、「go」の訳の最初に行くと書いてあるし、「come」は来ると書いてある。しかし、そこでやめずにどんどん読んでいくと、何と多くの記述があることか!途中で嫌になってしまうくらいの記述がある。小さな辞書でもそうなのだ。大きな詳しい辞書に至っては、1ページにも及ぶ。簡単には片付けられないものだ。さらに、英英辞典ではどう表現されているか?と好奇心を抱き、英英辞典を調べてみる。まあ、そんな余計なことばかりしているから、全然、勉強が進まないし、意味も曖昧になって来るばかりだ。だから、なかなか英語が覚えられない。
アナログとデジタルの違いは、アナログが連続の量なのに比べ、デジタルは1か0かという変数なのだ。つまり、アナログーデジタル変換(AD変換)が行われ、デジタルでは、ある一定の基準を越えていれば「1」で、それ以外は「0」で表される。その中間はないのだ。サンプリング数をどんどん増やしていけば、アナログに近づく。写真で言えば、ドットで印字され、ギクシャクしているものの、単位面積当たりのドット数が増やしていけば、フィルム写真に限りなく近づく。しかし、どこまでも、同じになることはないのだ。
デジタルにはデジタルの良さがあるし、アナログにも良さがある。どこが違うかと言えば、私は、物事を割り切って考える方かどうかだと思う。問いと答えが一対一に対応しているかどうかだと思う。
色々考えてみて、私は、やはり「アナログ人間」に違いないのだと思う。